
前回、とてつもなく遅ればせながらではありましたが風立ちぬの感想を書いたあと…
あれ?私コクリコ坂も劇場で観たじゃん
というのを突然思い出し、
劇場で観た時のもう薄れゆく感想を、一応記しておこうと思います。
ーーーーーーーーーーーーーキリトリーーーーーーーーーーーーーー
ラピュタではとにかくパズーの声にゾッコンLOVEで、
トトロでは胸がせり上がるような懐かしい気持ちに包まれ、
魔女の宅急便では黒いワンピースに赤い大きなリボンとホウキという鉄板な魔女っ子ファッションに例に洩れずに憧れて、
耳をすませばはもう…一行二行じゃ収まり切らない甘酸っぱい幸せな二人の恋愛と夢と、坂道と自転車と図書館。猫と初恋と、朝日とプロポーズ。そういう愛おしい記憶を、過ぎて行った大切にしたい想いを、私の代わりに忘れない様にメモにとっておいてくれたかのような、優しくて大切な作品で。
で。
紅の豚は、敵も味方も仲間もライバルも大人ばかりが出てくる話なんですが、年齢的な意味だけではなく精神的にとにかく大人で、だから子供が持つ残酷さや冷たいところがない。相手の、触れてもいい場所については思いのままけなして笑ってからかうのに、触れてほしくはないだろう部分に対しては見なかったふり気づかないふりをするような、お互いのテリトリーには不可侵なままでありながらとっても優しくて暖かくて、少し距離をおいて物事を見ているからきちんと全員が全体像を理解しているような、そういう、うん、そういうまさに素晴らしい作品だから私は紅の豚が文句なしにナンバーワンです。ってなり、
で。
もののけ姫ではアシタカに恋をし、ああアシタカ好きすぎてどうにもなんないくらい好きってなり、
千と千尋でうーんハク様みたいな優しい神様はこの現代の社会じゃ生きづらいんだろうなって考えさせられたりして、
ハウルで主役の女の子の声にガクッとずっこけ(最後まで慣れず、聞くたびにずっこけてた)、でも曲は最高だよね!ってなり、しかしラストでかかしみたいなのが「僕は実は魔法で姿を変えられていた、隣町の王子だったのさ!」とか言い出した時はなにいってんのおまえってなり、
ポニョでは宣誓わたしはもうジブリは観ません一生観ません、ってなり、
なのになぜ観たアリエッティで、ちきしょうジブリめ一生許さん、ってなり、
なのになぜ観たコクリコ坂!しかも劇場で!おい!
だったわけですが。
すっごい!!すっごい!!すっごい、よかったんです、コクリコ坂!
高度成長期と学生と港町という、背景からしてどう転んでも面白いだろーこれは、という確信もあったのですが。
坂の上の家、自転車、セーラー服に詰襟、学生集会と部室棟、もう想像だけでニマニマするくらい面白い要素がフンダンだとは思ったんですが。
…でもほら、そこはアリエッティを生み出したジブリさまですから。まだわかりませんから。ラストまで気が抜けませんから。
なのでコクリコを観ながら途中、切なくて泣きそうになったり幸せでニヤニヤしたりというシーンがたくさんあったわけですが、そこはわざとぐっと感情を抑え気味にし、「だめ、期待しちゃいけない、期待しちゃいけない!だってこれはジブリだから!」と己を律しながら観るわたし。もうここまでくると、わたしなんで見てんだろうってなってきますがこれはもうDV男と別れられない心理に似ているんだとおもいます。どんなに期待を裏切られ(何エッティのことかはあえて言いませんが)ても、幸せで満たされた日々(耳を済ませばや紅の豚をはじめとする素敵作品たち)を知っているだけに、何度でも次は、今度こそは、と期待してしまう。わかってる、いつまでも突き放せないわたしはバカだってわかってる、だけど見捨てられないの、好きなの、といいながらまんまと映画館に向かい興行収入に助力する…、つまり何が言いたいのかというと、多分わたしは病的にジブリが好きなんだということです。
まぁそんなわけでせりあがる感動を押さえつけるようにして見たコクリコ。それでもやっぱり感動しました。
わたしが好きなシーンは、カルチェラタン(部室棟)の中で理事長を前にして生徒たちが歌を歌うところ。

ここね。
(ちなみに海ちゃんの隣にいるのはヒーローの俊ではなく、恐ろしい子・水沼くんです。なぜ恐ろしいかというと、ちょっとでも気を抜くとうっかり惚れてしまうからです。
私などは、どんなに世間がメガネ男子を推してきても全く興味のなかったはずのメガネ男子に惚れるといううっかりミスをする始末。「おいおいおいメガネくんちょっと待って、いやね全然興味ないからねメガネ男子なんかね、今日の今日、今の今まで興味なんてなかったからね!って、ひいいぃ過去形になってる!どうしてくれんの水沼!おいメガネこのやろう」ってね、ついうっかりね、俊よりかっこいいとかね、思ってしまったわけです。もちろんジブリ双璧の聖司くんとアシタカにはかなわないわけですが、少なくとも二次元三次元含めた古今東西に散らばるメガネくんの中では堂々たる一位っていらないよねこの話)
で、歌のシーンね。
なんでかなー、なんでなのかうまく説明もできないし自分でもよくわからないんだけど、このみんなで歌うシーンがすっごく感動的で。っていうか手島葵ちゃんのあの歌い出しの透き通る声だけで泣ける。素晴らしかったです。
若さゆえの無鉄砲さや無謀さ、それから誠実さ。その全てがあのシーン…あの歌に凝縮されている気がする。あぁ良い子だなぁ、良い子たちだなぁ、って、高度経済成長期を生きる若者の真面目さ、ひたむきさ、真の強さとしなやかさが心から愛おしく、じんわりします。
それから、もうひとつ好きなシーン。
バス停?路面電車だから路面電車駅?で俊くんと海ちゃんが別れるところ。ここの描写がもう、大好き!!
もしかしたら初恋かもしれないような、学生同士の幼く淡い恋だってそれはきちんと本気の恋で、彼の事もしくは彼女の事がとてもとても好きで。
そしてその好きな相手が自分のことを好きだと言ってくれたならそりゃもう嬉しくて幸せで、いつまでも離れ難くて。別れ際なんかこないほうが良くて、いくつもいくつも電車を見送ってたくさん話をしたくなる。
あしたも学校で会えるのに、明日なんて待てない。いま話していたいの。
…ってなっちゃうよね、だって青春だもん。
だけど、この2人のスバラシイところはね!
2人がお互い好きだと確認しあった直後に海ちゃんが乗る路面電車が来るんだけれど、海ちゃんは「また明日、」と頬を染めてそのバスに乗り込むんです
ここー!!

この、離れがたいからといってバスを一本見送ったりしない、そのシーンがね!
もうね、真面目ですよ。正直ですよ。ただひたすら健全で、潔くて、もういくらでも応援したくなる。
彼らのように、自分自身を律しながら物事に理性的に向き合う、そういうある意味での「不自由さ」にわたしはたまらなく惹かれます。
この不自由さ、これって現代社会の中にあっては時代遅れに見えるものかもしれないけど…でも、謙虚さや奥ゆかしさを根底に持つがゆえの聡明な生き方がなんといってもやっぱり一番美しいなんてのは実際みんなわかってるはずでしょ、大変だからやらないだけで。
とくにそれが物語の世界の話なら尚更だとおもうしね。物語でくらい、理想を語りたいじゃない!
そしてあの頃は、それこそ育ちの良し悪しや貧富の差に関係なくみんなそれぞれに不自由さを抱えていたんじゃないかな。コクリコ坂のふたりも、…そして時代は少し違うけど、この間観た風立ちぬのふたりも。
彼らは立場も家庭環境も生き方も夢もそれぞれ違うけれど、それぞれが不自由な思いを少なからず持っていて、そしてそれぞれがとても、とても幸せだったんだと思う。
現代を生きる私はほぼ自由で、彼らよりも身動きの取りやすい社会にいるけれど、果たして彼らほどの幸福感を持って生きていられてるのかな、と、
うまくいえないけれど、あのバスに乗るシーンでそんなことを思いました。
まぁそんなわけで、コクリコ坂はとってもよかったです。
「で、結局どういうストーリーなのよ」と聞かれると、「うーむ、とりたててなにということもない」ってなってしまうのですが汗、なのであらすじを読むよりも映画を観た方がいい作品だと思います。
いつだって前を見つめていて、過去と対面する時も振り返るのではなくきちんと後ろに向き直る。そしてやっぱり正面から見つめるわけです。
そういう真面目でいい子たちがたくさん出てくるので、やっぱり私は好きだなー。
あと、余談ですがこの映画、海ちゃんが朝ごはんを作るシーンから物語が始まります。
その時に流れる曲が、「包丁トントン~お鍋をコトコト~」みたいな、ご飯を作る歌なのですが、それに触発されたのかはわかりませんが、寝る前に主人が「玉ねぎ入れてニンジン混ぜて~」みたいな歌を歌っていました。キテレツのコロッケの歌(古い?)みたいに最終的に何かが出来上がる歌なんだろうなと思い、「夫くん、歌でなに作ってるの?」と聞いてみたら、「何度歌っても野菜炒めができる」と不本意そうにつぶやいていました。
ここまで映画についてとか何だかいろいろ長々と書いてきましたが、この瞬間が一番面白かったです。
私も今晩は口ずさみながら作ろうかな。せっかくだから野菜炒めと、それからあとは…。