八尾の「おわら風の盆」を一度は見たいと思ってから、ひさしい時が流れていた。そして、その日がついにやってきた。
9月1日からの3日間、いつもは静かな街は人であふれ、哀調をたたえた胡弓の音色と唄にのって、編み笠を目深にかぶった男女が踊りながらせまい街中を練り歩く。
夕刻6時過ぎ、JR富山駅から高山線に乗る。揺られること20分ほどで越中八尾駅に着いた。車内はおわら盆目当ての老若男女であふれていた。が、事前に乗車整理券が配られていたこともあって、ゆったり座ることができた。
越中八尾駅を出てしばらく歩く。井田川を渡り、急勾配の坂をのぼると、もうそこは八尾の街中になる。八尾は坂の街なのである。
坂の途中の、下新町にある八幡社の前では、すでに踊りがはじまっていた。ここで見た踊りの輪は、編み笠をかぶっていなかった。踊りはあくまで地元の人のためにおこなわれているようだった。一気に祭り気分が盛り上がる。
そこを過ぎ坂をのぼりつめたところに聞名寺(もんみょうじ)という寺があった。八尾の街は、この聞名寺の門前町として発展したとされる。
さらに、今町、西町と人であふれる狭い街中を行くほどに、幾組みもの町流しの踊りに出会った。地方(じかた)が奏でる胡弓や三味の音に乗せて、編み笠をかぶった法被姿の勇壮な男踊り、それと対照的に、同じく編み笠をかぶり、浴衣姿の華麗な仕草の女踊りがつづく。
そして、渋い声で唄う、「二百十日に風さえ吹かにゃ 早稲の米食うて(オワラ) 踊ります 来る春風 氷が解ける うれしゃ気ままに (オワラ) 開く梅」の「正調おわら」がいやがうえにも情感を盛り立てる。
町流しを探し求めるように歩き進んでいるうちに、いつの間にか、町の最奥部にある諏訪町に至った。そこは町流しのハイライトになる場所らしく、狭い通りの左右は、町流しを待つ見物客で埋め尽くされていた。
私は通りの左右を見渡してみた。踊りばかりに気を取られていたために気づかなかったが、通りに面して、伝統的なつくりの、千本格子を備えた町家が建ち並んでいる。窓にはほの明るい灯りがゆれ、いかにも風の盆にふさわしい佇まいである。それが何とも懐かしく、快い。見ると、和紙を商う店、人形を扱う店、甘味屋があり、喫茶店がある。ここは「日本の道百選」に選ばれている通りなのである。
ふと、見物客のなかに、清々しい浴衣姿の女性と、スーツ姿の男性が、ふたり寄り添って、なにやら語りあっているのが目に入る。その時、私は、ああ、『風の盆恋唄』(高橋治)の世界だな、と思った。空には弦月が、地上には虫の音がかさなりあいながら鳴いていた。
「逝く人も笠に隠れて風の盆」四万歩