硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

      My daughter MALALA!

2015年03月30日 | 時事問題

私が手作りした絵本「天使の昇天」より 一場面

 

 

           My douthter MALALA!

 

 

 昨年2014年、史上最少年でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは、女子教育を声高に標榜したために、パキスタンのアルカイダ系過激派組織タリバンから標的にされ、重火器で頭部を銃撃され、瀕死の重症を負いましたが、イギリスへ搬送され、大手術を受けた結果、無事生還できたことは、皆さまご承知の通りです。ノーベル平和賞授賞式の演説でもパワフルに女子教育の重要性を説かれました。その時に、「父は私にインスピレーションを与え、模範であり続けました」と語り、お父様の存在の大きさがクローズアップされました。だが父のジアラディンさんは「娘には特別なことを教えたわけではありません。何もせず、娘を自由にしただけ。それが魂なのです」と語られ、一躍脚光を浴びたのですが、なかなかご本人さまが喋ることはありませんでした。アンネ・フランクにとり、父オットーがいたように、きっと父と娘の素敵な物語があるはずだと、誰もが信じていたと思います。それが今回MIT Media Lab(マサチユーセッツ工科大学メディア・ラボ)で、公開講演会が開かれました。早速そのスーパープレゼンテーションを、本ブログにアップし、皆さまとともに、ご共有したいと存じます。

 ジアラディン・ユスフザイ(Ziauddin Yousafzai)氏。1960年、パキスタン北部生まれ。

 北東部のスワート地区で、私学(KHUSHAL College & Girls High School)を経営しつつ、マララさんに教育を受けさせました。マララさんはこの学校で医者になりたいと勉強に励んでいたのですが、なにせこのエリアは男性優位の社会で、女性は表舞台に立てない環境でした。更に過激派は極端に女性に厳しく、マララさんはその結果、生死の境を彷徨いました。お父さまは未だに続くその恐怖と苦痛に耐えながら、娘マララのことを語り始めました。

 「多くの家父長制社会や部族社会では、息子を見れば父親が分かると言われます。私の場合、それが娘なので珍しいようです。でもそれを私は誇りに思います。マララは2007年に教育の権利のために立ち上がり、2011年に、自国パキスタンで平和賞を受賞しております。そしてマララはとても有名になったのです。その上私はマララの父として有名になりました。人類の歴史を見てみると、女性は散々不平等・不公平な扱いを受けてきました。暴力も搾取も。家父長制社会の現実は、と言うと、女の子は祝福されません。その子の父親も母親も喜びません。近所の人たちは母親を哀れみ、父親にお祝いを言う人はいないのです。女の子を生んだ母親は肩身の狭い思いをします。1人目が女の子だと、母親は悲しみます。2人目も女の子だとショックを受けます。そして男の子が欲しいと思っていても、3人目も女の子だと、自分は犯罪者のような気がするのです。母親だけではなく、生まれてきた女の子も後に苦しみます。5歳は就学適齢期ですが、女の子は学校に行かず、家にいます。男の子は学校に行きます。実は12歳まで、女の子も、一応良い生活が出来、お友達と外で遊ぶことが出来ます。蝶のように、自由に飛び回れるのです。しかしティーンになると、つまり13歳になると、男性の付添なしで、外出を禁止されます。女の子は家に閉じ込められるのです。自由な個人ではなくなるのです。男女の役割は違いますが、家族の面目を潰さないようにして生きることが義務となるのです。そしてもしその規範を破ったりしたら、殺されたりもします。興味深いのは、この規範というのが、女の子の人生だけではなく、男性の人生にも影響を及ぼすということ。娘7人、息子1人という家族を、私は知っています。その唯一の息子は、姉や妹や両親のために湾岸諸国に出稼ぎに行っています。そうしないと、自分が恥をかくことになるという意識、姉や妹が働きに出るのは、彼にとって屈辱的なことなのです。それで自身の生きる喜びも、姉や妹の幸せも犠牲にしている、面目のために・・・・・。それからもう一つ、家父長制社会で重んじられるのは服従です。良い女の子というのは大人しくて謙虚な子、従順な子で、大人しくないといけないのです。何も言ってはいけないのです。父や母や、年上の人が決めたことは受け入れる決まりです。たとえ嫌でもです。たとえ嫌でも好きじゃない男や、かなり年上の男との結婚でも断らないのです。それは反抗期だと思われたくないからです。幼い年齢での結婚でも受け入れるしかないのです。それでどうなるかというと、結婚してベッドをともにして子供が出来ます。すると皮肉なことに、結局この母親も、娘には服従の大切さを、息子には面目の大切さを教えます。悪循環はとどまることはないのです。皆さん、皆さんにはこうした何百万もの女性の苦しみは取り除けるはずとお考えでしょう。でもその為には、私たち男性も、女性も、全員の意識を変えることが大切です。途上国の部族社会や家父長制社会の男性と女性が、家庭及び社会の常識を打ち壊すこと。差別的な法律や制度を撤廃すること。女性の基本的人権を否定するような法律や制度をなくすことが、何よりも大事なことです。

 マララが生まれた時の話をします。正直にいうと、私は赤ん坊は苦手なんです。そんな私ですが、生まれてきた娘の目を見たら、実は誇らしい気持ちになりました。名前はだいぶ前から考えていました。私はアフガニスタンの伝説のヒロインに関心がありました。マイワンドのマラライです。その人物に因んでマララと名付けました。マララが生まれて数日後のこと、私の従兄弟が家にやってきました。彼はユスフザイ家の家系図を持って現れました。家系図には300年前のご先祖さまからの名前が載っていました。しかしそれは男性ばかりでした。そこで私は私の名前のところから線を引き、マララと書き足しました。そして私はマララが4歳半の時、マララを、私の経営する学校に入れました。女の子が学校に行くというのは、どういうことか申し上げたい。カナダやアメリカのように、先進国では当然のことかも知れません。でも貧しい国、家父長制社会、部族社会では、女の子にとって、とても重大なことなのです。学校に通えるというのは、個人としての存在や尊厳が認められたということで、夢や希望を持てることを意味し、自分の可能性を広げられるということです。私の5人の女きょうだいは、一人として学校に通えませんでした。ですから皆さんが驚くことがあります。2週間前、ビザ申請書を書いていて、家族の欄がありましてね、私、女きょうだいの名字を思い出せませんでした。理由は彼女らのフルネームが書かれた書類を目にしたことがないからです。従って私は、自分の娘を大事にしたいと強く思いました。私の父が娘にしてあげられなかったこと、それを変えなければならないと思ったのです。私は、娘の知性や才能を信じてきました。娘を、私の友人や知人に逢せたり、会合にも連れて行ったりもしました。つまり教育によって解放するのです。良い価値観を身に着けるように導きました。マララだけではないですよ。私の学校の女の子や男の子みんなに、良い価値観を教えてきました。教育によって解放するんです。女の子には、こう教えます。服従という価値観を捨てなさい。男の子には、つまらぬ面目に拘ることを止めなさいと。私たちは主に女性の権利の拡大を目指し努力してきました。女性の社会進出を進めるために奮闘してきました。そんな中、新たな流れが生まれたのです。いわゆるタリバン化です。女性をあらゆることから完全に排除すること、すべての政治・経済・社会活動からです。お陰で、何百もの学校がなくなりました。女の子が学校に行くことを禁止されたのです。女性はベールの着用を強いられ、市場に行くことも禁止されました。音楽も禁止されました。女の子は何の意味もなく鞭打ちされました。或る時、女性の歌手が惨殺されました。でも反対の声を上げたのはごく僅かでした。こういう状況で、自分の権利のために声をあげるのは怖かったからでしょう。殺されるかも知れない、鞭打ちされるかも知れない。でもそんな折、マララが10歳の時に、マララは教育の権利のために立ち上がりました。BBCのブログに投稿したり、NYタイムス制作のドキュメンタリーに出たり、色々なところで発言しました。マララは力強く訴えました。その声は世界中に響き渡りました。その結果、マララの活動はタリバンの怒りを買いました。そして2011年10月9日、マララは至近距離から頭を撃ちぬかれました。絶望でいっぱいになって、まるでこの世がブラックホールに落ち込んだように・・・・。娘が生死の境を彷徨っている時、私は妻の耳元で、ささやきました。「私がこういう運命になったのは私のせいなのでは・・・・」と。すると妻は、私に言いました。「自分を責めないで・・・・」、「貴方はイノチをかけて闘ってきたのよ」、「真実・平和、そして教育のためにね」、「そして私たちの娘もそうしたいと願っていたの」、「正しい道にいるのだから、あの子はきっと助かるわ」。私はそれらの妻の言葉で救われました。そして私は自分を責めるのを止めました。

 マララが入院中のことです。マララの顔は神経に裂かれてしまっていて、酷い頭痛がしていました。妻だって、ああは言ったものの、暗い顔をしていることがよくありました。但し娘のマララはたった一度の不満も言いませんでした。「笑顔のゆがみも、顔のしびれも、私は平気だから・・・・。心配しないでね」。そう言うのです。私たちは娘に勇気づけられました。皆さん、私たちは娘から不屈の精神を学んだのです。それからこれもお伝えしたい。マララはそれでも聖人ではなく、普通の子供です。女性の権利運動の象徴となっているようですけれど、ごく普通の子なんですよ。宿題が終わらければ泣いたりしますし、弟たちと喧嘩をしたりしますしね。ただマララをどう育てたのかと、人々はよく聞いてきます。どうしたらあんな勇敢で堂々とした子になるのかと。その都度私たちはこう応えます。「私たちが何をしたかではなく、何をしなかったか」ということなのですと。私は娘の翼を切らなかっただけです。サンキュー!」

 2010年、タリバンは数百の学校を爆破して行きました。それに対してユスフザイさんは何度も抗議を致しました。ただ彼は、この貧困な国家にでも、お手本になる社会を築きたいとの一心なのです。すべての人に、仕事と教育の機会を持って貰いたいだけなのです。こんな現在でも、このような過酷な社会が、普通に実在しているのです。彼の訴えの中で、最も記憶に残った言葉があります。それは「Ⅰ did not clip her Wings!」という言葉です。翼は自由と勇気の証、この言葉こそ、この稀有な父と娘の関連性ではないでしょうか。そう言えば、マララさんが、2014年10月に、ノーベル平和賞を受賞した際のスピーチに、「私は父に感謝しています。私の翼を切らずに、自由に羽ばたくことを教えてくれて、女の子だって、前向きな人生を生きていけるんだということを、父が教えてくれました」と。マララさんのミッションは敢えて教育に絞って、マララ基金を設立し、この父娘は全世界を飛び歩いています。そう言えば、先日来日されたオバマ大統領夫人のミッシェルさんも女子教育に熱心でしたね。その時、ミッシャルさんが仰った世界で、教育を受けることが出来ない女の子は6200万人いるとか。私にはもっといるような気がしていますが、そんな差別が平気で、現代に存在しているのは、真実どうかしていると言わなければなりません。

 去年6月、一方的に、過激派集団イスラミック・ステーツ(以後 「IS」と表現 但し本ブログでは決してイスラーム国と翻訳し表現しない 何故なら私はアレを国家として認めていないから)なる組織を樹立し、アブー・バクル・アル=バグダディ容疑者が、何とカリフに即位し、勝手に建国してしまいました。このカリフとやらの宣言は全世界のイスラーム教信者に強いメーセージとなり、各地の過激派は支持、もしくは賛同し、或いは忠誠を誓い、瞬く間に伝播し、現在世界的な脅威となっています。無論ISを、殆どのイスラーム国家でさえ、国家として未承認であります。国家の三要素たる一定に区画された地域もなく確定せぬまま、不確実性であっても人民がいると豪語し、主権とは何かさえ不明のままにです。暴挙と言わざるをえないのですが、反資本主義と反共産主義と反民主主義を語り、北アフリカエリアから、スペイン、更にはフランスやイタリアや地中海沿岸諸国や、インドや中国の一部まで、広大な地域を武力革命(ジハード主義=暴力革命)し、忠実なイスラーム国家にしようというわけです。一時期中世の支配エリアを妄想しています。残虐な殺戮場面を次々にネットで流し、その映像によって、若者たちは、トルコ国境を越え、シリアの過激派に集結しているようですが、これこそ正しくカルト教団としか認定出来ず、オウム真理教と全く変わりません。彼らの論理では国境の必然性が全くなく、イラク・フセイン政権下のバアス党員の生き残りの殆どで、凡そイスラーム教とは無関係の様相で、ニヒリストのように闇雲に全力をあげ支えているようです。アメリカ占領下のあと、統治したシーア派のマリキ政権は、米軍が和解の象徴として折角作ったスンナ派民兵組織をさえ弾圧し、シーア派とスンナ派の同調によるイラク建設が瞬く間に泡沫と消え、逆にスンナ派の激しい反感を買い、シリア内戦に乗じて、圧倒的なIS増長に手を貸してしまった経緯が発端です。カルトである証拠は、殺人を何の躊躇もせずに出来ること。教理・教義が古式で単純で胡散臭いこと。ワンイシューにて、徹底的に洗脳出来る能力があること。或いは、資金収集に異常に熱心であることなどで充分言えることでしょう。世界初の特別攻撃隊と言い、彼らに自爆テロの手法を、旧日本軍の零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)が教えたことです。また直近では、日本赤軍派という極左過激派集団で起こしたテルアビブ空港銃乱射事件によって、手榴弾で自爆した奥平剛志を英雄扱いにされ、その後の自爆テロの模範にされました。あの忌まわしいホロコーストで、600万人もの罪なきユダヤ人を惨殺したナチスでさえ躊躇し使用しなかったサリンを、世界初にやったのは日本のカルト教団・オウム真理教によって実行された地下鉄サリン事件です。悪意に満ちたISの残虐は、実は日本発なのかも知れません。ですから私たち日本人にとって無縁では絶対にないのです。日本人も、アルジェリア人質事件を始めとし、既に多くのジャーナリストなどの人命を奪われてきました。座視しているだけではどうあっても防げません。

 CNN放送でずっと放映していた事件がありましたね。チュニジアのバルドー博物館で、テロリストからの銃撃があり、多数の死傷者が出たと報じていました。観光客なら誰でも行くチュニスのバルドー博物館でです。日本人の観光客3人を含む22人の死亡者が出ました。唯一アラブの春が成功した国家なのに無念です。ギリシャもそうですが、観光だけで国家の運営が成り立つはずがありません。何とか他の産業の育成も手助けしたいものです。イエメンでは反政府軍シーア派武装組織フーシ族と、バディ大統領派で内戦が始まったばかりです。フーシを応援して武器提供をしているのはイランです。アラブ連合は必ずしも一枚岩ではないのですが、スンナ派の国家サウジアラビアやエジプトのシシ大統領は早速空爆によって参戦し、スンナ派とシーア派の宗教対立のように見えますが、湾岸諸国の主導権争いともなっています。無論その抗争地帯には、ISが深く参与しているのは言うまでもありません。ダニのようにはびこる連中ですから。ただ一つだけ希望があります。ソマリアと言っても、あの国は三つに分かれていて、最も西にあるソマリランドは別天地で、平和国家を築いています。イスラームとして重大なヒントがあるように思えてなりません。また先日、LCC航空・ジャーマンウィンズのエアバスが、南アルプス山中に墜落した事件はどうやらこうした過激派と無関係のようですが、どこでいつ何が起きてもおかしくありません。私たち日本人にとっても、今ここにある危機です。当然のように自衛的手段を取らなければならないでしょう。辛くて嫌な世の中になったものです。だからこそ時々刻々、私たちは世界中の出来事に深く注視したいものです。

 

 シリアで、この3歳の子が亡くなった時に発した遺言

「ぜ~~んぶ 神さまに言いつけてやるんだから」と言って絶命した