縄文人の反乱 日本を大事に

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稲むらの火

2013年09月08日 22時25分04秒 | 色んな情報
稲むらの火
 
小泉八雲の名作、「生ける神」をもとにして、教科書用テキストとして作られたのが、この名作「稲むらの火」である。子供達にとって、やや難しい表現が見られるものの、五兵衛 つまり浜口梧陵の崇高な生き方を教えている点で、非常に優れた教科書用テキストである。津波襲来の実録は梧陵の手記をご覧いただきたい。

「これはただ事ではない。」
とつぶやきながら五兵衛は家から出てきた。今の地震は別に烈(はげ)しいという程のものではなかった。しかし長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。五兵衛は、自分の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では、豊年を祝うよい祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向気がつかないもののようである。

 村から海へ移した五兵衛の目は、忽(たちま)ちそこに吸い付けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
 「大変だ、津波がやって来るに違いない。」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら四百の命が、村もろ共一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予(ゆうよ)はできない。
 「よし。」
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明(たいまつ)を以て飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。
 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」と五兵衛は、いきなりその稲むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。

 日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。山寺では、此の火を見て早鐘をつき出した。
 「火事だ。庄屋さんの家だ。」と村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うようにかけ出した。
 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻(あり)の歩みのように、もどかしく思われた。やっと20人ほどの若者がかけ上って来た。彼らはすぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声に言った。
 「うっちゃっておけ。-大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」
 村中の人は追々集まってきた。五兵衛は、後から後から上ってくる老幼男女を一人一人数えた。集まって来た人々は、燃えている稲むらと五兵衛の顔とを代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は力一杯の声で叫んだ。
 「見ろ。やって来たぞ。」

たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な早さで押し寄せて来た。
 「津波だ。」
と、誰かが叫んだ。海水が絶壁(ぜっぺき)のように目の前に迫ったと思うと、山がのしかかってきたような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとを以て、陸にぶつかった。人々は我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進して来た水煙の外は、一時何も見えなかった。
 人々は、自分等の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。2度3度、村の上を海は進み又退いた。
 高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。

 稲むらの火は、風にあふられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。始めて我にかえった村人は、此の火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。 

日本語上古代文字(神代文字)考

2013年09月08日 20時04分03秒 | 色んな情報
日本語上古代文字(神代文字)考


http://p.tl/aaQ2 
(最新見直し2010.09.26日) 

 (れんだいこのショートメッセージ)
 通説は、漢字渡来以前の日本には文字がなかったとしている。しかし、万葉仮名を経由して平仮名、カタカナが発明されつつ次第に日本語が形成されていった経緯を読み取るとき、逆に不自然なことになる。万葉仮名自体が、それまでの日本語をベースにして漢字が当てはめられており、これを逆に云えば漢字渡来時点で確固とした上古代日本語が確立されていたことになる。

 それでは、上古代日本語がどのようなものであったのか。今日となっては判明しないが、その手がかりとして神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)と呼ばれる古代日本で使用されていたと思われる古代文字があり寺社に遺されている。伊勢神宮の神宮文庫に約百点奉納されている。これをどう理解すべきか、実在か後代の捏造かが問われている。

 そのことはともかく、神代文字の研究で必要なことは、神代文字をも弁えていると思われる日本語のアからンで終わる50音がいつどのようにして獲得形成されたのか、その起源をどこまで遡ることができるのか、これが最大の関心となるべきではなかろうか。れんだいこの神代文字への関心は実にここにある。れんだいこの従来の神代文字研究への疑問は、50音の起源を語らないことにある。

 神代文字時点で既に50音が有り、それに記号文字を当てはめた風が認められるが、ならば50音の発生過程を検証することこそ真の神代文字考になるべきではなかろうか。且つ50音の獲得こそ日本の神代文字の最大功績であり、日本史が諸外国文明を受け入れるに当り母国言語を失うことなく受容し得た秘密であると看做すべきではなかろうか。こう捉えない研究はいささか物足りない。

 2008.5.1日、2008.7.2日再編集 れんだいこ拝

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【神代文字の種類】
 現存するところの神代文字は次の通りである。れんだいこは、これを、1・哲理文字系、2・図形(象形)文字系、3・線文字系、4・草文字系に分類する。「神代文字総覧」、佐治芳彦「謎の神代文字」(徳間書店、1979年)その他を参照する。 1・哲理文字系
カタカムナ図象文字 、上津・化美津文字
ホツマ(秀真)文字、伊予文字
出雲石窟文字、トヨノ文字、書嶋字

2・図形(象形)文字系
サンカ(山窩)文字
豊国文字
春日(カスガ)文字
アソヤマ文字
越文字

3・線文字系
アジチ文字、守恒(モリツネ)文字
斎部(イムベ)文字
惟足(コレタリ)文字
筑紫(ツクシ)文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字
天名知鎮・阿奈伊知文字 (アナイチ文字)、磨邇字(まにな)、六行成文字
アヒル(阿比留)文字、日文、肥人書(こまひとのふみ)
イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字
アイヌ文字・アイノ文字(北海道異体文字)
対馬文字
桃木文字

4・草文字系
アビルクサ(阿比留草)文字、日文草書、薩人書(さつひとのふみ)
阿波文字


 古史古伝の多くに、神代文字が登場する。『上記』は豊国文字、『秀真伝』や『三笠紀』は秀真文字で書かれており、全文でなくとも神代文字が使われている古史古伝は多い。『九鬼文書』には春日文字など、『竹内文書』には百種以上、『宮下文書』には阿祖山文字、『物部文書』には物部文字、『東日流外三郡誌』には津保化砂書文字などが出てくる。また、対馬の卜部・阿比留(あびる)家において発見され、平田篤胤によって「日文(ひふみ)」として紹介された阿比留(あひる)文字・阿比留草文字がある。静岡の浅間神社、神奈川の大山阿夫利神社、埼玉の三峰神社などの神璽や、洞窟や岩などにも神代文字と言われる文字が記されている。このように神代文字には多くの種類があり、形態も象形的なものから幾何学的なものまで様々であるが、問題はそれが本当に神代から存在していたものなのか、日本固有のものなのかという点にある。
        つ づ き

麻賀多神社 神代文字縁起の特徴

2013年09月08日 19時43分56秒 | 色んな情報
麻賀多神社 神代文字縁起の特徴
http://www14.plala.or.jp/nikorobin/magata2.html


 成田市船形に鎮座する麻賀多神社に伝わるとされる神代文字縁起。秘蔵とされるこの縁起に付いては、「印旛郡誌」(大正元年刊行)などに掲載されており、秘蔵といえど比較的ポピュラーな史料となっている。また訳文に付いては印旛郡誌には、その読みに付いてルビが振ってあり、その他神社縁起も参考とした。

     出雲文字
 神代文字の書体に付いては、出雲文字・出雲石窟文字・書嶋石窟文字とも云われる文字で、一般に出雲文字と称される。すでに平田篤胤の”神字日文伝”(シンジヒフミデン)に記されており、「出雲大社の近くに書嶋(フミジマ)と云う島があり、その石窟に彫刻されていた文字」で神代に大己貴命が創った文字とも伝わる。実際には書嶋と云う島は、存在しないそうなのだが、出雲文字で伝えられた文献なども他に知られており、神代文字の主要なものの一つとされている。



       麻賀多神社 神代文字縁起の特徴

       文字表記上の特徴


 ①出雲文字自体に「ん」の表音文字が欠けているために、”印旛(インバ)→イハ”のようになるため原文を知らなければ、解読するには、かなり難しいと思われる。
 ②濁音・半濁音の区別が無い。元々、平仮名に濁点を付す形式は近世からの形式のため、その書分けは特に難しくない様に思える。
 ③「は」と「わ」の使い分けが混在している。
 ④出雲文字以外に、漢字の「二」。その他、特に数字に関しては本史料独自と思われる①~⑨の文字を使用している。

 内容の特徴
 おおよその内容として「伊都許利命がこの地に来た時に地味が悪いので里長に聞けば、日本武尊が東征の折に、この地に寄って祈りを捧げた。それによって五穀豊穣となり人々を助け、その方法を記したので子々孫々これを守れ。」と言う事らしい。誤字脱字と読解力不足で少々怪しい点もあるのだが、ご指摘いただけるとありがたいです。

 ①文章は大きく分けて「日本武尊の東征」・「伊都許利命が玉を掘出し神社を創建」・「祭祀の方法」の3部にわたる。「日本の神々11」によれば麻賀多神社縁起の内、乾元元年(1302年)の”麻賀多明神縁起”では伊都許利命が創始者として伝えられており、日本武尊の関係を記したものは明和2年(1765年)に記された”延喜式内奥津宮麻賀多神社”のみであると云う。
 しかし、この文章の中で「トミと言う人が姫の御櫛を奉れば夕日の照る所へ御塚を造らせ」と云う語句と「神鏡を祀り穀雨を降らす」内容が意富比神社(船橋大神宮)に伝わる「意富比神社鎮座伝記」の内容と類似している。この古文書は宝暦5年(1755年)正月の日付が記されており、内容的にもまた年代的にもこの神代文字縁起がこれを参照した可能性は否定できないだろうと思われる。
 ②本文内の”浦長多津命”は嘉元3年(1305年)3月17日の日付のある”太田家系図”(台方・船形神官家)にのみ見られる人物であり、この事はこの文が神官家もしくはそれに近い関係者によるものと推測できる。
 ③本文内に「大宮柱太敷立て」など祓・祝詞に使われる表現があり、神道に対する知識がある人物と思われる。
 ④本文中に葦茅彦遅(あしがひひこぢ)神は、特殊な神であり現在、出口王仁三郎関係の文献でしか見る事が出来ない神名である。


出典:印旛郡誌(1912年刊行)掲載、公津村誌第十章「古史」より。但し原文は縦書きなのを見易くするために横書きに直している。

           続 き

●神代文字→Unicode

2013年09月08日 19時33分22秒 | 色んな情報
●神代文字→Unicode
  http://kamiyo.nsf.jp/font/
神代文字とは?
古代日本、大日本豊秋津島(おおやまととよあきつしま)。
神々が集う神代の時代に存在したとされる文字群を総称して
「神代文字」(かみよもじ、じんだいもじ、しんだいもじ)と言われています。
この神代文字にもさまざまなバリエーションがあり、
活字体の様な文字、草書体の様な文字、篆書体(てんしょたい)の様な文字が存在しております。

ようこそ、「神代國ノ文字達」へ!
このページは、神代文字フォントのダウンロードページです。


人気フォント †
?ホツマ文字(秀真文字) [download][sample]
?アニメ「ささみさん@がんばらない」のOP(オープニング)で使用されている謎の文字に似たフォントは、コチラのホツマ文字です。
?イヅモ文字?(出雲文字)[download][sample]
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その他のフォントはコチラ


おハシと神代文字 ねずさんの ひとりごと - FC2

2013年09月08日 19時06分50秒 | 色んな情報
おハシと神代文字 ねずさんの ひとりごと - FC2
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1459.html
おハシと神代文字


何日か前のテレビ番組で、聖徳太子以前の日本はたいへん遅れた国で、それまでの日本には箸(ハシ)もなく、食事といえば手づかみであり、文字もなかったと紹介されていたそうです。

冗談じゃあないです。
幸い(あえて幸いと書きます。観ていたらテレビを壊していたかもしれない)ボクはその番組を見ていなかったので、実際にその番組がどういう進行だったのかは知りません。

けれど一方的な説だけを並べて、故意に日本を貶めるような番組編成というのは、公のメディアとしていかがなものかと思います。
お箸(はし)や、文字については、異説があるのです。


まず、箸(ハシ)については、いまから約6000年前の縄文時代の遺跡から出土している遺物が「箸」であるとの説があります。
同様の形状のものを、支那では完全に「箸だ」と言い切っているのですが、何故か日本の考古学会では、全国各地で多数発掘されているこの棒状の物体を、ことごとく女性用の「簪(かんざし)」であるとしています。

なるほど長さ12cm前後のものは「簪(かんざし)」であろうとボクも納得します。
けれど長さ20cm前後ともなると、「簪(かんざし)」にしてはやや不自然です。




ところが日本の考古学会では、何故か、30cm以下の棒状のものは、ことごとくこれは「簪(かんざし)」であると分類し、これを「箸(はし)」だと分類したものはひとつもありません。
「ひとつも」です。

一方、三田村有純さんという東京芸大の教授が、こうしが明らかに「箸(はし)」と思われる縄文時代の約6000年前の遺物を「箸ではないか」と発表したら、すかさず支那から「6500年前」のものが発見されたと発表があったといいます。

箸という道具は、どの国で生まれようがさして重要ではないようにも思うけれど、常識で考えて、まず、縄文時代の遺跡からは、土器、漆器、木製品、籾(もみ)や種など多数の遺物が発見されており、すくなくとも縄文中期以降は、食べ物の煮炊きが、ごく一般に行われていたことが明らかになっています。
つまり「熱いもの」を食べていたのです。

「熱いもの」を食べるときは、人間は何かしらの道具を使います。
でなければ手がヤケドするからです。

その道具は、日本の考古学会の定説によると「石匙(せきひ=石で出来たスプーン)」だという。
冗談じゃないです。そんなもので食事したら、クチビルが裂けてしまう。
「木匙(もくひ)」を使ったという説もあります。
木でできた匙(さじ=スプーン)」です。
これも多数発掘されています。
なるほどこれなら、食事はしやすいかもしれない。
けれど、正直食べにくそうです。大きくて口にはいらない。
むしろ食事を「作る時の道具」と考えた方が、普通に納得できます。

そもそも「ハシ」という言葉からして、日本に漢字以前からある大和言葉です。
大和言葉で「ハ」は、物の両端、物と物との境目の意味です。
「シ」は、物をつなぎ止める、固定する、です。
この二つの言葉が組み合わさって「物と物をつなぎ止める」、ハシとなったわけです。

ですから向うとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つものが「はし」で、たとえば天地をつなぐのが「柱(はしら)」、向こうとこちらをつなぐのが「橋(はし)」です。
そして食べ物と体をつなぐものだから「箸(はし)」となります。

漢字の「箸」は、支那語読みでは「zhu(ちゅ)」です。「hashi」ではない。
そして支那では、「zhu(ちゅ)」は「住(zhu)」に通じ、「住」は固定するという意味で縁起が悪いからと、いまでは「箸」という漢字は使わず、竹かんむりに「快い」と書いて「筷(zhu)」と表記しています。いまの言葉だと、お箸は、「筷子(kuai zi)」です。

ではその箸が、日本でいつから使われていたのかというと、古事記にその記載があります。
スサノオのミコトが出雲に降り立ったとき、「箸」が川上から流れてきたとあります。
「此時箸從其河流下」です。

そしてこれを見たスサノオのミコトが、川の上流に向かい、そこでヤマタノオロチを退治しクシナダヒメを娶ったと物語が続いています。
ということは、神代の昔に、すでに日本で箸は使われていた、ということです。

もっとも古事記は和銅5(712)年に献上された書なので、これでは証拠にならないのだと言われてしまうかもしれません。

しかしいまから1万6500年前という途方もない昔に既に世界最古の土器を使い(大平山元1遺跡)、1万2600年前には漆を栽培し(鳥浜貝塚)、9000年前には漆塗り製品を使っていて(垣ノ島B遺跡)、縄文時代から弥生時代にかけて、あれだけ様々な種類の食器を用いていた日本人が、実際に食べる時だけ「てづかみ」だったということの方が、論として無理があります。

日本では古墳時代頃まで「箸(はし)」は使われていなかったという説が論拠としているのは、魏志倭人伝です。

魏志倭人伝は、西暦280年から297年の間に書かれたとされる書物です。
ここに邪馬台国の記述があり、そこには倭国(邪馬台国)の習慣として、
「食飲用籩豆手食」という文があります。

直訳すると、「(倭国では)飲んだり食べたりする時は、竹籠や高坏を使い、手で食べる」となっています。

ここでいう「籩豆(へんとう)」の「籩(へん)」は、竹を細かく編んだ篭(かご)のような食器です。「豆(とう)」は木をくりぬいて作った食器です。


籩豆(へんとう)



食器だけが立派な高坏で、食べるのは手づかみだというのは、妙ちきりんな話なのだけれど、たしかにそこにはそう書いてある。

ただ、「籩(へん)」は「くだもの」を盛りつける食器であり、「豆(とう)」は、肉などを盛りつける食器なのだそうで、それなら、その部分については納得です。
なぜならいまだって、みかんや栗などの果物や、フライドチキンなどを食べるときは、手づかみで食べるのが普通だからです。

おそらく、支那からの渡来人をもてなすために、当時の日本人は、果物や肉などを籩豆(へんとう)や高坏(たかつき)に盛りつけて歓迎したのでしょう。
けれど、それがそのまま当時の日本人の食文化だったと考えることには、いささか無理があります。

なぜなら、魏志倭人伝の記述には、縄文時代や弥生時代の遺跡から多数出土している「椀(わん)」についての記述がないからです。

数々発掘されている食器や、遺物から、縄文人たちはいわゆる「鍋物」が大好きで、日常的に鍋料理が行われていたことが明らかですし、ご飯も、すでに8000年前の遺跡から大量の籾殻が見つかっているなど、当時の人々が「煮炊き」して食事をとっていたことも明らかとなっています。

普通に考えて「熱いもの」を食べるのに、これを「てづかみ」で食べるとは考えにくい。
むしろ熱い食べ物は、ご飯は椀に、鍋物は大きな高坏などに盛って食べていたと考えるのが普通です。

そしてその「椀」や「高坏」についての記述が魏志倭人伝にはない。
加えて、では古代の日本人が、その「熱い」ご飯や鍋ものなどをどうやって食べていたかが不思議です。

ならば、女性用の簪(かんざし)にしては長過ぎる数々の物体(なかには漆塗りの高級品まである)を「お箸」と認定したほうが、はるかに自然といえるのではないでしょうか。

実はこのことを明確に指摘した学者がいます。
東京芸術大学の三田村有純教授で、教授は自書の「お箸の秘密」で、このことをはっきりと指摘しています。
面白いのは、この本が出た時の支那の反応で、三田村教授が6000年前の棒状の漆器が日本最古の箸なのではないかと指摘したら、すかさず支那の学者が「支那で6500年前の箸が出土した」と発表したとのことです。

愛国心は結構な話だけれど、事実は事実として素直に受け入れるべきです。

つぎに「文字」についてです。
番組では「日本には漢字が渡来するまでは文字がなかった」としていたのだそうです。

けれど、これもひとつの説にすぎません。
ヲシテ文字に代表される神代文字は、日本に古くから伝わっています。

そもそも文字というのは、通説によれば、いまから約5500年前のいまのクウェートのあたりにあった古代バビロニアの「シュメール文字」が世界最古といわれています。

けれど、昭和48年に伊勢神宮が神宮文庫資料として公開した99点の資料は、いずれも神代文字による奉納がなされています。
それが今日の記事の冒頭の写真です。
そしてその文字は、いまでも神社のお守りやお札の中味として用いられ、伝えられています。

お札などにある神代文字



この神代文字が「いつからつかわれていたのか」は、不明です。
ただ、漢字が輸入されて以降、日本人はその漢字をひらがなやカタカナに簡略化したり、支那読みとはまったく異なる訓読みを発明したりしているわけです。
そしてひらがなやカタカナにある五十音は、そのまま神代文字と同じ構造になっているという点は、注意を要します。

つまり日本には、712年に「古事記」が編纂されるまで「文字がなかった」のではなくて、それまであった神代文字ではなく、漢字を使った表記をはじめたのがその頃のことである、と考えた方が、物事の辻褄があうのです。

そしてさらに大切なことは、いつから文字が使われたか、世界最古の文字はどれか、などといった興味本位の事柄ではなくて、そこに何が書かれているのかが大事なのだと思います。
なぜなら、それが「歴史を学ぶ」ことだと思うからです。

箸についていえば、日本語で「ハシ」といえば、端と端をつなぐもの、つまり「ハシ」は、食べ物の命と自分の体をつなぐもの、植物や動物の命を我が体内に取り入れることという意味があるということ。
そういう思想というか思いを、言葉のなかに込めていたのが古代の日本人であったということ。
そういうことの方がよっぽど私たちが学ばなければならない大切なことのように思えるのです。

文字も同じです。五十音というものの中に込められた思想を理解する。
たとえばヲシテ文字では、「あいうえお」は、
あ=気
い=風
う=炎
え=水
お=地
の意味を充てられていたのだとか。
そしての気、風、炎、水、地を、人が生きる上でとても大切なものと考えた。そういう思想を縄文の昔から日本人は持っていたということ。
そういうことが大切なのではないかと思うのです。

いずれにせよ、教条主義的な決めつけからはいるのは、左傾化した学者や左翼思想家の特徴です。
私たちは、事実を事実として素直に考えていく、そういう学問の原点に還るべきときがきている。
そんな気がします。



         続き

ねずさんの ひとりごと おハシと神代文字

2013年09月08日 18時46分08秒 | 色んな情報
ねずさんの ひとりごと おハシと神代文字
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1459.html
何日か前のテレビ番組で、聖徳太子以前の日本はたいへん遅れた国で、それまでの日本には箸(ハシ)もなく、食事といえば手づかみであり、文字もなかったと紹介されていたそうです。

冗談じゃあないです。
幸い(あえて幸いと書きます。観ていたらテレビを壊していたかもしれない)ボクはその番組を見ていなかったので、実際にその番組がどういう進行だったのかは知りません。

けれど一方的な説だけを並べて、故意に日本を貶めるような番組編成というのは、公のメディアとしていかがなものかと思います。
お箸(はし)や、文字については、異説があるのです。


まず、箸(ハシ)については、いまから約6000年前の縄文時代の遺跡から出土している遺物が「箸」であるとの説があります。
同様の形状のものを、支那では完全に「箸だ」と言い切っているのですが、何故か日本の考古学会では、全国各地で多数発掘されているこの棒状の物体を、ことごとく女性用の「簪(かんざし)」であるとしています。

なるほど長さ12cm前後のものは「簪(かんざし)」であろうとボクも納得します。
けれど長さ20cm前後ともなると、「簪(かんざし)」にしてはやや不自然です。

ところが日本の考古学会では、何故か、30cm以下の棒状のものは、ことごとくこれは「簪(かんざし)」であると分類し、これを「箸(はし)」だと分類したものはひとつもありません。
「ひとつも」です。

一方、三田村有純さんという東京芸大の教授が、こうしが明らかに「箸(はし)」と思われる縄文時代の約6000年前の遺物を「箸ではないか」と発表したら、すかさず支那から「6500年前」のものが発見されたと発表があったといいます。

箸という道具は、どの国で生まれようがさして重要ではないようにも思うけれど、常識で考えて、まず、縄文時代の遺跡からは、土器、漆器、木製品、籾(もみ)や種など多数の遺物が発見されており、すくなくとも縄文中期以降は、食べ物の煮炊きが、ごく一般に行われていたことが明らかになっています。
つまり「熱いもの」を食べていたのです。

「熱いもの」を食べるときは、人間は何かしらの道具を使います。
でなければ手がヤケドするからです。

その道具は、日本の考古学会の定説によると「石匙(せきひ=石で出来たスプーン)」だという。
冗談じゃないです。そんなもので食事したら、クチビルが裂けてしまう。
「木匙(もくひ)」を使ったという説もあります。
木でできた匙(さじ=スプーン)」です。
これも多数発掘されています。
なるほどこれなら、食事はしやすいかもしれない。
けれど、正直食べにくそうです。大きくて口にはいらない。
むしろ食事を「作る時の道具」と考えた方が、普通に納得できます。

そもそも「ハシ」という言葉からして、日本に漢字以前からある大和言葉です。
大和言葉で「ハ」は、物の両端、物と物との境目の意味です。
「シ」は、物をつなぎ止める、固定する、です。
この二つの言葉が組み合わさって「物と物をつなぎ止める」、ハシとなったわけです。

ですから向うとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つものが「はし」で、たとえば天地をつなぐのが「柱(はしら)」、向こうとこちらをつなぐのが「橋(はし)」です。
そして食べ物と体をつなぐものだから「箸(はし)」となります。

漢字の「箸」は、支那語読みでは「zhu(ちゅ)」です。「hashi」ではない。
そして支那では、「zhu(ちゅ)」は「住(zhu)」に通じ、「住」は固定するという意味で縁起が悪いからと、いまでは「箸」という漢字は使わず、竹かんむりに「快い」と書いて「筷(zhu)」と表記しています。いまの言葉だと、お箸は、「筷子(kuai zi)」です。

ではその箸が、日本でいつから使われていたのかというと、古事記にその記載があります。
スサノオのミコトが出雲に降り立ったとき、「箸」が川上から流れてきたとあります。
「此時箸從其河流下」です。

そしてこれを見たスサノオのミコトが、川の上流に向かい、そこでヤマタノオロチを退治しクシナダヒメを娶ったと物語が続いています。
ということは、神代の昔に、すでに日本で箸は使われていた、ということです。

もっとも古事記は和銅5(712)年に献上された書なので、これでは証拠にならないのだと言われてしまうかもしれません。

しかしいまから1万6500年前という途方もない昔に既に世界最古の土器を使い(大平山元1遺跡)、1万2600年前には漆を栽培し(鳥浜貝塚)、9000年前には漆塗り製品を使っていて(垣ノ島B遺跡)、縄文時代から弥生時代にかけて、あれだけ様々な種類の食器を用いていた日本人が、実際に食べる時だけ「てづかみ」だったということの方が、論として無理があります。

日本では古墳時代頃まで「箸(はし)」は使われていなかったという説が論拠としているのは、魏志倭人伝です。

魏志倭人伝は、西暦280年から297年の間に書かれたとされる書物です。
ここに邪馬台国の記述があり、そこには倭国(邪馬台国)の習慣として、
「食飲用籩豆手食」という文があります。

直訳すると、「(倭国では)飲んだり食べたりする時は、竹籠や高坏を使い、手で食べる」となっています。

ここでいう「籩豆(へんとう)」の「籩(へん)」は、竹を細かく編んだ篭(かご)のような食器です。「豆(とう)」は木をくりぬいて作った食器です。

          つづき

謎の神代文字  佐治芳彦

2013年09月08日 18時44分39秒 | 色んな情報
謎の神代文字  佐治芳彦
http://1000ya.isis.ne.jp/0294.html
徳間書店 1979
ISBN:4198907854
 こういう本を採り上げるについて、先に一言書いておいたほうがいいだろう。
 こういう本とは、ぼくが仮に「アダムスキー本」とよんでいるもので、超古代史もの、UFOもの、偽史伝もの、予言ものなどをいう。巷間ではしばしば「カルト本」などともいわれる。だいたい見当はつくだろう。


 ぼくの知っているかぎり、このような本、たとえばヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』、チャチワードの『失われたムー大陸』、デニケンの古代遺跡をめぐる一連著作、日本でいうなら吾郷清彦の『古事記以前の書』や古田武彦の『邪馬台国はなかった』、最近よく売れた本の例でいえばグラハム・ハンコックの『神々の指紋』といった本を、これまでまったく読んだことも覗いたこともない読書人やメディア関係者というのは、まずいない。誰もが一度や二度は手にとっている。本棚の片隅に眠っているばあいも多いことだろう。
 それにもかかわらず、このような本が一般的なメディアで書評の対象になるということは、ほとんどない。書評どころか、知識人たちのエッセイに登場することもない。理由はただひとつ、「いかがわしい」からである。
 しかし、「いかがわしい」というだけなら、世界の全刊行書籍のうちのおそらく半分以上はいかがわしい。

 日本の「アダムスキー本」の多くは、必ずやどこかで日本の古代史にかかわっている。
 これを「日本の超古代」などいう。この言葉、ちょっと“いかがわしい”ので、最近は「日本の古史古伝」とよぶことになっているが、この古史古伝をめぐる仮説が、やはり書評はおろか、まったく歴史研究の一部とさえみなされていない。
 実は、この手の“超古代仮説”が無視されてきたのは、もともとは明治以降の古代史ブームに関係があった。
 いくつか原因があるが、ひとつだけ言及しておく。

 明治以降に西洋思想が流れこんだとき、この内容をうけて日本の原始古代史にあてはめた一連の比較文化研究ともいうべきものの大半が流産してしまった。
 これには、バイロン研究者としては有名な木村鷹太郎が日本神話とギリシア神話の類似に着目して書いた荒唐無稽きわまりない『世界的研究における日本太古史』(明治45年)、無政府主義者で大杉栄らの友人だった石川三四郎が記紀神話のルーツをヒッタイト神話やユダヤ神話に求めた『古事記神話の新研究』(大正10年)、あるいは小谷部全一郎がジンギスカン=義経説につづいて打ち鳴らした『日本及日本国民之起源』(昭和4年)などがある。まだまだいろいろあった。
 いずれも今日ではまったく認められていないが、当時はたいていがベストセラーで、そこそこ学者たちも巻きこまれていた。けれども、その内容の多くは外国語を先駆して読めた学者たちの、あまりにも牽強付会な推理ばかりだった。
 ようするに海外事情に暗い日本人に、日本のルーツを国際化するためかのような眉唾な話をふんだんに取りこんだのである。これでは長持ちするはずはなかった。

 それでもまだ、この手の話は荒唐無稽でも、痛快なところもあった。ところがここに決定的な“事件”が加わった。
 茨城で教派神道系の宗教法人皇祖皇太神宮天津を主宰していた竹内巨麿が発表した「天津教古文書」が、学界からの猛攻撃をうけてしまったことだ。
 これがいわゆる「竹内文書」である。
 謳い文句によると、神代文字で綴られていた文書を武内宿禰の孫といわれる平群真鳥が武烈天皇期に勅命をうけて漢字まじりで翻訳したという文書なのだが、当時の三上参次・黒板勝美らの史学者の頂点いる学者たちの逆鱗にふれたばかりか、竹内巨麿がその発表内容で不敬罪で起訴され、さらに岩波の「思想」が昭和11年に狩野亨吉をして「天津教古文書の批判」を書かせ、木端微塵に粉砕してしまった。そういう“事件”だった。
 なにしろ日本の古史古伝には日本神話がかかわっている。安易なあてはめは、良くも悪くも警戒されたのだ。以来、この手の本はなかなか浮上してこなくなる。

 こうして長らく、偽史伝を扱うこと自体がタブー視されてしまったのである。ぼくは偽書や偽史もまたひとつの史書史料であるとおもっているけれど、学界はそういうことを「でっちあげ」として絶対に許さなくなっていった。
 それでも昭和30年代の邪馬台国ブームをきっかけに、古史古伝書に言及するタブーは少しずつ破られてきた。が、ちょうどそのころに欧米の「失われた大陸ブーム」やUFOブームが浮上し、さらにはヒッピー・ムーブメントに付随したオカルト・ブームが重なってきた。
 あるいはそれまでに、偽史偽書をめぐる本格的研究があってもよかったかもしれないのに、その日はオカルト・ブームによってまたまた遠のいてしまったのである。まあ、いろいろ不幸が重なったわけだ。

 で、本書のことになる。
 この本は日本の古史古伝に関しての案内である。むろん著者の言いたい仮説は書いてあり、本書にとりあげた古史古伝をいずれも認めたいという切実なものなのだが、その言い分をむりやり通すという態度は見せていない。
 したがって本書は比較的よくできた日本の偽史偽伝のガイドブックとして読める。偽史や偽書というものが日本でどのように扱われてきたかについてのサポート・レポートにもなっている。そういう意味では珍しい本なのだ。著者についてはぼくは知らないのだが。
 ここで古史古伝というのは、“超古代史研究家”の吾郷清彦による定義づけによめもので、本書もそれが基本的に援用されている。それによると、次のようになっている。
 『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』が古典三書、それに『先代旧事本紀』(旧事紀)を加えて古典四書、別して「竹内文書」「九鬼文書」「宮下文書」を古史三書とし、さらに別の範疇として「上記」(うえつふみ)、「秀真伝」(ほつまつたえ)、「三笠紀」を古伝三書というらしい。
 これがこの“斯界”の研究者たちの“常識”になっている。むろん“斯界”では通用しているが、一般的には、つまり歴史学界では認められていない。それはともかく、ごくかんたんに1行解説をすると、次のようになる。

★「神代文字」で書かれたとみられる古史古伝

上記=頼朝の妾腹の子の豊後守護代・大友能直が関与したというので「大友文書」ともいう。その宗像本といわれる写本を明治初年に幸松葉枝尺が筆写し、それをさらに抄訳した吉良義風の『上記鈔譯』が明治10年に出た。最近になって吉田八郎『上つ記』、吾郷清彦『ウエツフミ全訳』が刊行された。

秀真伝=平田篤胤が『神字日文伝』(文政2年)の巻末に「疑字篇」に示した出雲に伝わるホツマ文字にあたる文書を、昭和41年に松本善之助が“発見”し、さらに宇和島の小笠原家で完本が見出されたというもの。この完本のもとは近江三尾神社の神宝を天保14年に小笠原通当が『神代巻秀真政伝紀』12巻として著したものだったという。

三笠記=「秀真伝」同様、宇和島小笠原家で松本善之助が“発見”したもので、「神載山書記」ともいう。やはりホツマ文字で綴られていた。

カタカムナ文書=上津文字で綴られたとみられているが、どうもこれがカタカムナ文書だと特定できている文書はないようにおもわれる。斯界では楢崎皐月による『カタカムナのウタヒ』を基本資料にしている。

★一部に「神代文字」が出てくる古史古伝

九鬼文書=九鬼家伝来の文書を九鬼隆治が、元大本教幹部の三浦一郎を通して『九鬼文書の研究』(昭和16年)として一部公開したもの。春日文字が見られるという。

竹内文書=上記にふれたように、昭和10年以前に天津教の竹内巨麿によって公表された。

宮下文書=富士文書・徐福文書ともいう。三輪義熈が30年をかけて『神皇紀』(大正11年)として翻訳刊行したといわれるもの。

物部文書=岩手の小保内樺之介が陳述したという『天津祝詞の太祝詞の解説』にもとづく文書。阿比留草文字で綴られたといわれる。

東日流外三郡誌=つがるそとさんぐんし。津軽の『市浦村史資料編』の中に収録されている。昭和50年に公開されたばかりで、かなり話題になった。寛政年間に編纂されたものだが、ナガスネヒコ(長髄彦)、アラハバキ(荒吐王)を主人公とする物語は興奮すべきものをもっている。
 だいたいこんなふうになっている。異論も異説もあるが、ともかくこういう見取図だ。
 では、これをどう読むかということだが、これらの内容には、さすがにしばしば腰を抜かすものが少なくない。“疑わしい”あるいは“いかがわしい”といえば、いくつもそう見える。しかし、そこをどう見るか、である。
 たとえば「お筆先」をどう見るか。新井白石や頼山陽や徳富蘇峰の記述をどう見るか。秩父困民党蜂起や東京ローズや松川事件をめぐる記述をどう見るか。もっとグローバルにいえば、マタイ伝やカバラ文献をどう見るか。アヘン戦争やイラン・コントラ問題や天安門事件をどう見るか。そういうことにかかわってくる。
 それらはある意味ではそれなりの編集が時間をかけてされてきたことによって、歴史の確固たる文献になってきた。あるいは教典になってきた。あるいは、なりつつある。
 けれども、ここにあがった古史古伝の多くは、未整理であり、他人の手も時間の手もほとんど加わっていない。それに、楔形文字や線文字Bのように、学者たちが解読しようともしない文字で綴られていると主張しすぎている。
 おそらくはそういった理由がいろいろ動いて、これらには何かを訴えるところも少なくはないにもかかわらず、これらは一介の民間史伝者の“よまいごと”として片付けられてきた宿命の裡にあるわけなのであろう。そのため、実は一度は目をむけた人が多いにもかわらず、公然と放置されてきたのだった。

 が、ともかくも本書のようなものに一度くらいは目を通すことを勧めたい。どんな感想をもつかは各自に覗いてもらう以外はないが……。
 とくに本書は、これらの古史古伝文書の成立の経緯とそれに対する批判も案内しているので、この手の本のガイダンスとして読むことを勧めたい。
 著者は古代史研究家で、『謎の竹内文書』『謎の東日流外三郡誌』(いずれも徳間書店)がある。なお、明治期に日本の偽史がさかんに書かれた背景と事情については、長山靖生の『偽史冒険世界』というすこぶる興味深い本があるので、そちらを覗かれたい。


参考¶これらの文献の入手はけっこう難しい。絶版もの、版元がつぶれたものを含めて、かつては比較的書店で入手しやすかったものだけをあげておく。
 吾郷清彦『古事記以前の書』(大陸書房)、同『日本超古代秘史資料』(新人物往来社)、同『ウエツフミ全訳』(霞ヶ関書房)、同『日本神代文字研究原典』(新人物往来社)、同『日本超古代秘史研究原典』(新人物往来社)、鳥居礼『秀真伝』全2巻(八幡書店)、三浦一郎『九鬼文書の研究』(八幡書店)、田中勝也『上記研究』(八幡書店)、『東日流外三郡誌』全6巻(八幡書店)、宮崎小八郎『神代の文字』(霞ヶ関書房)、松本善之助『ホツマツタヘ』(毎日新聞社)、池田満『ホツマ辞典』(展望社)、鈴木貞一『先古代日本の謎』(大陸書房)、相馬竜夫『日本古代文字の謎を解く』(新人物往来社)、吉田信啓『神字日文考』(中央アート出版社)、長山靖生『偽史冒険世界』(筑摩書房)など。 コメントは受け付けていません。




『神代の万国史』に載っている太古代の世界地図
亀岡出土の遮光土器(左)と荒吐神 〔『みちのくのあけぼの』より〕
『謎の神代文字』にみるセイゴオ・マーキング読書法の例




『上つ記』


田中勝也

『上記研究』



『上記鈔譯』




『ウエツフミ全訳』


ジェームス・チャーチワード

『失われたムー大陸』



『カタカムナのウタヒ』




『神々の指紋』




『神代巻秀真政伝紀』




『神字日文考』


長山靖生

『偽史冒険世界』

三浦一郎

『九鬼文書の研究』

斎部広成

『古語拾遺』



『古事記』




『古事記以前の書』




『古事記神話の新研究』




『市浦村史資料編』




イマヌエル・ヴェリコフスキ-

『衝突する宇宙』

宮崎小八郎

『神代の文字』



『神皇紀』




『世界的研究に基づける日本太古史』




『先古代日本の謎』


東日流中山史跡保存会

『東日流外三郡誌』

阿基米得

『謎のカタカムナ文明』

佐治芳彦

『謎の竹内文書』



『謎の東日流外三郡誌』




『日本古代文字の謎を解く』




『日本書紀』


吾郷清彦

『日本神代文字研究原典』

吾郷清彦

『日本超古代秘史研究原典』



『日本超古代秘史資料』




『ホツマ辞典』


松本善之助

『ホツマツタヘ』

「神載山書記」




松多秀

『邪馬台国はなかった』
0294夜2001年05月17日

古史古伝と神代文字

2013年09月08日 18時11分24秒 | 色んな情報
古史古伝と神代文字
http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/koshikoden.htm


 古史古伝

 神代文字





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古史古伝
古史古伝とは、神代を歴史的叙述の対象とし、神代文字に関する伝承を有する古文献と称されるもので、多くは没落した民族の伝承と伝えられ、アカデミズムに史料的価値を認められない共通性がある。




『上記(うえつふみ)』

序文によると1223年に豊後太守大友能直父子ら七名によって編纂されたもの。天保初年に豊後の国学者・幸松葉枝尺(さきまつはえさか)によって発見され、明治以降流布した。伝本には宗像家に伝わった「宗像本」と、明治六年に発見された「大友本」がある。明治十年に吉良義風により『上記鈔訳』が出版されている。
神代から神武天皇までの歴史が豊国新字という神代文字で記されいる。特色は、

1.『古事記』との関連が著しいが、『古事記』より詳細な記述も多く、説話に女権的色彩が濃い。
2.ニニギに先立ちスサノオに始まる出雲七代の歴史が記されている。
3.神武以前にウガヤフキアエズノミコトを世襲する七二代の継続王朝を介在させること
などである。
このウガヤフキアエズ王朝について、田中勝也氏は、七百年もの間変化のない王号をもって同一の地に実質的な世俗王権が続く可能性は小さいとしている。
また、豊国新字は山窩(さんか)文字との類似が指摘されており、『上記』は明治初期の九州の山窩が作ったという説がある。
序文は偽作という見方がされているが、本文が文体・用語の面で記紀・『万葉集』の時代でさえ死語となっていたような語彙が使われているなど、『上記』の価値は定まっていない。
吉良氏の『上記鈔訳』が、ウガヤフキアエズ王朝を記す他の古史古伝(『竹内文書』『九鬼文書』『富士古文献』など)に影響を与えたと言われている。





『竹内文書』

武内宿禰の孫の平群真鳥が、雄略天皇の命により神代文字を翻訳した原本の写しと、皇祖皇太神社由来の神宝類を含む資料の総称。平群真鳥は、武烈天皇の密旨によって、高天原の故地である越中に隠遁してこれらを庇護したという。竹内家の養子である巨麿は明治四三年に天津教を開き、大正末から昭和初期に『竹内文書』を公表した。その後不敬罪で起訴され、狩野亨吉氏の文献批判によって偽書と断じられた。
内容は原始神の宇宙創成から神々の地球降臨、人類の誕生、二度にわたる超古代文明の興亡を伝える。
世界的、壮大なスケールの記述が多く、世界には五色人が存在し、みな日本から発したこと。モーゼ、マホメット、釈迦、孔子などが来日して教えを学んだこと。ボストンやサンフランシスコ、アフリカ、オセアニアなどという地名まで登場する。
また、太平洋にある「ミヨイ」「タミアラ」という謎の大陸の滅亡に関する記述があり、オリハルコンを彷彿させるヒヒイロガネという金属も記されている。
『竹内文書』もウガヤフキアエズ王朝を記すが、その歴代天皇名の漢字表記が『上記鈔訳』と非常に類似している。もともとの『上記』の原文が漢字ではないことを考えれば、『竹内文書』は『上記鈔訳』に基づいてウガヤ王統譜を造作したことは明らかである。
明らかに疑わしい点が多いにも関わらず、『竹内文書』は、戦前は皇国史観ゆえに国粋主義者に、戦後はUFOや太古の航空機の伝承との関係でSF愛好者に支持され、また、戦前の風潮への反発から、大和朝廷以前に先王朝が成立していたという内容が超古代史研究者をひきつけている。




『秀真伝(ほつまつたえ)』

三輪季聡(すえとし)が大三輪氏の祖神・大物主櫛甕玉命(くしみかたまのみこと)が記した神代の伝承にその後の歴史を交え、景行朝に朝廷に献じたもの。季聡は大田田根子であるとする。
大三輪氏の流れを汲む井保家に伝えられていたものが、近江の三尾神社に奉納され、その写本が天保年間に小笠原通当によって書写され、以来小笠原家に伝えられてきたものを、松本善之助氏が公開した。
全文が秀真文字で書かれた五七調の叙事詩で、特徴は、

1.記紀のアマテラスが男神アマテルとして語られる。
2.宇宙創造において、原初神・国常立から流出した地水火風空の五元素が混じりあったとされ、古代インドの宇宙観と一致する。
3.イサナミがアマテルを産んだ際に嬰児は胎衣に包まれて卵のように見えたとあり、朝鮮の建国神話に見られる卵生説話を連想させる。
4.高天原は日高見国にあり、その日高見国を仙台地方とする。
5.天孫降臨はニギハヤヒとニニギの二度あったとすること、
などである。
また、天祖・国常立の八人の子(八御子神)の最初の文字を順に読んでいくと「とほかみえひため」となる。神道の唱言に「とほかみえみため」というものがあり、意味不明とされてきたが、これは「とほかみえひため」の誤伝で、八御子神の偉業をたたえる呪言であるという。
『秀真伝』は五七調を貫徹しているが、古代では字余りなどの変則句が含まれるのが自然であること。また漢語を無理やり読み下した形跡があり、漢字渡来以前の文章とが思えないこと。序文の短歌が石川五右衛門の「磯の真砂は尽くるとも世に盗賊の種は尽きまじ」に似ていること。「めかけ」という江戸時代以降の言葉が出てくること。秀真文字による花押が存在するが、花押は九五〇年以降に登場すること。秀真文字は母音と子音の組み合わせで構成され、五十音図の存在を前提とするものであるため、上代の音韻に基づいて作られたとは考えにくいこと、などから偽書であるとされている。




『宮下文書』(富士文献)

秦の方士徐福が八五隻の大船団を率いて渡来し、紀州熊野に到着した。その後富士山麓に土着し、阿祖山太神宮に伝わる伝承を編纂した。この『徐福伝』を原本とし、度重なる書写と編集を経たものという。阿祖山太神宮の宮司である宮下家に伝えられていたが、噴火や火災によって殆どが失われ、残ったものが明治になって封を解かれ、大正十年に三輪義(よしひろ)が整理・編集し『神王紀』として出版した。
多くの伝承が混交しており、文書同士の矛盾も多いが、富士山こそ蓬莱山であり、高天原が富士山麓にあったとする主張は全編を貫いている。
日本の神々はもともと大陸で発祥し、高皇産霊神が初めて東方進出を志し、子の国狭槌尊とともに富士山麓に都を置いた。高皇産霊神の死後、国狭槌尊は先遣隊を率いて先に日本列島に来ていた兄・国常立尊と再会し、日本列島を分割統治したとする。
また、三貴子としてスサノオのかわりにヒルコが登場し、スサノオはアマテラスと対抗して皇位継承を要求する乱暴者とされている点も特徴である。
『宮下文書』も『竹内文書』同様、ウガヤ王朝の記述が『上記』と符号し、また木花咲耶姫尊の悲劇的な説話が『ラーマーヤナ』と酷似するなど問題点は多いが、古史古伝のなかで唯一原本の影印版が刊行されており、今後の研究が待たれる。




『九鬼(くかみ)文書』

九鬼家の遠祖で天児屋根命(あるあめのこやねのみこと)の時代に記録された神代文字の原文を藤原不比等が漢字に書き改めたもので、丹後綾部の九鬼氏が保管してきたという。天児屋根命は、記紀では皇孫邇邇芸能命(ににぎのみこと)に従って高天原から高千穂に降り立った天津神の一人とされる神である。
この文書の本来の性格は、九鬼神道の教義であり、神代史はその一部にすぎないが、その内容の一番の特徴は出雲王朝を正統としていることである。万国の首都である高天原は出雲の地にあり、スサノオの系譜に現在の天皇が繋がるとされているのである。
また物部氏滅亡の際に、「あめつちのことふみ天地言文」の写しが、守屋一族、大中臣一族、春日一族、越前の武内一族によって保存されたいう、古史古伝の伝存に関わる記述がある。
日本とユダヤの交流を記している点でも異色で、この文書の公開を働きかけ、『九鬼文書の研究』を書いた三浦一郎は日ユ同祖論者として知られていた。
『九鬼文書』は『竹内文書』の影響が強いと指摘され、出現経緯や内容・表現から見て、近代以降の成立である事は明らかである。また綾部の大本教との関係が深いともされる。

(キャラクターの背景 九鬼氏 参照)




『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』

三春藩藩主秋田孝季が藩史編纂のため妹婿の和田長三郎の協力を得て収集した史料を編纂したもの。和田家で代々書写して伝えてきたもので、昭和22年に和田喜八郎氏の天井裏から箱ごと落下して発見されたという。
内容は古代津軽の民・荒吐族の国家と大和朝廷の抗争の歴史、及び荒吐族の末裔である安倍氏・安東氏・秋田氏の活躍と没落である。
荒吐族とは、アソベ族・ツボケ族など縄文人を思わせる先住民、神武東征によって邪馬台国を追われた安日彦・長髄彦兄弟の一族、中国系渡来民の混成によって成立した民族であり、いわゆる蝦夷の主力だという。
その真贋をめぐり世間の耳目を集めたが、編纂者と発見者の筆跡や誤字が一致することや近代的な知識がなければ書けない内容も多く、偽書であることはほぼ確定している。



『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』

聖徳太子が推古天皇の命を受け編纂したものとされる。伊雑宮(いさわのみや)の神庫から長野采女によって発見され、一六七九年に出版された高野本が流布した。
歴史的記述と文化的各論を加えた膨大なスケールの文献で、全編に神儒仏三教一致思想が流れており、特に教典というものを持たない神道の教典的性格を有する。
歴史的記述は、長髄彦の陸奥亡命説や飯豊皇女を「清貞天皇」として天皇に立てるなど、異伝を多く伝える。
伊雑宮の方が伊勢内宮より古くからアマテラスを祀っていたという記事が伊勢神宮の反発を招き、江戸幕府により偽書として禁圧された。文書の由来や作者などには依然謎が多いとされる。




『物部文書』

成立・編者ともに不明。秋田県仙北郡の唐松神社の神主・物部家に伝来した。その祖は物部守屋の子・那加世とされている。
祖神ニギハヤヒの鳥海山降臨と、天日宮の創建、物部氏の大和への西遷、長髄彦との和睦、神武への従属、神攻皇后の北海征伐、崇仏戦争の敗北と物部氏の故地回復などが、天日宮に関連した縁起譚となって記されている。
また、聖徳太子が神として美化され仏教説話的奇譚で飾られているのも特徴である。
物部氏の家伝である禁厭伝や祈祷法が記されており、物部氏の宗教儀礼を知るうえで貴重であり、大和物部氏が所持した十種の神宝を秋田の物部家が伝えたと書かれている。現在はこのうちの五種が存在しているらしい。
文体からは古代まで遡るものではなく、阿比留草(あひるくさ)文字が使われていることも偽書視されている理由である。




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神代文字
神代文字とは、漢字の渡来および仮名の成立に先だって、上古の日本にかつて行われたと称せられる文字で、「神字」と書いて、「かんな」とも呼ぶ。
古史古伝の多くに、神代文字が登場する。『上記』は豊国文字、『秀真伝』や『三笠紀』は秀真文字で書かれており、全文でなくとも神代文字が使われている古史古伝は多い。『九鬼文書』には春日文字など、『竹内文書』には百種以上、『宮下文書』には阿祖山文字、『物部文書』には物部文字、『東日流外三郡誌』には津保化砂書文字などが出てくる。
また、対馬の卜部・阿比留(あびる)家において発見され、平田篤胤によって「日文(ひふみ)」として紹介された阿比留(あひる)文字・阿比留草文字がある。
静岡の浅間神社、神奈川の大山阿夫利神社、埼玉の三峰神社などの神璽や、洞窟や岩などにも神代文字と言われる文字が記されている。
このように神代文字には多くの種類があり、形態も象形的なものから幾何学的なものまで様々であるが、問題はそれが本当に神代から存在していたものなのか、日本固有のものなのかという点にある。




神代文字研究の歴史

神代文字が存在したとする説は、おそくとも室町時代から神道家の間にひろまっていた。
江戸時代、新井白石が、出雲大社や熱田神宮に神代から伝わったとされる文字が残っていることを指摘した。一方貝原益軒は『古語拾遺』の言葉を挙げてその存在を否定した。当時賀茂真淵や本居宣長らの国学者は否定していたが、多くの神道家が神代文字肯定派であった。復古神道の推進者、平田篤胤は神代文字に関する資料を全国に求め、『神字日文伝』の中で日文を正真の神代文字とした。一方、伴信友は『仮名本末』で神代文字の偽造説を説いて否定した。
明治に至り、神道家の落合直澄が『日本古代文字考』を発表し、考古学上の文字資料を集成してその存在を肯定した。一方、国文学の山田孝雄は、『所謂神代文字の論』において、個々の神代文字について偽作であるとした。豊かな国語・国文学的知識からの博引傍証からなるこの書の中で、実際の古典に神代文字で記された実例がないことを述べ、阿比留文字などもハングル文字の模倣であると断言した。この山田論文によって、学者としてその存在を信ずるものはほとんど影をひそめるにいたった。ただ昭和年代に入っても、愛国者や軍人のなかにその存在を信ずるものがあって、政治問題にまでも発展しかねない事件を引き起したことがある。
その後国語学者の大野晋が奈良時代の母音の数によって、神代文字は平安時代以降の偽作と論じ、決定的な否定論と思えたが、言語学者の松本克己や国語学者の森重敏は、この八母音説を否定している。




神代文字否定派の論拠


1.神代文字の形を分類すると、だいたい甲骨文字とハングルの二つに大別できるほど良く似ている。ハングルは、朝鮮の京城で一四四三年に創案された表音文字である。神代文字の中で最も有力なものとみなされた日文は、明らかにこのハングルに基づいて作られたものである。

2.古代に固有の文字がなかったということについては、平安時代の『古語拾遺』に「上古の世、未だ文字あらず」と記載されている。

3.神代文字で書かれた古い文献のようなものは一つも残っていない。

4.漢字に先立ってすでに固有の文字があったとすれば、わざわざ漢字を輸入して日本語を写したり、それから仮名を発達させたりする必要は考えがたい。

5.仮名は音節文字であるのに、神代文字は一種の単音文字であり、神代文字はその構成において、仮名よりも一層進歩した文字とみなされる。

6.神代文字は四七音ないし五〇音しか書き分けない。奈良時代以前にまでさかのぼると、日本語の音節には「いろは」四七文字では書き分けられない八七種類の音(甲乙二種類の音があり、母音が八つ)があり、それらは五十音図のうちには収められないところの音であった。すなわち、いろは歌や五十音図だけでは示しきれないところの音が上代にはあったのである。これらを「万葉仮名」ではちゃんと書き分けてその区別を守っている以上、もし神代文字が真に仮名以前のものであったとすれば、少なくとも、もっと多くの字体がなければならないのに、いわゆる変体仮名にあたるものさえなく、きわめて整然とした統一をもっているのである。神代文字は多く四七字か五〇字から成っており、それが「いろは歌」や五十音図の影響下に後世偽作されたことを示している。





神代文字肯定派の反論

一方この奈良時代の八母音説に対し反対する意見もある。松本克己は、奈良時代の八母音は、漢字という書記法が日本語の発音を微妙に書き分けたことによる一種の虚像であるとして批判し、また、国語学者の森重敏は文法論と語構成の立場から奈良時代の八母音説を否定している。


また、佐治芳彦は、平田篤胤の門弟たちが収集した岩窟や石窟に残っている神代文字(ペトログリフ)について、山田・大野両氏が言及していないことを批判している。





おわりに

古史古伝の多くに、この後世の偽作とされる神代文字が出てくることで、古史古伝は内容以前の問題で偽書として否定されているのが現状である。




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参考文献

『別冊歴史読本 古史古伝の謎』新人物往来社
『歴史読本 『日本書紀』と謎の古代歴史書』新人物往来社
『別冊歴史読本 危険な歴史書「古史古伝」』新人物往来社
『日本超古代史の謎』佐治芳彦 日本文芸社
『謎の竹内文書』佐治芳彦 徳間書店
『謎の神代文字』 佐治芳彦 徳間書店
『[超図解]竹内文書』高坂和導編著 徳間書店
『「秀真伝」が明かす超古代の秘密』鳥居礼 日本文芸社
『秘められた日本古代史 ホツマツタヘ』松本善之助 毎日新聞社
『歴史Eye』1994年1月号 日本文芸社
『徐福伝説考』逵志保 一季出版
『神道の本』 学研
『世界大百科事典』 平凡社



神代文字-日本的霊性 - AAA!Cafe

2013年09月08日 18時02分16秒 | 色んな情報
神代文字-日本的霊性 - AAA!Cafe
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/kamiyomoji.html

日本の古代史の謎の一つに「神代文字」がある。
この神代文字は由緒ある神社に使用されていたり、古文献が発見されていたも「偽物」とされているのが現状である。。
日本には漢字が入る前までは、文字がなかった・・・。本当にそうなのだろうか・・・・

●神代文字否定論

下記の記事は、ネット上に流れている神代文字否定説の主なものである。

◎神代文字は僞作
「支那から漢字が傳來する以前、日本には既に文字が存在した」とする説がある。『釋日本紀』(卜部兼方)には、龜卜(占ひ)の辭を記す事が神代の頃からあつたのではないかと云ふ説が述べられてゐる。

◎「一方、『古語拾遺』(齋部廣成)、『筥崎宮記』(大江匡房)では、日本には固有の文字が存在しない、と書かれてゐる。」

◎「現在の國語學では、「漢字以前に、日本人は固有の文字を持たず、使つてもゐなかつた」とされてをり、それが定説である。」

◎「神代文字と呼ばれるものは多くの種類があり、それらについては諸説ありますが、神代文字の多くは江戸時代以降に作られた偽物とされています。漢字伝来以前になんらかの記号として存在した可能性はありますが、「文字」と呼べるものだったのかどうかは疑わしいようです。たとえそのような「文字」が存在したとしても、○○○○氏の言うように、ムー大陸で作られ、世界中のすべての文字の起源として存在したという可能性はほぼゼロでしょう。」

◎「漢字の渡来以前に、〈神代文字〉と称する日本独特の文字の存在を主張する説があるが、信用し難い。それらのいう文字とは、ほとんどが江戸時代に作られたもので、とうてい神代のむかしに存在したなどと考えることはできないのである。もし日本に固有の文字があったとしたら、歴史が示すように、どうして苦心して中国の文字を受け入れ、その使用に工夫をこらしただろうか。まして仮名など作る必要はなかったであろう。」


申し訳ないが、これらの諸説にはまったく説得力がない。
何故、偽物が由緒ある日本の古い神社で使用されているのだろう・・・・

日本の神社の頂点・・・伊勢神宮の神宮文庫には神代文字で書かれている、奉納文が数多く奉納されている。

また、古史古伝に使用されている神代文字で世界中の古代遺跡にある古代文字が読めるのは何故だろうか?

神代文字否定論には、考古学上の否定説明がまったくないのである。



●神代文字はあったか?

かつては「応神天皇の時代に百済来た阿直支と王仁が諸典籍をもたらした」ことが日本の文字使用の始まりであるとされていた。しかし、漢や魏に使者を派遣した王者のもとに漢字が読み書きできる者がいなかったはずはない。ここで問題になるのは、漢字の採用以前に、日本列島ではどんな種類の文字も一切使用されていなかったのか、ということである。ここで注意すべきことは、文字といっても意思の伝達や事実の記録だけが使用目的ではなく、最初のころには願い事を神に捧げる呪術的な用法もあったということである。前節で見たように、日本で石に刻まれたペトログラフが無かったとは考えにくいと思う。

第二編で紹介する『竹内文書』は、その由来記によると、今から一四七〇年前に武内宿禰の孫が神代文字で記された太古の記録を漢字になおしたものであるという。また、同じく『上記』は一二二三年に豊後の大友氏が、収集した資料編集して当地で用いられていた「豊国文字」で記録したものであるという。その他、『秀真伝』や『三笠紀』、あるいは『物部文書』などの「古史・古伝」にも、太古の日本で使用されていたという文字のことを述べている。それ以外にも、神社のお札や石碑にも漢字と異なる文字が記されている。これらは俗に「神代文字」と称せられており、平安時代から江戸時代まで、新井白石や平田篤胤らを含む多くの学者からその存在を認められている。

こうした「神代文字」というものは、ほんとうに太古の日本列島で用いられていたのであろうか? この問に対しては、国文学者は「問題外である」と真っ向から否定している。その理由として、これらの「神代文字」はすべて五十音図に即していることがあげらている。それというのは、一九〇九年、橋本進吉博士が『万葉集』や『古事記』の文字使用法を調べたところ、当時はイ・エ・オの発音には甲乙の二種があり上代日本語の母音は八個でありキ・ケ・コ(ゴ)・ソ・(ゾ)・ト(ド)・ノ・ヒ・ミ・モ・ヨ・ロの表記は甲・乙二様に厳格に区別されていたということを発見したからである。このことは、七・八世紀の日本語には、五十音ではなく八十七音あったことを意味しており、そういう区別がされていない「神代文字」は発音の習慣が五母音に変わった平安時代以後に偽造されたものであるというわけである。

この説を説く人たちは、日本語はもともとウラル・アルタイ系の言語であり、かつては「母音調和」という法則に従っていたと考えている。しかし、この主張は、近年、若手の研究家によってあまり説得力のないものであると論じられるようになっている。それというのは、『万葉集』や『古事記』を書いた人は、ウラル・アルタイ系の発音の癖を有する百済系の渡来者から漢字を学び、文字の使い分けの法則を守っていたのに対して、列島住民はもとより、当時でも圧倒的多数の者は、五母音による五十音式の発音をしていたのであり、甲・乙二類の表記分けとは無縁の生活をしていたとするのが当たっているというのである。

つまり九世紀以後の日本語が何の抵抗もなく急速に五十音に変化していることは、一時は大陸の影響を受けていた上代日本語が、本来の五母音に収斂されていったのであると考えたほうが理解しやすいというのである。したがって、「神代文字」の存在を一笑に付して否定するための根拠は失われたことになる。それと同時に「古史・古伝」についても頭から偽造された文書として拒絶して済ますわけにはいかなくなってくる。

また、「神代文字」が後世の偽作であるとするためには、その作成の動機が何であったか説明できなくてはならない。今日のようにマス・メディアが存在しない時代に、人騒がせを目的として歴史を偽造しても意味がないはずである。第一、誰にも読めない書物など作っても何の効果もありはしない。もちろん、反体制的な氏族が秘密保持のために創作したと考えることはできるが、『上記』のように漢字が普及していた時代の豊後の権力者がわざわざ虚妄の文字を創作して史書を記述する必要などありはしない。やはり、その序文にあるように土地に伝えられていた実在の「豊国文字」を使用したと考えるほうが自然である。しかも、「豊国文字」の書体は山窩---同族の団結が強い放浪の民---が使用していた文字とよく似ている。そして、豊後には多くの山窩がいたから、ヤマトの王権から疎外されていた彼らだけが知っている歴史があり、それを大友氏が資料として採用していたのではないか。また、これらの二つの文字は『竹内文書』が伝える「越文字」とも酷似している。なお、「豊国文字」の「新体」は、「古史・古伝」の一つである『九鬼文書』に出てくる「春日文字」とも似ており、両者は同じ系統のものと考えられている。

ともあれ、「神代文字」を一概に偽作と決めつけ、民衆的な遺物にも記されているこれらの文字を、それが「古史古伝」で採用されているから偽作であるとするのは、本末転倒の論理でなかろうか? むしろ反対に、もし、「偽書」を創作しようとした物好きな人物がいたと仮定すると、彼らは民間に伝えられていた「神代文字」を利用した、というほうが現実性のある考え方であると思う。「神代文字」も「古史古伝」も共に偽作であるとして片づけ去ることは、真実の究明を放棄する怠慢な態度であるというより有害かつ危険な考え方ではなかろうか?

「異端から学ぶ古代史」沢田洋太郎・著


●神代文字は存在したのか

神代文字がニセモノであるかどうかは、現代においても議論が大きく分かれている。しかしこの問題については、少なくても江戸時代から論争が繰り広げられてきた。まず新井白石が、出雲大社や熱田神宮に神代から伝わったとされる文字が残っていることを指摘。貝原益軒や伴信友は神代文字の存在は否定、これに対し復古神道の巨星、平田篤胤は全国にある神代文字を調べ、『神字日文伝』で対馬の阿比留家で発見された韓国のハングルに類似した文字とその草書体を「日文」と命名、これを真正の神字(神代文字)と認定した。

ここではこれ以上、この議論を展開するつもりはない。だが、伊勢神宮をはじめ日本各地の神社に「神代文字」と呼ばれる古い文字で書かれたお守りや札や奉納文、神璽が伝わっていることや、全国各地に神代文字と思われている文字が刻まれている巨石が残っていることからも、神代文字がまったく存在しなかったと結論付けるのは暴論である。

神代文字の証拠というわけではないが、与那国にはカイダ文字が、サンカ(山窩)と呼ばれる山の民にはサンカ文字が存在していた。おそらくアイヌにも独自の文字があったはずだ。神代文字を否定するということは、こうした文字すら否定しようととする動きに似ている。現在の教科書では古墳時代の日本に漢字以外の文字はなかったと教えているようだが、日本探検協会の高橋良典会長が『日本超古代文明のすべて』の中で指摘しているように、実は弥生時代の鏡や銅鐸、縄文時代の土面や釣手土器、文字石などに神代文字らしき文字がはっきりと刻まれている。

近代の歴史を見ても、征服者は被征服者の言語や文化を事実上抹殺、あるいは破壊してきた。南米大陸のインカ人や北米大陸のインディアン、オーストラリア大陸のアボリジニ、日本のアイヌなど例を挙げればきりがない。征服者にとって、被征服者が独自の文化を持ち続けることは都合が悪いからである。その都合の悪いことの一つは、歴史を被征服者の側から語られることだ。

漢字以外の文字がなかったなどとするのは、明らかにそうした意図が働いているように思われる。記紀が書かれた当時、時の征服者にとって原日本人による神代文字で書かれた歴史が存在していては、とにかく都合の悪かったことは容易に想像できる。神代文字はそうした観点からも今後、考察されていくべきだろう。

「竹内文書の謎を解く」布施泰和・著



神代文字の真偽 この人手は完全に偽者と言っているようだ

2013年09月08日 17時47分56秒 | 色んな情報
神代文字の真偽 この人手は完全に偽者と言っているようだ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/touyou/jindaimoji.htm
我が国には、大陸より漢字が伝わる前に、日本独自の文字を持っていたという。
 それが「神代文字」である。
 こうした文字は、果たして実在したのであろうか?
 これは結論から言おう。現代残されている「神代文字」なるものは、その殆ど全てが江戸時代から明治にかけて作られたものである。

 神代文字と呼ばれるものには、夥しい種類が存在する。
 アヒル文字、アヒルクサ文字、イムベ文字、アコシ文字、アメコシネ文字、アメコシアヒル文字、ツクシ文字、ホツマ文字、クサキネ文字、カスガ文字、ウマシ文字、モノノベ文字、コレタリ文字、タネコ文字、豊国文字、モリツネ文字、ムサシ文字、ツシマ文字、アジチ文字、アメコシカズ文字……まだまだあるだろう。
 これらは神社の石碑や御札などに残されていることもあれば、こうした神代文字で書かれた古文書なるものまで存在する。だが、その歴史は先述の通り、古くはない。

 神代文字の真偽をめぐっての議論は、山田孝雄の論文「所謂神代文字の論」でもって、決着はついたと考えて良い。
 神代文字にとって一番致命的なのは、47音ないし50音しか無いことだ。これは神代文字が近世の作だということを雄弁に物語っている。万葉仮名を学んだ方にとっては常識であろうが、こうした「いろは歌」の50音が成立したのは平安時代中期からであり、それ以前の日本語は音がはもっと多かったのだ。
 言語学の研究により、7世紀後半(「古事記」の時代)には88音節もあり母音も8つあった。8世紀には87音節。9世紀前半には70音節を区別し6母音、10世紀にはやっと母音が5つになるが68音節を区別。「源氏物語」の時代11世紀になっても67音節が区別されていたことが分かっている。
 75音ある神代文字も存在するが、これは明治15年に神道オカルティストの幻視によって現れたものなので、除外する。

 また、古墳等から出土する銅鏡に刻まれた文字は、大陸の古い漢字として解読されている。
 しかし、これは漢字ではなく、神代文字だという主張もある。なるほど、確かに似ている……と言うか、銅鏡の文字をよく調べて似せて作っている。しかし、新たな銅鏡が次々に発掘されることまでは考えていなかったらしい。最近の銅鏡の文字を、その神代文字読みしようとすると、言葉がグチャグチャで意味を成さなくなってしまう。

 また、対馬の阿比留家に伝わるアヒル(阿比留)文字は、その構造上からハングル文字の原型になったと言う主張も聞く。だが、それはあまり説得力を感じない。
 確かにアヒル文字は、平田篤胤が注目しただけあって、神代文字の中でも比較的歴史の古い文字ではあるが、現存する古文書はいずれも江戸時代のものである。これに対し、ハングル文字は500年以上も前の李氏朝時代の世宗による「訓民正音」発布時代の古版が発見されている。さらに、その構造からも元朝のフビライ・ハーンが元の公用文字として作らせたパスパ文字と酷似している。朝鮮半島が元の支配を受けたことを考えれば、パスパ文字に原型を求めた方が、遥かに現実的である。だいたい、ハングル文字は中国の宋学の思想の影響が顕著であり、どう考えても大陸文化の産物だ。
 ようするに、対馬は半島との接触が多かったことも加味して考えれば、アヒル文字の方がハングル文字を真似したと考えた方が、遥かに妥当なのだ(だいたい、アヒル文字の「ん」音は、どう見たって変体仮名の「ン」からつくられてる)。

 こうした神代文字に注目し、実在論の立場から本格的に研究をしたのは、国学者の平田篤胤である。彼の著「神字日文伝」では、日本全国からこうした神代文字を収集した。そして、似た形態の文字を、もともと1種類の文字が変形し多様化した結果とし、一つの文字に集約した。彼は真性の日本古来の文字は、アヒル系列の文字であるとし、「日文」と命名した。また、この日文には楷書体の他に草書体もあるとし、アヒルクサ文字系列の文字が、これであるとした。そして、それ以外の形の神代文字を、「付録・疑字篇」として列挙した。
 だが、アヒルクサ文字がアヒル文字の草書体であるという説は、正直こじつけと見たほうが良い。両者は本来別物と見るべきだ。これは、昭和初期の神代文字の肯定派ですら認めている。
 そもそも、このアヒルクサ文字自体が、複数種の神代文字を強引に一種類にまとめた感がぬぐえない。
 そして、「日文」とされたアヒル文字にしてみても、先に書いた通りハングル起源の考えるのが妥当である。

 国学者の間でも、この神代文字をめぐっての意見は異なる。例えば平田篤胤の師匠である本居宣長は、神代文字を信じてはいなかった。彼の考えでは、ちょうど文字にされる前の古事記のように、「口述」による記録こそが大和民族的であるとし、文字の概念自体が日本の外から来たものなのだ、という説を持っていたのだ。
 だが、平田篤胤は、優秀な民族であるはずの日本人が文字を持たなかったことを、屈辱と考えていたようなのだ。それゆに神代文字の探索に心ひかれたのだろう。

 神代文字の最も古い記録は、何か?
 一説によると、1367年に忌部正通によって書かれた「神代巻口決」だという。これに「神代の文字は象形なり。応神天皇の御宇、異域の経典、初めて来朝してより以降、推古天皇に至って、聖徳太子、漢字をもって和字に付けたまふ」という記述がある。これは神代文字のことを言ってるのでは? という説がある。面白い説だ。しかし、多くの歴史学者達は、単に「絵」でもって情報伝達をしていたことを言ってるのだ、と解釈している。

 とは言うものの、これらの神代文字は、たいへん美しい。
 そして、こうした文字が、一種の霊力を帯びた神聖文字として崇敬の対象にもなってきた、ということを忘れていけない。
 ことに明治の神仏分離令により、神社では仏教より拝借した梵字が仕えなくなった時、この神代文字で代用することにより、ますます神聖視もされた。
 こうしたことも考えて、私は神代文字には、敬意も払うし、民俗学、宗教学としても魅力的な研究題材であると思う。
 それと、近世以降の作とはいえ、百年単位の歴史を持っている文字もあるのだ。そして、詳しい起源や使用された歴史的背景については、まだまだきちんとした研究はなされていない。
 これらの文字は、保存、研究してゆく価値は充分にあると私は思う。


「日本神代文字研究原典」 吾郷清彦 新人物往来社
「偽史冒険世界」 長山靖生 ちくま文庫
「平田篤胤全集 15」 平田篤胤 平文社

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色んな論があるので 貴方が判断しないといけないです。
日本人はこんなに色んな時間つぶしの出来るものが沢山ある。
勿体無いね パチンコなんかして師背間つぶししか出来ない人は

何か変だよ日本人「必死になって日本の古代文明を否定する人たち」

2013年09月08日 17時23分29秒 | 色んな情報
何か変だよ日本人「必死になって日本の古代文明を否定する人たち」
        きのせみかの大和撫子な生活  http://kinosemika.blog134.fc2.com/blog-entry-1132.html  カラ転載

神代文字(かみよもじ)とは、漢字が伝来する以前に古代日本で使用されていたと称される日本固有の文字の総称である。江戸時代にはその実在を信じていた学者も少なからず存在したが、近代以降の日本語学界をはじめとするアカデミズムの世界では、現存する神代文字は古代文字などではなく、すべて近世以降に捏造されたものであり、漢字渡来以前の日本に固有の文字は存在しなかったとする説が広く支持されている。その一方で、古史古伝や古神道の関係者を中心に神代文字存在説は現在も支持されている。

江戸時代以降、神代文字として紹介された文字は実に数十種類にも及ぶ。それぞれ出典となる書籍や発見場所などの名前が付けられている。神代文字存在説側の研究としては、平田篤胤が神代文字否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴(こしちょう)』第1巻『開題記』所収「神世文字の論」その後の『神字日文傳(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が著名である。また、鶴峯戌申(つるみねしげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。三井寺(園城寺)住職の敬光による『和字考』など、これらについて数多くの研究がなされた。その存在説を集大成したものが落合直澄の『日本古代文字考』である。

神代文字は、主に神社の神体に書かれていたり、神事などに使われており、一部の神社では符、札、お守りなどに使用されている。神社に奉納する事もあったようで、伊勢神宮にも神宮に神代文字(主に阿比留草文字)で書かれた品が約百点奉納されている。

神代文字は日本では何故かオカルトと結び付けられることが多い。その為か学者が逆に躍起になって否定する傾向があり、否定する目的以外での研究は殆ど行われていないのが現状である。この状態は明治時代から変わっていない。しかし、海外(特に欧米)では古代文字やペトログラフは研究機関で研究されている立派な学問であり、世界中(アジアでは中国、フィリピン、モンゴル等)で多くの古代文字が見つかっている。日本でもまずは遺跡等と同じように冷静な学問的態度で研究していく事が求められているといえる。

白人以外の文化や文明を認めなかった明治時代と違い、現代では文字が見つかる事は当たり前の事なのである。
古い考えに拘って、執拗に古代日本に文字があった可能性を全否定しようとするのは頑迷な態度といえる。

(Wikipedia「神代文字」より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97

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太古神道には霊符と呼ばれる符文が多数存在し、さまざまな神法道術に用いられますが、鎮魂法によって感応すると、確かに魂に響いてくるものがあります。
また、直観力(霊感力)の優れた方なら、一目見ただけでとてつもない霊威を感じるようです。

日本古学(国学、古道学、皇道学)によると、それらの霊符が文字の元で、簡略化されて人間界に移殖されたものが神代文字とされています。
実際に、大国主神によって2万年以上前に伝えられたとされる病気平癒の神法には、カタカムナ文字(縄文時代以前の旧石器時代のものとされる)に似たものも見受けられます。

『古事記』は、稗田阿礼が記憶していた伝承を口述し、それを太安万侶が編纂したとされていますが、これは「神代文字は存在しない説」が元になっています。
逆に「神代文字は存在した説」を元にすると、それまで各地に伝えられていた神代文字による伝承を、神代文字が読めた稗田阿礼が読み上げ、それに太安万侶が漢字を当て、その後、漢字と万葉仮名が公用語として用いられるようになって神代文字は消えていったということになります。
『古事記』前文には、「元明天皇の代、詔により太安万侶が阿礼の誦する(声を出してよむ)所を筆録し、『古事記』を編んだ」とあり、非常に難解で膨大な量にのぼる『古事記』の内容からみても、後者の考えの方が自然なように思えます。

それにしても、ペトログラフなども日本で発見されているにも関わらず、それさえも「捏造されたもの」とし、「否定する目的以外での研究は殆ど行われていない」というネガティブな状況は一体何なのでしょうか?
そもそも、最初から答えが決まっているのなら、それはもはや「研究」や「学問」とはいえないでしょう。
自分たちの祖先を否定することに必死になる方々の思考回路が、わたしには理解不能です。

(神代文字の例はコチラ)
     ↓
「神代文字は実在する!?」
http://kinosemika.blog134.fc2.com/blog-entry-510.html

面白い(おもしろい)

2013年09月08日 17時23分29秒 | 色んな情報
面白い(おもしろい)
皆さん日記やつぶやき楽しんで貰えているかな。
私は人生 面白い事ばかり探してきたように思う。
動物行動学には人間含む動物総てが退屈すると死ぬと書かれている。
だから我々は退屈しのぎして生きている。
ばくちに走る人も居るしゲームに走る人も居る。
この場合の走るという表現も面白いね。
古い言葉使いなのにある程度の年齢の人は判るはず。
ゲームも博打も何しても良いけど簡単に手っ取り早く出来るのが言葉遊び。
日本人は昔からこの様なことに時間と労力を使ってきた。
ブログにしょうぎの話しを書いているけどこれも言葉遊びだと思っている。
学者の人は結構見ているようだけど私の私見に何か言いたい事は有ると思う。
現代人はタダ金さえかければ何でも手に入り実現できると思っている人が多い。
何するにもある程度の資本投下をしないと出来ないと言うのは間違いない。
バチンコにしろゲームにしろ沢山のお金を投下しないと出来ない。
時間つぶしにはお金がいると思っている人が多いのでは無いかな。
確かに今私はパソコンと向き合いこの文を作成している。
このパソコンもお金が掛かっている。
実は前のがダメになり入れ替えてまだ日も浅い。
変換もままならなくて時間の掛かること。
誤字や脱字が多いので読みにくいとは思うけれどもこれはいかんともしがたい。
年なのか見えにくくなっているのも正直有る。
なるべく間違えないようにするけど若しあったら判読して下さい。

反日教育されてきた割には色んな事を日本人としてシッカリト身につけている。
若い人も馬鹿に出来無いほどきちっとしている。
服装や態度は気に入らないところは沢山ある。
デモ若者にしか通じない言葉を作り出し結構楽しんでいるのかな。

自分の生まれた国のモノを沢山身につけた方が私は良いと思う。

先ほどの(しょうぎ)と言う言葉一つでも身についているだけでモノ見る目が変わってくる
何度も同じ事を言うけれども知らないと何も始められない。
知ることから入らないと。
年寄りから色んな事を取っていって下さい。
其れされると年寄りはうれしい。

下に面白いの語源や意味を書いておきました。
人生楽しんで欲しい。
折角あるモノを捨てないで。

縄文から流れる悠久の時間を。


面白い(おもしろい)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 面白いとは、楽しい。愉快だ。興味深い。心を惹かれる。滑稽だ。おかしい。
【面白いの語源・由来】
面白いは、「面白し」という語が原義で、現代の面白いとほぼ同じ意味で上代より使われているめ、語源は未詳であるが、以下の説が有力とされている。
「面」は目の前を意味し、「白い」は明るくてはっきりしていることを意味した。
そこから、目の前が明るくなった状態をさすようになり、目の前にある景色の美しさを表すようになった。
さらに転じて、「楽しい」や「心地よい」などの意味を持つようになり、明るい感情を表す言葉として広義に使われるようになった。
昔、火を囲んで話をしていたところ、面白い話になると皆が一斉に顔を上げ、火に照らされた顔は白く浮かび上がったところからなどといった説もあるが、「面」と「白い」から作られた後世の俗説である


面白い おもしろい (一般)
愉快である 楽しい 物事に興味を引かれる 等の意味
発生は奈良時代の日本 (当時の日本に化粧の習慣はなかった)
そして中国から伝わった白粉を使うようになるとそれが異様に見えた
その様子を"面白い(顔が白い)"と表現したのが由来である


【関連語】
可笑しい(おかしい)
戯ける(おどける)
面黒い(おもくろい)
顔(かお)
ギャグ
下らない(くだらない)
心(こころ)
滑稽(こっけい)
洒落(しゃれ)
しょうがない・しょうもない
冗談(じょうだん)
白(しろ)
醍醐味(だいごみ)
戯れる(たわむれる)7つまらない
ひょうきん
ふざける
前(まえ)
漫才(まんざい)
目・眼(め)
ユーモア
寄席(よせ)
落語(らくご)
笑い(わらい)

ここであえての神代文字 トップ10

2013年09月08日 16時28分38秒 | 色んな情報
ここであえての神代文字 トップ10
http://www.amakanata.com/2012/12/10_7.html

http://4.bp.blogspot.com/-MT3K6-fojDI/UME5AG84EtI/AAAAAAAACqg/PmDd-iRZFqQ/s400/00.jpg

漢字が伝わる前にも、日本に独自の文字が存在していたと言われているのをご存知ですか?
漢字でも、漢字から派生した平仮名や片仮名でもない、日本オリジナルの文字のことです。

その文字の名は"神代文字"。
「かみよもじ」と読むこともあれば「じんだいもじ」と読むこともあり、研究者によってバラバラ。
ただ、共通するのは、日本には中華文明よりも古くから古代文明が栄えていて、"神代文字"はそこで使用されていた、という見解です。

何らかの原因で日本の古代文明は衰退してしまい、いつの間にかオリジナルの文字は廃れ、漢字にその座を奪われたのだと、神代文字論者たちは主張します。

でも、こういった主張は、韓国の起源論者と同じで、あまり信用出来ないように思えます。ほとんどは、江戸時代から明治時代にかけて中国や西洋の進んだ文明に触れた人々が、日本文化の優秀性を証明するために、悔しさのあまりに歴史を捏造したのではないでしょうか。

ただ、そういう事実が合ったとしても、神代文字は面白いです。ご存じの方があまりいない神代文字について、ご紹介しましょう。

10. カタカムナ文字
http://2.bp.blogspot.com/-Vxq_0My-Mcc/UMH6WfXZv9I/AAAAAAAACrs/tdf80QDYE-4/s320/01.jpg

旧石器時代末期に存在していたという「カタカムナ文明」で使われていた文字です。
カタカムナ文明では物理学や哲学が非常に発展していたといわれています。

日本の物理学者・楢崎皐月によって発表されました。
楢崎氏は、戦後「植物波農法」などを提唱した、やや怪しい人物。
彼によれば、この文明は高度だったにもかかわらず、文章を書く時には縦書や横書きではなく、中心から外側へと円を描くように書かなければならない決まりがあり、短い文章しか書けなかったそうです。


そのために進化したのが、31文字で森羅万象を表すことが出来ると言われる、日本の「和歌」なのです。
和歌の形式には、そのような秘密があったのですね!!


9. ヲシテ文字
http://4.bp.blogspot.com/-WJeZHvsd0xo/UMC54M0h-WI/AAAAAAAACho/3qONKCZIh3g/s400/91.jpg

江戸時代中期に書かれたと言われる『ホツマツタエ』という古文書に、このヲシテ文字が使われています。
日本語の5つの母音は、それぞれア=空 イ=風 ウ=火 エ=水 オ=土 を象徴しており、ヲシテ文字も、その象徴を元に作られたそうです。
西洋の四元素(風・水・火・土)のような考え方が、少なくとも江戸時代には日本に存在していたというのが胸熱ですね!

『ホツマツタエ』は古代にさかのぼる言い伝えをまとめたものであり、天照太御神は男性であるなど、古事記や日本書紀とは微妙に異なる伝承を含んでいます。

昔、ホツマツタエを中学生の頃に読んだ私は感動して、受験勉強に疲れると、
「あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめをこほの もとろよそ をてれせゑつる すゆんちり しりたらさやわ」
などと唱えて精神集中を図っていたのを思い出します。
今から考えると、相当あやしい中学生でした。


8. アイヌ文字
http://4.bp.blogspot.com/-TtNE2fpCdcE/UMC_Q-E6wWI/AAAAAAAACj0/kiO-V-aGr34/s400/81.jpg

慶応2年(1866)、石細工のための原料を探していた石工が、現在の北海道小樽市にある手宮海岸洞窟内にて岩肌に刻まれた大量の線文字を発見しました。

明治11年(1878)、あの榎本武揚が書写して東京に送ったことから世間に知られることとなり、明治12年(1879)にはイギリスの御用学者であるジョン・ミルンが学会に発表。
日本に古代文字が存在していた証拠と考える人々とそれに反対する人々との間で論争が巻き起こります。

もしも手宮海岸洞窟内だけでしか見つからなかったならば、たまたまその地域に住んでいたアイヌ人家族が、気まぐれに文字らしきものを書いた可能性もありました。

ところが、そこから20キロほど離れた余市郡余市町のフゴッペ洞窟にて、昭和25年(1950)200個をこえる彫刻が発見されたのです。
この遺跡は約2000年前の続縄文時代に属することが確認され、しかも手宮の洞窟と共通する絵文字が描かれていたために、両者間で、この文字を使った情報伝達が行われた可能性が出てきました。

アイヌ人が使っていたとも、アイヌ人よりも前に北海道を支配していたといわれるコロボックル人が使用していたとも言われていますが、定かではありません。
今に至るまで、この文字はまったく解読されていないのです。


7. サンカ文字
http://2.bp.blogspot.com/-YlGh3-5HAwY/UMDIhBaplJI/AAAAAAAAClA/ozRXuQqMSVc/s400/71.jpg

サンカ=山窩とは、明治維新後に警察によって作られた言葉だそうです。
日本が近代国家へと変貌しようとした際に、政府が困ったのが、定住しない人々の群れをどう扱うか、でした。

教科書では、人々は士農工商に分かれ、厳しい身分制度にがんじがらめにされて生きていたように描かれていますが、実際は明治になるまで、誰からの支配を受けず、山の洞穴で過ごしながら、盗賊や行商人、竹細工による農作業道具の作成・販売をしながら生活している人々がいたのです。
彼らを明治政府は「サンカ」と呼びました。

独自の言葉を持ち、独自の文化を持っていました。
伝承によれば、彼らは大和民族によって征服された出雲民族の末裔なのだそうです。
彼らの間で使われていた文字が、サンカ文字なのです。

政府は徴兵制の網から逃れようとする彼らを徹底的に「犯罪者」として取り締まっていきます。
次第に文明の波に飲み込まれた彼らは、伝説を後世に残すことなく消えていき、その文明の痕跡は途絶えてしまいました。


6. 天名地鎮(あないち)文字
http://3.bp.blogspot.com/-ozxgLMTO0jA/UME0GrWbo1I/AAAAAAAACoY/JWkJkT3PWKQ/s640/anaichi.jpg

いろは47文字を、母音と子音の文字を組み合わせて表しています。
数字は別に存在しておりますが、「百」「千」「万」「億」などの位を表す文字もあるのだそうです。

アナイチという名前はあまり使わない言葉ですが、「穴一」というゲームがあり、そこで使われる印に形が似ているために名付けられたとのこと。

朝鮮のハングルをもとに作られた文字ではないか、とも言われています。


5. 対馬卜兆文字(まじかたもじ)
http://1.bp.blogspot.com/-rtWS-DrIHNI/UMDLaEGQodI/AAAAAAAAClQ/62uViTI7nMU/s640/Tsushima_characters_1.jpg

対馬は韓国に近いことから、日本とは異なる文化が発達していました。
そこでは近世まで、亀の腹甲や獣の骨を炎であぶり、できたヒビによって吉凶を占っていたといいます。
http://4.bp.blogspot.com/-mogFfiiKF50/UMEo7tvgNxI/AAAAAAAACmk/zmaMX3Sy7_M/s400/62.jpg

今でも朝鮮半島のシャーマンの一部が、この方法で吉凶を占っているそうなので、韓国旅行する人は、卜占ができるシャーマンを探してみるのもいいかもしれません。

占いの結果を記すための文字が、対馬文字でした。
亀の甲羅のヒビを模して作られた文字は、樹の枝のような形をしています。
実用的では無さそうですが、今でも対馬の雷神社で、神事にこの文字が使用されるそうです。


4. 出雲文字
http://4.bp.blogspot.com/-i8fNUpImYIM/UMEsrD_ignI/AAAAAAAACnw/QxS_zblOT40/s400/41.jpg

出雲大社の近くに書島(ふみじま)という島があり、そこの岩窟の内部に刻まれていた文字が、この出雲文字です。

「いなばの白兎」の昔話で有名な大国主、別名大己貴命(おおなむちのみこと)という神様の命令によって作られたこの文字は、文政2年(1819)に国学者の平田篤胤によって紹介されました。

ところが、書島という島は出雲には無いらしく、実在を疑われています。


3. カイダ文字
http://3.bp.blogspot.com/-OOZoSAzzsWs/UMEu7cwTkBI/AAAAAAAACn4/ED5FKV1HY00/s640/kaida.jpg

これまでの実在が危ぶまれる神代文字と異なり、こちらは明治時代まで与那国島で実際に生活の中で使われていた象形文字です。

与那国島は巨石海底遺跡が周囲にあるなど、独自の文化圏を育んでおり、一説には、ムー王国の末裔たちの島なのではないか、などとも言われています。

海底の巨石遺跡写真
http://3.bp.blogspot.com/-OOZoSAzzsWs/UMEu7cwTkBI/AAAAAAAACn4/ED5FKV1HY00/s640/kaida.jpg
この文字は、明治にいたるまで、商品の売買の記録などに使われていたそうです。

文字を知らない人々が、イラストで商品を書き留めておいたものが、文字として流通するようになったのかもしれません。

まるでトンパ文字のような素朴な象形文字で、とても面白いです。
この地方の生活習慣までも想像させる、素晴らしい文化ですが、残念なことにこの文字で記された徴税記録などは、第二次世界大戦でほとんどが消失してしまいました。


2. 阿波文字
http://4.bp.blogspot.com/-CMWdM7c6-4U/UMExcwhGsAI/AAAAAAAACoI/u2PPDcJ0Rss/s320/awa.jpg


阿波(現・徳島県)に代々伝えられてきた神代文字であり、昨年震災のあった宮城県気仙沼市の御崎神社まで伝えられ、敷地内の石碑には阿波文字が記載されています。

ただ、日本各地の神社に残された遺跡に神代文字が使用されていたからといって、必ずしも神代文字の存在を裏付けるものではありません。

鎌倉時代から朝廷の学者によって、各地の遺跡に残された線文字を解読しようという研究が盛んになりましたが、そこで学んだ神道系の学者たちが日本各地に散らばり、その知識を使って石碑に文字を刻み、神社に祈祷文として奉納している可能性もあるからです。

国学者の平田篤胤は、その著書『神字日文伝』の中で、この阿波文字は藤原充長の創作ではないか、と疑義を呈しています。


1. 阿比留草(あひるくさ)文字
http://4.bp.blogspot.com/-QZ4b_XDKDAI/UMDKYiaGq4I/AAAAAAAAClI/01nOXUKm2xI/s400/61.jpg

時々、神社の御札には、この文字で書かれたものがあります。
今度神社で御札を買った時は、よくよくご覧ください。

熊本辺りで使われつつ、徐々に日本の神社で、呪文を記すために多用されるようになったと言われています。
ニョロニョロとしたヘビのような形が特徴で、別名「日本版梵字」などとも言われています。

梵字
http://1.bp.blogspot.com/-eu-Iii3ZcrU/UMEnrJnRDCI/AAAAAAAACmc/TTpZ9Hk3r-4/s320/61.png
サンスクリット語を書き表していた梵字を見た神道関係者が、同じような霊験効果があることを狙って創作したものなのかもしれません。
国学者の平田篤胤が、その夢枕に、同じく国学者であった本居宣長が現れて師弟の契りを交した際に、この文字の存在を示唆された、などという話も伝わっております。

いかがでしょうか。
もうすぐお正月、三社参りなどで神社を訪れる際は、境内に神代文字で書かれた石碑などが飾られていないか、調べてみるのも面白いと思いますよ!

古代の歴史はロマンです。

神代文字によって書かれた古代日本史は、とんでもなく文明が発達していたそうです。

たとえば、天皇が来日したモーセに十戒を授けたとか、イエス・キリストは十字架上で死なず、弟を身代わりにして日本に逃亡し、青森にやってきたとか、そもそも釈迦をはじめ孔子やマホメットにいたる、世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたとか、3000年以上前に当時の天皇の16人の弟妹が全世界に散らばって「ヨハネスブルグ」「ボストン」「ニューヨーク」といった名前へと変化したのだとか、夢が膨らむ記述がいっぱいです。

少なくともニューヨークは、イギリス人がイングランド王の名前、ヨークからとって名付けたはずですが、そんなことは神代文字を信じている人にとっては関係ありません。

本当かどうかわかりませんが、学校で習う歴史以外に、知られざる古代史が眠っていると想像すると、ワクワクしてきますね。

【サヨク速報】朝日新聞「東京、落選しました。第1回の投票で最少得票。決選投票に進めませんでした」

2013年09月08日 15時28分05秒 | 色んな情報
【サヨク速報】朝日新聞「東京、落選しました。第1回の投票で最少得票。決選投票に進めませんでした」

カテゴリ:
ニュース
社会・経済

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1: トペ スイシーダ(岐阜県):2013/09/08(日) 08:11:13.30 ID:59Ey/OHy0

1_1

【魚拓】
朝日新聞オリンピックニュース @asahi_olympics

東京、落選しました。第1回の投票で最少得票。決選投票に進めませんでした。ライブ動画→ http://t.asahi.com/cbzx
http://ja.favstar.fm/users/asahi_olympics/status/376419204028588032


【訂正版】
朝日新聞オリンピックニュース @asahi_olympics

【訂正】失礼しました。東京が最多得票でした。決選投票へ進みます。ライブ動画→ http://t.asahi.com/cbzx #asahi_gorin
https://twitter.com/asahi_olympics/status/376419520828547072


引用元: http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1378595473/

3: チェーン攻撃(dion軍):2013/09/08(日) 08:12:45.39 ID:d+F/5hKg0

朝日ならばさもありなん


4: サソリ固め(関東・甲信越):2013/09/08(日) 08:14:00.16 ID:26vkuVnbO

もう驚かないわ


5: メンマ(SB-iPhone):2013/09/08(日) 08:14:38.06 ID:ck7PSyIXi

フジテレビのサッカー思い出すわ


12: タイガースープレックス(やわらか銀行):2013/09/08(日) 08:18:07.81 ID:paiY8ofY0

軍靴


16: サソリ固め(神奈川県):2013/09/08(日) 08:19:49.44 ID:s75y9Y7E0

ダメだった時用のだろう
いちいちあげつらったらきりがない


20: チキンウィングフェースロック(北海道):2013/09/08(日) 08:22:33.94 ID:A8oZFbMm0

わざわざオリンピック用のアカウントで何をやってるんだ・・


21: 急所攻撃(宮崎県):2013/09/08(日) 08:22:38.66 ID:+bpb75rO0

中国の速報を日本で垂れ流しまーす


22: ジャーマンスープレックス(東京都):2013/09/08(日) 08:22:44.88 ID:1mA+hc5g0

IOCがライブでビデオまで流してるのにどうやったら間違うんだよ!
100%故意だろ。


25: バックドロップホールド(東海地方):2013/09/08(日) 08:24:35.63 ID:ml2m38Z4O

>>22
こういう速報系は、予め駄目だった時と良かった時のを作って用意しておくんだよ。
それを取り違えて公表するつうのはまれによくあるミス


33: リキラリアット(山口県):2013/09/08(日) 08:28:10.92 ID:4JxwcSAr0

>>25
テンプレをコピペして一部修正せずに出しちゃうこともあるからな


24: サソリ固め(東日本):2013/09/08(日) 08:24:20.35 ID:U2d/niWQ0

さすがケツ吹き紙クオリティ


29: 河津落とし(やわらか銀行):2013/09/08(日) 08:26:47.22 ID:pb85gDkJP

願望を配信されても


31: フェイスクラッシャー(東京都):2013/09/08(日) 08:26:52.67 ID:WbohmiZw0

中国、韓国の為にいち早く報道したかったんだろ。
朝日系列はこんな事ばっかり。


45: 膝靭帯固め(愛知県):2013/09/08(日) 08:35:53.36 ID:3xsFN9im0

Liveみてなかったけど、なんで落ちたとか勘違いが発生したわけ?
わかりにくい発表だったとか?


57: ジャーマンスープレックス(中部地方):2013/09/08(日) 08:42:39.08 ID:VJVYVgEI0

>>45
前置き無しで2位決定投票に回される国名が先に発表されたから


46: パイルドライバー(内モンゴル自治区):2013/09/08(日) 08:37:07.28 ID:SSiULe5J0

わざわざ最小得票とかいれるのか?www


62: ラ ケブラーダ(やわらか銀行):2013/09/08(日) 08:48:37.73 ID:X01oYCEg0

まーたアサヒってしまったのか


73: パイルドライバー(関東・甲信越):2013/09/08(日) 09:07:18.43 ID:762inX0o0

ぶれない朝日


83: ナガタロックII(群馬県):2013/09/08(日) 09:19:16.69 ID:QoZyMqD10

池上さんだと・・

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【訂正】失礼しました。東京が最多得票でした。決選投票へ進みます。ライブ動画→ http://t.asahi.com/cbzx #asahi_gorin
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引用元: http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1378595473/

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22: ジャーマンスープレックス(東京都):2013/09/08(日) 08:22:44.88 ID:1mA+hc5g0

IOCがライブでビデオまで流してるのにどうやったら間違うんだよ!
100%故意だろ。


25: バックドロップホールド(東海地方):2013/09/08(日) 08:24:35.63 ID:ml2m38Z4O

>>22
こういう速報系は、予め駄目だった時と良かった時のを作って用意しておくんだよ。
それを取り違えて公表するつうのはまれによくあるミス


33: リキラリアット(山口県):2013/09/08(日) 08:28:10.92 ID:4JxwcSAr0

>>25
テンプレをコピペして一部修正せずに出しちゃうこともあるからな


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願望を配信されても


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中国、韓国の為にいち早く報道したかったんだろ。
朝日系列はこんな事ばっかり。


45: 膝靭帯固め(愛知県):2013/09/08(日) 08:35:53.36 ID:3xsFN9im0

Liveみてなかったけど、なんで落ちたとか勘違いが発生したわけ?
わかりにくい発表だったとか?


57: ジャーマンスープレックス(中部地方):2013/09/08(日) 08:42:39.08 ID:VJVYVgEI0

>>45
前置き無しで2位決定投票に回される国名が先に発表されたから


46: パイルドライバー(内モンゴル自治区):2013/09/08(日) 08:37:07.28 ID:SSiULe5J0

わざわざ最小得票とかいれるのか?www


62: ラ ケブラーダ(やわらか銀行):2013/09/08(日) 08:48:37.73 ID:X01oYCEg0

まーたアサヒってしまったのか


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ぶれない朝日


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池上さんだと・・

http://www.youtube.com/watch?v=tDaiA8PEWuI&feature=player_embedded


85: ジャンピングDDT(東京都):2013/09/08(日) 09:20:04.07 ID:jbvi5wrW0

悔しさのあまりつい本音が出ちゃったね


85: ジャンピングDDT(東京都):2013/09/08(日) 09:20:04.07 ID:jbvi5wrW0

悔しさのあまりつい本音が出ちゃったね


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悔しさのあまりつい本音が出ちゃったね

差別用語について   2010年12月20日13:13

2013年09月08日 09時56分02秒 | 色んな情報
差別用語について   2010年12月20日13:13
色々調べて見ると人の心の裏側を見ることが出来る。

本来、差別用語などと言う言葉は無く、差別だと言って騒ぐ人がいるだけなのだ。 何でも差別だと騒いで謝罪させ、変更されるのを楽しんでいるだけの無知な人々なのだ。 根本的には、用語の問題ではなく5体不満足の人や社会の弱者に対する思いやりが大切なのだ。 当然、障害者や弱者を侮蔑するために蔑(さげす)んで言葉を使うことは、同じ人間として許されない。

面白い言葉でつんぼ桟敷、と言う言葉がある。
 意味は、歌舞伎の二階桟敷の一番奥で、舞台の役者の声がよく聞こえない場所のことを言い、声が聞こえない桟敷だから「つんぼ桟敷」と言うのだが、今では差別用語として使用できない。 つんぼ桟敷におかれた、という風に使われ、無視されている意味合いに使われる。

最近では「痴呆症」と言う呼び名は差別だと言い「認知症」と変更された。 痴呆症のどこがいけないのだろう。
 つんぼ、めくら、ちんば、おし、かたわ等は死語になりつつある。
 狂牛病は、BSEであり、黒人、黒ん坊はアフリカ系○○人、乞食(こじき)はホームレス、きちがいは精神障害者、バカチョンはオートマチック、父兄会は保護者会と言わなくてはならない。

女はダメで女性とか女の人。

これはウイッキーペデイアに掲載されていることだけど

回収騒動 [編集]
1976年11月、名古屋在住の人物が「オールカラー版 世界の童話」(小学館)を自分の子供に読み聞かせていたところ、作中の「びっこのキツネ」「めくらのネコ」という箇所を指摘し「五体満足で利口な主人公を『期待される子供像』として描いている反面、他の障害を持つキャラクターを社会の落伍者として描いており、差別を拡大助長させる童話であり看過できない」と出版社に抗議した。小学館側はこの抗議を検討し、自社から出版していた5種のピノキオ本のうち4種を「差別的表現があった」と認め回収した。「最新版の『国際版少年少女世界文学全集』については、めくら、びっこ、などの表現は無いので回収しない」旨を告発者に謹告した。しかし告発者は「障害者差別を許さない―まず『ピノキオ』を洗う会」を結成し、小学館に対し

【一】国際版の回収
【二】回収方法に対する具体策の提示
【三】自己批判の文章の提出
【四】自社全出版物の点検と報告
を要求した。しかし小学館側は国際版の回収には応じられないとして、告発者と対立した。次に告発者はマスメディアに向けてアピールを行い、社会問題へと発展する。さらに図書館を相手取り「差別図書を読ませるな」と啓蒙行動を起こし、当時、日本で出版されていた11社38種のピノキオ本の回収を要求した。12月、図書館問題研究会が検討を行い「図書館の自由」を基に

回収措置は言論に対する封殺行為であり許せない。
本作は、弱点を克服し成長する子供の可能性を描いた作品であり、「めくら」「びっこ」という言葉で障害者差別に結びつけるのは拡大解釈で作品の意味を汲んでない。
回収を行えば障害者差別が無くなる道理も無く、「言葉だけで何かを変えよう」という幻想に繋がりかねない。
個々の企業に対する脅しが差別の撤廃にはならないし、体制も変わらない。
とする「反論声明」を提出した。強引な告発に対して批判があったが、小学館側の回収についても「安易」だとの批判があった。この騒動に対し「ピノキオ退治は世界の笑いもの」と揶揄する声もあった。

出版禁止になって居たとも聞いた。
勝新太郎の座頭市は放送禁止の部類に入るらしい。
名作だと外国では評価されている。


どうにも最近は差別用語が多く、何を基準に差別用語と言っているのか理解できない。 呼び名を変えることで何かの変化があるのだろうか。 

今年もあと僅か。人として生きるにはどう生きたらよいのか一度原点に返り考えて見るのも一つではないかな。


コメント


naohnaoh2010年12月20日 19:13
同感です。

差別用語と個人情報保護の政策が、何やら別の権力を産み出しているようにも感じています。

つんぼ桟敷のもっと上のめくら桟敷で立ち見も悪くないですが。