有馬在住

有馬温泉の旅館で働くスタッフのブログ。
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有馬サイダーてっぽう水

2007-08-12 18:50:22 | 有馬温泉

有馬サイダーてっぽう水

8月に入ってからは、暑い日が続いています。有馬温泉街や旅館では、レトロ調のサイダー瓶を手にするお客様をよくお見かけします。

これは、明治時代に日本で始めて作られたサイダーを5年前に復刻した平成版の「有馬サイダーてっぽう水」です。

今回は、この「有馬サイダー」のいわれについてまとめてみました。

 

1.日本初のサイダーの誕生

鳥地獄の石碑

(1)有馬の昔話:「地獄谷(鳥地獄・虫地獄)」

“むかしむかし、有馬温泉の山手の谷あいには、温泉の影響で毒水が湧き出ていました。そこにある池の水を飲むと、鳥も虫も苦しんで死んでいきました。そこで、いつしか、人々はこの地を「地獄谷」、「鳥地獄」、「虫地獄」と呼ぶようになりました。今では石碑だけが残っています。”

注:「有馬の昔話:全16話(和文・英文)」を龍泉閣ホームページでご覧いただけます。

虫地獄の絵葉書

(2)有馬町の南側、射場山と愛宕山の谷あいは杉ケ谷と言いますが、ここにある断層の白っぽい岩肌の割れ目からガスが噴き出し、洞穴には泡を含んだ水が湧き出していました。その穴に鳥や虫が入ると苦しんで死ぬのを見て、有馬の住民はそれを鳥地獄、または、虫地獄、湧き出た水を毒水と呼んでいました。

(3)太閤秀吉の全盛期に、三田藩主の山崎家盛がこの毒水を炭酸水と知って、温泉場を造ろうとしましたが、有馬の住民は「毒水を使うと恐ろしいことになる」と秀吉に直訴し、造成工事を差し止めさせました。そこで、家盛は怒って有馬の住民を皆殺しにしたと伝えられています。

炭酸泉源公園

(4)明治初年には、有馬は湯山町と呼ばれていました。1873年、湯山町長の梶木源次郎が有馬の杉ケ谷に炭酸ガスを含む泉があると聞いて、兵庫県庁に調査を依頼した所、内務省司薬場の検定により毒水が良質の炭酸水であると確認されました。

炭酸泉源公園

(5)有馬温泉では、古来、湯治の効能が著しいと評判の高い赤褐色の含鉄塩化ナトリウム泉があり、赤湯、または金泉と呼ばれていましたが、以後は、この毒水、つまり無色透明の二酸化炭素冷鉱泉が銀泉と呼ばれるようになります。

炭酸泉源

(6)有馬温泉街の外れ、愛宕山の東に伸びる通称「タンサン坂」を上ると炭酸泉源公園にたどり着きます。神社のような建物の中央に、円筒状の赤茶けた丸石があり、冷えた炭酸水が湧き出しています。建物脇に飲用の蛇口があり、ピリピリとした炭酸独特の味を楽しむことが出来ます。

炭酸泉源の絵葉書

(7) 堺の酒造家で、清酒「春駒」の醸造元である鳥井駒吉は、日本で初めて清酒を瓶詰めし世界各国に清酒を輸出した明治の大起業家です。1882年に日本初の民間鉄道会社である阪堺鉄道 (現在の南海電鉄)、1887年には大阪麦酒 (現在のアサヒビール)を設立しました。1901年に、彼が発起人となって設立した「有馬鉱泉株式会社」は、有馬に湧き出る炭酸水を瓶詰めし、炭酸入りのミネラル・ウォーターとして海外に輸出し始めました。

有馬サイダーのラベル

(8)1906年には、炭酸水に香料や甘味を加えて「有馬炭酸鉄砲水」という名称で清涼飲料水の製造が始まりました。さらに1908年には本格的に製造が軌道に乗り、年間2~3千箱も出荷するようになりました。栓を抜くとポンという音がしたので、「てっぽう水」というネーミングになったそうですが、その後、「有馬サイダー」と呼ばれるようになりました。そのラベルには“曾て杉ヶ谷に湧出し毒水と恐れられし炭酸水が日本のサイダーの原点なり”と書かれていました。

三ツ森の炭酸煎餅

(9)さらに、炭酸水を使った土産物としては、1907年頃、三津繁松が炭酸煎餅(せんべい)を作り始めました。パリッとした食感とあっさりとした昔懐かしい味で100年後の現在も、有馬名物として全国的に人気があります。

(10)有馬鉱泉は、新たに登場したライバル・メーカーに対抗するために、1911年にはイギリスから最新式設備機械を購入し、大量生産を開始しています。1913年には、大砲のデザインが入った角型のサイダー、それ以後も「有馬シャンペンサイダー」、「有馬ストロベリーポンズ」、「鼓シトロン」など数多くの商品を市場に出しています。

有馬郡誌

(11)1924年に「金泉飲料」に買収され、翌年には「日本麦酒鉱泉」に再度買収されたため、1926年には有馬でのサイダー製造は終了しました。旧有馬郡の歴史を伝える「有馬郡誌」には、“日本麦酒株式会社が製造せる鼓サイダー、金泉サイダー、有馬サイダーは大正十一年(1922)の産額二百十八萬餘本、価格約十五萬圓を算す。”と記されています。

 

2.復刻版「有馬サイダー」の登場

(1) 2002年秋、有馬の温泉宿「御所坊」の金井啓修さんや「有馬片山幹雄商店」の片山康博さんらは、町興しの一環として新しい有馬土産を作ろうと、日本初のサイダーの復刻版を思い付きました。昔ながらの味を出すために炭酸は少々きつ目に仕上げ、昔風のイメージをつけるため「有馬八助商店」なる合資会社を設立し、かつてのトレードマークの大砲のラベルをデザインし、「有馬サイダーてっぽう水」として有馬の町中で売り出しました。

ぬくもり屋でも販売しています

(2)復刻版の「有馬サイダー」は、昔ながらの味を再現したサイダーとして観光客の人気を集めて、出荷数は年々倍増し、2006年には約10万本を売るヒット商品となっています。 1本340 ml入りで250円です。龍泉閣の駄菓子屋コーナー「ぬくもり屋」にも置いています。有馬温泉へお越しの際には、ぜひご賞味ください。


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