オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。
シリーズでアップして来た廃道撮影リポ、
最後の撮影日の後半です。
最後の撮影には、
かねてから平沼さんにご紹介頂いていた、
女性廃道探索者の石井あつこさんにもご参加頂き、
石井さん推薦の隧道を見学にも行きました。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/af/2f98b88df490449c9d66df0974bb8cb0.png?random=621d386fd662efa14ac946529647f111)
前回アップした高長切川隧道から
ほど近い場所にある下山隧道です。
旧道は富士川沿いの国道52号線から
少し入ったところにあります。
この物件は、ウェブとかでの情報をまったくなしで、
現場で石井さんが発見した隧道なので、
石井さんの思い入れはひとしおだそうです。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/dc/2a62e63e7a4ede94acd29d4e69c118bf.jpg?random=99f76f12afb6771d9a120a457a0cf8b0)
まずは南側からのアプローチ。
本来現道とほぼ同じレベルだった筈の道に、
土砂、あるいは工事用残土の堆積物などがつもり、
道はみえず、隧道へのアプローチも、
かなり斜面を登るかたちになります。
そしてほどなく登りきると、
眼下に目標の下山隧道が見えて来ます。
この隧道、ご覧の様に、
トンネルの大きさに比べて、
扁額がかなり大きく造られています。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/42/3245e471c1ae3cb302d3f324b2b1917d.jpg?random=a398f32646aa2bf65cdaad352d80f93f)
実際現場でおおよその大きさを測ってみると、
横幅が約4メートル、高さが約1.8メートルもあります。
つまり扁額の中に、立った人が横並びできるサイズ
といえばその大きさが実感できると思います。
栗子隧道の扁額の書に比べて、
こちらの書はかなり気合いの入った一筆です。
ちなみに何故これほど大きな扁額にしたかは不明なものの、
この別途化粧石等で造った扁額の埋め込ではなく、
入口上部のコンクリートに凹凸をつけることで造られた扁額のため、
これだけの大きさが実現したということです。
確かにこの大きさの扁額を別に造って、
この位置につり上げてはめ込むのは、
容易なことではないですね。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/39/2797876e0a55a71493da2c9a1bdf252e.jpg?random=034a65f8f996c9bd314d3c8803304bfc)
一旦現道へ戻って、今度は北側からアプローチです。
南側は隧道の目の前まで行けますが、
北側は隧道の手前の谷に橋等がなく、
谷に降りてどこからか登らない限り、
隧道の入口へは辿り着けません。
ただ、谷幅はそれほど広くないので、
対岸からでも十分その様子がわかります。
南側同様、巨大な扁額にはかわりありませんが、
書体が違います。
南側に比べると少し堅い印象をうけるので、
もしかしたらこちらが先に書いたものかもしれません。
谷が手前にあることから、
当然橋がなくなったと考えがちですが、
それにしては橋台も橋脚もなく、
また断面の様子もなんとなく妙です。
橋と言うよりは、
土地自体が無くなってしまった様な印象です。
後日平沼さんが現役当時の写真を持って来ました。
それを見ると、トンネルを出た付近は、
橋ではなく殆ど土地状の形をしています。
ただし下には細流があるので、
殆ど土地の様に造って、
その下部に水流の抜け道を造った
暗渠だったということがわかりました。
◆
最後の撮影は、下山隧道からほどなく南下した、
身延町とその南の南部町を結ぶ、
南部新道の旧道でした。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a0/34737dd64c1662bed3397f1b053e0ed9.png?random=b194933402996b12a3c5dd2105890aa1)
もともとこの付近の街道は、
富士川沿いに造られていたもの、
氾濫川として知られる富士川に浸食され、
幾度も決壊崩壊したそうです。
その経験から、
現在の国道52号は内陸に造られているわけですが、
かつての富士川沿いにあった南部新道は、
現在でもかろうじてその痕跡を残しています。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/af/7bf5a9dff08d44d76c6bf105986a1406.jpg?random=759afd423b013b682332a60c88b14fb1)
この廃道探索は、平沼さんからの提案で、
当日いくことになった廃道なので、
案内は全ておまかせ。
なのでどのあたりから旧道へ入ったのかなど、
殆ど覚えてませんが、
廃道に入るなり、猛烈な竹薮の連続です。
しかも密度がかなり濃く、
また半分くらいの竹が寿命尽きて倒れているので、
それらをくぐったりしながら進まなくてはなりません。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/9f/88e38f859ed9459782f4886aef550f4f.jpg?random=1753ad9e125dc38246eb15c8b485b419)
猛烈な竹薮を歩くこと小一時間、
急に視界が開けた先にあったのが、
この扁額も竣工年表示などもなにもない、
謎の廃道です。
平沼さん曰く、
恐らく戦中に軍事物資の輸送目的で造られたものだと思うも、
その実体はまだ調査中とのこと。
こんな山の中に、
何十年も使われていないにもかかわらず、
崩落はおろかヒビすら入っていない、
奇麗な隧道が眠っているとは驚きです。
※実際はすぐ近くに富士川が流れていたり、
隧道の反対側の斜面の上には民家があるなどしますが、
何と言っても竹薮が深すぎて、
印象としては山の中としか思えません。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/8a/aa7d77c8ffe81e25fddcb8953e3ae6b9.jpg?random=9fd0f27722c77af13b568cd5954a42c6)
一旦現道に戻り、少し移動してから、
再び次の目標に向かって竹の薮漕ぎです。
地図で言うと下方の黒い星の付近ですが、
こちらも平沼さんに連れて行かれるままなので、
なにがあるのかは分からない状態での探索です。
南部新道の探索でも、
石井あつこさんが参加されていましたが、
とにかく平沼さんと石井さんは、
進むのが早くて追いつきません。
その様子はDVD本編に収録してあります。
そして歩く事約30分位、
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/6d/8a75ff840f873fb0cf9043f93062ab96.jpg?random=740a792a3ab4d9310245f3ba3430f3d1)
行き着いた所にあったのはかつての道標です。
何と書かれているかを判別すべく、
この場所に30分位いました。
画像をクリックすると、
文字を強調して分かり易くした拡大画像が表示されます。
上の二文字は左と右。
そして左の下は「身延山道」でその右は
「舟道」だそうです。
「身延山道」の下がなかなか読めませんでしたが、
左が「あはめし」(粟飯)、右が「さくら志ミつ」(桜清水)
という字ではないかと判断し、
一番下が「霊場あり」となります。
身延町には日蓮宗の総本山久遠寺があり、
付近には日蓮ゆかりの霊場がたくさんあります。
「粟飯」とは道端で休息をとっていた日蓮に、
粟飯を差し出したのが縁で出家した母を偲んで、
その息子が建てた大石山正慶寺のこと。
また「桜清水」とは、正慶寺より少し南の高台にある、
横根という集落が水の便がわるかったので、
桜の木の根方に杖を突きさし清水を沸き上がらせた伝説から
桜清水の霊場となった玉林山実教寺のこと。
つまりこの道しるべは、
日蓮ゆかりの霊場参りのための道標だったのですね。
道しるべが石造りだったからこそ、
こうして悠久の時を越えて、
この道を通行したかつての人たちのことがわかります。
もしこの道標が近年の鉄板やプラスチック製だったら、
こうして残っている事もなく、
その道がなんのための道かも、
知ることは出来なかったと思います。
残念ながらこの道しるべは、
本編には収録していないので、
ここで詳しくアップしました。
◆
こうしてDVD『廃道クエスト』のロケは終了しました。
しかし廃道は廃墟のように分かり易い形がなく、
画像ではただの山道にしか見えない場所も多々あります。
また、以前にアップした国道299号の崖崩れなども、
画像ではその様子がまったく伝わりませんが、
映像では画像よりははるかに臨場感があります。
廃道は映像で見て、
初めてその面白さや状態がわかると思うので、
このブログの記事は予習程度にさらっと流して頂き、
是非DVD『廃道クエスト』をご覧になって頂ければと思います。
◆
![廃道クエスト](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/14/8ef07c89cec8579623c01f7cd608f1a2.jpg?random=c1ac44082fda7e49255f3de4f3114aa6)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/b8/37165c8507c96ce1fb7fb30b331bf71c.png?random=b189615bf370bbfa4ca750faac4bd421)
◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ea/cf406d0b487029a0c4d0757292bd62cb.png?random=85d4e85fe11c35a8bfa75cfc0551f399)
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。
シリーズでアップして来た廃道撮影リポ、
最後の撮影日の後半です。
最後の撮影には、
かねてから平沼さんにご紹介頂いていた、
女性廃道探索者の石井あつこさんにもご参加頂き、
石井さん推薦の隧道を見学にも行きました。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/af/2f98b88df490449c9d66df0974bb8cb0.png?random=621d386fd662efa14ac946529647f111)
前回アップした高長切川隧道から
ほど近い場所にある下山隧道です。
旧道は富士川沿いの国道52号線から
少し入ったところにあります。
この物件は、ウェブとかでの情報をまったくなしで、
現場で石井さんが発見した隧道なので、
石井さんの思い入れはひとしおだそうです。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/dc/2a62e63e7a4ede94acd29d4e69c118bf.jpg?random=99f76f12afb6771d9a120a457a0cf8b0)
まずは南側からのアプローチ。
本来現道とほぼ同じレベルだった筈の道に、
土砂、あるいは工事用残土の堆積物などがつもり、
道はみえず、隧道へのアプローチも、
かなり斜面を登るかたちになります。
そしてほどなく登りきると、
眼下に目標の下山隧道が見えて来ます。
この隧道、ご覧の様に、
トンネルの大きさに比べて、
扁額がかなり大きく造られています。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/42/3245e471c1ae3cb302d3f324b2b1917d.jpg?random=a398f32646aa2bf65cdaad352d80f93f)
実際現場でおおよその大きさを測ってみると、
横幅が約4メートル、高さが約1.8メートルもあります。
つまり扁額の中に、立った人が横並びできるサイズ
といえばその大きさが実感できると思います。
栗子隧道の扁額の書に比べて、
こちらの書はかなり気合いの入った一筆です。
ちなみに何故これほど大きな扁額にしたかは不明なものの、
この別途化粧石等で造った扁額の埋め込ではなく、
入口上部のコンクリートに凹凸をつけることで造られた扁額のため、
これだけの大きさが実現したということです。
確かにこの大きさの扁額を別に造って、
この位置につり上げてはめ込むのは、
容易なことではないですね。
![下山隧道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/39/2797876e0a55a71493da2c9a1bdf252e.jpg?random=034a65f8f996c9bd314d3c8803304bfc)
一旦現道へ戻って、今度は北側からアプローチです。
南側は隧道の目の前まで行けますが、
北側は隧道の手前の谷に橋等がなく、
谷に降りてどこからか登らない限り、
隧道の入口へは辿り着けません。
ただ、谷幅はそれほど広くないので、
対岸からでも十分その様子がわかります。
南側同様、巨大な扁額にはかわりありませんが、
書体が違います。
南側に比べると少し堅い印象をうけるので、
もしかしたらこちらが先に書いたものかもしれません。
谷が手前にあることから、
当然橋がなくなったと考えがちですが、
それにしては橋台も橋脚もなく、
また断面の様子もなんとなく妙です。
橋と言うよりは、
土地自体が無くなってしまった様な印象です。
後日平沼さんが現役当時の写真を持って来ました。
それを見ると、トンネルを出た付近は、
橋ではなく殆ど土地状の形をしています。
ただし下には細流があるので、
殆ど土地の様に造って、
その下部に水流の抜け道を造った
暗渠だったということがわかりました。
◆
最後の撮影は、下山隧道からほどなく南下した、
身延町とその南の南部町を結ぶ、
南部新道の旧道でした。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a0/34737dd64c1662bed3397f1b053e0ed9.png?random=b194933402996b12a3c5dd2105890aa1)
もともとこの付近の街道は、
富士川沿いに造られていたもの、
氾濫川として知られる富士川に浸食され、
幾度も決壊崩壊したそうです。
その経験から、
現在の国道52号は内陸に造られているわけですが、
かつての富士川沿いにあった南部新道は、
現在でもかろうじてその痕跡を残しています。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/af/7bf5a9dff08d44d76c6bf105986a1406.jpg?random=759afd423b013b682332a60c88b14fb1)
この廃道探索は、平沼さんからの提案で、
当日いくことになった廃道なので、
案内は全ておまかせ。
なのでどのあたりから旧道へ入ったのかなど、
殆ど覚えてませんが、
廃道に入るなり、猛烈な竹薮の連続です。
しかも密度がかなり濃く、
また半分くらいの竹が寿命尽きて倒れているので、
それらをくぐったりしながら進まなくてはなりません。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/9f/88e38f859ed9459782f4886aef550f4f.jpg?random=1753ad9e125dc38246eb15c8b485b419)
猛烈な竹薮を歩くこと小一時間、
急に視界が開けた先にあったのが、
この扁額も竣工年表示などもなにもない、
謎の廃道です。
平沼さん曰く、
恐らく戦中に軍事物資の輸送目的で造られたものだと思うも、
その実体はまだ調査中とのこと。
こんな山の中に、
何十年も使われていないにもかかわらず、
崩落はおろかヒビすら入っていない、
奇麗な隧道が眠っているとは驚きです。
※実際はすぐ近くに富士川が流れていたり、
隧道の反対側の斜面の上には民家があるなどしますが、
何と言っても竹薮が深すぎて、
印象としては山の中としか思えません。
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/8a/aa7d77c8ffe81e25fddcb8953e3ae6b9.jpg?random=9fd0f27722c77af13b568cd5954a42c6)
一旦現道に戻り、少し移動してから、
再び次の目標に向かって竹の薮漕ぎです。
地図で言うと下方の黒い星の付近ですが、
こちらも平沼さんに連れて行かれるままなので、
なにがあるのかは分からない状態での探索です。
南部新道の探索でも、
石井あつこさんが参加されていましたが、
とにかく平沼さんと石井さんは、
進むのが早くて追いつきません。
その様子はDVD本編に収録してあります。
そして歩く事約30分位、
![南部新道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/6d/8a75ff840f873fb0cf9043f93062ab96.jpg?random=740a792a3ab4d9310245f3ba3430f3d1)
行き着いた所にあったのはかつての道標です。
何と書かれているかを判別すべく、
この場所に30分位いました。
画像をクリックすると、
文字を強調して分かり易くした拡大画像が表示されます。
上の二文字は左と右。
そして左の下は「身延山道」でその右は
「舟道」だそうです。
「身延山道」の下がなかなか読めませんでしたが、
左が「あはめし」(粟飯)、右が「さくら志ミつ」(桜清水)
という字ではないかと判断し、
一番下が「霊場あり」となります。
身延町には日蓮宗の総本山久遠寺があり、
付近には日蓮ゆかりの霊場がたくさんあります。
「粟飯」とは道端で休息をとっていた日蓮に、
粟飯を差し出したのが縁で出家した母を偲んで、
その息子が建てた大石山正慶寺のこと。
また「桜清水」とは、正慶寺より少し南の高台にある、
横根という集落が水の便がわるかったので、
桜の木の根方に杖を突きさし清水を沸き上がらせた伝説から
桜清水の霊場となった玉林山実教寺のこと。
つまりこの道しるべは、
日蓮ゆかりの霊場参りのための道標だったのですね。
道しるべが石造りだったからこそ、
こうして悠久の時を越えて、
この道を通行したかつての人たちのことがわかります。
もしこの道標が近年の鉄板やプラスチック製だったら、
こうして残っている事もなく、
その道がなんのための道かも、
知ることは出来なかったと思います。
残念ながらこの道しるべは、
本編には収録していないので、
ここで詳しくアップしました。
◆
こうしてDVD『廃道クエスト』のロケは終了しました。
しかし廃道は廃墟のように分かり易い形がなく、
画像ではただの山道にしか見えない場所も多々あります。
また、以前にアップした国道299号の崖崩れなども、
画像ではその様子がまったく伝わりませんが、
映像では画像よりははるかに臨場感があります。
廃道は映像で見て、
初めてその面白さや状態がわかると思うので、
このブログの記事は予習程度にさらっと流して頂き、
是非DVD『廃道クエスト』をご覧になって頂ければと思います。
◆
![廃道クエスト](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/14/8ef07c89cec8579623c01f7cd608f1a2.jpg?random=c1ac44082fda7e49255f3de4f3114aa6)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/b8/37165c8507c96ce1fb7fb30b331bf71c.png?random=b189615bf370bbfa4ca750faac4bd421)
◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ea/cf406d0b487029a0c4d0757292bd62cb.png?random=85d4e85fe11c35a8bfa75cfc0551f399)
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