たくまし可愛いい、ロボの戦い

乳がんと戦う、ロボの戦闘日記。
戦闘を離れた日常もつづってます。
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床屋でヒゲそってもらったの初めて!とかいうじゃない

2004-11-12 | 闘病日記
昨夜は夜勤。明け方に少し寝れたけど全然眠い・・zzz。
帰宅後、再仮眠より部屋掃除の続きを取り、やっと母を迎えて病院へ。

なんで一緒に行く必要があるかと言うと、
こんな手術しますよ、こんな場合はこうしますよ、場合により輸血もしますよ
とかいう説明の、同席者として承諾書を書くんですね。
両親とか親戚とか居なかったらどうなるんでしょうね。

先生は今回も丁寧に説明をしてくれたのですが、なにぶん私にとっては2回目の内容だったので
だんだん体が熱く、まぶたが重く、
・・ありえるでしょうか?
家族へのがん告知中に居眠りしちゃいました。

起きてる時に確認したことが

・私は「硬がん」と見られる。 ヘェ~新しく聞く言葉だ。

・大きさは小さいけど筋肉に付着しているので、ステージは3期のb。
 本読んでそこら辺かと思ってはいたけど、グッとくる言葉・・。

・「労務不能」という判断は、治療方法や副作用の具体的な症状による判断ではなく、
 医師への相談の結果により判断。個人によって”辛さ”は違うからだそうですが
 これは病院や先生や、 患者さんや深刻度など様々な要素によるのかしら?

・生保の一時給付金の申請用に「乳がん」という診断書が欲しいのですが
 私の場合「乳がん」としての診断書が書けるのは手術後。
 もし「乳がん」以外の診断書をもらっても無駄だしお金も掛かるし手術後に考えようっと。

・やっぱりリンパ節っちゅー所に転移の影が見られるということで、手術前に骨や胃や
 あっちやらこっちやらの検査が必要ということ。あとは入院だけと思ってたのにぃ~。

・入院全体にかかる金額は、30万?
 (これは事務さんのお話で手術内容によって差が出てくるので正確にはわからない)
 素敵なタイミングでボーナス。でもこれに消えるのかと思うと寂しい。

別室に居た弟は私たちが出てくるなり、
どのくらい待ったとか最初はどこで待ったとかその間に何があったとか
ホント、自分の話のマシンガン。
普段は優しい子なんだけど、私にどう接するか悩んでいるのか、
病気には触れず普通に接するのがベストと踏んだのか、
もーとにかくハズレてますから、残念。

母はある程度知識がある事も手伝い、乳がんの本とかは読む気ナシ。
帰りに寄った病院近くのファミレスでは、
ステージと細胞診結果のクラスとを取り違えて弟に説明している。

もっと知ってよ私の置かれてる状況とか気持ちとか。
私、20年後に再発もせずに生きている割合は20%なんだよ。
「こんな状況でも理性を保っていることを先生にも褒めていただいた」
とか言ってるけどソレも違うと思うの。
感情なんてちゃんと表現したほうがいいじゃない。
自然と我慢しちゃったり、自然と現実的になっちゃったり、
自然といろいろ受け入れちゃったり、
なのに誰かをうらやんだりする時があるくらいなら
最初から自分の気持ちに正直に生きれた方がいいじゃん。

あーもう何? 疲れた。
弟は何かステーキと、ごはんの代わりにパスタと、え?ごはんも頼むのかよ??
え白いごはんじゃないの!??
もうどうでもよくなってきた。
わたし今月のおすすめパスタでいい、いいよ私が払うよ。
食べればいいじゃんピザも。チーズが乗ってりゃいいわ。
もう疲れた。眠い。あー眠い。ホント眠い。

電車を降りてやっと自分の駅に、と思ったら、持ってないよ書類・・
病院でもらった同意書とか、病気や治療の説明の書類。
生命保険に提出する診断書とか請求書。
氏名も住所も電話番号も、会社も、病名も治療も、保険証券の番号も、契約内容も
もう全部・・
来た道をたどり電車に乗って、ファミレスまで戻ったところで書類を見つけ、帰宅。

疲れてるんだ。そりゃそうだ。
それから私は、子供の頃から忘れ物王だった。
当たり前の結果だ。納得して受け入れよう。