さちぶーの眼線

何事も、コツコツ・・・地道に・・・できたらいいいのですが、根が横着もので。 ^_^;

浜口梧陵(NHKその時歴史が動いた

2005-01-12 | ノンジャンル
先ほど、NHK「その時歴史が動いた」を見てちょっと、感動したので調べてみました。
稲むらの火」という物語をご存知だろうか。津波から村人を救った庄屋のモデルはヤマサ醤油七代目当主の浜口梧陵。株式会社に移行してからも本社の置かれる銚子市などでは、昨年暮れのスマトラ沖地震による津波発生を契機に、あらためて梧陵の功績が話題になっている。同市では現在協議が進んでいる合併を期に、梧陵ら市の礎を造った先人の顕彰事業を検討中。あす十二日にはNHKが「百世の安堵をはかれ~安政大地震・奇跡の復興劇~」と題した番組で梧陵を取り上げる。
 インド洋沿岸各国の津波被害は死者十五万人超とも伝えられ、依然とどまることを知らない。梧陵は経営手腕、高い志操もさることながら、その津波の恐ろしさをだれよりも知り、安政の大地震では村人の避難や復興事業に力を尽くした。

 梧陵は一八二○年、現在の銚子市で醤油醸造業を営む豪商浜口家の分家の長男として廣村(現在の和歌山県広川町)に生まれた。その後、本家の養子になり七代目を相続。千葉と和歌山を往復するかたわら佐久間象山に学び、勝海舟、福沢諭吉ら歴史に残る人物と交友。地方の豪商というだけでなく、高い人格と識見を評価され和歌山県議会議長などを歴任した。また、人材育成のため現在の耐久中学、耐久高校の前身である学塾を廣村に開いた。

 物語の原型は、一八五四年十二月に発生した二度の大地震での出来事。廣村に滞在していた梧陵は強い揺れの後、海岸に出て津波襲来を予感。村人に避難を呼びかけた。津波が収まると救援活動に奔走。私財を投じて村人に米を配り、道路や橋を修復した。

 さらに災害で職を失った人たちの失業対策を兼ね大堤防建設に着手。ほとんど私財で高さ五メートル、幅二十五メートル、長さ六百五メートルの堤防を造った。

 物語では稲むらに火をつけ村人を高台に集めたされるが、梧陵の手記によると夜になり逃げ遅れた者に逃げ道を知らせるため火を放ったのが本当らしい。

 いずれにしろ復興事業に尽力したのは確かで、その資金は銚子での醤油醸造によって賄われた。


千葉日報HPより拝借 
http://www.chibanippo.co.jp/t-news/chiiki/chiiki.html
ちょっと、千葉県よりに書かれているような・・・気もしますが^^;

ここで、思いだされた。↓私さちぶーの感想
>庄屋のモデル・・・
「庄屋」は、江戸時代最も公共精神に富んでいた。
その精神から、明治政府から郵便局長を任され、自分の家屋の提供も当然のことのように行われていたようだ。現在の特定局長も私欲を捨てたところで、業務を行っていると信じたいところでは、あるが・・・