駄菓子と言えば「マルカワのフーセンガム」を忘れてはいけませんよね
この6個セットのパッケージには、昔懐かしい「ひょっこりひょうたん島」などが描かれています
「ぬくもり屋」コーナーで販売していますので、ご来館の際はお立ち寄りください
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昨日は、念仏寺で、「沙羅の花と一絃琴の鑑賞会」が開催されました。
念仏寺の庭には、樹齢250年の沙羅双樹の木があり、真っ白な花を咲かせます。この花は、1日で散るところから無常を感じる花とされています。次から次へと咲き、そして散り行く花は苔の庭にちりばめられ、耳を澄ますと落ち花の音もかそけく心澄み渡るといわれています。
沙羅双樹の花を背に、念仏寺住職の法話を聞き、須磨琴保存会の先生方の一絃琴の演奏を聞きました。一絃琴は、一枚の板の上に一本の絃を張っただけの極めて簡単素朴な楽器で、板琴、一つ緒の琴と呼ばれることもあります。
一絃琴の歴史は、一千百余年の昔(平安時代初期)、中納言、在原行平が勅勘を被って須磨の地に流されたとき、渚で拾った板切れに冠の緒を張って琴を作り、岸辺の葦の茎を爪にして、その琴を弾じながら、はるか都を偲び、自らの寂寥を慰めたのが始まりと伝えられています。このため、古くから「須磨琴」と呼び慣らわされてきました。1976年には兵庫県重要無形文化財の指定を受けるまでになっています。
今年も、たくさんの観光客の皆様にお越し頂きありがとうございました。
念仏寺では、沙羅の花が咲いている期間、拝観料500円で沙羅樹園を見学できます。ほうじ茶、お菓子付ですので、有馬温泉へお立ち寄りの際は、ぜひ、お立ち寄りください。
続いて、柿本神社の西隣にある月照寺のご紹介です。
■月照寺
JR「明石」駅から東へ800m、天文科学館の北側に曹洞宗の人麿山月照寺があります。812年、弘法大師が明石を訪れた際に、赤松山(後の明石城本丸)に楊柳寺を創建しました。887年、楊柳寺の覚証和尚は、大和の広安寺より船乗十一面観世音を勧請して寺号を月照寺と改めました。1621年、寺の境内に明石城が築城されたため、現在地に移されました。
桃山時代風の豪壮な山門は、元来が伏見城の薬医門で、明石城の切手門として移設された後、さらに明治初年に現在地に移設されたもので、明石市指定文化財です。
月照寺の寺門前には、日本子午線標示柱が建っています。
明石市内には、色々なところに日本子午線標示柱があります。
茂った木々の間を、よ~く見ると、柱の上部にトンボが止まっています。
■日本子午線標示柱(トンボの標識)
天文科学館の時計塔を背景にして、月照寺の山門の手前に高さ約7mの「日本子午線標示柱」が立っています。柱の先端には、地球を象徴する球体の上にトンボが止まっているので、「トンボの標識」とも呼ばれます。日本の古名のアキツシマにちなんで、アキツ(トンボの古名)が選ばれました。1884年の万国子午線会議でロンドンのグリニッジ天文台を通る子午線が世界標準子午線と決まり、日本では、それを受けて1888年に丹後半島から明石を経て淡路島に至る東経135度が日本標準子午線と決まりました。1930年、京都大学の天体観測データに基づき、月照寺の山門前に子午線標示柱が立てられましたが、1951年にデータが修正され、約10m離れた現在地に移設されました。
明石は、子午線の街でもあるんですね。