6月22日(金) 義父が亡くなりました。
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先週の月曜日、私は父(義父)に面会に行き入院中の義母の退院後は、同じ施設に入れてあげたいと思い係りの方からお話を伺ってきました。
ちょうど空きがあり審査が通れば入所できそうだとのこと。
「おばあちゃんと一緒になれるよ。よかったね~」と言うといつものようにうなづいていた。
それから数日後、熱が高くなって病院に運ばれ、肺炎で危険な状態と告げられましたが母は何度も克服しているのでこんなに早く亡くなるとは思ってもいませんでした。
面会に行った夫が声をかけると手をあげて言葉にならない声で何かを言っていましたが、何を言いたかったのでしょう。
深夜呼び出されて大雨の中、夫ひとりで行ったときは何を言ってもうなずいていた父が「大丈夫だよ」との声かけに、初めて首を横に振ったそうです。
その日の夕方、3人の子たちに手を握ってもらい父は息を引き取りました。
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長男である夫は初めて喪主の立場として葬儀をやることになりました。
かねてより葬儀は家族だけでやりたいと私たちは話していましたが、妹二人も異存は無く父の遺体はまっすぐセレモニーホールの一室に運ばれ、担当の方がすべて段取りよく家族の意向を取り入れて進めてくださいました。
その夜から夫は4日間そこに泊まり最後のお別れをするために、たった一人の息子として心から父に声をかけ付き添っていました。
12年前、病気をしてから介護の問題を機に叔父の介入でギクシャクしてからと言うもの父を恨み情けないと何度嘆いたことでしょう。
しかし施設に入ってからは、その不幸な時間を穴埋めするべく夫も妹も本当に優しく接していました。
父のことで昔は仲良くしていた長女夫婦とは疎遠になっていたので、はじめは妙な雰囲気でしたが、冷たくなった父の前で永遠の別れをする3人の子供たちのに背中からは安堵と悲しみが同じように伝わってきました。
葬儀に先立ち、夫にはくれぐれも故人の前で争ったり揉めたりすることのないように気をつけようと話していました。
故人の子供と孫だけでのお別れ会は、納棺、火葬、お通夜、葬儀・・とその儀式が終わるたびに食事も共にし、いつしか昔話や父の懐かしい話で盛り上がり最後の儀式である納骨まで済ませて4日間の葬送の儀式が終わる頃にはすっかり以前の仲の良かった兄妹の家族同士に戻っていました。
その和解に一役かったのが古い”セピア色のアルバム”
父の遺影を選ぶために私が自宅に戻り持ってきた物です。
実は私たちは12年のブランクもあり、社交的でなかった父の写真はほとんど持ってなかったのですが、過日のドロボー事件の折あの部屋のダンボールがひっくり替えって古いアルバムが散らばっていたのを思い出しました。
そのままになっていた母屋の一室から取る物もとりあえず紙袋にたくさんのスナップやアルバムを突っ込んで持ち出しました。
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夫や妹たちの幼い頃の写真、父や母が若かった頃の物、私たちの知らないご先祖様のお顔、そして私たちや妹たちの結婚写真・・そっくりすぎる、その子達が「エーーッ!これオジサン?!オバサン?!これ、お母さん?ウッソー!!」
と大騒ぎ。
妹ふたりも、いつしか昔の写真を見て肩をたたき涙を流して笑っている
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最終日を除いては貸しきり状態だった葬祭のセレモニーホールに大きな笑い声が響いていた。
納骨を終えて母屋に祭壇を設え、その前で私たち三夫婦は昔の仲の良い兄弟に戻って。
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「おじいちゃんが、こうしてくれたんだ」妹たち夫婦は本当にうれしそうにしている。
「またこうして兄妹で一緒にこの部屋でお酒が飲めるなんて思わなかった」長女の旦那が言った。目に涙を浮かべている。
そうだよ。私たちだっていつどうなるか明日のことがわからない。
お葬式をしながら感じていた。時間はどんどん進んでいる。
もったいないよ。つまらないことで時間を費やしたら。
楽しいことに使わないと。 夫と二人しみじみ話をした。
家族だけで温かい見送りが出来て本当に良かった。
私達のときも家族葬にしてと娘に伝えた。
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先週の月曜日、私は父(義父)に面会に行き入院中の義母の退院後は、同じ施設に入れてあげたいと思い係りの方からお話を伺ってきました。
ちょうど空きがあり審査が通れば入所できそうだとのこと。
「おばあちゃんと一緒になれるよ。よかったね~」と言うといつものようにうなづいていた。
それから数日後、熱が高くなって病院に運ばれ、肺炎で危険な状態と告げられましたが母は何度も克服しているのでこんなに早く亡くなるとは思ってもいませんでした。
面会に行った夫が声をかけると手をあげて言葉にならない声で何かを言っていましたが、何を言いたかったのでしょう。
深夜呼び出されて大雨の中、夫ひとりで行ったときは何を言ってもうなずいていた父が「大丈夫だよ」との声かけに、初めて首を横に振ったそうです。
その日の夕方、3人の子たちに手を握ってもらい父は息を引き取りました。
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長男である夫は初めて喪主の立場として葬儀をやることになりました。
かねてより葬儀は家族だけでやりたいと私たちは話していましたが、妹二人も異存は無く父の遺体はまっすぐセレモニーホールの一室に運ばれ、担当の方がすべて段取りよく家族の意向を取り入れて進めてくださいました。
その夜から夫は4日間そこに泊まり最後のお別れをするために、たった一人の息子として心から父に声をかけ付き添っていました。
12年前、病気をしてから介護の問題を機に叔父の介入でギクシャクしてからと言うもの父を恨み情けないと何度嘆いたことでしょう。
しかし施設に入ってからは、その不幸な時間を穴埋めするべく夫も妹も本当に優しく接していました。
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父のことで昔は仲良くしていた長女夫婦とは疎遠になっていたので、はじめは妙な雰囲気でしたが、冷たくなった父の前で永遠の別れをする3人の子供たちのに背中からは安堵と悲しみが同じように伝わってきました。
葬儀に先立ち、夫にはくれぐれも故人の前で争ったり揉めたりすることのないように気をつけようと話していました。
故人の子供と孫だけでのお別れ会は、納棺、火葬、お通夜、葬儀・・とその儀式が終わるたびに食事も共にし、いつしか昔話や父の懐かしい話で盛り上がり最後の儀式である納骨まで済ませて4日間の葬送の儀式が終わる頃にはすっかり以前の仲の良かった兄妹の家族同士に戻っていました。
その和解に一役かったのが古い”セピア色のアルバム”
父の遺影を選ぶために私が自宅に戻り持ってきた物です。
実は私たちは12年のブランクもあり、社交的でなかった父の写真はほとんど持ってなかったのですが、過日のドロボー事件の折あの部屋のダンボールがひっくり替えって古いアルバムが散らばっていたのを思い出しました。
そのままになっていた母屋の一室から取る物もとりあえず紙袋にたくさんのスナップやアルバムを突っ込んで持ち出しました。
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夫や妹たちの幼い頃の写真、父や母が若かった頃の物、私たちの知らないご先祖様のお顔、そして私たちや妹たちの結婚写真・・そっくりすぎる、その子達が「エーーッ!これオジサン?!オバサン?!これ、お母さん?ウッソー!!」
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納骨を終えて母屋に祭壇を設え、その前で私たち三夫婦は昔の仲の良い兄弟に戻って。
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「おじいちゃんが、こうしてくれたんだ」妹たち夫婦は本当にうれしそうにしている。
「またこうして兄妹で一緒にこの部屋でお酒が飲めるなんて思わなかった」長女の旦那が言った。目に涙を浮かべている。
そうだよ。私たちだっていつどうなるか明日のことがわからない。
お葬式をしながら感じていた。時間はどんどん進んでいる。
もったいないよ。つまらないことで時間を費やしたら。
楽しいことに使わないと。 夫と二人しみじみ話をした。
家族だけで温かい見送りが出来て本当に良かった。
私達のときも家族葬にしてと娘に伝えた。
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