日本人の心の芯へ
何故今更民俗学かと申し上げれば 少々長くなるのですが
今回だけではなく おいおいとお話を進めさせて戴きとう御座います
実は 私は未だに日本は開発途上の国だと考えています 特に精神的分野で
尤も私は 昔はよかったなどと言う妄想を 決して持っておりませぬ
多分今の日本が一番いい時期なのでありましょう
この時代を 皆様と共にご一緒出来る歓びを痛切に感じています
考えて御覧下さい 日本が鎖国を解いてから まだ140年も経っていないのです
ちょんまげ時代から余りにも急速に 死に急ぐように 日本は近代化致しました
事実必然的にはめられたように 戦争を始め そして酷い敗戦を致しました
いえそれらが決して全部が悪いとは思っていないかも知れませんが
必然と結果が 何処かに潜んでいたのでしょう
でも欧州各国の民主主義が成熟している多くの国家を観ると
日本だって500年~1000年掛かっても 全く可笑しくないでしょう
近代国家への道では 日本は焦り過ぎたのです
従って様々な矛盾と歪みを生んで来たことも事実で
多分現在も その多くを内包しているものと思われます
いきなりですが 茶道は 武家の美学の頂点でした
従って侘び寂び数寄の世界だけが 日本の美の代表と殆ど考えにくいです
何故かと言えば 各地に展開するお祭りの大半は 眞逆の美意識のもとにあります
夏祭りで多く行われる飾り物・風流(ふりゅう)系統のお祭りは
日本人が生んだ紛れもない日本人のそのもののお祭りの美です
あの極彩色の世界は 何処かの遠い世界のものでしょうか
いいえあれこそが私達の先祖からの伝統と伝承であったでしょう
侘び寂び数寄の世界より 数だけは圧倒していたと思われてなりませぬ
つまりこうです 美意識や権力の構造はピラミッド型になっているのです
ピラミッドの頂点においでの方々は 変化の激しい動向を余儀なくされ
殆どの方々は 読み書きが堪能で出来る方々ばかりでした
一方ピラミッドの底辺においては 物凄い多数の方々がいらっしゃっていて
読み書きが難しく 変化することを嫌い習慣・習俗を重んじて生きて来ました
為政者(宗教者や文人もそうでしょう)は 殆どがピラミッドの頂点に立っていて
底辺にいらっしゃる普通の方々は 永く為政者に支配され続けて参りました
実は そのどちらにも混乱は ずっと続いていたのです
今始まったことではありません
王道を行かないで 姑息な手段の金儲けが絶対的に多く蔓延り
親殺しや子殺しや あってはならない人のせこい犯罪も多い昨今です
どこに信仰心やモラルや公共心が行ってしまったのでしょう
大好きな『鶴瓶の家族に乾杯!』を観ると ほっとするくらいです
例えば鬼のことですが
鬼はピラミッドの頂点にいる方々にとっては 非常に恐れられていました
ところが花祭りや霜月神楽で代表される民間の鬼は
歳の神であり スーパーマンのように強い新鮮な魂を運んで来る鬼です
庶民と為政者の間の美意識の格差は
平安時代以前の御世からあったことで
日本人はずっと混迷を続けて参りました
あやふやだったかも知れません
ところが武家社会が台頭して参りますと
武家だけの新しい思想信条が当然起きて 武家の美意識が固まりました
一方庶民は 神仏の教えや習慣・習俗を頑なに守って そのモラルと
祭事の決め事が いい意味での信条となって行ったのです
階層・階級に それぞれの歯止めが出来ていたのでしょう
儒教の影響もありましたし 朱子学だってありました
元々あった神道や山伏修験の道もあり 佛教の影響は多大だったです
更に近世では クリスチャンの影響も無視出来ないものになっておりました
様々な影響を受けつつ 日本は独自の文化を構築する為に
各世代によって苦しみ その中でも色鮮やかな文化の華が咲いています
日本人はごちゃ混ぜの中から 新しい価値を見出して行く能力はずば抜けています
それもこれも日本人そのもので その能力はウンと高い人種であります
残念ながら 戦後日本人は一切の自信を喪失しました
戦前 戦中の悲惨な状況を見ると 今の北朝鮮を決して笑えません
更に戦後多くのマルキストによって否定された多くの日本文化もあります
まるで明治新政府が推し進めた廃仏棄却のような愚行が目立ってありました
タリバンがバーミアンの遺跡を 一発の爆薬で破壊したようなもので
現実を見ずに イデオロギーに凝り固まった社会・共産主義の主張は
この地と融合し 根を下ろしたのでありましょうか
サッカーの試合では国旗を振り
卒業式には国旗どころか 国歌さえ歌わないとか
いい大人が先頭に立って 益々混迷の度合いを深めさせていますが
果たしてそれで平気でいられるのでしょうか 責任があるのでしょうか
犯罪における加害者のみ保護され 被害者のご一族は報道に晒され
死刑制度反対論者は どのように事実を捻じ曲げても 卑劣にも
加害者を徹底保護し どこか可笑しくはないんでしょうか
ここで私は突如飛躍致しますが 庶民のお祭りの中に 実に豊富に多彩に
日本人のアイデンテティが籠められているのではないかと
随分以前から 普通に考えられるようになって参りました
年功序列があり 長男が尊重され 祭りの地域には一定の決りがあり
様々な制約があって 決してすべてがいい訳ではありませんが
それがずっと現在までも機能し続けているのですから 驚きです
きちんとしたお祭りがある地域には犯罪は 圧倒的に少ないです
あれやこれやを無視しながら 現在教育改革を模索されていますが
この政府の施策に 果たして百年の大計はあるのでしょうか
美しい日本とは 何が正体なのでありましょうか
為政者をいつまでもアテにしないで ここで我々民間の手でだって
創造的な新しい日本人像を作って行きたくもなります
様々な混乱に真っ向から挑み 新しい秩序を模索したいです
改めて日本人の心の拠り所を求め 私の場合民俗学に軸足を置きながら
日本人らしい日本人の為の誇りと自信を回復しつつ 模索したいと思うのです
それが櫻山であってもいい お祭りであってもいい 礼儀作法であってもいい
誇り高き日本人で 充分世界に通じる人達が現れて欲しいと願うのです
日本には 世界に通じるたくさんの文化が多く ここにあるのですから
単に手をこまねいて見ているだけでは 間に合わないでしょう
新しいモラルや伝統や形式や中身を 真に議論をし尽くして
不要な混乱や排他的なことや差別主義や低俗なことや邪悪なことに対し
手探りながらも 徹底的に反抗して考えて行きたいものだと常々思っています
いいえこれは新国粋主義でもなく 新国学でも何でもありません
普通の日本人の常識の研究とでも申し上げておきましょう
飛躍が甚だ多く 荒っぽい論理で申し訳御座いませぬ
言いたいことをあらいざらい書きたくなっただけのことで
ただ趣旨だけは 何とかお汲み取り願えればと存じます