Eテレの「100分de名著」の7月は、「学問のすゝめ」です。6日(水)から7月の水曜日(午後10時~10時25分)、全4回です(再放送は、翌水曜の午前5時35分~6時、午前11時30分~11時55分)。
講師は、あの「にほんごであそぼ」の齋藤孝先生。福澤諭吉の「学問のすゝめ」は、明治時代の大ベストセラーで、現代にも通じる、すごくいいことが書かれた名著なのに、文語調で書かれているため、現代人で読んでいる人が少ない、と嘆いておられました。そして2年ほど前に、「現代語訳 学問のすすめ」を書かれました(ちくま新書)。私も買って読みましたが、本当に、今の世界のことではないのか、と思えることがたくさん書いてあり、おもしろかったです。
「100分de名著」では、「学問のすゝめ」をわかりやすく解説していますので、まず、これを見てから、「現代語訳 学問のすすめ」を読まれてもいいですね。
それと、「学問のすゝめ」といえば、冒頭の「天は人の上に・・・」が有名ですが、福澤諭吉は、それを言いたいのでは、全くないのです。そればかり取り上げられていますが(にほんごであそぼ、でも)、その後が大事なんです。以下に、冒頭からの第一節を載せてみます(現代語訳で)。
初編 学問には目的がある
・人権の平等と学問の意義
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言われている。つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世を過ごしていけるようにしてくれているということだ。
しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。
その理由は非常にはっきりしている。「実語教」という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。
また世の中には、難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。難しい仕事をする人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人という。およそ心を働かせてする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単である。だから、医者・学者・政府の役人・また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。
社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものから見れば到底手の届かない存在に見える。しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問のあるかないかによって、そうした違いができただけであって、天が生まれつき定めた違いではない。
西洋のことわざにも、「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」という言葉がある。つまり、人は生まれた時には、貴賤や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして物事を知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人となる、ということだ。」(齋藤孝 現代語訳 学問のすすめ、より)
以上が冒頭からの-人権の平等と学問の意義-です。まあ、学問といっても、福澤諭吉は「実学」のことを言っています。すぐに役に立つ学問ですね。
要約すると、「人間平等といっても、貴賤や貧富の差がある。なぜか、それは、学問をしたかしないか、である。だから、しっかり学問をしようではないか。」
これが、福澤諭吉の言いたかったことですね。だから、「天は人の上に・・・」ばっかり強調しないで欲しいですね。
では、みなさん、この機会に一度、名著を読んでみましょう!!!