場所と人にまつわる物語

時間と空間のはざまに浮き沈みする場所の記憶をたどる旅

哀愁漂う、おわら風の盆

2018-08-11 19:12:01 | 場所の記憶
                
 八尾の「おわら風の盆」を一度は見たいと思ってから、ひさしい時が流れていた。そして、その日がついにやってきた。
 9月1日からの3日間、いつもは静かな街は人であふれ、哀調をたたえた胡弓の音色と唄にのって、編み笠を目深にかぶった男女が踊りながらせまい街中を練り歩く。
                        
 夕刻6時過ぎ、JR富山駅から高山線に乗る。揺られること20分ほどで越中八尾駅に着いた。車内はおわら盆目当ての老若男女であふれていた。が、事前に乗車整理券が配られていたこともあって、ゆったり座ることができた。
 越中八尾駅を出てしばらく歩く。井田川を渡り、急勾配の坂をのぼると、もうそこは八尾の街中になる。八尾は坂の街なのである。
 坂の途中の、下新町にある八幡社の前では、すでに踊りがはじまっていた。ここで見た踊りの輪は、編み笠をかぶっていなかった。踊りはあくまで地元の人のためにおこなわれているようだった。一気に祭り気分が盛り上がる。
 そこを過ぎ坂をのぼりつめたところに聞名寺(もんみょうじ)という寺があった。八尾の街は、この聞名寺の門前町として発展したとされる。
 さらに、今町、西町と人であふれる狭い街中を行くほどに、幾組みもの町流しの踊りに出会った。地方(じかた)が奏でる胡弓や三味の音に乗せて、編み笠をかぶった法被姿の勇壮な男踊り、それと対照的に、同じく編み笠をかぶり、浴衣姿の華麗な仕草の女踊りがつづく。
 そして、渋い声で唄う、「二百十日に風さえ吹かにゃ 早稲の米食うて(オワラ) 踊ります 来る春風 氷が解ける うれしゃ気ままに (オワラ) 開く梅」の「正調おわら」がいやがうえにも情感を盛り立てる。
 町流しを探し求めるように歩き進んでいるうちに、いつの間にか、町の最奥部にある諏訪町に至った。そこは町流しのハイライトになる場所らしく、狭い通りの左右は、町流しを待つ見物客で埋め尽くされていた。
 私は通りの左右を見渡してみた。踊りばかりに気を取られていたために気づかなかったが、通りに面して、伝統的なつくりの、千本格子を備えた町家が建ち並んでいる。窓にはほの明るい灯りがゆれ、いかにも風の盆にふさわしい佇まいである。それが何とも懐かしく、快い。見ると、和紙を商う店、人形を扱う店、甘味屋があり、喫茶店がある。ここは「日本の道百選」に選ばれている通りなのである。
 ふと、見物客のなかに、清々しい浴衣姿の女性と、スーツ姿の男性が、ふたり寄り添って、なにやら語りあっているのが目に入る。その時、私は、ああ、『風の盆恋唄』(高橋治)の世界だな、と思った。空には弦月が、地上には虫の音がかさなりあいながら鳴いていた。
「逝く人も笠に隠れて風の盆」四万歩


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かつて北前船交易で栄えた港町・岩瀬

2018-08-11 09:57:32 | 場所の記憶
 富山市の郊外、富山湾に注ぐ神通川の河口にある岩瀬という地区がある。この地は、幕末から明治にかけて北前船交易で栄えた港町だ。そこは富山駅北口から富山ライトレール富山港線という路面電車で約20分のところにある。
 東岩瀬駅という、瀟洒な駅に降りたち、少し歩くと、目の前に閑静な古町があらわれる。街道(旧北國街道)の両側に古風な商家風の建物が立ち並び、いかにも、ここがかって北前船で賑わった地であることをうかがわせる。
 ゆっくりと、通りの左右に注意を払いながら歩を進める。かつて、この通りには廻船問屋が立ち並んでいたというだけに、格式を感じさせる建物群が並んでいる。いずれも二階建ての町家で、東岩瀬廻船問屋型町家とよばれるものである。  
 なかに往時の廻船問屋の家屋をそのままに残している森家という建物があった。明治初年に建てられた、国の重要指定文化財になっている建物である。
 平入りの表構えは、屋根はむくりのついたコケラ葺き、一階はスムシコのはめられた出格子づくり。二階の卯建のついた壁にはこれまた横組みの竹製のスムシコ(格子)が設えられている。
 「むくり」というふくらみのある屋根は、雨水の流れをよくするようにつくられた日本の伝統的屋根のつくりのひとつである。そして、一、二階の窓のスムシコ。内側から外は見えるが、外からは内が見えない構造になっている。
 内部は前庭を備えた三列四段型で、家屋の裏手にある船着場に通じる通り庭(土間廊下)があり、それに沿って、表から順に母屋、道具蔵、米蔵、肥料蔵と続いていたが、今は、母屋と道具蔵だけが残る。オイとよばれる母屋(居間)は、吹き抜け天井にはむき出しの梁が行き交い、重厚な雰囲気を醸し出している。
 森家の家屋構造を見学して気づいたことがある。そこにつくられている独特の空間概念というものである。それは奥と隙間にあらわれている。人と物との関わりが合理的につながるような空間のつくりである。
 この森家だけでなく、馬場家、米田家、佐藤家、佐渡家、宮城家などといった旧家が今も残り、家の形を残したまま、カフェやギャラリー、土産物店などを営んでいる。
 時が止まったような界隈ではあるが、往時、この通りは人馬行き交う賑やかな通りであったのだろう。そんなことを想像しながら、店を覗きながら、そぞろ歩いていると、なんとも楽しい気分になってくるのである。
 街並みは町の歴史や文化を、そこを訪れる者に語りかけてくれる最良の表現体だ、ということをどこかで聞いたことがあるが、なるほど頷けることである。
 昔町はなぜか懐かしい。どこか床しい。










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