たくまし可愛いい、ロボの戦い

乳がんと戦う、ロボの戦闘日記。
戦闘を離れた日常もつづってます。
コメント・ツッコミお気軽に!

悪いのは誰?

2006-09-21 | カテゴリなし
さて、いろんな承諾書を持たされ病院を出るとすっかり夜です。
寿司屋(と言っても回転)でいつもより(私達なりに)贅沢な夕食を楽しみながら
ここは母を励ましたい所なのだけど私は少し鬼となり
先生の言葉を用いながら、病気の怖い部分を話しました。


さっさと退院して復職する気だった母は
しばらくは腕が動かない事を知り衝撃を受けたと思います。

誰だって好きでこんな事は言わない。
本当なら不安を取り除いて、ほら大丈夫だよ!と安心させたい。

だけど怖い病気であることを知りながら、痛みがないからと逃げていた母にも
ここでは自分の体と向き合って、本当の回復を目指してほしい。
そしてこの弟のためには、厳しくて無情な現実を見せないと。
私は嫌われても、母に悲しみを負わせてでも。
そう考えた私は勝手でしょうか?独りよがりでしょうか?
そういう事を教ずに何でも自分らで片付けてきた、母も家族も悪いと思うのです。
痛みを伴う構造改革です。

弟は、正直まだ解りません。
ただ先生の説明の一部にあった「手術中に起こり得るエコノミークラス症候群のために
血栓が出来て即死するような事態を防止するため‥」
という言葉に
「あれ聞いてビックリしたよ!」と言っていました。

そんな言葉がまた私を苛立たますが、それでも前進だと思うことにしようと思いました。
弟は22才。
これだけ大きくなるともう、家族あたりが言葉で言ってもなかなか受け入れません。
あとは体験するなかで釘を刺していくのがいいのかな。

そもそも、どうも我が家の人間は誰かに注意を受けたとき
「私は悪くない。そんな事を言うなんて、判ってないなあ。」
なんて思う傾向があるのです、もちろん私も。
すぐに口答えするタイプ。

どんな風に育てたらそういう風に育つのか、いつか母に聞いてみたいものです。



私は今日はこっちに泊まるつもりで、ビジネスホテルをとってありましたが
そこへ送ってもらう途中に、3人である所へ寄りました。

とあるワンルームマンションの一室です。


いや、実際には地図をうろ覚えだったのでそのマンションを見つけられず
辺りをウロウロして帰っただけになっちゃったけど‥

そこは、その週末から私が住む部屋なのです。

入院と手術前後の付き添いと、入院中の様子見や洗濯、
検査結果や予後(手術後の経過や追加治療)のこと
私の住まいと実家や病院の遠さを考えると、これしかないと思い
ウィークリーマンションを借りたのです。

他にもいろいろ調べましたが
ホテルだと洗濯はしづらいし荷物はそう持ち込めないし何より高いし、
賃貸はひと月分はどれよりも安いけど敷金礼金仲介手数料がかかるから結局高い。
敷金礼金ゼロの所でも半年以下だと違約金を取られるらしいし
そもそも家具も布団もカーテンもない。
あっ照明も洗濯機も。

そして何より身近な実家は、欠陥住宅で湿気が多く天井から水は漏るし主はゴキブリ。
駅からも近くなく病院からはふた駅だし各駅停車しか停まらず便が悪い。
それから、私も3年間くらい住んではいたけどたいした思い出がないどころか
いい思い出がちっともない。

とにかく、あそこには住みたくない。


そういう訳で決めたのです。
ぜひ下見をしておきたかったのですが変にある土地勘が災いし
地図を見はしたものの、記憶するに至っていませんでした。
歳ね、トホホ。


んな訳でホテル泊。
なんだか楽しんでもいる私。
次の日はそのまま出勤し、仕事を終えて家に帰りました。


彼にも病状を伝えました。
はじめの電話から約10日目
その間、同時に仕事もピークを迎えており
なんだか私、疲れてきているのです。

誰かに寄り掛かるのって苦手というか、どう寄り掛かればいいのか解らない。
けどまずは、ちょっと愚痴ってみる所から始めてみようかな、なんて思って
母の事、弟の事、自分の病気、ウィークリーマンションの契約、荷物の郵送、仕事の事
ひととおり話すと彼の返事はこうでした。

「おまえが行く事無いんだよ。口を出すからそうなるんだ。」


‥確かに私はでしゃばり。

確かに私が行かなければ弟の負担は増えて、結果的にはしっかりするのだろう。

しかし、母がこんな大きな病気になったというのに
「私が行かない方が」という選択肢はないかと‥。
それじゃあ娘を産んだ意味もないだろう。
母は一人で頑張って育てた娘がそんなんじゃ‥ちょっと酷いでしょ。
仕事じゃないんだから、失敗するのも経験だ、みたいなさ。



確かに私も母も、弟の役目を奪ってるかもしれない。
私は女だし弟も居るのだから、いつかどこかへ嫁ぐ身。
親に何かあったら駆け付ける事は出来ても、いつも傍には居られない身。
だったら少しでも早く弟が自立して、両親を背負えるようになるよう
それまで手出しは禁物なのかもしれない。


確かに彼の言ってることには一理ある、というか正しいのかも。
しかし、両親はもういい年齢だし、そんな悠長なことは‥



自分のしていることが自己満足な部分は認めるとしても
咎められるような事だとは思ってもいなかった‥

そうかぁ‥‥


なんて落ち込みながら、荷造りを進めました。

医者の説明

2006-09-21 | カテゴリなし
検査結果を聞く当日、私は仕事を早退して向かいました。
母と私と弟の3人で臨みました。
待合室では弟はバイトだの友達だの、どうでもいい話を続けてるばかり。
私の癌の告知の後も弟はこんな調子だったので解ってはいたけど、
ホントに、ズレてんだかズラしてんだか‥
絶対、大きくズレてるんだと思います。


先生に呼ばれ、聞かされた検査結果は以下のようなものでした。

CTによるとかなり大きい腫瘍が見られる。
胸から液体が出てくるという症状通り、腫瘍は皮膚に食いついている。
先日採取した細胞は良性との結果が出たが、病状を考えると悪性の可能性が高く
単に“取得した細胞にはたまたま悪性の細胞が含まれなかった”
と考えるのが妥当と思われる。

たとえ良性であっても放置できる病状ではないこと、
中途半端にメスを入れると癌細胞が活性化する恐れがあることから
病側の胸は全摘出する手術を行う。
通常は全摘出の場合、縫合する皮膚が足りないためお尻等から移植するが
幸い皮膚が多い(太っている)ため、足りるのではないかと考えている。


患者さんや家族にあわせて、かみ砕いた説明や冗談も交えつつ
30分くらいかけてそんな内容を聞きました。


私の時と似ている。
症状こそ全く違うけど私も癌ではないかもしれない
採ってみたら違ったよ、だったらいいなと思い続け‥

結局、癌だったんだよね。

いや、違ったらいいなとは思ってなかったかもしれません。
だって先生が「癌細胞は採取されなかったので癌とは診断できないが、
その他の結果を見ると癌だ。」と言っていたから。
だから癌じゃない可能性もあるようだけど、やっぱり癌なんだな
もう逃げ道はないんだな
っていう気持ちまで、私の時と似ている。


先生からの説明が終わると、手術までの間にまだ必要な検査や採血の日程を決めました。

まず採血して、24時間尿を貯めて、その間にも採血して、麻酔の先生の話を聞いて
心電図とって、肺の検査をして、何日からは飲食禁で‥

病院勤めだから早く入院するより仕事で病院に来ているときに
仕事の合間に検査をしちゃった方が楽だろう、
そんな医者と母の考えが全く裏目に出て、入院前はハードスケジュールとなりました。
とくに面倒なのは“尿を貯める”というところで、私の時はなかったのですが
24時間のうちに出た全ての尿を、指定の容器に貯めて提出するのです。
その間は何をしててもいいので、買い物へ行っても、外食に出ても自由ですが
尿だけは、漏れなく容器に貯めなくてはならないのです。
そんなんじゃ外出なんてできませんよね。
しかも母は日勤だの夜勤だのと仕事が入っているのです。
想像してみて下さい。

“職場で尿を貯める”

そこはキッパリ分けたいところです。。


なんとか合間を縫って全て条件を満たすスケジュールをたてたけど
次は素直に、早めに入院してください、母さん。