自分に甘く人には厳しい人もいるが、自分に厳しく人にも厳しい人もいる。
その厳しさが過ぎると、人が離れていく。
それでも付いていく人は、畏敬の念か、畏怖の念かのどちらかだろう。
人は、人が離れてみてわかることがある。
人に寛容であったのか?と。
そして、次は寛容でいよう!と思うが、なかなかどうして。
頭でわかっていても実際の言動には反映できないものだ。
どうしたらいい?
なぜ、人に寛容になれないのか、それを探る。
おそらく自分への許しが必要になるはずだ。
自分自身を許せないようであれば、
人にも許しという気持ちを抱くことは難しい。
自分を律する、それを「厳しく」と顕しても「許しがない」ではない。
自分に厳しくても、人を許す・寛容であることは可能だ。
どんな自分でありたいのか
人は人との中で生きる
それを踏まえて、どう在りたいのか
よく考えてみよう。
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