つづりかた教室

自分の生きている足跡を残してみようかなあ!

女性の鑑

2005-09-26 | Weblog
カナダの母の授賞式を終えた娘夫婦が帰国しました。
授賞式のようすはテレビで報道されたそうで、それをビデオにとり、私も見ることができました。
私がブログに書くことを知ったマリーンさんは「445のおかげで日本にもニュースが流れるのね」と喜んでいたそうです。

長年にわたる有意義な仕事が認められ、栄誉の日を迎えられたのですが、
先住民の部族に生まれ、40代で半身不随になった夫を支え、4人の男の子を立派に育て上げた女性。
口には出せない苦難の日々もあったでしょうに、
いつもにこやかな表情の彼女を心から尊敬します。

その日の写真を紹介させていただきます。
メダルのアップ写真がないのが残念ですが…


授賞式に出席する前のカステラーノ夫妻。少し緊張気味のビンセントさん。


今後、公式の席にはこのメダルを身につけるそうです。


祝賀パーティに出席するお二人。女性はメダルをブローチのように胸に留められるそうです。


含蓄ある会話の時間がたっぷり持てて、尊敬の念が更に深まったそうです。


カナダからのメール

2005-09-11 | Weblog
昔、「カナダからの手紙」。今は「カナダからのメール」です。
娘夫婦から授賞式のようすを伝えるメールが届きました。
試みにブログにコピー・貼り付けをしてみましたら、大成功!
皆さんににもご披露させていただきます。
字が小さくなっていますので、「最大」で読んでください。
☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ 
(前略)
授賞式は、リドーホールで行われました。
そこは、エリザベス女王の代理人が住む敷地内にあるホールで、
とても厳格な雰囲気でした。通常、一般人は入れない敷地です。
門には、赤い制服を着た護衛がおり、英国のバッキンガムパレスさながらです。
門をくぐり、緑の中の小道が、ホールの入り口へと続きます。
小道の両サイドには、カナダの国旗が一定の間隔で風になびいて、入り口に辿り着くまでの数分間、自分が国賓になったような錯覚を…(笑)
カナダは、イギリスの植民地ではありませんが、自国のシンボルとしてエリザベス女王を崇めているそうです。
エリザベス女王の代理人は、首相と同等、もしくはそれ以上の地位があるそうです。
敷地内のプライベートスペースも見学することができました。
写真を撮ったので、後で見てください。
いろいろな授賞式が行われたり、国賓との晩餐会が行われたりするそうですが、とにかく広い敷地に居住スペースと英国風の庭、ホールがあり、お城のようでした。
10時からスタートした授賞式では、先ず、代理人の挨拶、メダルの授与に続き国家三唱で締めくくりです。
その後、受賞者達とそのゲスト達で、立食パーティーへと流れます。
立派なプログラムをいただいたので、帰国したら説明しますが、
受賞者にはテレビスターや長年ボランティア活動をしている人、バスケットを通して若者に勇気を与えた人、ラジオのパーソナリティーや、女性の地位向上のために奮闘している人、カナダで初めてダイアモンドを発掘した人、などなど。
一番、驚いたのは、スティーブからクリスマスプレゼントで貰ったCDで、ダンと二人で気に入っているインディアンの歌手も受賞されており、立食パーティーでは、お母さんに紹介してもらい、握手することができました!
とても名誉ある式典に参列させてもらい、貴重な経験ができたと感謝しています。
1時過ぎにホテルへ戻ると、今度は、2時からお母さんの同僚達がスイートルームへお祝いに駆けつけ、4時半まで軽食を取りながら、おしゃべりに花を咲かせました。
とても知的な人達で、会話について行くのがやっとでした(汗)。
でも、お母さんがやってきた仕事の内容がよくわかり、勉強になりました。
5時半には、お母さんとお父さんが夕飯へ向かう為、パーティードレスにお着替えです。
お父さんはタキシード(すごく決まってて、格好良かった)お母さんは素敵なゴールドのドレス!
とてもゴージャスで、二人とも映画スターのようでした。(後略)
明美&ダン
☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆  
まとまりのない、だらだら文を最後まで読んでくださって有難うございました。
この後、二人はオタワの市内観光をして、ご両親の住むシャノンビルの家に着いたようです。
親戚に挨拶に行ったり、お墓参りをしたり、日本人が帰省するのと同じ行動の日々を過ごすようです。

お祝い続き

2005-09-07 | Weblog
娘夫婦にはお祝い事が続きました。
義息子の母親がエリザベス女王から文化勲章らしき
勲章をを受章されるので(勿論、代理の人からです。)
2人はその授賞式に列席するため、カナダのオタワへ成田から旅立ちました。
彼の母親はカナダの先住民モホッグ族出身で、
女性が学問を身につけるのが珍しい時代に、
大学に進学し、夫と出会い、結婚をしたのですが、
彼が9歳の時、父親が脳溢血で倒れたそうです。
その後父親が家事をし、母親が大学教授になり民俗学を教え、その大学に学部を新設したそうです。
彼女は政府の仕事もされ、先住民との架け橋になり、
そのような業績が評価されたようです。

次男が送る車に私も乗せてもらって成田空港まで見送りに行きました。
式には配偶者以外、3人が列席を許可されるのですが、母親の妹さんと日本に住む2人を選んでくださいました。



彼は4人兄弟の3番目。他の兄弟はカナダとアメリカに住んでいて、かって母親の博士号授賞式等に参列していたそうです。
見送る際に彼に娘のことを頼んだら、「日本では彼女に助けてもらっているけど、ここからは僕が彼女を守る」と、言われ嬉しく頼もしく思いました。きっと、娘も嬉しく思ったことでしょう。


羽根木のお祭り

2005-09-04 | Weblog
長男親子と羽根木のお祭りに行きました。大原に生まれて?10年。お隣の町のお祭りに初めて足を運びました。
住宅地の中、いつもは静かで目立たない神社が、お祭りにお化粧されて、昔ながらの楽しいお祭り風景を描き出されていました。
夜の盆踊りを待つかのように、境内の中央には櫓が組まれ、おみこしが飾られていました。


かき氷やさん。綿あめやさん。射的や金魚つり。子どもたちの心を弾ませる世界が広がっていました。


守山小学校に通っていた私は戦争中、学校から集団で武運長久を祈りに来た想い出の神社です。
低学年で意味も分からなかったのですが、12月8日の開戦記念日を意識して毎月の8日に、学年ごとに参拝したのではなかったかと思います。集団疎開前の貴重な想い出です。
お祭りに来てちょっと感慨に浸りました。