先日のサイクリングの際、四万温泉街の一角(ゆずりは地区)に
稲裹神社があり、寄ってみました
稲裹(いなつつみ)神社
古代より稲つつみ山は土地の神として祀ってきた。
稲つつみは稲の神であり、稲が実る根源の神として、田の神である。
その山から流出する四万川は、神の恵みによる川であり、神の支配する神域であった。
その神を祀っているのが稲つつみ神社である。
稲荷山登山道の入口にあるが、途中、むかし水晶のとれた水晶山へ行ける道もある。
(境内案内板より)
文化元年(1804)の夏、大干魃(かんばつ)になった時、村人たちが稲裹神に雨乞いをしたところ、
その夜のうちに雨となって農作物が生気を取り戻したそうです
このことによって、稲包山山頂に石宮を祀り 登山口に神社が建立されたとのこと
境内に柳原白蓮と
山のあなた ひるも夜もある灯ひとつ しつかなるかな 四万のやまなみ
富安風生の歌碑がありました
春嶺を重ねて四万といふ名あり
☆(以下、境内由緒書より)
山頂に奥宮があり、登山口の譲葉(ゆずりは)に、中宮が祀られている※
(※後で調べたところ、もう一か所、貫陽平にも稲裹神社があるようです)
四万川は、上沢渡川、大竹川などの支流を集めて原町で吾妻川に合流する。
原町の大宮巌鼓神社は、四万川水源の源である稲裹地神を祀る里宮であり、
この付近と推定される郡衙の、吾妻郡司上野毛野坂本阿臣直道に信仰された社であった。
元慶四(880)年5月25日、上野国一之宮の貫前神をはじめ、八社の神々の神位が昇格している(『日本三大実録』)。
その中に、稲裹地神は正六位上から従五位下君十二等へ昇位したと記してある。
なんと、原町(東吾妻町)の大宮巌鼓神社はこの神社の里山だったのですか!
というわけで、帰りにそちらにも寄ってみました
大宮巌鼓(いわつつみ)神社
祭神は
日本武尊(やまとたけるのみこと)
弟橘姫命(おとうとたちばなひめのみこと)=日本武尊の妃 開運・商売繁盛・縁結び
素戔嗚尊(すさのおのみこと) 五穀豊穣・厄除開運・縁結び
保食神(うけもちのかみ) 五穀豊穣
当社は原町一円を氏子地域となす
武将民衆の尊崇頗る厚く、天正18年北条家朱印、宝暦以降真田家黒印の社領を附せらる
(天正18年って小田原征伐の年じゃなかったかしら…)
明治維新の後、郡官の設ありてより、郡官本社に参詣することその例たり
明治40年本町名所の無各社数祠を併せ、維持方法を確立し、
大正4年神饌幣帛料共進神社に指定せられ、
昭和16年郷社に列格す
(境内由緒書より)
拝殿は入母屋造 本殿もともに品のある黒褐色の社殿に、際立つ朱の色が印象的です
社宝
境内社の宇婆(うば)神社
保姆の神さま
玉垣に関善平の名あり(何代目かは不明)
大宮巌鼓神社が、四万川の神様を祀っているということを(稲裹神社で)知り
(当の巌鼓神社のほうにはその記載がなく、存じませんでした…)
これから四万に上るときにはここで挨拶してゆこう、とか
いままで ただ通りすぎていた道
知れば知る程、その土地に興味が湧いて、面白いことがどんどん増えてゆく
これも、縁結びのご利益なのでしょう~
お詣りしたぶん、しゃんとして行わねば何事も!
とおもったことよ
(おまけ)五角?
「ごかく」→ごーかく(合格)、ですか~ おお!なるほど!
と、帰ってきてから気がついた 頭の回転の鈍いchikaでした…
こんなことで神社検定だいじょうでしょうか…(試験、来月なのに)
頭のネジ巻き巻きでいかなきゃ!
絵馬のことは、神仏を尊び検定合格は神仏に頼らず・・・って事でよろしいのではないでしょうか。
鏃がハートなのは縁結び要素も入れたのかな。
ヤマビル山という異名がつくほど蛭がたくさんいるらしいのです。
山枯れの時期なら行かれるかしら・・・
神仏に頼らず・・・は、ごもっとも!我もその意気で挑みます~
楔は猪目(破魔矢なので魔除け)とおもいますが
縁結びの絵馬としても良いですよね、ハートがキュートで♡
コメントありがとうございます♪