Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

バーンチェン遺跡の謎(タイ)

2020年04月09日 | 旅の情報
素焼きの器面に酸化鉄の弁柄で描かれた独特な渦巻き模様。
弥生式土器のような簡素な器形に、焼成方法は恐らく器面に残る焼成痕から野焼きであろうと
推測される。











 曲線で描かれているのは植物の蔦か?植物の種子か?莢果を想起させる裂開果や鳥の眼
にも見える、中にはイノシシのような具象的な動物も描かれている。
 アールヌーボーのようなダイナミックで動的な曲線の動き、造形的に見れば理解不可能
な曲線の連続模様、余白がなく器面を覆う抽象的な幾何模様が想像力を掻き立てる。

 遺跡は以前から露現していて、土器類は周囲の村人によって日用品として使用されていた。
ペンシルベニア大学の放射性物質年代測定の結果、紀元前4000~3500年の土器と判明し、
東南アジア、タイ東北部に高度な文明があったことを実証している。稲作を行い、豚などの家畜を飼育し、
すでにガラスや青銅器や鉄器などが使われていた。


博物館入り口


博物館

バーンチェン国立博物館では発掘品の展示、ジオラマで当時住んでいた住民の生活様式や、
出土した動物の骨から当時の家畜を復元、発掘の様子などを再現している。


館内展示風景



 
ジオラマで復元された当時の生活様式


骨から復元された家畜の豚や犬


発掘現場再現ジオラマ


発掘された人骨

 博物館の前にお土産屋さんが何軒かあり、バーンチェンの壺などのレプリカを販売して
いる。ナカナカ良く出来たモノもあり、中には下手くそと叫びたくなるモノもある。


博物館前のお土産物屋


レプリカを作る人

 青銅器は古代メソポタミアで紀元前3000年に開発されたと言うのが定説であったが、
メソポタミア文明よりさらに500年遡り、東南アジアですでに作られ使われていた。
 今から5500年前の先史時代に、銅に錫を溶かして混ぜると、「青銅」という固い金属にな
るという高度な知識を何処から得たのか?その金属がメソポタミア文明より古い時代に何故、
東南アジアで生まれたのか?土器つくりの技術では、粘土に籾殻を混ぜると強度が増すという
ノウハウをどこから得たのか?疑問だらけである。
 人骨がたくさん発掘され調査の結果、当時住んでいた人種は長身で、現在のラオ族系の
バーンチェンの住民と異なっている。人骨に外傷が認められず、武器などの発掘品がないことから
平和な農耕生活を送っていた事が想像される。
 バーンチェン人は紀元200年頃、忽然と消える。「どこから来て、何処へ去ったのか?」謎である。

データ:
バーンチェンに行くにはウドンタニーが基点となる。
ウドンタニーの長距離バスターミナル、17番乗り場から、サコンナコーン方面のバスに
乗り、途中のバス停で降ろしてもらう。(午前6時から午後5時まで、30分から40分おき、所要1時間)45バーツ
トゥクトゥクかモターサイに乗り換え5分(約6km?)でバーンチェン国立博物館に着く。
片道180バーツ。戻りの最終バスは18:00頃

開館日:水曜日から日曜日(月、火休み)
    午前9時から午後4時
入館料:150バーツ(外国人)、30バーツ(タイ人)

注意:
ガイドブックに「帰りのトゥクトゥクは見つからない」と書いてあった。
マサかと思っていたが、まさかが真坂であった。帰りのトゥクトゥクは見つからないので、
トゥクトゥクは往復での交渉をすること。
私はラッキーにも、一本道をトボトボ歩いていたら、俳優の相島一之似のお兄さんに
バス亭までクーラーがキンキンに効いた高級車に乗せてもらった。



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