[石鎚権現遺跡(仮称E地点)]現地説明会
-福山市駅家町-
(調査主体)公益財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室
〒733-0036 広島市西区観音新町4-8-49
TEL082-295-5751/FAX082-291-3951
[日時:令和2年(2020)11月14日(土)]
[調査解説者:山田茂樹氏(公財)広島県教育事業団]
- 位置と環境
石鎚権現遺跡群は、福山市駅家町大橋にあり、東に流れる芦田川の南岸地域にあります。遺跡の丘陵からは、芦田川を越えて駅家・神辺の流域最大の沖積平野を望むことが出来ます。
本遺跡の周辺は、南の山塊から延びた丘陵裾部に中小の谷が入り組み、これまでに多くの遺跡が調査されています。
石鎚権現遺跡群は、昭和55(1980)年度から4年間にわたり県営農地開発事業に伴い発掘調査が実施されています(表1)。弥生時代中期後半から後期中頃の集落跡や墳墓群、5世紀代を中心とする古墳11基(内、1基は流失)などが調査されています。
2.調査の概要
発掘調査は、一般県道津之郷山守線(福山西環状線)道路改良事業に伴い、7月20日から行っています。現在までに、土坑約50基・建物跡10軒・柱穴や溝等を確認しています。土坑は、遺体を葬る墓壙と貯蔵用の穴と考えられます。
これまでに出土した遺物は、弥生時代中期後半から後期中頃のものがほとんどで、弥生時代後期の土器が多数占めています。
土器以外には、土坑(SK5)から鉄鏃が1点、建物跡周辺から石包丁が
出土しています。
遺跡は現在調査中ですが、丘陵上立地する墳墓群と建物跡の配置などから当時の集落のあり方を示していると思われます。
これまでの調査成果とあわせて、当地域における弥生時代後期の様子が明らかになりつつあります。
[現地説明会配布資料による]
会場解説風景
住居跡での解説風景
土坑墓
土坑の様子
建物跡(右側)
建物跡(左側)
住居跡
建物跡
建物跡(左側)
建物跡(右側)
建物跡(壁面の土層状況)
建物跡(壁面側の土層面)
建物跡の柱穴
出土遺物(坏)
土師器(弥生時代)
鉄鏃
土師器
石包丁
石鎚権現遺跡(福山市駅家町)(HPより)
―弥生時代の集落の様子が明らかにー
【調査期間】令和2年7月20日 ~ 12月(予定)
〔調査の概要〕
遺跡は福山市駅家町に位置し,1980年代の調査では,弥生時代の集落跡や前方後円墳を含む古墳時代の古墳群・墳墓,時期不明の土坑墓群のほか,銅鏡などの遺物などがみつかっています。
今年度は丘陵上の墳墓群の発掘調査を行う予定で,更なる調査の成果が期待されています。
これまでの調査では,弥生時代の墳墓のほか貯蔵穴や建物跡がみつかりました。以前の調査でみつかっている集落の一部にあたると考えられます。特に,貯蔵穴は調査区内の最高所の場所で重複した状態でつくられていることから,集落の中での貯蔵穴の重要さをうかがう事が出来ました。遺物は,弥生時代中期後半から後期の弥生土器や石包丁が出土しています。また,古墳時代前期の土師器が出土していることから,新たに遺構が発見される可能性が考えられます。
【表1 石鎚権現遺跡群の調査】 | ||
(表1) |
|
名称 |
内容 |
時期 |
調査年度 |
備考 |
石鎚権現遺跡 |
建物跡7(SB1・2不明) |
弥生中期末 弥生後期前半 |
S55.9~ |
石鎚第5号古墳・万念寺遺跡と同時調査 第4号の流失確認 |
石鎚権現遺跡A地点 |
建物跡2 土坑4 |
弥生中期末 弥生後期前半 |
S58.5 |
S55調査の西南半分(S55年時に拡がりを確認か)A・Bに分ける |
石鎚権現遺跡B地点 |
土坑墓13 |
時期不明(建物無) |
S58.5 |
S55調査の西南半分(S55年時に拡がりを確認か)A・Bに分ける |
石鎚権現遺跡C地点(S58第2号古墳) |
建物跡5 土坑14 |
弥生中期末から弥生後期前半 |
S58.6 |
古墳の周囲に集落跡を確認S58.8に試掘でE・F(今回の調査地点)を確認 |
石鎚権現遺跡C地点 |
建物跡8 土坑4 土器溜り2 墓(平安時代) |
弥生中期末から弥生後期後半 |
S59.5 |
C地点と命名 |
石鎚権現遺跡D地点 |
建物跡6 土坑6 石組遺構2 |
弥生中期末 弥生後期前半 8C後半(土坑1) |
S59 |
|
万念寺遺跡 |
井戸2 石組4 石列4 |
近世以前 |
S55.9~ |
石鎚第5号古墳・石鎚権現遺跡と同時調査 |
(文責:芦田流水)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます