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硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 今年の淡墨櫻

2007年04月05日 | 

 

 

 

今年の淡墨櫻

 

 

雪が降る中を根尾に行った

写真右の可哀想なくらい枝吊りが見えるのが淡墨櫻の実物

左奥に薄く見える櫻は その二世の淡墨櫻である

旗が立っている祠に 弘法大師様を御祀りした淡墨観音さまがいらっしゃる

残念ながら 雪が降っている映像と虹が掛かった映像は完全に呆けていた

 

今年も逢えたと言う安堵感と そこはかとなく迫り来る寂寥感

何度も死に掛け その都度再生して来た老木の生命感

雪害・暴風雨・地震・雷等々 死に体になるだけ痛めつけられながら

何時しか必ず不死鳥のように蘇って来た淡墨櫻の寒々とした歓喜の花片

 

もう泣くなよ 前へと進めと言われたよう 

きっぱりと 何かに踏ん切りをつける今年の淡墨櫻

 

貴殿が好きだった能『花筺』 継体天皇からご寵愛を受けた照日の前が

狂いながら舞う序の舞でも舞えれば 継体天皇にも捧げられたものを

継体天皇お手植えの櫻と言うこの櫻の伝説が 逆に私に踏ん切りをつける

 

櫻山の計画は一年 櫻の苗が根付くのは十年 人を育てるのに百年

そう言って憚らなかった櫻山計画 生前の貴殿に今まさに別れを告げ 

からりとした気分で 貴殿の夢の跡を追おう

 

 http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!4963.entry?_c=BlogPart

櫻灯路『悠久の時の流れに 淡墨櫻』をご参照賜りたく


 雪月花ということ

2007年04月05日 | 

 

 

雪月花ということ

 

 

昨日 激しい気象の移り変わりの中

河原町のオフィスに出てみると 皆口々に騒いでいる

どうしたのかと聞いたら 雪だと言う 醍醐櫻も淡墨櫻も雪だと

そこで誘われるまま社員のランドローバーに乗って根尾に向かった

二時間ほどで到着した時 凄い雪の降り方で 観光客の皆様も

皆たじろいでいる最中であった 淡墨櫻はほぼ満開

降り続ける雪の合間に花が見えて とっても美しい

やや小降りになって 雪は止むかと思われた一瞬

大きな虹が出て櫻に掛かり それは見事な光景であった

何てラッキーなんだろう こんな光景は滅多に観られない

しばらく言葉を発することもなく 感動して佇んでいた

今宵は立待月 夜九時にもなれば月が見えるだろう 待つか

積もって欲しい気もするし 三春の瀧櫻の雪害も思い出す

複雑で我侭な心情 雪は止み 無念ながら帰路についた

 

オフィスに到着するなり 新村出編の広辞苑を調べた

『雪月花』 「雪と月と花 四時(四季か?)おりおりの

良いながめ つきゆきはな」と書かれてあった

ただそれだけ 

多分茫漠とした季節の移ろいの美を言いたいのでなかろうか

然も年間を通した美の表現と読めた

 

いいえそうではなく実はこの言葉とは極めて具象性のある言葉だ

卯月 満開の櫻の時季に雪が降り積もり 満天の月灯りを指している

 

佐野籐右衛門さんも証言していたが 我々主従も実際に目撃した

僕達が目撃したのは 猪苗代の観音寺の櫻を見た時であった

多分佐野さんは京都で 何度も体験している筈である

 

そこで広辞苑に反論するわけではないが

『雪月花』の意味をもう少し考察してみるのも許されるだろう

 

四月は年間で最も気温の差が激しい時季で 

人体にも何かと影響し易く やすらい花や鎮花祭があるぐらいだ

その厳しい環境の中で発見する一瞬の美の事を

『雪月花』と表現して言っているのではないだろうか

 

満開の櫻に 純白の雪が積もり そこに煌々と満月が照り返す 

静かなる情景 然し美とはかくも非情で厳しいものか

何時頃からこの言葉が使われ出したのか 判然としないが

今日のような地球温暖化される以前の昔なら よくあり得たのではと

 

宿に帰る途中 観光客でごった返す河原町・四条大橋を渡る頃

南西の夜空に 弱い光を放つ立待月が 薄ぼんやりと低く見えた

 

一転今朝の気温は低いが 頗るいい天候で朝からドキドキしている

オフィスで 櫻山への取り付け道路の打ち合わせをしてから

さて何処へ行こうか インクラインか 勝持寺か

社員の仕事とその動向に合わせながら 彼らと共に決したい

 

 

 

上記口絵の写真は以前観た猪苗代・観音寺での満開の櫻に雪の場面です

 

更に本文は現在一般的に使われている『雪月花』の意味に

いささかも反対するものでは御座いません ご了承賜りたい

 


 お掃除修行

2007年04月04日 | 

 

 

 

お掃除修行

 

 

  翌三十一日 朝早く起きてみると 枕が涙で濡れていた それは亡き主人の夢を見た為で 九州への櫻旅を突然躊躇させるよう 考えさせた 夢の中身は断片的にしか思い出せない 主人と激しく言い争っているような そんなような夢であったのかも知れない 間もなく朝粥が運ばれて来る 粥をすすり 沢庵を一口食べる すると私は何故だか 又泣けて仕方がなかった それで九州行きを断念した 自分を浮遊霊の権化のように思えてならなかったからだ そこそこに朝ご飯を済ませると 唐突だが 嘗て知ったる高野の御山にお電話を差し上げた

 電話口で 掻い摘んで話をした いつもお世話になっている宿坊の御坊様にである 早速直ぐにいらっしゃいと言う返事に有難く思え 私は早々と旅館をチェックアウトし タクシーを呼び 一路高野山へ

 櫻は既にチラホラと咲いていて美しい ピンクだけならそれほどでもないのだろうけれど 若緑色と微妙な配色が 心憎いまでに美しかった 奈良から高野まで あっと言う間でわけなかった 亡き主人と共に修行をしたこともある御坊様で にこやかに出迎えてくれた 櫻行脚の旅の途中であること 四国のお遍路を半端ながらやらせて戴いたこと 今年の櫻忌はこの宿坊からわざわざ来て戴いて厳修させて戴いた御礼のこと 夕べの夢の中身のこと 主人の納骨のこと(散骨させて戴く遺言) 櫻山計画のこと 短時間で一気呵成に喋ったものと思う

 すると奥から出して来たものは一着の作務衣 あなたの御主人は この本山で一年間もお掃除だけの修行された方です しかも連日ただそれだけの修行で 大きな身体で 汗だくになりながら 黙々と懸命になられたお勤めがあったのです このお山の修行は経典を読んだり 御護摩の修行をしたりする本来のことだけではないのです お料理も修業の大切な修行で 其処で作られた食事は 毎日弘法大師様に差し上げているのですから もう何十年もそれだけをやっている典座と言われる方がおられるのです お掃除も大切な修行で それだけで何年も修行されている方がおいでですよ どうです?あなたの御主人の真似事でも 2~3日やってみたら如何でしょうと 私は即座にそうさせて戴きたいと懇願した

 櫻に浮き足立って 私の魂が浮遊しているような そんな今の状態から救われるかもと そんなはっきりした意志がそこにはあった 本山にお手配され 大日如来様に簡単な般若心経を唱えさせて戴いた後 本山御影堂に行き 既にお掃除をしていた修行僧のご年配の方を紹介され お掃除の仕方 心得など 簡単なご説明があって 早速見よう見まねで お掃除に取り掛かった 汗が直ぐに滴り落ちた だがお昼になって お食事を戴きながら その方から 真言を唱えながらお掃除するといいよと言われ 午後から一層の力を入れた 殆どは境内の掃き掃除であったが 何と塵芥の類はまるで見えなくなるまで掃き清めている 観光客が落として行った僅かな塵さえ 修行させて貰って有難いと言う 私も心の中で「ノ~マクサンマンダ~」と真言を唱えながら 綺麗にお掃除をし かの御坊について廻った 初日は無我夢中であり 今朝がたの夢のことも櫻のことも何もかも一切忘れてしまっていた

 二日目も三日目も朝四時の起床 数多くのお掃除修行僧たちはどこに行かれたのだろう 私は前日にあてがわれた廊下の拭き掃除をした ほぼ同じ箇所をお掃除していた訳だが 考えて見ると一山は広大であり お掃除はしてもしてもし切れないだろうと 更に多くのお掃除修行の御坊様がいるのだろうと容易に想像出来た 朝の質素な食事を戴く頃になって 漸くかの御坊が現れ 再び一緒にお庭に出て掃き掃除をさせて戴いた 一日中それだけが続く 夕食を済ませた後まで続いた 咲き掛けた染井吉野が美しく 横目でチラリと見過ごすしかないのだが そうやって丸三日間を過ごした お掃除 まるで自分の心の中を 隈なくお掃除されたような気分になれたのだから不思議と言うものだろう と言うのも お遍路で痛めた足の傷が不思議に完治したようで テーピングをすっかり外せたし それも取り分け嬉しかった 結構過酷なお掃除修行ではあるのだが 譬えどんな小さな物事でもキチンと丹念にする ただそれだけが『共利群生』の御教えに適うことなのだろう 頭だけでは決して利他は具現出来ないだろうし 高邁な意思であればあるほど多くの困難が常について廻るのは当然なのであろう 従って私のように 浮き足立ってはいけないことだけは確かなようである

 宿坊の御坊には 何かと教えられ 件の私の他愛無い話も皆聞いて戴いた その時御坊は必ず主人はこうだったと若かりし日のことを話して下さった どんなに勇気づけられたことだろう

 昨日午後遅くなってから御山を降りた パソコンも何もない古代の大宇宙空間の中での僅かなひと時は とてもとても少なかったけれど 何とも爽やかなことだったと深く刻み込まれた あんなに必死になって急いで歩いた遍路道は何だったのか 今年100本の名木を観るんだと意気込んだ私の若さは四十過ぎても冷静さを欠くものだっただろうか 有頂天になって書き綴った遍路の恥ずかしい話の数々 『櫻忌』を終え 別に呼んだわけではなかったが 結果奈良・菊水楼で芸妓をあげて 何故騒げると言うのか 慙愧にたえないし すべてが浅はかに思えた こうして漸く何モノからか解き放たれたような思いがした 一年間貯めこんで 櫻行脚にお金のすべて使い切ってしまうことの 一見格好の良さの馬鹿馬鹿しさ いい気なモノである

 主人が去年七月二十八日に亡くなってから 私はずっと何かに取り憑かれていたのかも 主人のブログを必死に継承していきがってみたり ネットストーカーなる御仁とまともに喧嘩してみたり 仕事は何時も通りちゃんとこなしていたけれど 何処かが狂っていたのだと 今回の御山での短時間の体験だったが 腹の底まで見透かされた貴重な体験だったと信じたい 実は四国では 山中に分け入って観た椿寒櫻や小彼岸や咲き始めた染井吉野を観て どうしても涙が止まらなかった 其の頂点はひょうたん櫻の見学であって あの方に久し振りに逢えたような嬉しさがこみ上げて来て堪らなかった 何ゆえ直ぐ泣き出すのか メソメソばっかりしていた 亡き主人に まる二十年御傍にお仕えさせて戴き 時にはいい年をして結婚もしないなんて 二人ともゲイかとまで揶揄されたことがあったが 笑い転げるだけで主人は決して怒らなかった 激しい気性で自己に厳しい割りに 外部には温厚そのもので 何よりも素敵に礼儀正しかった 私は祐筆で筆頭秘書で 私に自社ビルの億ションまで無料で(贈与税まで現金で払って戴いた)頂戴しているし 或る会社のCOOまでさせて貰っている 御恩の大きさと喪失感 そのギャップ 一時私もどうにかして死にたかったが 今生きている いや 生かされているのだ もっと大切に生きなければ罰が当たろう

 夕刻近く岐阜市・願成寺へ赴き 中将姫誓願櫻を見学させて戴いた それはそれは美しい櫻で 何故主人が愛した櫻だったか分かるような気がして 再び堪らなかった 見学の証拠(?)に 御寺発行のお札を頂戴した それから京都・花灯路で まるで満員電車の中にいるような混雑から開放され すっかり閑静になった石塀小路の とある小さな隠れ宿に落ち着いた 今日からここが起点であり これから河原町三条にある櫻山チームのオフィスに出社するつもりだ 気がついて見ると京都の町も 愈々櫻花繚乱の季節である 観光客で騒々しいだろうが 私の目的と生きる意味が 最早動かし難い信念となるように 再び歩き始めたく

 

 http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5056.entry?_c=BlogPart

口絵写真は 中将姫誓願櫻のアップ 山櫻の八重は 国内ではこの一本のみ


 薬師寺・花会式の造花

2007年03月30日 | 

 

 

 

薬師寺・花会式の造花

 

 

朝早く『菊水楼』を飛び出して 秋篠の技芸天に逢いに行った

左に少々腰を折り 大らかな風貌は相変わらずで いつ来てもいい

奈良に来ると 私はこの御仏に必ずお参りする 

 

すると不思議に精神がシャキッとして我に返る 

所々櫻が咲いていて 特に奈良公園の櫻が美しく 満開ではないが

やはり櫻は 程よく新しい緑があった方が似合っていて美しい

知足院の奈良・八重櫻(特別天然記念物のような櫻)は最も遅く咲くから 

まだまだ早いだろうなと思いつつ敢えて覗く やはりまだ少し早かった

 

西ノ京・薬師寺に向かう 午後からであったが 薬師三尊の前に

梅・椿・牡丹・菊・山吹・藤・櫻・桃・百合・杜若など

十種の見事な造花が飾られていた 見事な造花で本物と見紛う

 

薬師寺花会式は 別名修二会とも言われ 

東大寺のお水取りのようなものである

30日から来月5日まで 10人の錬行衆のもとで

厳修され 5日には派手な鬼追式が行われる

この修二会の特徴は 声明(しょうみょう)であろう

今日の目当てはそれだったが 殆ど茶会が中心で うっかり見れなかった

時に大音声を発して読経し 南都の大寺の風格充分なのである

 

途端に一木の櫻が見たくなって 尤もそれが目的だが 午後遅く

櫻井の瀧蔵まで出掛け 長谷寺の奥の院とも言われる神社に出掛けた

瀧蔵神社の『権現櫻』を観に行ったのである

今まさに満開で 思わず抱きついてしまった 江戸彼岸の枝垂れで

樹齢400年 よくぞ風雪に耐え 今年もよく咲いてくれたものだ

 

春の奈良は大好きで 実は京都の春より好きかも知れないが

何処へ行っても静かでいい

でもこうしていられない 明日は九州に飛ぼう

 

それにしてもこの菊水楼の全部竹で出来たベッドは軋む

その音が煩くて 夜半に何度か目覚めてしまった

夕べ部屋に運ばれた食事をしている時 どう言う訳か

芸妓さんと地方さんが来た 暇やさかいと言うんで

仕方なく音〆のいい三味の音を聞いた でも今夜は現れない

 

今宵静かで もう直ぐ満月だろうか 宵月であろうか

窓辺にて 月を見つつ 櫻に打たれ 静かに櫻の夢でも見て休もう 

明日は早い 新幹線にするか関空から出るか 出たとこ勝負だろう

 

 

 

http://www.nara-yakushiji.com/contens/hanaesiki/index.html

薬師寺・花会式の公式Web

 

 


 櫻の旅へ

2007年03月29日 | 

 

 

 

櫻の旅へ

 

 

 

再び旺盛な櫻の旅への気分が高揚して参りました

引きずる足を諸ともせず 櫻行脚の旅に出ます

今年の櫻は例年より遥かに予想が難しいですが

行きたい櫻のある場所の市や町や村の観光課か商工課に 

必ず直接訊ねるのが最も安全な方策です

明正寺櫻は 残念かな今年見逃しましたが 

この轍を踏まなかった何よりの証拠です

 

櫻の絵を描く注意点は 花を拡大して描く方法と

樹勢 或いは樹木全体を描く方法があるようです

拡大して描く場合は 出来るだけ細密に具象的に描き

全体を描く場合は 花をつける前に枝ぶりをスケッチするように

したらいいと伺っております 花がつけると枝や幹の状態が

殆ど隠れてしまうからです 更にその背景を描く場合は

拡大して描く場合は淡い色彩で描けと

全体の場合は 最も腐心するところで

色彩の対比が大事で 花のピンクが目立つように描くべきだと 

かの君が持論にしておりました

彼のようなわけにはいきませんが 

今回私も初めて挑戦してみようと思っています

 

今日これから出掛けるにあたって 何処に行こうか考え

やはりいきなり九州ではなく 先ずは奈良に行こうと思っております 

奈良・薬師寺で 明日30日から『花会式』が

始まるようで 其の事が気になって仕方がないからです

 

九州地方や中国地方と 奈良・京都の行ったり来たりで

しばらく過ごそうかと思っています

各地の櫻が呼んでいるようで おちおちしていられません

 

江戸末期までは染井吉野はなく 今は全体の八割が染井吉野だから

現在では 全国的に同時に咲くような事情を反映して 

勢い櫻の開花予報が大事になっているようですが

これって可笑しなことで 櫻の種類によっては咲く時季が

それぞれによって 全く違うわけで

自分に似合った櫻って言う具合に 

間違いなくあったのでしょう 山櫻の西行と宣長のように

あの吉野山を御覧下さい 染井吉野は一山で何本あるか

ご存知でしょう 山櫻が一山約四万本(昭和58年の調査)に対し 

実に5~6本しかカウントされておりません 

従って自分が好きな 或いは似合った櫻があってもいいのでは

 

一月の寒緋櫻から 六月の千島櫻や峯櫻まで 実に永い時節に咲くのです

更に 九月には十月櫻が咲き始め 冬櫻・寒櫻・啓翁櫻と続くのですから

 

さぁて楽しみです 後何度ご自分の人生で櫻を観れるのか

そんな思いの丈を籠めて観ていたいものですね

ではそろりと行って参ります

 

 

硯水亭主人

 

 

 

 

口絵写真は 奈良・大宇陀町の又兵衛櫻です

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5030.entry

去年の今頃亡き主人は連日のように櫻の記事を書いた 

上記の記事は2006年3月12日の『櫻史』の記事です

 


櫻忌

2007年03月27日 | 

 

 

櫻忌

 

昭和五十六年三月二十七日 

当時まだまだ若かった亡き主人が始めた櫻忌

今ではこの日を(さくらの日)とされているが 

主人は 七十二候の櫻始開のこの時季に 

癌によって立て続けにご両親を失われ 酷い喪失感に悩まされていた

この櫻忌は ご両親さまのご霊魂を心からお慰めする目的で始めたもので

最初はごくごく個人的な意図であった

 

その後本人読経による櫻忌では 年々 過去夭折された人達が

入るようになって来て 最初は主人の好きな芸術家中心だったが

次第に各分野の方々も入るようになり 何処かで話題になっていた

 

夭折された人達の皆さんが 己がご両親と重ね合わせていたのだろうか

 

先ず読経し その後供養したい夭折された人の名前と死亡年齢を

読み上げ まるで二月堂の過去帖の読み上げのようなことをしていた

なるべく大勢の方にお集まり願い 法要後今年から入った夭折の人の法話を

静かに熱く語っていた それがまさかご自身が今年から鬼籍に入ろうとは

そうして今年から読み上げるのは三百八十名 筆頭に主人の名前が

 

お手伝いさんが作られた蕎麦懐石を 皆でご馳走になり 酒を飲み

きっと淋しがっているであろう人々の霊魂を 皆でお慰めをする

 

今年から真言宗本山のお坊様に来て戴き 観音世音経の後に

夭折された人々の名前を読みあげ その後大般若経を読んで終わるよう

既にお願いしてある そしてその筆頭に呼び上げられようとは

改めて 悔しい思いと切々とした哀しさが込み上げて来る

 

亡き主人は何時しか この櫻忌が終わらないうちは

櫻行脚の旅に出かけない癖がついていた

本人も会員だった財団法人日本さくらの会が 

この日を(さくらの日)にしたのは

ずっと後のことで 平成四年だったかと記憶している

 

今日の午前十一時から その会が開かれる

私は お遍路で書き上げた般若心経と道草さまから頂戴した詩を

仏壇にお供えしたばかりで さぁてこれからお手伝いでもしよう

 

道草さまから頂戴した詩

『桜』 山村暮鳥作

さくらだといふ

春だといふ

一寸、お待ち

どこかに

泣いてる人もあらうに

 

http://blog.livedoor.jp/syoukaibu/  敬愛する道草さまのブログより

 

十五・六年前だったか 四月の京都は滅法肌寒く 

約三週間ほど 殆どの櫻がもってくれた季節があった

その時永く京都に留まって 一緒にあちこちの櫻を隈なく観て歩いた

今朝はじっとしていると堪らない 懐かしい思い出が次々に蘇り 

今日一日は 櫻忌と主人ともに過ごさむと

 

明日は 亡き主人自身の八回目の月命日で

私は この供養を終えてから 改めて今年の櫻の旅に出ようと思う

 

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5232.entry 

本人自筆の櫻忌(櫻灯路)櫻忌~夭折の系譜より

2006/3/26 の記事

 

 


 写経と染井吉野

2007年03月26日 | 

     

 

写経と染井吉野  

 

独り旅は 今回初めてだったので 長く辛かったが ホンの少々でもあった

時間の関係で~~~とは 現代人の卑屈な言い訳に過ぎない  

夕べ民宿で寝ずに写経をした 般若心経を何度も何度も書いた

最初苦労して二時間も掛かった  

今朝朝ぼらけ ようやく一時間で書けるようになった 

清書出来た文は  たったの五経文 最後の一行にお大師様と櫻居士の名 

貴重な経験であったと思いたい 

櫻忌で捧げるつもりである

   

土佐の空を見上げると 染井が咲き始めたばかりで 

三分咲きか四分咲きか  今朝は特別に蒼い空 

抜けるような空に ようやく染井吉野の花が開き 四国では最も早いのか

 

  染井吉野は手間隙が掛かる 実生で出来ないのだから始末に悪い   

一本一本接木をして苗を作る だから弱い筈で 今全国で補植をどうするか

大問題であり これからの櫻の植樹は果たして染井吉野だけで正解だろうか  

二リットルの種で 僅かに三苗しか生まれない江戸彼岸や 

小鳥たちに協力して もらって 山櫻を里山で増やして行くか 

そこがこれからの分岐点だろう  

 

写経から察すると 手間隙が掛かる分だけ何かが変化するのかも知れない

明治のご維新の時 江戸彼岸や山櫻が多く伐採された  

樹が堅いが為に それ以前は枡や秤になっていた江戸彼岸や山櫻の樹は

富国強兵策から翻弄され 鉄砲の台座になったのである 

時に 染井吉野は少数種で脆い性質だったから  

その憂き目には会わなかったが 寿命が短く 早くその生涯を終える

じつは 苗を生むのに手間隙が掛かるのは 圧倒的に江戸彼岸か山櫻で 

一概に長生きすればいいとは限らないけれど 安易な植樹は染井吉野

その一因は早く根付き そして育ち 早く花が咲く ただそれだけのこと

 

櫻が儚いのではなく 人間そのものが儚いのだ  

どの櫻の花びらも 痛く儚いものであるが 

毎年花が咲き 丈夫な江戸彼岸や山櫻も儚いのだろうか

農耕の目安になる各地の巨木たちは決して儚くはない  

写経に籠めたモノは 日本人の限りない憧れとして

永遠たれと言うことであったろう  

 

人間は横着しようとすれば 何処までも出来るし 際限がなく 

自分を見詰め切磋琢磨しようとすることも 又際限がない  

二つに一つを選べと言われれば やはり困難な道を選びたいものである  

 

さぁ高知空港に向かおう 又改めて最初からお遍路をしよう 

購入する場と納める場がないままの彼のボロボロな菅笠と金剛杖を  

私の思いをいっぱい籠めて かの君の御許へ 再び返してあげよう

南無大師遍照金剛

      


 ひょうたん櫻

2007年03月25日 | 

 

 

吾川村のひょうたん櫻

 

 

朝起きて 直ぐタクシーを頼もうとしたら 民宿のご主人が 

吾川村のひょうたん櫻まで送ってくれると言う 自分も観たいからだと

遠慮なく乗り込んで 吾川村へ一直線 丘陵地の真ん中に 目的の櫻があった

そう言えば名木はすべて傾斜地にある 水捌けがいい場所に育つのだろう

 

樹高は実に三十四㍍ 日本一の樹高である まだ雨が降っている

だが風雨にも 悠然と聳え立つように その威容を誇っていた

江戸彼岸種で 樹齢はほぼ五百年だろうと大方の意見だ 

雨で落ちたか鳥が抓んだか 花びらを拾いあげると

顎頭が小さくまん丸 可愛い少女のようで 今まさに満開である

 

 根周りは意外と細く 大の大人が手を繋いで5~6人分か

樹に抱き付き 又来たからねと誰に遠慮もなく 櫻にご挨拶をする

宿のご主人も真似をする 辺りには誰もいない 

お互いに顔を見合わせ 微笑む男二人

 

亡き人をしみじみと思う 宿のご主人と亡き人が二重写しになって困った

思わず ググッと来るものがあったが 雨で涙は隠れたらしい

今日は午後から晴れますから待っていますかと言われるが 

ご主人は高校野球を観たいらしい 彼の帰りに合わせて

小一時間あまりで ひょうたん櫻を後にした

車から振り返って見ると お~~~い 頑張れよ~~と

櫻が叫び 手を振っているように思えたが 雨の中に蕭然と消えた

 

遠慮なく高知市内まで送って戴く

帰りしな ちょうどいい和紙があったので 

急いでお金を包んで差し上げようとした

ご主人は笑いながら 決して受け取ろうとしない

お接待とはここまで徹底しているのか 驚くばかりであった

 

久し振りに珈琲屋に入って寛ぐ 松山市内に較べると 

この県庁所在地は随分鄙びたように見えたのは 気の所為だろうか 

足が痛む すっかり休んだ後は どうも横着心が出るらしい

明日の航空券を購入したら 直ぐ又遍路旅に出よう

 

次は第31番札所五台山・竹林寺から

雨は少し小降りになって来たようだ

 


 花散りて人あり

2007年03月19日 | 

 

 

花散りて人あり

 

漸く新居浜の明正寺に着いた 門前の櫻はやはり散り終え 

一輪の花びらも残っていなかった 小ぶりな樹で 姿がいい

寺の奥さんに話をする 昭和40年に八木繁一氏から発見された珍種であると

それもご存知で どこが珍種であるかをお話申し上げた 椿寒櫻に近い品種で

シナミザクラとカンザクラの自然交配で出来た櫻ではないかとご説明をする

 

それならば 花は未だ咲いていますよと言われ 気安く車でご案内戴いた

場所は市役所近くの中央公園の中 見ると晴れやかに満開である

ところが傍に寄ってみると 顎頭が可愛くまん丸で 江戸彼岸そのものであった

折角ご案内戴いたのに 無粋に講釈じみたことはしたくない

丁重にお礼を言ってお別れしようとしたら 普通の姿ながら金剛杖を持っている私

奥様はうちの御寺も御覧下さいと言う 空海作の薬師如来様がおいでだと

行基作の毘沙門天もあるとか 言われるままに再び御寺へ

御本尊には 立派な聖観世音様 左右に弥勒菩薩様がおいでであり

更にこちらも御覧下さいと言う御像 懐かしい感じの角ばった御顔の御尊像

何と弘法大師・空海の御像ではないか 思わぬ御寺で足の痛みもしばし忘れる 

名前の由来は 寛永年間 明正天皇の勅命によって 名付けられたとか

其の前は土地の豪族・越智氏によって創建された古刹で 八世紀の御寺であるとも

実に明るい奥様で 一所懸命に説明をされる御姿は 如何にも堂に入っている

快活さに 疲れや残念さもすっかり忘れさせて戴く 実にいい方である

 

今夜は何処にお泊りですかと聞かれ 素直に野宿でもと申し上げたら

この本堂にお泊り戴いていいのですよと仰られる そうも行かず辞退すると

旅の疲れをふぅ~と催してしまった 何処かに泊まりたい 私の顔を覗き込む奥様

何処か宿泊する場所でもあったら そこでもいいのですがと流れで言う

そして ここ筏津山荘に連れて来られた 何ともご親切な奥様で 

遍路寺の方ではないものの ご接待の心得がちゃんと生かされていた

都会で暮らし すべてにボーダー・ラインを引いて生活をする者にとって

どんなに有難いことか 遠慮なく今夜の宿にまで送迎して戴いてもらう始末

奥様がお帰りがてら 寺では明正寺櫻とは言わず 涅槃櫻と言うと仰られる

なるほど三月の中旬であれば さもありなんと思われた

私を何処の馬の骨とも知らず 大変なご親切を戴き 

ここに人ありと思われ 久し振りに嬉しかった

さよなら 又必ず来ますねと

 

パソコンに来ている仕事の連絡を読む 大量の報告があった 中には櫻の話も

靖国神社の標準木が 未だ三輪だけの開花で 開花宣言には至っていないと

でも明日明日だろうか 仕事の返事を書きながら つい千鳥が淵の櫻に思いを致す

しばらくぶりのような気がする 今夜は布団の中でゆったりと寝るとしよう

 

 

 

写真は千鳥が淵の染井吉野 開花直前の写真


旅の夢跡

2007年03月19日 | 

 

旅の夢跡

 

旅に出ていると ただただ夢中で歩いている

多度津から新居浜まで 直線距離で僅か60数キロなれど

お遍路をしながら歩くと 途方もない距離になる

 

夜半 雲辺寺・山頂から出発し 今は東予に入って朝御飯を戴いている

油断だったのだろうか 雲辺寺から新居浜まで 何と50キロもあると言う

逆方向に歩いているわけで 中には明正寺櫻の花を知っている方と

袖を触れ合う 状況をうかがってみる すると残念かな 既に花は散った後らしい

今月6~8日が見頃で 暖冬の影響だったと言う いつもはお彼岸の時に

確かにあの櫻は咲くのだから 貴方の見方は正しい

貴方の為に 間違いなく一輪や二輪は残っていてくれる筈よと優しく仰ってくれた

夢の跡なのであろうか それでも歩こう

 

老夫婦であった 話し掛ける前 特に聞き耳をたてていたわけではない

奥様が今年甲状腺癌の手術を受けられ お元気になられて

そのお礼参りに行けるところまで行こうと 松山から出て来られたようだ 

話の途中 真摯な面持ちで ご主人がサラリと告げていた

「貴女独りで死なせはしないよ いつもと同じにね」

 

明正寺櫻は終わっているかも知れない 未だ15キロはあるだろう

お大師様のおっしゃる『共利群生』とは ただ安穏としては

生まれて来ない 皆しゃかり気になって生きていなきゃ生まれはしない

歩こう 瀬戸の春の海が美しく光っているではないか

 

改めて無為の意味を知る

 

 

 

写真は 雲辺寺(うんぺんじ)山頂から 瀬戸の海を見る