ミルコくんはどこに?
ななちゃんの情報もよろしくお願い致します
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お知らせです
6月17日(日曜日)は
千葉わん・プチ里親会が開催されます。
開催される千葉わんのプチ・里親会はニャンコさんも参加予定です。
ワンコやニャンコを当日にお渡ししたり引き取ることはできませんが皆さま、ぜひお越し下さい
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はじめに:
5月27日(日曜日)午後3時少し前、我が家に到着した叶夢は6月3日(日曜日)午後9時5分に心臓を止めました。
今日は、涙を止めたままでようやく叶夢のことを語ることが出来そうなので、叶夢と云う犬が此の世に存在した事を皆さまに知って頂きたくて、少しだけ話したいと思いました。
多分、筆の立たないムク父ですから、長いお話となります。
公開しましたが、本日のお話は読まれなくて結構ですからこの日記は飛ばして下さい。
それでも、時間のある方で、お付き合い頂けるガマン強い方はどうぞ。
つまらなくなったら止めて下さい。
叶夢はどこから:
今でも叶夢の正確な年齢や生い立ちは知りません。
どこから救出されたのかも、正確なところは知らないのです。
ただ、千葉わんの里親募集ページのインデックスにある「特設ページ(犬)」というボタンをクリックすると、おぼろげながら、叶夢が命を存えていた環境の一端が窺い知れる程度です。
我が家に到着した叶夢
お聞きした話を総合すると、2百頭を超えて飼育されていた犬達は、彼らにとっては予想も出来ない非情な仕打ちを受けてバタバタと餓え死にさせられ、レスキューを受ける時点ではおよそ半数になっていました。
元ブリーダーの事情は存在するとしても、要するに餓え死にさせられたのです。
叶夢は生き残りの一頭でした。
叶夢は2~3段ほどに積み上げられていたと思われるケージの世界がすべての犬だったと思います。
なぜ、積み上げられたケージを思ったかは、叶夢の全身を見て想像できました。
背も、横腹も、雨跡のようなウンがこびり着いていました。
叶夢の上から落ちてきたとしか考えられません。
しかも、水滴の跡のような形が伺えます。
つまり、落ちてきたウンも下痢状のものに違いありません。
もし、この推測が正しければ、当然チィーも降ってきたでしょう。
体のウンです(お尻の方のグレーの部分はすべて叶夢の固まったウンです)
犬種はWコーギー・ペンブローグですが、日本では珍しい長毛種で「フラフィー」と呼ばれる成犬の雄でした。
欧米、特に米国ではスタンダードから外れているので低い評価のようですが多分、雄としての価値を認められてフリーダーが入手したのでしょう。
時には愉しい想い出もあっただろうとは思いますが多分、ここ1~2年は寂しい、過酷な、ついには地獄の日々を迎えたのだろうと思います。
年齢は分かりませんが多分、5~6歳前後ではなかったかと思います。
立てなかった叶夢:
我が家に到着しても叶夢は歩こうとしませんでした。
息を荒くして、横になって休んでいるばかりなのです。
我が家の人間だけでなく、先住犬にも関心のない様子で、ひたすら横になっていました。
26日の午後に保護され、27日は一度も水を飲ませていなかったので、用意していたケージに小さめの水入れを入れ、叶夢もケージに移したところ、水入れの匂いを嗅いだと思ったらガブガブと飲み始めたのですが、吐き戻しながらも飲み続けます。
多分、1.5リットルも飲み続けましたが休憩させるために水入れを取り上げたところ、私の目を見上げて咽せ込み、また横になってしまいました。
余りのことにゆきえと顔を合わせてしまいましたが一度、ゆっくりと身体を見たいと思い、強烈な悪臭を放つ叶夢を玄関先に運び、改めて身体を点検して驚愕しました。
少なくとも、叶夢が立たない原因の一つが分かりました。
立たなかったのではなく、立てなかったのです。
なぜか。
左前足の爪です
まったく爪を切って貰えなかった叶夢の左前足の爪が歪曲して伸び過ぎ、立とうとすると肉球に刺さって痛かったのです。
右前足です
右前足の爪も同じようなもので、左後足の爪も同じ。
右後足の爪はどうにか刺さるまでには成長していませんでしたが、それにしてもひどく、こんなに伸びた犬の爪は初めてで、翌日に診断を受けた動物病院のAHTは「私は何年もこの仕事をしていますが、こんな爪は初めて見ました」と言い、獣医師も「こんなにひどい犬は初めてです」と唸る程でした。
ただ、オシッコは我慢している様子で、でも、ケージの新聞紙には漏らさないのです。
右後ろ足
そこで、爪の事は分かっていましたがそっと抱き上げ、少しだけ草の生えている玄関横にそっと下ろしました。
数秒すると右後足を数センチ上げ、チィーを始めたのでホッとしましたが、色を見て息を呑みました。
赤褐色といいますか、明かに血液が分かるようなチィーだったのです。
それでも少しは楽になったらしく、その場に腰を降ろそうとしましたので慌てて抱き上げ、玄関に横にしました。
それから身体を点検し始めた私は驚きの連続でした。
私もですが、ゆきえも必死で涙を堪えていました。
酷い悪臭だったので、こびり着いたウンの塊を取り除こうとしてハサミを使ったのですが、お尻を見て一番驚きました。
何と、断尾された跡から肛門にかけて爛れており、肛門にはウジが湧いていました。
余りのことに呆然としてしまい、手を止めた私がゆきえに理由を言うと、ゆきえが口に手を当てて涙ぐんでしまいました。
直ぐに動物病院に連絡し、診察の予約を行い、夜には勤務先の某取締役に連絡し、有給休暇を申し入れました。
余りのことにどうしたら良いのか分からず、少しでもとウンの塊りを取り除き、お尻を拭くだけは拭いて室内のケージに入れ、休ませました。
今度も水を入れると飲みましたが、初めほどではありませんでした。
それでも、ケージの中はビショビショでしたので、慌てて吸水性のシートを買いに出かけました。
新聞紙では間に合いませんでした。
その間、さくらとムクは遠くから叶夢を見つめるだけで、この姿は叶夢が息を引き取るまで続きました。
獣医師「かなり厳しい。半年後に生存している確率は五分五分」:
翌朝、いつものように午前5時にワンコ達の散歩を始め、6時頃に叶夢を抱き上げて草地に連れて行くと昨日と同じようにチィーを始めましたが、赤褐色のものでした。
直ぐに支度し、叶夢を車に乗せて動物病院に向かいました。
正確さは欠けますが、過去の日記に載せたものを改めて書きます。
・・・・・
とにかく、病気の塊りでした。
獣医師は明言しませんでしたが多分、既に寿命を迎えていると思ったかもしれません。
例えば、重度のフィラリア感染症では時に腹水が溜まることがありますが、叶夢もそんな感じでお腹が大きいのです。
ところが、レントゲンでは腹水は認められません。
数枚を撮影しましたが、「腹水でないことは間違いない」との事です。
なら、明らかに膨らんでいるお腹は何なのか。
内臓のどれかがパンパンに腫れているのか・・・。
獣医師は明言を避けましたが、「もしかすると」との前置きを話してから幾つかの可能性を述べました。
「とにかく、今は全身が機能不全の状態です。先ずは出血を止め、貧血の状態を何とかしないと一切の処置が進みません。同時に、腎臓と肝臓に働いてもらわないと血液が回ってもらえません。重度のフィラリアの影響で血液の循環が滞っていて、必要な血液が循環していない状態です。だから、心臓から離れたお尻や足の付け根などは冷たく感じませんか。採血した血液を見ても汚くて、正常でないことは間違いありません。ただ、困ったことに、体力がほとんどないように見えます。どこから手を付けたものか・・・。」
結局、寒い季節でないことや皮膚病の治療、或いは肛門付近のウジを除去する作業も考慮してほぼ、全身を刈り上げることとなりました。
お帰り:
動物病院からの帰り道はゆっくり法定速度で走り、後ろから煽られても無視して丁寧に我が家に向かいました。
帰宅中の叶夢です
抱き抱えるとゆきえが隣に立ち、「お帰り」「かわいそうに・・・」と言い、首筋や背中を撫でていました。
この時点では、血液検査の結果を云々しても仕方のない程の数値が並んでおり、休養と投薬で、治療を始める条件を整える段階が始まったばかりだと思いました。
栄養補給については、点滴による補給も考えられましたが、腫れた腹部と腎臓の機能低下が止めさせました。
獣医師の言葉の一つが印象に残りました。
「まだ黄疸の出ていないうちに・・・」
もしかしたら、この子の手当ては遅れてしまったのかもしれないと思いましたが、ゆきえの言葉に、自身から話すことを止めました。
「かわいそうな叶夢。何とか生きて、ドッグランで遊ぼう・・・」
半泣きの状態で優しく話しかけながら、叶夢を撫で続けていました。
ようやく、叶夢との生活が始まりました。
叶夢と暮らす:
一番長く叶夢と共に暮らしたゆきえからは毎日、いろいろな話を聞きましたが、2つだけ書きます。
チィーと食事の事です。
私はさくらやムックンの散歩を終えると叶夢を抱き上げてケージから出し、近くの草むらに運び、そっと下ろしてウンとチィーを済ませていました。
叶夢の体重は17.3Kgでしたが、グターとしている叶夢を抱き上げることは脊髄の手術を受け、リハビリ中のゆきえには無理で、チィーは、私が帰宅して叶夢を抱き上げ、外に出す迄はジッと我慢している様子でした。
ゆきえはそれを切ながっていましたが、4日目にケージの中でチィーをすると、合計3回のチィーをしました。
ゆきえは嬉しがって「叶夢がチィーをしてくれたんだけど、するときは大量で、シートがビショビショになってしまう。チィーの場所は分かっているから、半分の大きさの物がほしい。それなら私にも何とか交換できるし、溢れてしまったチィーは大きなシートで吸収できるから」
結局、購入した半分の大きさのシートは一度、使っただけでした。
チィーは3日目から赤褐色でなく濃い黄緑色となり、4日目には少し薄い色となりました。
また、叶夢が居た8日間でウンは2度だけでした。
3度目は、亡くなって2~3分後に私の腕にしましたが、それだけでした。
我が家に居た間に口にした物は、水を除けば食パン、ウォルサムの消化器サポート(ドライタイプ)、缶詰のパピー用ドッグフード、ハム2枚で、缶詰は2食分を食べましたが、他は一度で食べなくなりました。
4日目の2度目のウンはかなり良い状態と思いましたが、生きている時のウンはこれが最後でした。
無表情な叶夢:
考えてみれば当然なのでしょうが、遂に叶夢は嬉しがったり悲しがったり、或いは苦しい表情すら見せることはありませんでした。
少し困ったような目付きの時はありましたが、ほとんどは無表情でした。
もも母さまから甲状腺機能低下症の可能性を伺い、その通りと思いましたが、精密な検査は亡くなった当日に申し入れたのです。
私は日記に、餓え死にした仲間達を見ていて、感情を殺して生き抜いたのではないかと、擬人化し過ぎていることは意識しても、書きました。
多分、甲状腺機能の障害はあるのかと思いますし、その影響の大きな事は間違いないと思うのですが一度だけ夜、草むらへ運んでチィーをさせて大量に排泄した後、叶夢を抱き上げて顔を覗き込んだとき、叶夢が微笑んだような表情を見せたのです。
少し目尻を下げて、ニッコリしたように見えました。
とても嬉しくて、抱いていた叶夢に頬擦りしてしまいました。
でも、私が見た叶夢の笑い顔はこの一度だけでした。
最後の時:
2度目の検査に動物病院に伺った6月3日は一度目よりも精密な検査を要求し、外部の検査機関に依頼する、お金のかかる検査も要求して、この時点で可能な検査をすべて行い、治療方針を立て、投薬の選択と食事の制限なども決めてたくさんの薬を受け取り、帰宅しました。
検査結果はどれも厳しいものでしたが、レントゲンを見たときに私が質問して、獣医師に答えてもらえた中に「レントゲンで確認できるウンチがなぜ、排泄されないのか」と云うものがあり、それに対する獣医師の答えに言葉が詰まりました。
「小腸の出口から詰まっていて、大腸もいっぱいのようです。肛門の直前まで詰まっていますが、排泄する力もないのかもしれません。」
既に6月1日から目立って呼吸が荒くなっていたのですが、3日に帰宅してからは特に感じていました。
チィーを済ませたくとも、立つ姿勢すら保てないのです。
一日に1リットル近く飲んでいた水も、この日は少なめでした。
夜になり、パソコンに向かっていた私の耳に、慌てるゆきえの声が聞こえました。
「叶夢、叶夢。叶夢、どうしたの」
後でゆきえに聞くと、それまでは叶夢の名を呼ぶとゆきえを見つめ返していたのに、急に力がなくなって、グッタリしたのだそうです。
私がケージに飛び込んで叶夢を抱えると、とても荒い息遣いをしていた叶夢が数秒間、驚いたように目を見開いて私を見つめ、遂に私の腕から首を外に落としたのです。
動脈を探りましたが探し当てることができず、心臓の鼓動は弱くなっていて、10秒ほどで停止しました。
ゆきえはベッドに座ったまま泣きじゃくり、さくらとムクは並んで居間の隅に伏せの姿勢でおり、われわれを見つめていました。
時刻を見たら午後9時5分でした。
もう、ケージにいる必要がなくなりました。
以前にカイくんが使っていたラウンド型のベッドに休ませようとして立ち上がろうとしたら叶夢がチィーを始めました。
少しだけ腕を濡らしましたが、叶夢のお尻だけをシートに下ろし、終わるのを待ちました。
結構な量でした。
排尿が終わり、ゆきえにベッドの支度をしてもらっている間は私が抱いていたのですが、右腕に何か温かいものを感じたので見ると、叶夢のウンでした。
ゆきえにキレイに拭き取ってもらいましたが、とても嬉しくて、叶夢を抱えたまま泣いてしまいました。
私は迷ったのですが、ゆきえが言いました。
「叶夢が亡くなったことをグループメールで皆さんにお知らせする。悲しいだけじゃなくて、同じところからの出身ワンコ達にも健康に気を付けてもらうことが大切だから。」
私も日記の入力を始めました。
悲しみだけではなくて、もしかしたら預かりさん達に気を付けてもらい、病院に行くことに躊躇しないように考えてほしい、と思いました。
その夜、眠るときにゆきえが私に言いました。
「叶夢は本当はあなたといたかったはずなの。あなたが一番面倒をみていたから。今夜は叶夢が寂しがるかわいそうだから一緒に眠ってあげて。」
ベッドごと叶夢を抱き抱え、二階の寝室への階段を昇り、ダブルベッドの半分に叶夢を寝かせ、半分で私が眠りました。
ナツメ球の灯りに浮かぶ叶夢の顔を時々眺めながら、それでも3時間ほどは眠りました。
本当は夢に出てきてほしかったのですが、とうとう現れませんでした。
翌朝はいつものように5時に起き、さくらとムックンの散歩を済ませ、暫くして、先住犬の龍之介がお世話になったペット霊園に連絡し、ゆきえと共に出かけました。
いつもは騒ぐさくらがどこにいるのか分からない程に静かで、あれほど近寄らなかったムクが匂いを嗅ぎに初めて叶夢に近づきました。
完全な無駄ではない:
今回の預かりは8日間で終えました。
擬人化が過ぎるのかもしれませんが、叶夢の一生って何だったのかと考えてしまいます。
叶夢はどのような親犬から生まれ、どのように育ち、どんな血統書を抱えてブリーダーに買われ、雄犬としての役割を担わされ、苛烈な、地獄のような日々を生き抜き、誰が選別して我が家に辿り着いたのだろうかと。
愉しかったはずの赤ちゃん時代はもちろん、実は、我が家に来る前の叶夢のことは何も知らず、名前すら私は分かりません。
とても寂しく感じていますが、現実には仕方のないことかもしれません。
叶夢の悲劇は100%、人間がもたらしたものですが、叶夢の死が何かをもたらしたのでしょうか。
現実には何も残すことはありませんでした。
ただ、ゆきえとムク父にはとても大きな想い出を残してくれました。
叶夢は我が家に辿り着いて少しだけ休み、軒先を借りただけでしたが一瞬の笑顔と、たくさんの物語を残してくれました。
ほんとうに、よく我が家に来てくれましたと伝えたい。
叶夢を我を家に届けてくださった方々からもたくさんの言葉を頂きました。
あなたは、あなたに関わった皆さんの心に残るワンコさんとなってくれるでしょう。
あなたの後に残るワンコさん達の幸せを掴むためにたくさんの人達が頑張るのだけれど、あなたはその行為の礎になってくれたと思っています。
現実には何も残すことはなかったけれど、ゆきえやムク父だけでなく、あなたの後に続くワンコさん達が幸せを掴むための役割はしっかり果たしてくれました。
あなたが生きた場所を忘れない限り、例え皆が忘れても、ゆきえとムク父の心には叶夢がしっかりと生き続けています。
あなたはこんなことを残してくれました。
龍之介と五右衛門と叶夢と:
我が家の居間には三頭のワンコの遺骨がわれわれと生活を共にしています。
以前の日記にも書きましたが、数年の後には住居を雪国に代える予定で、そのときにはもちろん一緒に移り、私が小さなお墓を敷地内にこしらえ、みんなに眠ってもらいます。
墓標も決めています。
小説家である故・中野孝次氏のパクリですが、「我が愛せしものたち」と。
私が亡くなった後はゆきえが一緒に過ごしてくれますから、当分は寂しくないと思います。
たった一日でしたが、我が家の子となったので、身寄りのない野犬とはなりません。
終わりに:
叶夢はついにさくらやムクと遊ぶこともなく、ドッグランや野原で駆け回ることも叶いませんでした。
叶夢と名付けた願いは叶いませんでしたが、最期は私が看取ることができました。
叶夢は人間の温もりを感じとることができたのでしょうか。
そうなら嬉しい。
そうでないなら、寂しい。
叶夢は虹の橋を渡って天国に旅立ったけれど、残された仲間がまだいます。
どんなワンコでも受け入れることはできないけれど、もしかしたら叶夢の仲間の誰かが我が家に来てくれるかもしれません。
身体と心のリハビリを済ませて、新しい生活を迎えるために。
さくらがいるので男の子を、と思うけれど、もしそうなら、叶夢の時のように名前は考えてあります。
もし、叶夢の仲間が我が家に来たら時々は我が家に来てそのワンコに声を掛けてほしいんだな。
「お~い、昴(すばる)く~ん」ってね。
叶夢や、お前を預かってたくさんのことを考えさせられたよ。
お前との縁はどこかで繋がっていたのだと少しづつ思い始めた母と父です。
きみは間違いなく、我が家の五代目のワンコでした。
叶夢、こんどは五右衛門や龍之介と一緒に天国から遊びに来て下さいな。
叶夢、さようなら。