近森(ちかもり)遺跡(住居跡)
近森遺跡は、広島県世羅郡世羅町伊尾に存在する。
丁度、三川(みかわ)ダム堰堤(えんてい)の北西方向にあたり、北側に芦田川の両岸に広がる水田や、集落地が見渡せる、丘陵上にあります。
このあたりは、中世の荘園である「備後大田荘」の桑原郷にあたる地域として、知られています。この付近からは、縄文時代中期・後期から古墳時代前期にかけての遺跡・遺物の出土が確認されています。
今回の調査のなかから、弥生土器・古墳時代の土師器・中世の土師式土器や弥生時代の磨製石斧などが出土しています。
出土遺構のなかで、古墳時代前期の竪穴住居5軒、柱穴多数、土坑20基が見つかっています。
住居内土器出土状況
甑(こしき)出土状況
今回特に注目されるのは、甑(こしき)と呼ばれる用途不明の土器が出土し、この土器は、
山陰系甑(こしき)形土器と呼ばれるもので、今回の調査を含めて広島県下29遺跡で47点目の出土事例となる。
復元甑(こしき)
この甑(こしき)の出土により、古墳時代前期にこの世羅台地には、山陰、特に出雲地方との関係が想定される。
調査:(財)広島県教育事業団埋蔵文化財調査室
世羅町教育委員会
現地見学会:平成17年(2005)12月10日(土)
広島って、吉備辺りとの関連が大きいのかと漠然と思ってたんですが、出雲とも深いかかわりがあったんですね。なるほど~。
広島県南部は、戦国時代に毛利氏と大内氏が手を結ぶまで山陰の出雲地方を押さえていた、尼子氏(月山富田城)の勢力圏でした。
古代にも、山陰との結びつきが色々と残っています。
今は、山陰ですが古代(縄文・弥生を含めて)日本の表玄関でした。