硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

       「花子とアン」 ほか日乗

2014年08月19日 | 季節の移ろいの中で

 

NHK朝の連ドラ「花子とアン」の元本

 

 

 

「花子とアン」 ほか日乗

 

 

  随分久しく、このブログを更新せず、我が尊敬する木村草弥さまからの激励のメールを受けてから、

既に半月以上も経ってしまった。殆ど自宅を中心にいるのだが、逆に忙しいのは、何故だろうか。

折りしも先日は、69回目の「終戦の日」。お盆の行事とあい重なって、佛事や神事が多い。

NHKとアメリカABC放送で共同制作されたドキュメンタリー映画・「映像の世紀」によると、

私たち日本人の戦争観が如何にも狭い。日本映画専門チャンネルでは「回天」や「中野学校」など

この大切なお盆の時季に、臭い軍事映画のオンパレードであり、甚だ不謹慎。

官民で310万人もの多大な犠牲者を出したことも、何処吹く風。

余りにも戦争を知らない世代が多いことか、私も含めて、キリキリと自責の念が湧いてくる暑い夏の日。

 

朝の連ドラ「花子とアン」を日々楽しんで観ているが、上記の本の物語でもなく、

中園ミホという脚本家の世界であり、史実とかけ離れているというか、どうもピンと来ない。

今年の櫻の時季に、120名ほど集まって戴いたカルチャー・スクールで、私は講演をした。

『東洋英和学校の設立と女子教育の意義 片山廣子と宮崎子と村岡花子と』と題してである。

私はもともと実証主義者であるから、徹底的に調べあげ、小さな講演でも原稿を準備する。

その視点で、この連ドラにモノ言えば、余りにも不満が残り、我が講演を聞いた御仁からも、

質問が多く寄せられ、甚だ迷惑しているが、ドラマ構成上、人気が取れれば何でもありというのか。

脚本家が悪いのか、プロデュースが滅茶苦茶なのか、判然としないが、酷い出来である。

世間では、「取材力の中園ミホ」と評判なようだが、私の見解では、そこが極めて疑わしい。

 

先ず花子の成長物語として書かれていないこと。初っ端から「想像の翼」とはアンを意識してで、

子とはなを「腹心の友」としているのも同様であり、赤毛のアンが色濃く散りばめられている不思議さ。

表題に出てくる場面も、プリンスエドワード島であり、創作として最初っから破綻しているではないか。

 

第一に、片山廣子を紹介していないのが、

最も不満があるところで、原作にも登場しているのに、何故?

片山廣子は、芥川龍之介が学生時代からの憧れの存在で、

自称弟子と称した堀辰雄にも多大な影響を与えた。

芥川最晩年の著書「或阿呆の一生」で、「才力の上にも格闘できる女性」と表現し、

『相聞』では「君」と歌われた程。

堀辰雄の『聖家族』では細木夫人に、『菜穂子』では三村夫人のモデルになっていて、

芥川表現の「越し方」である廣子のお嬢様・総子が、

堀辰雄の「聖家族」の絹子や、「菜穂子」の菜穂子のモデルになっている。

その片山廣子とはどんな方だろうかと思われる方々は、月曜社から出版されている、

片山廣子著『燈火節』をお読みになられるといい。こんな素敵なエッセイがあるだろうか。

驚く程、上質な品位を感じさせ、この方の生きた時代を考えれば、その高さがうかがえよう。

片山廣子は、鈴木大拙夫人ベアトリス・レインに、アイルランド文学の翻訳を薦められ、

多くのアイルランド文学の翻訳を、松村みね子の筆名で書いたが、知識水準も相当なものである。

又佐々木信綱に師事し、たくさんの歌も詠んでいるが、『燈火節』は、それら歌や翻訳ものではなく、

殆ど彼女のエッセイで綴られており、アイルランド文学の発想や陰影が色濃く投影され、

気高く凛とした品位の高さを感じられることに、今でも新鮮さと、充分な教養を感じられる。

どの篇から読んでもよく、素敵な本である。私は時々、彼女の『燈火節』を読むのが、

近頃の私の癖になっているぐらいである。

 

昵懇の芥川龍之介や堀辰雄の他、室生犀星や萩原作太郎、そして菊池寛にも慕われ、

「くちなし夫人」と呼ばれた。梔子の花かと思いきや、なんとなんと!

他人から聞いたことを一切他言したり、披歴しなかったことからの「クチナシ」であった。

特に自宅を「馬込文学圏」として開放。文学者だけではなく、

川端龍子や伊藤深水や小林古径など、錚々たる画家たちも、そのメンバーであった。

42歳で、日本銀行理事であったご主人を亡くされ、

46歳で、軽井沢の「つるや旅館」にて、芥川と一晩過ごしたが、

無意味で、ゲスな詮索は全く不要である。文学上の真摯な恋心であったと断言しておこう。

 

 

片山廣子像

 

 この方と、東洋英和女学校で、同窓で友人だったのが、

柳沢白蓮(本名・宮崎子)であり、村岡花子で、片山は一番の年長であった。

麻布十番の反対側のところを鳥居坂と言うが、その坂の途中に明治時代、

政府から許可がなかなか下りず、やっと出来た女学校が東洋英和学校で、

後に、学校に読む本がなくなると、廣子は、花子に、自分の英文蔵書を全解放し、

具体的に最初に、ある本で翻訳を進めている。

その本こそ、劇中に出てくるマーク・トウェインのThe Prince and the Pauper(王様と乞食)だ。

それほど決定的に、多大な影響を受けた花子であったわけである。

東京っ子だった廣子だが、花子が蒲田に引っ越すと、廣子も近くに引っ越しし、

先輩・後輩としても、とても仲がよかったと思われる。それでも村岡花子にとって、

「腹心の友」ダイアナのように存在していたのは柳沢子であったのも事実であろう。

短期間しか在学していなかった白蓮は、やがて九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門のところに、

義兄・柳沢義光が貴族院に出馬するための、酷い政略結婚であり、相手は色々と立派なこともしたが、

おんな癖が最悪で、白蓮は9年間も、よく堪え得たもので、生涯孫文を手助けし援助した

7歳年下の宮崎滔天の長男・龍介と、熱烈な恋愛をし、初めて女の歓びを得たものである。

朝日新聞紙上に、離婚宣言をしたのも事実だが、自ら選んだ、初めての結婚相手でもあった。

ほぼドラマ通り筋書きであるが、伝右衛門は、ドラマ構成上、特別素敵に見えるのは何故だろう。

大正天皇の従妹に当たる由緒正しき貴族の出だが、白洲正子の「お公家さん」という本を読むと、

正子独特な言い回しで、「不良公家」と言い放ち、賛否両論があったのは事実だろう。

時代は「姦通罪」があった時代で、思いを遂げた白蓮は幸せだったはずである。

 

大正三美人と謳われた宮崎子像(後の柳沢白蓮)

 

「花さきぬちりぬみのりぬこぼれぬと 己れしらぬまに日へぬ月届かぬ」

子は日蓮宗信仰で白蓮と号し歌を詠んたが 歌の殆どは私小説そのもの

 

従って、同校で、片山廣子を長女とするならば、白蓮は次女で、花子は三女に当たるだろう。

廣子(1878~1957)、白蓮(1885~1967)、花子(1893~1968)の、年の差である。

でも東洋英和学校の同期であり、三人とも、歌人・佐々木信綱の弟子であったことも面白い。

 

村岡花子像

 

「花子とアン」では、花子の詳細な心の成長物語が然程感じられないのが致命的であり、

養女の娘である村岡恵理さんの原作にも、かなり逸脱しているが、恵理さんが歓んでいると聞き、

私事ブツクサいうのは、大概にしなければならいのだろう。

花子はプロテスタントの熱心な教徒として、その生涯の成長が記憶され続けており、

質素・倹約・誠実という、その教義そのものの生き方をした人であった。

 

花子が村岡敬三と結婚したが、その結婚式を山梨で挙げたこともウソで、

東京・築地の築地教会で挙げている。それはフィクションもいいところである。

例えば花子と幼馴染として登場した朝市など、多く登場人物は実在していない。

登場して欲しい人を出さず、如何にもフィクションだと言わんばかりの配置である。

実像を知りたい方には、多大な混乱を起こしかねないわけであろう。

 

僅か5歳の一人息子の道雄が、6歳になる直前に、

当時流行っていた疫痢に罹り、突如亡くした悲劇が哀しい。

また関東大震災の時、従業員から、実印や銀行通帳を持ち逃げされたのも不運であった。

悲劇はいっぺんに襲ってくるものである。然し花子は健気であったし、

子供向けラヂオ放送も大変好評のようで、子供が大好きな人であったのだ。

そんなことで、私は結局毎朝、この番組を楽しんで観ているほうだが、

NHK朝の連ドラの王道とは、かく創られるのかと感心しつつ観ることにしている。

また中園ミホという作家の創作として観れば、腹も立てようがないのかも。(これも想像の翼か)

私は、本当に真摯に生きた村岡花子が大好きである。

 

村岡花子は、敵性外国語の英文を、戦争の最中、必死の思いで翻訳し、

戦後未だ混乱が残る中、昭和27(1952)年に、三笠書房から「赤毛のアン」が発売されるや、

日本中の女の子に夢と希望を与えたのは御存じの通り、花子の功績は計り知れないものがあろう。

但し主人公アン・シャーリーは英文学を教えた教師であったために、多く英文古典が引用されているが、

村岡花子の訳では少々ものたりなく、シェイクスピアやディッケンスなど、頻繁に語彙が使われている。

それらすべてを訳注した松本侑子も、この際参考のために、一応記載しておきたい。

 

この三人に深く影響を与えた雑誌「青鞜」の平塚らいてうや、婦人参政権運動の市川房江のことも、

どうしても書いておかなければならないだろう。私的に、開化期の婦人で、最も輝かしい女性は、

津田梅子ではなかったかとも追記しておきたい。

 

赤毛のアンに関する本がたくさんあり どれも素敵な「ワタクシのアン」に違いない 推奨!

 

製図にはCADという真に便利なものがあるが、ガラケイもスマホもやらない私は、

多分今時分の男にとって、甚だ奇妙で滑稽な人間かも知れぬ。電子メールでやり取りするよりは、

一々手紙に認めるほうが好きである。従ってCADも使うけれど、手作業のほうを選ぶ。

不思議なもので、手作業だと、書きながら、ふとした発想が滾々と生まれ出で、

それが決定的に大事になることが、非常に多いためだ。

 

年がら年中、製図板を相手にしていると、ついブログの更新が疎かになる。

更に面倒なことに、すべてに許認可がついて廻る。致し方ないことだが、

その心は、基礎工事や環境留意にあるのだから、由とせねばならない。

 

久し振りに、ブログの更新を後押しして戴いた木村草弥先生に、心から御礼を申し上げたい!

 

赤毛のアン記念館 村岡花子文庫 (ただ今休館中)

東洋英和女学院 「村岡花子と東洋英和展」 (9月27日まで)

 

角川「短歌」誌九月号に「村岡花子と短歌」が収録されている 

(我が意を得たり これも木村草弥先生から教えて戴いたものである)

 

 


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