縄文人の反乱 日本を大事に

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表意文字と表音文字の混成言語

2014年02月11日 18時54分17秒 | 色んな情報
表意文字と表音文字の混成言語
  日本語  沖縄語  古日本語 アイヌ語 朝鮮語  北京語  広東語
肌 hada   hada   pada    kamka  salgat  pi2      pei4
血 chi    chii    ti      kem    pi      xue4   hyut3
骨 hone   funi     pone   pone    ppyeo  gu3     gwat1
毛 ke     kii      k?    numa    teol    tou2fa   mou4
頭 atama  chiburu  kachira  sapa    meori   tou2   tau4
耳 mimi   mimi     mimi    kisar   ky      er3duo  ji5zai2
目 me    mii      m?    sik      nun     yan3jing ngaan5
鼻 hana   hana    pana    etu     ko     bi2    bei6
口 kuchi  kuchi   kuti    par    ip      zui3   dzoey2
歯 ha     haa     pa     mimak  i      ya2chi3 ngaa4
舌 shita   shiba    chita   parunpe hyeo    she2    sit3
爪 tsume  chimi   tum?   am    sontop   zhi3jia  dzi2gaap3
足 ashi    fisa    achi    ure     dari    jiao3   goek3
脚 ashi    fisa    achi    kema   dari    tui3     toey2
膝 hiza    chinshi  piza   kokkasapa mureup  xi1     sat1
手 te    tii      t?     tek     son     shou3   sau2
腹 hara   wata   para     hon    bae     du4zi    fok1
首 kubi    kubi    kubi    rekut   mok     bo2zi    geng2
背 senaka kushi    ts?    setur   deung   bei4     bui3zek3
胸 mune  nni     mune    penram gaseum  xiong1   hung1

日本語と沖縄語は明らかに同系で、古日本語(奈良時代の日本語)ともあまり変わっていない。
一方で、日本語族、アイヌ語、朝鮮語、シナ語派の固有語には、明確な借用語以外に語彙の共通性が全くない。
アイヌ語の「pone」は日本語の「骨」からの借用語と見られている。

113:名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/07/02(土) 00:10:52.51 ID:Wmjj64gW0

»64
朝鮮語と日本語全然違うね
安心した

282:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/07/02(土) 01:10:32.37 ID:lf8UFiYc0

»113
日本語の起源はかなり謎だよ
どこから来たのかわからない

727:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/07/02(土) 06:43:42.03 ID:+T7gn6M30

»113
それどころか表意文字と表音文字の混成言語なんてのは古代エジプトで出現して以来
世界でどこにも見られてない
言語すら異常なガラパゴス

今日、こんなメールの文章を見つけました(笑)。

2014年02月11日 14時29分56秒 | 色んな情報

今日、こんなメールの文章を見つけました(笑)。
     岡本 よりたか
随分前のメールですが、1,2か月前に、男について書かれたfacebook記事がシェアされていたのを見て思い出し、探していました。あれと同じような話ですが(^^;

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男には苦手なことがあります。
...
髪を切ったことに気づくこと。
デパートの買い物にずっと付き合うこと。
二つの服を見せられてどちらか選ぶこと。
ケーキを二つ頼んでシェアすること。
何を欲しがっているのかを言い当てること。
どこに行きたがっているか推測すること。
何を食べたいのか想像力を働かせること。
今日起きたことを延々と話すことに付き合うこと。
小さな悩みを察知すること。

でも、分かりにくいかもしれませんが、これだけは確かです。

最愛の女性が悲しんでいる時は、胃がひっくり返るほどに心配なこと。
最愛の女性が怒っている時は、胸騒ぎが止まらず一緒に怒りたいこと。
最愛の女性が楽しんでいる時は、ずっと眺めていたいほどに充実感を感じていること。
最愛の女性が喜んでいる時は、胸が躍るほど興奮し、安堵感を感じていること。

男は、女性を愛しているからこそ、苦手なことにも付き合ってくれます。だから、少々疲れた顔をしても、戸惑った顔をしていても、許してあげて欲しいと思います。

男は、感情を表に出すのが苦手な動物です。女性が悲しみ、怒り、楽しみ、喜んでいた時にも、同じように戸惑ってしまうかもしれませんが、それは、単に照れくさいからです。

それを理解できれば、恋人との、あるいは夫婦のいざかいなど生まれません。

幸せは掴みとるものではなく、感じるものです。


ヨーロッパ系の国はどこもそうだが、アメリカはローマ史に学んでいる。

2014年02月11日 14時17分13秒 | 色んな情報

ヨーロッパ系の国はどこもそうだが、アメリカはローマ史に学んでいる。
谷口光徳
ローマはカルタゴと三度戦って倒した。日本=カルタゴと考えると納得することが多い。まず最近のアメリカが中韓に同調していることだ。日本がカルタゴの様に滅ぼされないようにするにはどうしたらいいかを真剣に考える時期に来ている。一時の安穏を求めて今の時点で中韓に屈服したら日本は今世紀中に消滅するだろう。日本を22世紀まで生き残らせる大戦略が必要だ。それには一にも二にも国論の統一だ。国論を統一するなら朝日とNHKをなんとかしなければならない。それにはネットの信頼性をさらに高める努力が必要だろう。朝日とNHKは非難や説得では転向しない。彼らを倒すには朝日は広告費の締め上げで攻める。NHKは完全民営化を目指すべきだろう。

 

作成: 船木哲朗
 アメリカ人ほか、白人たちの本音 ? 

 アメリカ人が日本人を特別視してるってのは、日本の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ ?

 まず、資源が全くないってことは凄いこと。もう、両手両足もがれたぐらいのハンデ。

 しかも凄いのは、米国の3分の1の人口、わずか25分の1の領土で、その上ただでさえ極小の国土の7割が山、山、山、 なーんにもない、山・・・、だから農業で輸出して食べていくことすらできない。

 条件からして、最貧国でもおかしくない国。

 そんな国が100年ほど前に、当時世界最強クラスだったロシアとか清国をあっさり倒して、非白人国家で普通に白人常任理事国に仲間入りしちゃってて、おまけに米国奇襲して敵に回して ガチで戦争して、世界で唯一、米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして、 オランダ倒して、世界で唯一原爆落とさせるほど手古摺らせて、しかも2発だよ。2発。考えられない。

 敗戦とか言ってるけど日本のせいで、アジアから白人の植民地全部消されたし。 しかも信じられないのは、戦争に負けてただでさえ何にもない国が、さらにインフラまで全部叩き潰されて、多額の賠償金まで背負わせて、100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で、 今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて、数百年はウザイ顔見ないで済むと思ってたら、 直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって、参戦どころかごぼう抜きでたった2~30年で、あっという間にフランス・英国・ドイツ、米国さえ抜いて世界第1位の経済大国。

 東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値になっちゃう程の超絶経済力で、世界中( ゜Д゜)ポカーン・・・状態。 その後もずーっと2位を維持。 頭脳一本でそれ。

 しかも経済の80%が内需、内需だけでそれ。 金融とかでまだ全然進出してないし、車や家電、工業製品も、まだまだ進出しきってなくてそれ。 もうキチガイの域、伸びしろありすぎワロタ。

 戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。 何気に世界最長寿国とかなってる。んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。 アメリカの検索で1位になってるのが日本のアニメとか。世界中で一番人気の映像作品が日本のアニメとか。

 極めつけは世界一長続きした国、 2600年は、どの白人より長い王室ならぬ、その上の皇室を保有し、エンペラーに代表される歴史。 わが国の大統領も平伏する天皇陛下。

 普通の神経してたら、こんな国怖くて関わりたくないよ ¡.

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「蒙古襲来の最大の被害者は朝鮮族(高麗)」 2月6日(木)

2014年02月11日 14時10分02秒 | 色んな情報

「蒙古襲来の最大の被害者は朝鮮族(高麗)」 2月6日(木)

韓国人はなぜこれほどひねくれて、根性が汚い民族なのかを解き明かすべく韓国の歴史をたどってきました。

前回は「元」の支配下に置かれた高麗について検証した結果、必然的に蒙古襲来について記述しなければならなくなりました。前回は蒙古軍の1回目の日本攻撃「文永の役」について述べました。今回は2度目の攻撃である「弘安の役」について検証してみます。

1回目の日本攻撃で蒙古軍は日本武士の死を恐れず突進してくる迫力に脅威を感じていました。とくに常に前線で戦うことを強要されていた高麗軍は戦闘状態に入って初めて日本軍が並々ならぬ難敵であることを知ったのです。

フビライにとって日本は東方海上に浮かぶ小国であり、ちょっと威嚇すれば、直ぐに平伏するにちがいないと軽く考えていました。もちろん朝鮮族(高麗)も同じように考えていました。

蒙古の忠実な属国になっていた高麗の忠烈王は「元」をバックにして日本に脅しをかければ日本は恐怖で直ぐになびき、その果実の一部分だけでも手に入れることが出来ると考えていました。

そのころ高麗は30年以上にわたって蒙古軍の蹂躙に悩まされ、山野は荒廃
し、人民は疲弊の極にありました。だからフビライを焚き付けて日本に目を向けさすことを考えたのです。

そこでフビライは高麗の進言により、日本を服属させるために元の使者に国書を持って行かせました。日本は返事を持たせぬままに使者を追い返しました。日本側の対応に激怒したフビライは直ちに1千隻の軍船を造るように高麗に命令をだしました。

つまり高麗の忠烈王の思惑は完全に外れ、かえって苦労を背負い込むことになってしまった。高麗にとっては、その代償はあまりにも大きなものでした。

しかし前線の高麗軍は対馬・壱岐への侵攻の際、将兵、民衆の区別なく残虐の限りを尽くしたと「勝本町史」に記述されています。

日本人は、このような高麗軍(朝鮮族)の人間とは思えない残虐な行為に激しい敵愾心を燃やし、いよいよ戦闘意欲をかきたてられた。結果として1回目の蒙古来襲の進撃を赤坂の線で食い止めることが出来たと書かれています。

蒙古軍にとって日本攻撃の敗北は初めての屈辱でした。フビライは直ちに再攻撃を決意し、再度使者を送った。決戦の意を固めていた時宗は使わされた使者を斬首しました。

こうした行為は蒙古にとって最大の侮辱でした。蒙古は当時の世界の大部分を残忍な方法で征服した、負け知らずの恐るべき民族に日本は最大の侮辱をあたえたのです。

時宗も多くの日本人も知るよしもなかったろうが、折しもその時、司令官ジュチ率いるモンゴル軍は、はるか西方、ポーランドにまで侵入して、勇猛で知られたヨーロッパ騎士団の連合軍4万を一瞬にして打ち負かし、一人残らず皆殺しにしていたのです。

文永の役で一番被害を受けたのは高麗でした。しかし高麗には、またもや
千隻の船を直ちに建造するように命令が出されました。朝鮮人は日夜奴隷
のように働かされ、働けなくなったものは情け容赦なく殺されました。

高麗の忠烈王はフビライに高麗の窮状訴えました。「すでに民は木の実・草の葉を採りて食し、民の苦しみはこの時よりはなはだしきはなし」高麗の血を吐くような訴えにもフビライは全く聞く耳を持ちませんでした。

1281年5月(弘安4年)機は熟したと見たフビライは、まず朝鮮半島の東路
軍に出撃を命じ、4万の兵を載せた大艦隊は九州目指して出陣した。それと呼応するように中国南部の海岸でも蒙古と南宋の10万の兵士(江南軍)が3千5百隻という途方もない数の軍船に乗り出陣した。

一方、これを迎え討つ日本軍は上陸が予想される九州北部に4万人の武士が頑強な石築地の後方に布陣していた。この石築地は基底部3メートル、上面2メートル、高さ3メートルほどの台形状に石を積み上げたもので、蒙古軍攻撃を予想して、延々と20キロにわたって構築されていました。

東路軍は壱岐周辺で江南軍と合流するために10日間ほど待ったが一向に現
れないために業を煮やして江南軍をまたずに博多に向かった。6月6日、東
路軍は博多湾に来襲したが堅固な防塁を見て直ぐに上陸するのを見合わせ
湾口に碇泊した。

蒙古の大艦隊が現れるや、日本の武士は直ちに攻撃を開始、日本側は、前回の戦闘から得た教訓を十分に活かして、海上で凄まじい戦闘が繰り広げられた。

6日の夜、小舟を仕立てて敵船へ夜襲を試みた。日本軍は敵の不意をついて、敵船に乗り移り、さんざん暴れ回り数百人の敵を斬り殺し、船に火をかけて引き上げました。

闇の海上より不意に現れる日本の船は、まさに神出鬼没で、突然と乗り込んで斬りかかってくる武士に、さすがの蒙古兵も恐怖で為す術がなく、そこで元軍は各船を鎖でつなぎあわせて日本軍の攻撃を防ぎました。

8日には元軍は志賀島に通ずる海の中道から陸路攻撃が続行されが、豊後の守護大名大友氏が大将になって元軍に猛攻を加えた。猛攻に圧された元軍は全軍船に非難しました。

一方蒙古軍の主力である江南軍は東路軍と合流する予定が1ヶ月近く遅れていた。日本軍の凄まじい防戦にあった東路軍は、ついに九州の海岸線より中には侵入することは出来なかった。そこで一旦引いて、後続の江南軍を待つことにしました。

続きは次回にて


『ねずさんのひとりごと』  「建国記念日のお話」

2014年02月11日 13時51分45秒 | 色んな情報
『ねずさんのひとりごと』  「建国記念日のお話」
2月11日は紀元節、日本の初代天皇である神武天皇が即位され、わたしたちの国が建国された日です。
今年は、皇紀2674年になります。

わたしたちの国のはじまりの日です。
ちなみに、すこし脱線しますが、最近、わたしたちの国について、これを「この国」と表現しているものがたいへんよく目に付きます。

おそらくこれは司馬遼太郎が月刊文芸春秋に連載した「この国のかたち」から広まった言葉だと思うのですが、「この国」とは、いかにも国を客体化したような言い方ですが、ここは「わたしたちの国」です。
わたしたちと血のつながったわたしたちの父祖が、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら世界でもっとも古くから築き上げて来た、ここは「わたしたちの国」です。

ですから私は、「この国」という言い方が、あまり好きではありません。
わたしたちの国は、「わたしたちの国」というべきであろうと思います。

そのことはともかく、世界中どこの国でもその国の建国の記念日を国民の祝日にしていない国はありません。
建国の日を国民的祝日として「祝わない」国は、それこそ世界中どこにもありません。

「祝日」というのは、お祝いの日という言葉の通り、その国の民が、その国の歴史伝統文化を忘れないため、そしてその歴史伝統文化を踏まえて、未来を築く新たな決意のために定められるものです。
ただ、会社がお休みになって、楽ができる日ではない。
なかでも建国の日は、それぞれの国のアイデンティティ構築上で、とても大切にされる日です。

たとえばアメリカなら7月4日が、Independence Day です。独立記念日です。
ですからこの日は「特別な日」です。
「7月4日に生まれて」とか、「インディペンデンスデイ」という映画もありましたが、Independence Day は米国人にとっては、Fourth of July で、特別な日です。

米国の独立は1776年ですが、この日以来、米国では毎年欠かさずワシントンの記念塔付近で盛大に花火が打上げられます。
これは独立以来237年間、毎年、一度も欠かさずに行われている行事です。

米国の場合、クリスマスやお正月は、多くの商店が休業になります。
ところが独立記念日は、逆に盛大な独立記念セールが行われます。
ですから自動車や宝石、家電など、この日を目指して買い物すると、結構お得な買い物ができたりする。
まさに米国人にとっては、ワクワクする特別な日であり、全米で独立を祝う式典も催されます。
それだけ、重要な日なのです。

アメリカに限ったことではありません。

フランスでは、7月14日が「パリ祭」ですが、これは1789年にパリ市民が政治犯解放を求めてバスチーユ監獄を襲撃した日(フランス革命が始まった日)を祝ったものです。
毎年行われるパリ祭の盛大な催しについては、ニュースなどでご存知の方も多いかと思います。

中華人民共和国は10月1日が「国慶節」です。
これは1949年に毛沢東が天安門で建国宣言をした日です。

北朝鮮は9月9日が「国慶節記念日」で、1948年に朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言された日です。

お隣の韓国に至っては、建国の祝日は、なんと2つもあります。
どちらも祝日です。
ひとつが8月15日の「光復節」です。
彼らにとっては、昭和20年(1945)年の終戦の日が、日本から解放されて「光が回復した日」なのだそうです。

^^^^^^^^^^
日本における建国の日は、「日本書紀」に基づきます。
初代の天皇であらせられる神武天皇が即位されたのが「辛酉年春正月庚辰朔」で、これをグレゴリオ暦に換算すると、紀元前660年2月11日になります。

この日、神武天皇が発せられた建国の詔にるお言葉が、

 上則答乾霊授国之徳
 下則弘皇孫養正之心
 然後、兼六合以開都
 掩八紘而為宇、不亦可乎

「上は則(すなわ)ち乾霊(けんれい)の国を授(さず)けたまいし徳(とく)に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然(しか)る後、六合(りくごう)を兼(か)ねて以(もっ)て都を開き、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さん事、亦(また)可(よ)からずや。」と読み下します。

「乾霊(けんれい)」は、祖先の霊で、この場合、神武天皇の祖先は直系となられる天の神々を意味します。
その神々が国を授けてくださった徳にお答えし、「皇孫の正を養うの心を弘め」とあります。

この「皇孫の正を養うの心」というのが、実はとても大切なところです。
というのは、この「皇孫の正」というのが先般、大国主の国譲りのところでご紹介した「シラス国」を意味するからです。
(参照→http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2161.html
すなわち、権力によって頭ごなしに支配し人々を隷属させるのではなく、みんなが情報を共有し、互いに助け合って生きる国を意味します。

そして「六合(りくごう)」というのは、東西南北の六つの方角に上下を合わせた6つの方角で、これは天下を意味します。
ですから「六合を兼ねて以て都を開き」というのは、世界全体、天下万民のために都を開く、といういう意味になります。

さらに「八紘」は、「天地を結ぶ8本の綱」です。四方八方です。
その四方八方を掩(おお)って、「宇(いえ)と為そう」というわけです。

つまり神武天皇は、「国土開闢(かいびゃく)以来の神々のご意思であられるシラス国を築くため、ここに都をひらき、世界全体がひとつ屋根の下に暮らす家族として仲良く暮らすなら、それはなんと楽しくうれしいことであろうか」と仰せられました。
これが、わたしたちの国の建国の詔(みことのり)で、これがわたしたちの国の「建国の理念」となったのです。

英語では、八紘一宇は、Universal brotherhood(世界同胞(兄弟)主義)と訳されます。
戦前のわたしたちの国の外交文書では公式に、この用語が用いられていました。
それこそが、わたしたちの国の理想であり、理念であり、基本姿勢そのものであるからです。
そして戦前は、この2月11日が「紀元節」と定められて、国民が建国の理念を再確認する日でもありました。

その「紀元節」が、いまは「建国記念の日」として国民の祝日となっています。
ところが、実は、この日は、いまも、他の祝日のような「祝日法」に定められた国民の祝日ではないのです。

実は、昭和23年(1948)に、国民の祝日に関する法律の附則2項で、紀元節は国民の祝日から除外させえられました。
当時の日本は、GHQによる占領統治下にありましたから、これはGHQの意向です。

そして翌年の昭和24(1949)年から、昭和41(1966)年に復活するまでの18年間、2月11日は、国民の祝日から除外されたままとなりました。
そしていまでも「国民の祝日に関する法律」では、他の祝日が、それぞれ日にちを特定されているのに対し、建国記念日だけは、別に「政令で定める日」とされたままとなっています。
(国民の祝日に関する法律→http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html

昭和23年に廃止された紀元節については、昭和27年のサンフランシスコ講話条約締結後、日本国内では、昭和32年から都合9回にもわたって、復活を望む議員立法法案が提出されました。
戦前の教育を受けた保守系の議員さんたちが、当時、本当によく頑張ってくださったのですが、ところが当時は、俗に55年体制と呼ばれる自民党と社会党の二強対立の時代です。

そして社会党は当時、この運動に対して、「建国記念日を復活させることは、保守系議員の反動的行為である」と激しく対立しました。
ようやく、この日が国民の祝日として復活したのは、昭和41年(1966)になってからのことで、当時の佐藤栄作内閣によって設けられた「建国記念日審議会」によって、ようやく祝日としての復活を遂げたのです。

ただし、戦前にあった「紀元節」の用語は廃止。
そして、建国記念日は、「建国記念『の』日」と、名称に「の」を入れて、国民の祝日法とは別途に日にちが制定されることになりました。

これはいまでもそうで、ですから「建国記念日」という言い方は正しくなく、あくまでも正しい呼び方は「建国記念の日」です。
なぜ、「建国記念日」ではなくて、「建国記念『の』日」なのとかというと、これはあくまでも「日本が建国されたという事象そのものを記念だけの日」であって、「建国の理念や趣旨などを国民の祝日とする理由として含まない」ためなのだそうです。

ずいぶんとウルサイ話ですが、戦後左翼というのは、日本人が日本人としての誇りを自身を持つことを一切拒否し、日本という国の建国にあたっての、世界中、誰の目にも素晴らしいとしかいえない理想や理念さえも、敵対し、対立し、闘争し、破壊する対象であったわけです。

こうして、いまでも、建国記念日は、国民の祝日に関する法律に日付が特定されず、また正式名称を「建国記念の日」と書かれ、そして明らかに国民の祝日でありながら、左前のカレンダーや、ネット上のカレンダーなどでは、国民の祝日として祭日としての表記がされなかったりしています。

そして多くの国民は、学校教育の場でも、また新聞やテレビなどのメディアにおいても、この日が祝日であることの理由を教えられず、何も知らないまま、ただこの日が、会社や学校がお休みとなる楽な日としてしか認識しなくなっています。

私が小学生のときのことです。
私の通った小学校は、市内でも歴史ある小学校とされていた学校だったのですが、寒い冬の2月11日、全校生徒が朝、登校し、全校朝礼で校長先生からなにやらムツカシイ訓話をいただき、帰りに紅白饅頭をいただいて帰宅した記憶があります。

意味はさっぱりわかりませんでしたが、紅白饅頭をもらえたことが、とっても嬉しかったことと、この日の校長先生の訓話のあとで、横に居並ぶ先生方が、ものすごく感動した感じで、手がくだけそうなくらいの激しい拍手をされていたことを、とても印象深く覚えています。

当時は、なぜそんなことになっていたのか、まるで意味がわかりませんでした。
けれど、いまならわかります。
あのとき、校長先生は、紀元節の復活を心の底から喜ばれ、みんなの前で、紀元節の由来と建国記念日の復活を心から寿ぐ訓話をされたに違いありません。
そして、前に居並ぶ先生方も、それをまるで我が事のようにうれしいこととして、受け止めていたのであろうと思います。

大人たちの感動や、その理由(わけ)としてのお話は、子供たちにはとてもむつかしくて、理解できないものでした。
けれど、その大人たちの感動は子供たちの心に残り、時を超え、子供たちがある年代に至ったときに、その意味が怒濤のように押し寄せて、「なるほど、そうだったのか!」と、新たな感動となって、次世代に引き継がれます。

私は、建国記念日が、国民の誰からもお祝いの日として、普通にちゃんと認識される日が一日もはやく来ることを願ってやみません。

「建国記念の日」を迎えるに当たり、安倍晋三首相が発表したメッセージ全文

2014年02月11日 08時36分05秒 | 色んな情報
「建国記念の日」を迎えるに当たり、安倍晋三首相が発表したメッセージ全文

「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨により、法律によって設けられた国民の祝日です。
この祝日は、国民一人ひとりが、わが国の今日の繁栄の礎を営々と築き上げたいにしえからの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を誓う、誠に意義深い日であると考え、私から国民の皆さまに向けてメッセージをお届けすることといたしました。
古来、「瑞穂の国」と呼ばれてきたように、私たち日本人には、田畑を共に耕し、水を分かち合い、乏しきは補い合って、五穀豊穣(ほうじょう)を祈り、美しい田園と麗しい社会を築いてきた豊かな伝統があります。...

また、わが国は四季のある美しい自然に恵まれ、それらを生かした諸外国に誇れる素晴らしい文化を育ててきました。
長い歴史の中で、幾たびか災害や戦争などの試練も経験しましたが、国民一人ひとりのたゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、普遍的自由と、民主主義と、人権を重んじる国柄を育ててきました。
このような先人の努力に深く敬意を表すとともに、この平和と繁栄をさらに発展させ、次の世代も安心して暮らせるよう引き継いでいくことはわれわれに課せられた責務であります。
十年先、百年先の未来を開く改革と、未来を担う人材の育成を進め、同時に、国際的な諸課題に対して積極的な役割を果たし、世界の平和と安定を実現していく「誇りある日本」としていくことが、先人からわれわれに託された使命であろうと考えます。
「建国記念の日」を迎えるに当たり、私は、改めて、私たちの愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています。
国民の皆さまにおかれても、「建国記念の日」が、わが国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、自信と誇りを持てる未来に向けて日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。
 
内閣総理大臣 安倍晋三(2014/02/10-17:59)

●ことわざ

2014年02月11日 08時21分52秒 | 色んな情報

●ことわざ
◆ことわざ 【事業】
(1)行為。しわざ。
「世中にある人―しげきものなれば/古今(仮名序)」
(2)仕事。じぎょう。
「各その家の―を怠らずして/養生訓」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
・じぎょう  【事業】
(1)仕事。特に、社会的意義のある大きな仕事。
「維新の―」「福祉―」
(2)営利を目的として営む経済活動。
「―を興す」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
・ことわざ 【言事】
言葉と出来事。言葉と事件。
「―を記し四方(よも)の志(ふみ)を達(いた)せり/日本書紀(履中訓)」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
・ことわざ 【諺】
昔から人々の間で言いならわされた、風刺・教訓・知識・興趣などをもった簡潔な言葉。「ごまめの歯ぎしり」「朱に交われば赤くなる」「出る杭は打たれる」「東男に京女」などの類。
「事業」に似た言葉»   課題  務め  任  任務  プロジェクト
 
◆ことわざ(諺、英語:proverb)
鋭い風刺や教訓・知識などを含んだ、世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉のことである。
俚諺(りげん)ともいう。
古くから、多くの人々に言い習わされている、教訓や風刺の意を簡潔に言い表した言葉。
俚諺、格言。
 
◆ことわざ  【諺】 ウィキペディア
昔から人々の間で言いならわされた、風刺・教訓・知識・興趣などをもった簡潔な言葉。「ごまめの歯ぎしり」「朱に交われば赤くなる」「出る杭は打たれる」「東男に京女」などの類。
明治維新の近代化以前は、日本には「ことわざ」の概念がなく、英語の proverb はラテン語の proverbium が、その語源である。
ことわざは、観察と経験そして知識の共有によって、長い時間をかけて形成されたものである。その多くは簡潔で覚えやすく、言い得て妙であり、ある一面の真実を鋭く言い当てている。そのため、詳細な説明の代わりとして、あるいは、説明や主張に説得力を持たせる効果的手段として用いられることが多い。
 
慣用句と重なる部分もあるが、一般の文の中でその一部として用いられるものを慣用句といい、文の形をとるか、または簡潔ながら文に相当する意味を表すものをことわざというのが普通である。
 
地域と文化
ことわざは、その文化に属する者の思考に、意識的あるいは無意識的な影響を及ぼす。ヨーロッパのそれぞれの文化のことわざは非常に似通っている。一方、異なる文化の間でも同等の意味を持つことわざ・慣用句があることも多い。例えば、「船頭多くして船山に登る」と "Too many cooks spoil the broth."(コックが多すぎてスープが出来損なう)、「覆水盆に返らず」(中国語: 覆水難收)と "It is no use crying over spilt milk." (こぼれた乳について泣いても無駄である)、「日光を見ずして結構と言う勿れ」と"See Naples and then die."(ナポリを見てから死ね)、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」(中国語: 不入虎穴,焉得虎子)と"No pain no gain. "(痛みを受けずに得る物なし)などの例である。
 
一方で、「火事と喧嘩は江戸(現在の東京都)の華」「上州(群馬県)名物、かかあ天下と空っ風」などのような地域性・県民性を指したものや、「女房と畳は新しい方がいい」という特殊な価値観を示すようなものもある。
 
ことわざの中にはしばしば、反対の意味を示すものがある。例えば、「三人寄れば文殊の知恵」と「船頭多くして船山に登る」、「蛙の子は蛙」「瓜のつるには茄子はならぬ」と「氏より育ち」あるいは「とんびが鷹を産む」がある。前掲のことわざにも「女房と味噌は古い方がいい」という例がある。
 
また、同じことわざでも文化の背景が異なることによって、まったく別の意味に受け取られるものも少数ではあるが存在する。例えば、"A rolling stone gathers no moss."(転がる石はコケむさない)は、イギリスや日本では「落ち着きなく動き回っているものには能力は身につかない」という意味である。一方、アメリカでは「いつも活動的に動き回っている人は持っている能力を錆び付かせることはない」という意味になる。これは、コケを否定的に捉えるか肯定的に捉えるか、に由来する違いである。
 
日本においても、たとえば「情けは人の為ならず」は、しばしば本来の因果応報という意味で理解されず、誤解されることが多い。背景には古語と現代語の文法の違いなどがある。典型的な誤解釈としては「人に情けをかけてはいけない」というものがあるが、近年では双方の意味が併記される辞書もある。岡林春雄は、特に若者に誤解されがちな「ことわざ」として、「お茶を濁す」や「河童の川流れ」、「かわいい子には旅をさせよ」などを挙げている。
 

 
◆りげん  【俚諺】
民間で言い慣わされていることわざ。
「俚諺」に似た言葉»   名言  諺  金言  格言  箴
 
◆かくげん 【格言】
短い言葉で、人生の真理や処世術などを述べ、教えや戒めとした言葉。「石の上にも三年」「沈黙は金」など。金言。
 

 
◆きんげん  【金言】
(1)人生や生活の上で尊重し模範とすべきすぐれた格言。金句。
(2)〔仏〕 仏の口から出た尊い教え。こんげん。
» (成句)金言耳に逆らう
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・こんげん  【金言】
〔「金口(こんく)の言」の意〕⇒きんげん(金言)
 

 
◆りげん  【俚諺】
民間で言い慣わされていることわざ。
「俚諺」に似た言葉»   名言  諺  金言  格言  箴
 
◆しん  【箴】
(1)戒め。戒めのことば。
(2)箴言(しんげん)。