北本庄河床遺跡について
・北本庄河床遺跡は、国土交通省の芦田川改修工事に伴なって行っ
た試掘調査により、発見された遺跡で、芦田川河口から約9.4km
上流にある、現在架かっている山手橋の北側中州内に位置する遺
跡で、その規模は、南北100m、東西50mで面積は、約5000m2
の遺跡です。
発掘調査区
・調査は、2001年度(第1次)と、2002年度(第2次)と続けられて
終了した。
下層からは、弥生時代中期の円形竪穴住居跡(1棟)、円形掘立柱
住居跡(2棟)、柱穴、土坑、墓穴、などの確認をすると同時に、こ
れらを区画する大小の溝などと、多数の集落遺構が重なって見つ
かり、埋土内からは、土器や石器が多量に出土した。
遺構(住居内出土状況)
・遺物については、弥生時代の土器が圧倒的に多く、石斧や石包
丁、打製石器や中世の土器・陶磁器や近世(江戸時代)の土器・陶
磁器も若干出土した。
・弥生土器には、壷・甕・鉢・高杯などの機種があり、大型品から小
型品までさまざまな大きさの土器が出土した。
これらのものは、弥生時代中期のものが大半を占めている。
出土土器(鉢)
出土土器(甕)
出土土器(壷)
出土土器(壷)
・石器については、閃緑岩製の磨製石斧、泥岩製の磨製石包丁、
安山岩を使用した打製石器やその破片、砂岩製の砥石などが出
土した。
石製品出土状況
石器(石包丁)
磨製石斧
石製品
・上層遺構については、江戸時代の床止・堤防・石組井戸・木樋、中
世の井戸・溝を検出し、ここより下流にある草戸千軒町遺跡と同時
代の集落が存在していたことが明らかになった。
また、木樋の出土により、江戸時代に干拓造成を行った際に芦田
川からの水を感慨用水として、引き込んだと言われていたが、その
引き込み口と考えられている。
出土した木樋
石組井戸(近世)
・今回この調査で、下層においては、住居跡、柱穴、土坑など弥生時
代中期の集落に伴う遺構を多数発見し、出土した遺物の量が豊富な
ことにより、芦田川河口一帯に展開した、拠点的な集落であった可能
性を考えられる。
これにより、芦田川東岸にも中世集落の存在が想定され、その解明
も期待される。
所在地 :福山市北本庄 芦田川中州
調査主体:福山市埋蔵文化財発掘調査団
:福山市教育委員会
現地説明会:2003年(平成15年)3月1日
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です。
お知らせいただきありがとうございました。
博物館にも色々と個性があり、主眼がそれぞれに違います。
そのようなところにも、新たな発見があります。
それがまた、その博物館の特色となっています。
早速、鈴鹿市考古学博物館を訪問し、ヤマトタケルの墓と伝える「県史跡白鳥塚古墳」のPDFを頂いて来ました。他にも、「国府跡」「国分寺跡」などの報告書も沢山あり、また学ぶことが増えてまいりました。
ありがとうございました。
中々、遠くにいると、その土地の資料を見ることが大変難しいですが、NETはその点、便利ですねぇーー、感謝感謝です。
また気に留めて探してみます。
ありがとうございます。
よろしくお願い致します。
http://www.museum.or.jp/kouko2005/index.html
「2004年度」までは,あったので安心していました。
がもう年度が変わっていたのでしたネ!!
気が付きませんでした。