蓮池水禽図
牛図
俵屋宗達といえば、誰しも『風神雷神図屏風』を思い浮かべるだろう。
確かに、日本独特の空間感を金地で表し、風神と雷神の配置の妙で言い切ってしまう潔さと感じさせる画面作りは、世界的にも優れた絵画のひとつだと思う。
しかし、彼の本当の良さは、水墨画にあると考える。
和紙の特性を熟知してなお、墨と水と紙の醸し出す偶然の美は、思うにままならない相手だ。
それこそ一期一会、禅の精神にも通じる瞬間への真剣な対峙の仕方は、実に見事といえるだろう。
彼の生きた明日の命も知れない時代背景が、筆先への修練を研ぎ澄まさせたともいえる。
けれど、その白刃の上を渡る緊張感ばかりが、画面を支配しているわけでもないところが、さらに凄さを物語る。
どことなく達観し、肩の力が抜けて飄々とした空気も盛られているのだ。
乾ききらない薄墨の上に濃い墨を落として作るにじみの「たらしこみ」という技法がそうさせるのではない、もっと見えないところの作用によって。
中国が発祥の水墨画は、長谷川等伯の『松林図屏風』において日本化を完成させ、宗達で洒落の域までそぎ落としたと思う。
これもまた、年をとらないと味わえない美の領域なのだろうかと、しんみり考えるのだった。