わたくし郡上おどりファンとして、ぜひ訪れておきたい場所があり、先日、行ってまいりました。
郡上おどりの一つ、“ヤッチク”の歌詞の中に、学生の頃習った、郡上一揆に関わる内容が出てきます。
宝暦年間、時の城主、金森出雲守頼錦の厳しい年貢の取り立てに百姓衆は大変難儀をしたようで、ヤッチクの歌詞に「かかる難儀に甚助殿は上の噂をしたとの科(とが)で直ぐに捕らわれ水牢の責め苦、責めた揚句が穀見ヶ原で哀れなるかな仕置ときまる」と出てきます。
その、穀見ヶ原で仕置、つまり処刑されたという事実があったのか?実際に処刑場があったのか興味が湧き、ネット検索してみたところ、実際に“穀見野刑場”があったようで、その供養塔(墓標)が存在する事を知りました。
であるならば、一度はその場所を訪れなければならぬ…との思いに至ったのです。
調査の結果、郡上八幡地内の某ガソリンスタンドの裏に有る事は分かったのですが、詳しく所在が分からず、郡上八幡観光協会に電話をして確認し、行ってきた次第であります。
ある文献に、郡上一揆の後、金森家はお家断絶、その後、青山丹後守幸道が郡上藩主となり、一揆で荒れた領民の融和を図るために、おどりを奨励したとあり、一揆での多くの犠牲の下、現在の郡上おどりの繁栄がある…と云う事で、墓標に手を合わせ、ご冥福をお祈りすると同時に、感謝の気持ちをお伝えしました。
今後も、郡上おどりと郡上八幡の研究を継続していきたいと思います。