銀河を渡る(沢木耕太郎/新潮社)
沢木耕太郎氏のエッセイ集。エッセイ集としては3冊目だそうだ。
5部構成で、本人によれば、「歩く」、「見る」、「書く」、「暮らす」、「別れる」に分類されているとのこと。
「歩く」は旅行に関するもので、世界中を旅してきた筆者が自在に描くさまざまな風景を、存分に味わうことができる。「見る」は人物評だろうか。「書く」は、自らの著作について多くを語り、「暮らす」は日常の中の想い、そして「別れる」は故人への追悼の文章を集めているようだ。
例えば「傘がある」という文章がある。タイトルを見ただけで井上陽水を連想するが、果たしてそれは「傘がない」と対をなすべき状況を描いたものだった。そういう風に、次々とページをめくる楽しみがつながっていく。
不思議な読後感だった。短い文章の寄せ集めなのに、例えば、1冊の壮大な物語を読んだような気分。それは筆者があとがきに書いているように、「エッセイを小説のように書く」ことの効果なのかもしれない。その物語のテーマは、まさしく「沢木耕太郎」そのものだ。
私はこの人のファンではなかったし、今さら『深夜特急』を読もうとは思わないだろう(多分)が、極めて優れた書き手であることは、十分に理解できた。
画像は「イラストAC」から選んでみたイメージ。
沢木耕太郎氏のエッセイ集。エッセイ集としては3冊目だそうだ。
5部構成で、本人によれば、「歩く」、「見る」、「書く」、「暮らす」、「別れる」に分類されているとのこと。
「歩く」は旅行に関するもので、世界中を旅してきた筆者が自在に描くさまざまな風景を、存分に味わうことができる。「見る」は人物評だろうか。「書く」は、自らの著作について多くを語り、「暮らす」は日常の中の想い、そして「別れる」は故人への追悼の文章を集めているようだ。
例えば「傘がある」という文章がある。タイトルを見ただけで井上陽水を連想するが、果たしてそれは「傘がない」と対をなすべき状況を描いたものだった。そういう風に、次々とページをめくる楽しみがつながっていく。
不思議な読後感だった。短い文章の寄せ集めなのに、例えば、1冊の壮大な物語を読んだような気分。それは筆者があとがきに書いているように、「エッセイを小説のように書く」ことの効果なのかもしれない。その物語のテーマは、まさしく「沢木耕太郎」そのものだ。
私はこの人のファンではなかったし、今さら『深夜特急』を読もうとは思わないだろう(多分)が、極めて優れた書き手であることは、十分に理解できた。
画像は「イラストAC」から選んでみたイメージ。