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Sarah Yamasaki 山崎淑子 抹殺されたがん治療

2012年02月12日 16時03分42秒 | 色んな情報
Sarah Yamasaki 山崎淑子 抹殺されたがん治療
Tokyo · http://enzai.9-11.jp/

【弾圧される代替医療-1】 1881年ホメオパシー利用医師を認めたNY州医師会を米国医師会が除籍。復帰は25年後。J.D.ロックフェラー絶賛「積極的で進歩的な医療手段」【動画】Homeopathy: Medicine or Magic http://enzai.9-11.jp/?p=10297


【抹殺されたがん治療-1】=ガン治療(手術・抗ガン剤・放射線)は15兆円利権=食事療法・免疫力を高める治療方法は保険適用させず妨害。大麻化合物が難治性脳腫瘍細胞を殺す、ガン全般に効くことも隠蔽。【動画】医療用大麻で2歳の子供の脳腫瘍が治癒 http://enzai.9-11.jp/?p=10259


【抹殺されたがん治療-2】ロイヤル・レイモンド・ライフ博士の周波数治療器『がんは光で簡単に殺すことができた!』1934年.南カ大学は末期がん患者治療実験3 カ月後86.5 %が、残りの患者も 4 週間後には完全治癒。治癒率100 % http://enzai.9-11.jp/?p=10284


【抹殺されたがん治療-3,4】ラコフスキー博士の周波数治療機と松浦博士の電子照射機=AWG。「画期的なガン治療」に対する異常なほどの監視の目が、現代医学や医療産業から厳しく向けられ続けている。2009/12/4 3匹の子豚との日々より http://enzai.9-11.jp/?p=10288


【抹殺されたがん治療-5】ガストン・ネサン氏、開発した高性能の光学顕微鏡を用い人間の血液中に極微小な生命体を発見、「ソマチッド」と名付けた【動画あり】。免疫強化剤「714X」を開発し約1000人の癌患者に使用、約75%の驚異的治癒率。 http://enzai.9-11.jp/?p=10290


【「効かないワクチン」の押し売り、在庫一掃セール】日赤への「海外救援金」14億円(岩手県)が、高齢者への肺炎球菌ワクチン無料予防接種に使われている。被災者のために使われるべき金が、医者と製薬メーカーに流れる。 http://enzai.9-11.jp/?p=9816


【タミフル処方後に119人が死亡】この内38人は処方後12時間以内に容体が急変。→タミフル使用中止を厚労相に要望。12/21 NPO「医薬ビジランスセンター」(代表・浜六郎医師)12/22読売新聞 http://enzai.9-11.jp/?p=9845


【臭素酸カリウム。EU使用禁止】パン生地改良剤で使われる発がん物質。ガンガン使う会社=山崎製パン社長「無添加でいいもの作れるはずないだろ!」厚労省「残留しない条件」FAO/WHO「除去保証できない」「検出されない」は「残存ゼロ」でない http://enzai.9-11.jp/?p=9918


「自分(家族)の健康は自分でしか護れない」【癌の原因:生活習慣と食品添加物と洗剤】喫煙、ストレス、化学調味料+人工甘味料【動画あり】、合成洗剤=界面活性剤(食器洗剤、洗濯洗剤、シャンプー、ボディーソープ、歯磨き粉..http://enzai.9-11.jp/?p=9920


★相撲の呼び方

2012年02月12日 15時53分35秒 | 色んな情報
★相撲の呼び方
浅学広知 頭の中を 駆け巡り   自由律
派生して 何処へ行くやら 当て知らず
一捻りしてみた。対した句ではないけど。
 
面白い言葉がドンドン生えてくる。
頭の中で次から次へと。
時々 ど忘れして思い出すのに一苦労。
 
「スマヰ」→「すまひ」→「すまふ」→「すもう」
コレは何となく判るけれども「スマヰ」は何処から来たのか。
「スマヰ」と言う言葉が初めから有りそれから派生したのなら解る。
でも何も無いものに名前を最初から「スマヰ」と付けているのはどうも腑に落ちない。
調べても答えは出てこなかった。
 
「捔力」「角觝」「角力」までは何となく判るけれども 手乞(てごい)これは何か。
日本の古武道の総元締めのようである。
城もんではほとんどが争い事が無くて過ぎ去っていた。
弥生になると貧富の差も少しずつ出て来てトラブルも増え欲も増えてきたのだろう。
其処に手乞(てごい)が登場してきたのだろうね。
何時の時代も欲とトラブルは付いて来る。
手乞(てごい)の奉納が相撲や他の武術に別れていった。
「花道」というものもそのあたりで出てきたのではないだろうか。
相撲と歌舞伎
全然違う道で 今でも使用されている。
色んな物の「捔力」を辿るのも当事者なれば良いけど傍で見ている分には存分 ツマラナイ部分も有るけど。
昔を夢想してみるのもタマには良いのでは無かろうか。
日本を愉しむために。
 
 
★相撲の呼び方 http://bit.ly/zLBgiN
・「すもう」の呼び方は、古代の「スマヰ」から「すまひ」→「すまふ」→「すもう」に訛った。
・「捔力」(『日本書紀』)、「角觝」(江戸時代において一部で使用)、さらに漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により前者の用字を一部改めた「角力」という表記も有る(いずれも読みは「すもう」)。
・古代には手乞(てごい)とも呼ばれていたと言う説も有る。(手乞とは、相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする事を意味する。)
・大相撲を取る人は「力士」(りきし)や「相撲取り」といい、会話では「お相撲さん」とも呼ばれ、英語圏では「相撲レスラー」と呼ばれる事もある。
 
★古武道 - Wikipedia http://bit.ly/zobimK
『日本書紀』に捔力で相手を蹴り殺したとの記述があり、この時代の捔力が相撲の起源と する説もある。これは蹴り技など用いていたと推測され、現代の相撲(大相撲・ アマチュア相撲)とは異なるものである。
 
★相撲捔力(かくりき)起源神話?http://bit.ly/yaNwpP
そろそろ本題に入ります
相撲(捔力)の起源は約2000年前です
日本初の正史『日本書紀』の中の垂仁天皇紀に書かれています
日本書紀は681年天武天皇の命で編纂が始まり40年後に完成
当時の国際語?であった漢文で記され中国王朝を意識しています
 
★角界の源流を探る(1)「久延毘古」考 - 記紀雑考シリア語の残像 http://bit.ly/wPUCXV
日本書紀の「捔力」(つまり相撲)は、「當摩蹶速」の「頓得争力焉」(漢文体 )という発言がきっかけである。これに似た発言が、実は古事記にも出てくる。「建御名方 」の「然欲為力競」(倭文体)という発言である。
 
★「相撲の起源」と「花道」について http://bit.ly/y0qOYt
 
★花道 - Wikipedia http://bit.ly/y17ZwN
花道(はなみち)は、歌舞伎等が行われる劇場で、舞台から客席を縦断するように張り出した部分。
舞台から一続きの廊下のように見える。
役者が舞台上に出入りするために使い、下手(しもて=客席から向かって左側)よりにあるものを本花道、上手(かみて)よりを仮花道という。
仮花道は臨時に設置されることが多く、常設の劇場はまれである。
 
起源は能楽の橋懸に由来するとされる。
歌舞伎では花道から登場する人物は、七三の位置(花道を十等分して舞台から三分目と四分目の間)で一旦動きを止め、短い演技(長いこともある)を見せるのが定石である。
本格的な花道には七三にすっぽんと呼ばれる小型のせりがあり、脚本・演出にあわせて使用される。
 
観客から見て二次元的な存在の舞台上から、役者が客席側に出ることで三次元的な演出を可能にしている点で、演劇史上特筆すべき装置といえる。
 
・相撲で、力士が土俵に向かい、また控え室に戻るための道も花道という。
・転じて、華々しい去り際を言う言葉。ある分野で活躍した人物が、華々しく見送られるときなどに言う。
・去り際以外にも、華々しい人生の歩み方を言うこともある。
 
★相撲節会 - Wikipedia http://bit.ly/yHcWAH
相撲節会(すまひのせちえ)とは、奈良・平安時代にかけて行われた宮中の年中行事。
射礼や騎射(後に競馬)と並んで「三度節」とも呼ばれた。
 
記紀にも相撲に関する記事が多く見られ、相撲自体は古くから行われていることは確実 であるが、相撲節会の最古の記録は『宮中行事秘事』などに伝えられる聖武天皇の神亀 3年(726年)に諸国より相撲人(今日の力士)が貢進されというものである。
 
★相撲節(前)http://bit.ly/xutJ43 ★相撲節(後)http://bit.ly/xHPQsN
さて、抑も相撲節というものは何のためのものなのか。
あっさり記せば、「「相撲節会」とは国家安泰と五穀豊穣を祈った大規模な平安時代の天覧相撲」(「大相撲」平成 6年12月号「再現・平安朝相撲節会」写真解説文)、「古来相撲には服属儀礼や、攘災に関係する要素があり、宮中では攘災や国家安泰を祈願し、武術の鍛練とともに娯楽の目的で相撲を行い、天覧に供し宴を賜う慣行があった」(新日本古典文学大系「続日本紀(二)」)、「朝廷行事としての相撲節の源流は、農耕儀礼と服属儀礼の二つの側面に求められるのが常である」(「相撲の歴史」新田一郎著)となる。
 
★すまい‐の‐せち【相撲の節】 の意味とは- Yahoo!辞書 http://bit.ly/xPzEXE
 
★骨法 (格闘技) - Wikipedia  http://bit.ly/w984HJ
伝承について
奈良時代の神亀3年に志賀清林によって「突く・殴る・蹴る」の三手が禁じ手にされたといわれ、一般的には古代の相撲の異称とされる「手乞」は禁じ手制定以前の、この武術の呼称であるとしている。
純粋な武術を「手乞」・武術を応用した医療行為が「骨法」とする。
 
★合気の源流“手乞(てごい)”-鬼の冠を読んでの考察 http://bit.ly/w8um0S
安直にwikipediaで調べてみますと、“手乞(てごい)”とは「相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする。
気になるのは、手乞には“両手を活用鍛錬する”“相手の手を掴む”といった“手”の扱いがポイントであることです。
 
★忍之者と武術 http://bit.ly/ylm9bp
古代には、角力、拳打、手返、手乞等と称されていた、徒手格闘の武術を淵源とされており、従って他の古流柔術や拳法の様に、種々の武器は使用しない。
急所の名称も独特なものであり、柔術によく採用されている揚心流系の名称は皆無である。
 
★力士 - Wikipedia http://bit.ly/x9u798
力士(りきし・ちからひと)とは、相撲をする人間のこと。
厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。
相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。
しばしば関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は大関のことを指す異称であり、現代では十両以上の力士のことを指す。
幕下以下の力士は力士養成員(りきしようせいいん)と呼ばれる。
また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめてお相撲さんとも呼ばれる。
 
わんぱく相撲や大学の相撲部などのアマチュア相撲で相撲を取る者は四股名を持たないため厳密には力士ではない。
 
★関取(せきとり)http://bit.ly/xtZaWE
大相撲の番付で、幕内、十両の力士を指す。
これに対し、幕下以下の力士は取的(正しくは力士養成員)という。
 
★廻し(化粧廻しを)http://bit.ly/vZl88D
廻し(まわし)は相撲競技で用いられる用具である。ふんどしの一種。
まわし、回し、相撲褌とも表記され、外国人競技者の間では「相撲ベルト」とも呼ばれている。
 
★土俵入り(どひょういり)http://bit.ly/ypDgcb
大相撲の力士が土俵の上で行う儀式のことである。
横綱が行うものは横綱土俵入りとして区別される。
 
★大銀杏(おおいちょう)http://bit.ly/vZ4vaB
大相撲において、十両(十枚目)以上の関取が結うことができる髪形である。
また、幕下以下の力士でも、十両との取組がある場合や、弓取式、初っ切り、断髪式を行う際には結うことができる。
髷(まげ)の先端が銀杏の葉に似ていることからこの名がある。
関取でも大銀杏は正式なときにのみ結うものとされており、稽古時など普段の髪形は丁髷である。
力士の大銀杏は江戸時代に武士の間で見られたものとは異なり、前頭部は剃られず月代(さかやき)にはなっていない。

★付き人(付け人から転送)http://bit.ly/vZrK4C
付き人(つきびと)とは、一般的に、徒弟制度やその流れを汲む育成システムが存在する組織の中にあって、序列・位・格などが上位の者の側について、雑用・下働きを務める者のことである。
いわゆる「かばん持ち」などがこれにあたる。
付け人(つけびと)、内弟子(うちでし)とも呼ばれる。
雑用や下働きを通じて入門者の根性や熱意を見極めるともいわれているが、徒弟制度の影響のない組織には存在しない慣習である。
 
各業界においてもこのような役割の人々が存在する。


★大相撲(おおずもう) ★十両以下   関係団体

2012年02月12日 12時43分51秒 | 色んな情報
★大相撲(おおずもう) ★十両以下   関係団体

★相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもある(「弓取り式」の本来の意味から)。
古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。
近年では、日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。
★幕下(まくした)http://bit.ly/zQCtfo
大相撲の番付における階級のひとつ。十両の下で三段目の上。
十両のなかった時代には幕内のすぐ下の階級であったためにこの名がある。
番付では上から二段目に記載されるので、正式名称は「幕下二段目」である。
江戸時代には十両の地位が存在しなかったので、幕下に位置していても、幕内力士との対戦が組まれていた。
現行の制度では東西60人ずつ、合計120人が定員であるが、アマチュア相撲で実績があり、幕下10枚目格または15枚目格付出の力士についてはそれに含めない。
関取をうかがう地位であり、十両への昇進を目指す者と十両から陥落した者との間で、最も競争の厳しい地位でもある。取的力士も、幕下の上位まで昇進すればまず一人前の力士に必要とされる基本的な体格や技量を一応は満たしているとみなされるが、関取として一人前に扱われる十両と、力士養成員扱いの幕下とでは、その待遇に雲泥の差があるため、俗に「十両と幕下は天国と地獄」とまで言われる。
幕下に昇進すると博多帯(博多織の帯)と冬場のコートを着用でき、中でも将来有望と見込まれた力士は稽古に専念させるため、多くの部屋でちゃんこ番などの雑用を免除するなど、三段目との待遇差も一目瞭然である。
 
★力士養成員(りきしようせいいん)
大相撲の番付で幕下以下(幕下、三段目、序二段、序ノ口)の力士を指す。取的(とりてき)と呼ぶこともある。
ただし、取的という言葉は、序二段・序の口などの特に下級の力士養成員について使うことが多い。
 
★三段目(さんだんめ)は、大相撲の番付における階級のひとつ。http://bit.ly/wuO0hV
幕内、十両、幕下に次ぐ地位で、番付表の上から「三段目」にその位の力士の四股名が書かれることに由来している。
現在の定員は東西100人ずつの計200人である。
 
★四股名(しこな)とは、日本の国技「相撲」における力士の名前である。http://bit.ly/w1zJDj
 
もともとは醜名と書いた。この場合の「醜」とは「みにくい」という意味ではなく、「醜男」などの言葉と同じように「逞しい」という意味である。
いつからか四股と相まって「四股名」と書かれるようになった。
しこ名と書かれることも多い。
 
改名するときは、各場所の千秋楽から番付編成会議までの間に改名届を提出し、編成会議において承認される。
 
★番付(ばんづけ)http://bit.ly/xiIUuw
大相撲における力士の順位表。正式には「番付表」という。
ここから転じてその他さまざまなものの順位付けの意味でも用いられる(長者番付など)。
格下のものが上位のものを倒す「番狂わせ」などの言葉はここから発している。
すでに江戸時代にはこの形式を借りて、古典園芸植物の品種や各地の名所、温泉、三味線演奏家、遊女、落語・講談などの寄席芸人や歌舞伎役者など、ありとあらゆるものをランク付けし、それを番付表として出版することが盛んに行われた。
 
もともとは、興行の場所に、板に記されて掲示されることにより、今回の興行に出場する力士の名前と序列を明らかにすることが目的であった。
古番付が基本的に写本の形式で伝承されているのはそのためである。
しかし、興行の規模が拡大し、広く告知する必要が生じたために、木版印刷の形式で番付を発行(享保年間(1716~1735年)に木版印刷となる)し、直接相撲場に行く前に、興行の概要を知ることができるようにした。
現在でもこの流れを継いで、行司による毛筆書きを写真製版して印刷している。
 
★番狂わせ(ばんくるわせ)http://bit.ly/wauluY
勝負や試合などにおいてほぼ勝つと思われていたチームもしくは人が負け、ほぼ負けると思われていた(ノーマークだったもしくは捨て石だった)チーム、人が勝つことである。
また、このような定義に当てはまらず、圧倒的な実力差で決着するとみられた勝負で接戦となる場合などにも使われることがある。
 
★試合(しあい)http://bit.ly/w6tKJE
スポーツ、遊戯などで競技を行う事、またはその出場記録を指す事もある。
 
野球においては、試合に出場した選手は、どの様な形の出場(偵察メンバーも含む、ただし指名打者にはいった場合は1度打席に入らなければならない。)であれ、試合出場が記録される。
 
★捨て石   http://bit.ly/wEXc6Z
1.石の状態や用途で、次のものをいう。
・道端や山野に転がっている石。
・日本庭園で、おもむきを出すために置かれる石。
・堤防や橋脚の工事で、水の勢いを弱めるために水中に投入する石。
・鉱山や炭鉱で、採掘などの際に捨てられる無価値な石。ずり。ぼた。廃石。
2.囲碁用語のひとつ。本項で解説する。
3.上記の囲碁用語から転じて、今は無駄なように見える、将来の利益を期待して行う投資や行為のこと。
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囲碁において捨て石(すていし、捨石)とは、意図的に相手に取らせることで利益を得るために打たれる石のことである。
序盤からヨセの段階まで、ゲームの進行の各段階においてしばしば用いられる手筋であり手段である。
 
★前相撲(まえずもう)http://bit.ly/yepzmW
大相撲において番付外の力士が取る相撲のことである。
前相撲は、本場所の3日目(3月場所は2日目)から、序ノ口の取組の前に行われる。
出場する力士はその場所前の新弟子検査に合格した者と、序ノ口から番付外に陥落している者である。
相撲を取り翌場所の番付で序ノ口に四股名が載る資格を得ることを「出世」という。

入門者の多い3月場所では、「出世披露」(後述)を行う順序を決める。順序は先に2勝をした者からで、5日目までに2勝を挙げた者が一番出世、6日目以降8日目までに2勝を挙げた者は二番出世、9日目以降に2勝を挙げた者及び最後まで1勝以下だった者は三番出世とされ、それぞれ当該期日の三段目の取組中に出世披露が行われる。
このように定められた時期は1994年(平成6年)3月場所からで、それまでは3勝した者が一番出世とされていた。

3月場所以外の場所では、2勝した者から勝ち抜けていくが、出世披露は成績にかかわらず8日目に一括して行われる。

前相撲での出世順や成績が、翌場所の序ノ口内での出世力士同士の番付順にそのまま反映される。
かつては1勝も挙げられなければ出世は留め置かれていたが、現在は1勝もできなくても、1番でも前相撲を取れば出世することができる。
 
いったん序ノ口に上がっても、序ノ口の地位で怪我等で全休(不戦敗含む)すると、番付外に落ちる。序ノ口に復帰するためには再び前相撲を取らなくてはならない。番付外に落ちた力士が出世することを特に再出世という。
再出世の力士は、以前は出世披露されていたが、現在では行われていない。現・立浪親方の元小結・旭豊は3度も出世披露を受けている。
 
★序二段(じょにだん)http://bit.ly/zlGmar
大相撲の番付上の地位のうちの1つであり、序ノ口の上、三段目の下の地位である。
番付表の下から2段目に書かれることに由来する。
 
三段目以上とは異なり定員は決まっておらず、近年ではおおむね東西各約120枚から150枚程度が在籍する。1991年(平成3年)~1995年(平成7年)の若貴ブーム時代には、新弟子が激増したため、200枚を超えることもあった(現在までの最多枚数は平成6年5月場所の210枚)。序ノ口との比率は、規定はないが、序二段4に対して序ノ口1程度とみられる。

序ノ口で勝ち越した力士のほとんどは翌場所序二段に昇進する。
 
1950年代までは、場所前半の前相撲で成績優秀だった力士の「新序出世披露」を行い、当該場所後半に新序として序ノ口の取組に組み込み優秀な成績をあげた場合には、次場所でいきなり序ノ口を飛び越して序二段の番付に載せたことがあった。
現在は前相撲の力士が序ノ口の力士と対戦することはないため、力士は必ず1場所以上の序ノ口経験を必要としている。
 
枚数が多いためしばしば全勝力士が複数現れ、千秋楽に優勝決定戦となることが多くなっている。
 
★新序(しんじょ)とは、http://bit.ly/yCHAOw
1.大相撲の階級のひとつである。本稿で解説する。
2.中国漢代の儒者、劉向の著書のひとつ。
・概説
相撲協会に入門した新弟子は、番付につく前に、前相撲をとる。
そこで成績優秀な場合に、新序出世披露をうけ、翌場所から番付に載ることが一般的な流れである。
 
新序出世披露は最近では三段目の取組途中に行われることが一般的になっている。
 
このとき、場所の序盤に出世披露をうけた新弟子を、序ノ口扱いにして、正規の取組に組み込んで相撲をとらせたことがあった。このときの地位を新序と呼んだ。
序ノ口扱いになるため、ここでも勝ち星をあげていけば、翌場所、最初に序二段に名前が載ることもあった。
1950年代まではこの制度が生きていて、後の大関北葉山英俊なども、この過程を経て、序二段で番付についている。
 
1960年代以降、このしくみは使われなくなり、出世披露を受けた新弟子は、すべて翌場所序ノ口に出ることになっている。
 
★序ノ口(じょのくち)http://bit.ly/x2H51h
大相撲の番付の最下位の階級。番付表では最も小さい文字で書かれるため、「虫眼鏡」とも呼ばれる。
 



★アマチュア相撲 http://bit.ly/zhDpNo
アマチュア相撲は、相撲のアマチュア競技。国内競技は日本相撲連盟、国際競技(IF)は国際相撲連盟が統括しており、プロの力士が所属する日本相撲協会(大相撲)とは異なる。具体的には、学生相撲や実業団相撲のことを指す。なお、日本相撲協会に所属した経験のある者でも、現役時代の地位によってはアマチュア復帰が認められることもある。
日本武道協議会に加盟し、学校教育にも採用されている武道種目であるが、柔道・剣道など他の武道と比べると競技人口はかなり少なく、トップレベルの選手と草相撲レベルの選手の競技人口が逆転しているという、逆ピラミッド型のいびつな構造となっている。
 
★財団法人日本相撲連盟(にほんすもうれんめい、Japan Sumo Federation)http://bit.ly/AFcl3M
日本のアマチュア相撲を統括する団体で、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管の財団法人である。
 
相撲の普及と振興を図るとともに国民の心身の健全な発達に寄与することを目的としており、日本武道協議会、日本体育協会、日本オリンピック委員会(JOC)、国際相撲連盟に加盟している。
 
大相撲を統括する日本相撲協会とは別団体である。
 
★日本武道協議会(にほんぶどうきょうぎかい)http://bit.ly/xEcEXk
日本における武道を統括する団体の一つである。武道関係10団体で構成される。
 
国内を統括する各武道連盟との連絡融和を図って、柔道・剣道・弓道・相撲・空手道・合気道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道を奨励し、その精神を高揚すると共に健全な国民の育成に努め、世界の平和と福祉に貢献することを目的としている。
 
★公益財団法人日本体育協会(にほんたいいくきょうかい)http://bit.ly/zDU4Pv
日本のスポーツ競技連盟、協会および各都道府県の体育協会を統括する団体。
略称 JASA、体協、日体協。
 
★国際相撲連盟(こくさいすもうれんめい)http://bit.ly/wGWIXa
1992年12月10日に創設された相撲団体である。
日本相撲連盟が日本相撲をスポーツをとして広めようとした際に、国際的なアマチュア相撲の団体として作ったものである。
またオリンピックへの相撲の参加を目指して作られたという意図もある。
 
★大相撲(おおずもう)は、 http://bit.ly/vDIxdB
日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な最高位の力士たちによって行われる神事や武道、または興行としての相撲である。加えてその母体となる力士・関係者の集団・社会を指す。
日本相撲協会が主催する相撲興行。
がっぷりと四つに組んだ力士同士の力が拮抗して、なかなか決着がつかない相撲の取組。
大相撲実況中継では、おおよそ1分を超える取り組みで用いる。
おおよそ4分を超えると「水入り」になる場合がある。
 
★伝統(伝統文化から転送)http://bit.ly/A9YK56
伝統(でんとう、英: tradition)とは、人間の行動、発言、思考及び慣習に見出される歴史的存在感を総称していう。
または、人間の生存・生活の中に長い歴史を通して表される種々の慣習や形式、価値観を総体的に指し、狭義には、個々の集団が個別に有する慣習、形式、価値観を指す。

伝統はまた、それまでの歴史の中で形成されて来た種々の形態の中から、特に重んじて次世代に継承すべきものに対する精神的な立場を指す。

★大相撲(おおずもう) ★十両(じゅうりょう)まで

2012年02月12日 12時43分51秒 | 色んな情報
★大相撲(おおずもう) ★十両(じゅうりょう)まで
相撲は面白くて楽しい競技である。
古くから行われているもので昔は学校や神社には必ずといって良いほど土俵があった。
今では数少なくなっている。
邪魔だとか言って。
奉納相撲という名称がある。
昔から神に捧げるものであった。
子供の頃は土俵の上に上がるのは特別なことであった。
土俵から投げ飛ばされることが再々で悔しい思いをしたものである。
一段高くなるから周囲が見渡せて人の目を憚り登ったものである。
少し照れくさかったかな。
現在の子供はそんな思いも体験できないのだろう。
さみしい世の中に成ったものである。


★横綱(よこづな)http://bit.ly/xZ7IXn
大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。
語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。
現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。
従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。

現在の大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。
それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。

横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。

古くは戦国時代から、黒白横綱という黒と白を混ぜて撚り合わせた綱が存在していたとされる。
この綱を締めた18世紀の力士の浮世絵が現存している。

当初は大関の中で横綱を付けられる者のことを「横綱」と呼んでいた。(谷風・小野川は関脇で横綱になっている。
また、不知火諸右衛門は横綱免許後に関脇で取っている。)このことから横綱になることを「綱を張る」と表現する。
また、横綱は、当初、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったため、番付では大関が最高位であった。
それゆえ、雷電爲右エ門のように現在なら当然横綱に値するような成績を残しながら横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくない。
当時の力士は多く大名の御抱えであり、その力関係や派閥争いの影響で、横綱を逃すケースもあったと考えられる。
 
★吉田司家(よしだつかさけ)http://bit.ly/zjhKg1
現在まで800年以上の歴史を持つ、相撲の司家である。
 
志賀清林を祖とする志賀氏の断絶後、志賀氏に代々受け継がれてきた故実・伝書などを受け継いだ初代、吉田家次(吉田豊後守 ぶんごのかみ)から始まり、相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗る。
元来、京都二条家に奉公し節会相撲の行事官として務めていた。
その後、二条家の許しを受け、細川綱利に招聘され熊本藩に仕え、武家奉公をした。以来、熊本県熊本市に住む。
相撲に関する全権は、後鳥羽天皇より委ねられたという。
 
江戸時代には、勧進相撲が取り行われるようになり、19代吉田追風は横綱制度を考案し1789年(寛政元年)11月、谷風・小野川に横綱を免許した。
 
★行司(ぎょうじ)http://bit.ly/wmxtvU
相撲において取組の有利・不利を判断し、勝者を判定する役目の者である。

大相撲においては、取組中に「発気揚々」(はっけよい)「残った残った」などの取組中の力士に声を掛ける、観戦の邪魔にならないように移動する、力士の緩んだ廻しを締め直す(まわし待った)、力士の外れたさがりを土俵の外に除ける、水入りの場合に両者の立ち位置や組み手などを決める、など様々なことをこなさなければならない。他にも番付を書く、決まり手をアナウンスするなどの仕事がある。

力士同様、行司も各相撲部屋に所属する(ただし、1958年から1973年まで、行司部屋として独立していた時期があった)。
行司の定員は45人。
上下の差が顕著な相撲界においては行司も例外ではなく、『審判規則』第20条により裁く階級によって行司の装束も大きく変わる。
『審判規則』第1条により直垂、烏帽子の着用(1910年(明治43年)5月に裃袴から変えた)と軍配を持つことが決められている。
 
★立行司(たてぎょうじ)http://bit.ly/z07n6V
大相撲の行司における最高位の階級。
かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため行司の横綱に相当する。
 
★大坂相撲(おおさかずもう、大阪相撲)http://bit.ly/xc1rNI
江戸時代から大正の末まで存在した相撲の興行組織。
 
★勧進(かんじん)
仏教の僧侶が衆庶の救済のための布教活動の一環として行う行為の1つで勧化(かんげ)ともいう。
直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める者や寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求める者がいたが、中世以後には後者の行為を指すことが一般的となった。
 
勧進帳(かんじんちょう)とは、勧化帳(かんげちょう)とも呼ばれており、勧進の目的について書かれた巻物形式の趣意書を指す。
 
勧進の発願趣旨に始まり、念仏・誦経の功徳、寄付・作善に関わることによる功徳(現世利益・極楽往生)などを説いている。
勧進聖は説教を聞くために集まった人々に対してこれを読み上げ、あるいは閲覧させて、寄付・作善を通じた結縁を呼びかけた。
なお、勧進帳とは対として寄付の実績などを記した奉加帳がある。
 
・勧進相撲(かんじんずもう)
宮廷行事としての相撲節会は承安4年(1174年)に廃止されている。
その後、相撲は武家社会に根づき、武士たちの屋敷で行われるようになった。
 
いっぽう、現在の大相撲は神社仏閣の再興や造営の費用を捻出するための江戸時代初期の勧進相撲(かんじんずもう)に端を発している。
勧進相撲は、京都、大坂、江戸の三都を中心に開かれた。
当時、各地に職業的な力士集団が生まれつつあり、勧進相撲に招かれては出場した。
しかし、戦国時代の気風が抜けきれず、様々な問題を引き起こしたため、江戸幕府は慶安元年(1648年)に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。
 
★奉加帳(ほうがちょう)http://bit.ly/zKhM8S
寺院・神社の造営・修繕、経典の刊行などの事業(勧進)に対して、金品などの寄進(奉加)を行った人物の名称・品目・量数を書き連ねて記した帳面のこと。寄進帳(きしんちょう)とも呼ぶ。
 
本来、こうした事項は勧進の趣旨などを記した勧進帳の末尾などに書き連ねられていたが、勧進活動が盛んになってきた平安時代末期から鎌倉時代にかけて、従来の勧進帳とは別に奉加帳が作成されて寄進者の人名とその内容について記載されるようになり、更には勧進に参加した奉加者の願い事などが付記されるなどの独自の帳面へと発展していった。
 
近世に入ると、一般の行事に際して行われる寄付に際して、寄付者とその内容の記載のために作成された帳面のことも奉加帳と呼ぶようになった。
 
★大関(おおぜき)は、大相撲の階級。http://bit.ly/z07p7m
「大関取」が語源とされ、かつては力士の最高位だったが、現在では横綱に次ぐ地位。
一般に「三役(力士)」というと、「大関・関脇・小結」を指す。
三役の最上位であり、制度上の特権も多く、関脇や小結とは区別して扱われることが多い。
そのため三役を「関脇・小結」のみを指すこともある。
 
東西に最低1名ずつ常設され、空位となる場合には横綱力士が「横綱大関」としてその座を兼ねる。
それも適わない時には、関脇や小結から繰上げで昇進をさせることになるが、そのような例は近年はほとんどない。
江戸時代には大関に適した者が居ない時など看板大関といってただ大きくて見栄えがするというだけの理由で名前だけの大関にしたケースが多かった。
 
★三役(さんやく)http://bit.ly/yHiI5r
大相撲の幕内力士のうち
 ・番付上の三役: 1) 大関・2) 関脇・3) 小結
 ・但し大関は特別な地位のため、関脇・小結のみを指すことが多い。
・三役揃い踏み: 千秋楽結びの三番の前に、大関・関脇・小結に相当する力士がそろって土俵上で四股を踏むこと。番付によって大関が一人または不在の場合は平幕がこれに含まれることもある。
・これより三役: 千秋楽結びの三番にでる最上位の力士。横綱が含まれる。番付によって横綱や大関が不在または少数の場合は平幕が含まれることもある。
 
★関脇(せきわけ、せきわき)http://bit.ly/yP4edz
大相撲において大関の下、小結の上の階級。
「大関」の「脇」をつとめる者、という意味が語源とされている。
 
★小結(こむすび)とは、大相撲の番付の階級の一つ。http://bit.ly/zB7Lm5
関脇の下の地位で、三役の最下位。
由来やその語源はわかっておらず、諸説があるにとどまる。
 
★前頭(まえがしら)とは、大相撲の力士の格付けの一つ。http://bit.ly/A6TUf9
幕内力士のうち、横綱と三役(大関・関脇・小結)を除いた力士を前頭という。
役についていない幕内力士という意味で、平幕(ひらまく)と呼ばれることもある。
 
江戸時代の前相撲の頭が語源であるため、正確には「役力士」と「前相撲」の両極端に位置する力士以外の全力士の格付けは前頭であり、したがって番付表では十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口の力士も「前頭」の格付けと四股名が記載される。一般で使用される「狭義の前頭(=平幕)」と、「広義の前頭(=番付表上の前頭)」がある。
なお、幕下以下の力士の場合は簡素化のため数名ごとに横長の「同」の字が冠される。
 
前頭は上から前頭筆頭(一枚目とは呼ばない)、前頭二枚目、前頭三枚目……と呼ばれ、それぞれ東西一人ずついる。
幕内力士全体の定員は決まっており(2004年1月場所から42人)、横綱と三役力士の人数によって、場所ごとに前頭の人数は変わる。
 
前頭の地位で横綱を負かすことを金星(きんぼし)といい、獲得する毎に給金が上がる。
これに対し大関を負かすことを銀星(ぎんぼし)、または殊勲の星(しゅくんのほし)ということもあるが、これは給金に影響しない。
 
★十両(じゅうりょう)は、相撲の番付に於ける階級の一。http://bit.ly/yuZdWk
幕内の下、幕下の上。これより上の力士は関取として扱われる。
番付における正式な名称は十枚目。
明治時代に給与制度の導入と共に創設された階級であり、幕下の上位10枚目以内の力士には場所毎に給与が支給された。このことから、正式な名称を「十枚目」という(2004年1月場所以降定員は東西14人ずつ28人以内)。
新十両力士(再十両も含む)は、新番付発表の日をもって、関取として処遇される。
 
筆頭力士を「貧乏神」・「瀬切り」と称すことがある。
初日と千秋楽には、十両の取組残り3番で「協会御挨拶」を行う。