以前、玄関に桂花の鉢をおいたとのお話をしたとおもいます。
その桂花がいまどうなってるというかというのが、そろそろ気になり出した頃ではないでしょうか。
あの、
あの、
なんというか、
はぁ、
肥料もやり、水も与えているのにみるみる元気をなくし、色も薄れていく桂花を見ているのは本当に辛く、もう二度と花を育てるなどという迷惑で非道で鬼畜(←花目線)な考えを持たないようにしようと涙目で誓いました。
誓ったのですが!
先日行って来た実家から帰って来て、恐る恐る(←この時点ではもう既に可哀想で直視できてなかった)見てみると、なんと!
なんと!
新たなる花が咲いているではありませんか!
な、な、な、なるほどなー!
つまり、いままでの私がやらなくてはならなかったのは、嘆き悲しみ後悔の涙に暮れることではなく、一刻も早く切り戻し(新しい花を元気に咲かせるために、いま咲いている花を切り落とす作業)をすることだったのねー!
全て枯れてそこから新しい花が出て来たという、今更感溢れる事態になってからやるってどうなのという気もしますが、新たな命に感激しつつ切り戻ししました。今からだって遅、、、いけど遅くないもの。今より早い時なんてないもの。
とういうわけで、切り戻しをして花がちらほら咲いて来た桂花ちゃん!

以前のように濃いピンク色。ピンと張った花弁。かわゆい!!
と、
ここからどうでもいいことしか書いていないので読まなくていいです。
以前にも書いたかもしれませんが、私は日々育っていくものにそこはかとない恐怖を感じるところがあります。特に植物は得体のしれない感があり、根を伸ばしたり蔓が伸びたり、そういうものに対してヒー!となります。
実はこの桂花にも言えることで、満開のお花やとじ切った蕾には何も思わないのですが、微妙に咲いてきた状態が怖くて怖くて。なんか、今生命力をフルで使ってるぜー!って感じが怖いと言いますか、うまくいえませんが。。。
えーやっぱりやっぱりキミタチ生きてるの?!!ってなるのね。いや薄々感づいてはいたけどね、生きてるのよね、やっぱりね。当然なんだけどね。
でも生きてるとして、いや紛れもなく生きてるんだけど、でもまぁ生きてるとして、じゃあ話もできず笑いも泣きもせずただ伸びて伸びて実をつけて、枯れて虫に運ばせて時に蜜を滴らせて子孫を残して、その間一度も話も笑いも泣きもせずだ、感情のないそういう命に生まれてきた魂が、紛れもなくこれら植物ひとつひとつに入ってるということになるわけで、あああああ怖い!!ってなるわけです。わかりますか、わかりませんよね。
とにかく、「生きるために生きる」植物の姿が、不可解で怖い。
もしかしたら植物がただ生きていると考えるのは私の傲りで、植物は植物のいのちのなかで喜怒哀楽に左右されながら生きる意味を見つけ生きているのかもしれませんが、ここまでくるともはや禅問答の域になってくるし、そもそもあの植物が喜怒哀楽に左右されながら悩んだり迷ったりして行きてるとかむしろそっちはそっちで怖い
ならば、植物には命などなく、ありゃあ生きてなんかいないんだ、と言い切れるか。
いや、それはないな。それはない。
花が枯れれば悲しいし、つんで歩くのは可哀想。その儚さも、命だからだと思うと納得だし、そもそもやっぱり私だってね、造花よりも断然生花が好きなわけです。
そう、語弊があるかもしれませんが、お花は大好きなんです。本当に。
花は大好き、でも、たとえば、、、例えばですがジャガイモに芽が出てくるとね、見るのも触るのも怖い。私何度もジャガイモたべてるけど、何度も料理してるけど、中に命なんかはいってなかったジャーン!なに芽吹いてんの、どっからきたの、怖い怖い、見れない触れない、と、そうなるわけなんです。わかりますか、わかりませんよね。
ふう、
まぁ、なにがいいたいかというと、そんな私が育てることを決意した桂花ちゃん。を、大切に育てて行きたいと思うということです(今回のまとめ)
花を開いた姿に喜んだり、可愛らしい色にキュンとしたり、芽吹く姿には時々ひるんだり目を背けるかもしれませんが、怖い怖いといいつつもニコニコと話しかけたり、そうやって育てて行きたいです。
思えばなにも解決していませんが、それでも隣に植物のない生活はあまりにも寂し過ぎるので、そして植物がやっぱり好きで傍にあってほしいので、
怖い部分は怖いまま、不可解な部分はそれもそのまま、植物と一緒に生きて行きたいとおもいます
…って、私にとって植物ってなんだ、
解らなくて分かり合えなくて、でも好きで好きで、他の全ての疑問に目を瞑れるくらい好きで、いつだって癒してくれるけどたまに私を怖がらせる恋人かなんかか。
うーん、当たらずとも遠からず。笑
しかも、殺すも生かすも私次第という、絶対的に有利なカードをこちらが持っているにもかかわらず、それをものともしないクールでビューティーな恋人。
つまりは。
うだうだ書いてきたけどつまりは。
あぁ、
惚れ込んでるのは私のほう
その桂花がいまどうなってるというかというのが、そろそろ気になり出した頃ではないでしょうか。
あの、
あの、
なんというか、
はぁ、
肥料もやり、水も与えているのにみるみる元気をなくし、色も薄れていく桂花を見ているのは本当に辛く、もう二度と花を育てるなどという迷惑で非道で鬼畜(←花目線)な考えを持たないようにしようと涙目で誓いました。
誓ったのですが!
先日行って来た実家から帰って来て、恐る恐る(←この時点ではもう既に可哀想で直視できてなかった)見てみると、なんと!
なんと!
新たなる花が咲いているではありませんか!
な、な、な、なるほどなー!
つまり、いままでの私がやらなくてはならなかったのは、嘆き悲しみ後悔の涙に暮れることではなく、一刻も早く切り戻し(新しい花を元気に咲かせるために、いま咲いている花を切り落とす作業)をすることだったのねー!
全て枯れてそこから新しい花が出て来たという、今更感溢れる事態になってからやるってどうなのという気もしますが、新たな命に感激しつつ切り戻ししました。今からだって遅、、、いけど遅くないもの。今より早い時なんてないもの。
とういうわけで、切り戻しをして花がちらほら咲いて来た桂花ちゃん!

以前のように濃いピンク色。ピンと張った花弁。かわゆい!!
と、
ここからどうでもいいことしか書いていないので読まなくていいです。
以前にも書いたかもしれませんが、私は日々育っていくものにそこはかとない恐怖を感じるところがあります。特に植物は得体のしれない感があり、根を伸ばしたり蔓が伸びたり、そういうものに対してヒー!となります。
実はこの桂花にも言えることで、満開のお花やとじ切った蕾には何も思わないのですが、微妙に咲いてきた状態が怖くて怖くて。なんか、今生命力をフルで使ってるぜー!って感じが怖いと言いますか、うまくいえませんが。。。
えーやっぱりやっぱりキミタチ生きてるの?!!ってなるのね。いや薄々感づいてはいたけどね、生きてるのよね、やっぱりね。当然なんだけどね。
でも生きてるとして、いや紛れもなく生きてるんだけど、でもまぁ生きてるとして、じゃあ話もできず笑いも泣きもせずただ伸びて伸びて実をつけて、枯れて虫に運ばせて時に蜜を滴らせて子孫を残して、その間一度も話も笑いも泣きもせずだ、感情のないそういう命に生まれてきた魂が、紛れもなくこれら植物ひとつひとつに入ってるということになるわけで、あああああ怖い!!ってなるわけです。わかりますか、わかりませんよね。
とにかく、「生きるために生きる」植物の姿が、不可解で怖い。
もしかしたら植物がただ生きていると考えるのは私の傲りで、植物は植物のいのちのなかで喜怒哀楽に左右されながら生きる意味を見つけ生きているのかもしれませんが、ここまでくるともはや禅問答の域になってくるし、そもそもあの植物が喜怒哀楽に左右されながら悩んだり迷ったりして行きてるとかむしろそっちはそっちで怖い
ならば、植物には命などなく、ありゃあ生きてなんかいないんだ、と言い切れるか。
いや、それはないな。それはない。
花が枯れれば悲しいし、つんで歩くのは可哀想。その儚さも、命だからだと思うと納得だし、そもそもやっぱり私だってね、造花よりも断然生花が好きなわけです。
そう、語弊があるかもしれませんが、お花は大好きなんです。本当に。
花は大好き、でも、たとえば、、、例えばですがジャガイモに芽が出てくるとね、見るのも触るのも怖い。私何度もジャガイモたべてるけど、何度も料理してるけど、中に命なんかはいってなかったジャーン!なに芽吹いてんの、どっからきたの、怖い怖い、見れない触れない、と、そうなるわけなんです。わかりますか、わかりませんよね。
ふう、
まぁ、なにがいいたいかというと、そんな私が育てることを決意した桂花ちゃん。を、大切に育てて行きたいと思うということです(今回のまとめ)
花を開いた姿に喜んだり、可愛らしい色にキュンとしたり、芽吹く姿には時々ひるんだり目を背けるかもしれませんが、怖い怖いといいつつもニコニコと話しかけたり、そうやって育てて行きたいです。
思えばなにも解決していませんが、それでも隣に植物のない生活はあまりにも寂し過ぎるので、そして植物がやっぱり好きで傍にあってほしいので、
怖い部分は怖いまま、不可解な部分はそれもそのまま、植物と一緒に生きて行きたいとおもいます
…って、私にとって植物ってなんだ、
解らなくて分かり合えなくて、でも好きで好きで、他の全ての疑問に目を瞑れるくらい好きで、いつだって癒してくれるけどたまに私を怖がらせる恋人かなんかか。
うーん、当たらずとも遠からず。笑
しかも、殺すも生かすも私次第という、絶対的に有利なカードをこちらが持っているにもかかわらず、それをものともしないクールでビューティーな恋人。
つまりは。
うだうだ書いてきたけどつまりは。
あぁ、
惚れ込んでるのは私のほう