今日は、ジェレミー12回忌です。
何をアップしようか迷ったんですが、
前々から着手したいと思っていた、ジェレミーのキャリア表を作ってみることにしました。
ということで、今日はジェレミーの足跡をたどるべく、
デビューした頃より、「マイ・フェア・レディ」までの10年をご紹介しますね。
今日はジェレミーの人生をたどりつつ、一日ジェレミーのことを考えて過ごせたらと思います。
では、ジェレミーのデビュー当時から振り返ってみましょう。
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1954年(ジェレミー21歳)
ジェレミーの演劇のキャリアの始まり。
初映画出演に、マンチェスターのライブラリー・シアターでの舞台デビュー
・初映画「Svengali」でエキストラの学生
・舞台 「Bird in Hand」のGerald Arnwood
「オセロ」のカッシーオ
「ジュリアス・シーザー」のアンソニー
「Marching Song」のBruno Hurst
「Puss in Boots」のGerald
1955年(ジェレミー22歳)
・舞台「St.Joan」のBrother Martin LadvenuとGilles de Rais
「リチャード2世」のオーマール公
「Happiest days of Your Life」のDick Tassell
1956年(ジェレミー23歳)
新人にして大型ハリウッド映画に出演。監督は、雑誌に載っていたジェレミーを見て、スカウトに。
この年、ロンドンでも舞台デビュー。
・映画「戦争と平和」のニコライ
・舞台「Troilus and Cressida」のPatroclus
「マクベス」のマルコム
「ロミオとジュリエット」のパリス
「リチャード二世」のオーマール公
1957年(ジェレミー24歳)
パリス役でTVデビュー。初めてニューヨークで舞台を踏む。
・テレビ「ロミオとジュリエット」のパリス
・舞台「マクベス」のマルコム(ニューヨーク)
「ロミオとジュリエット」のパリス(ニューヨーク)
「トロイラスとクレシダ」のトロイラス(ニューヨーク)
「Meet Me by Moonlight」のRoderick役(ロンドン)
1958年(ジェレミー25歳)
5月24日にアンナ・マッシーと結婚。介添人はロバート・スティーブンスと妻のTern。新居はチェルシー。
・舞台「Variation on a Theme」のRon(ロンドン)
「Candida」のMarchbanks(オックスフォード)
1959年(ジェレミー26歳)
この頃、ジェレミーの容姿から役柄が上流階級の役などに固定してくることを悩む。時代は、現代劇に移行しつつあった。
プライベートでは8月14日に長男デービット誕生。妊娠を機に、チェルシーのアステル・ストリートに転居。マチネーが終わり、家に戻って息子を見て、また夜の公演に行くなど子煩悩なパパ。
母が交通事故で死亡
・舞台「Mr.Fox of Venice」のウィリアム・マックフライ(ロンドン)
「Marigold」のArchie Forsyth(ロンドン)
「The Edwardians」のセバスチャン(ロンドン)
1960年(ジェレミー27歳)
・テレビ「マクベス」のマルコム
・舞台「ジョニー司祭」のReverend Richard Highfield(ロンドン)
「All Good Children」のMaurice Boweres
「マクベス」のマルコム(ロンドン)
1961年(ジェレミー28歳)
ハムレット役が好評。ジェレミーの父も感動し、芸名でハギンズと名乗っても良いと揺るしたほど。しかし、時すでに遅くブレットとしての名前が通っていたので、芸名変更はせず。
・舞台「The Changeling」のAlsemero(ロンドン)
「キッチン」のピーター(ロンドン)
「ハムレット」のハムレット(ロンドン)
1962年(ジェレミー29歳)
役の幅を広げようと「The Very Edge」で変質者役に挑戦したのだが、それを見た父親が激怒。
プライベートでは、とうとうアンナと離婚。4年間の結婚生活が終わる。
・映画「The Very Edge」のMullen
「The Wild and the Willing」のGilby
・テレビ「Dinner with the Family」のJacques
「A Kind of Strength」のJulian Bennett
「The Gost Sonata」の学生
「The Typewriter」のパスカル
1963年(ジェレミー30歳)
この年、ローレンス・オリビエと出会う。ナショナル・シアター・カンパニーに参加。「ドリアン・グレイの肖像」で「TV界で最も有望な俳優」を受賞。
・映画「Girl in the Headlines」
・TV「ドリアン・グレイの肖像」のドリアン・グレイ
「The Trree Roads to Rome」のTonino
・舞台「Saint Joan」のDunois(チチェスター)
「The Workhouse Donkey」のNaurice Sweerman(チチェスター)
1964年(ジェレミー31歳)
「マイ・フェア・レディ」の撮影のために(撮影時期は1963年8月~12月頃)、半年も拘束され、他の仕事が出来ないことをジェレミーは悔やんでいた。しかもジェレミーが歌う「君住む街で」は、既に他の歌手がレコーディング済みであった。(吹き替えの事実は30年以上、秘密にしていた)
・映画「マイ・フェア・レディ」のフレディ
・舞台「The Deputy」(ニューヨーク)
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今回、キャリア表をまとめていて、順調にステップアップしていく様子がよく分かりました。
地方のマンチェスターのライブラリー・シアターからスタートし、
二年後には大作映画「戦争と平和」に出演し、ロンドンデビューも果たします。
その翌年には、映画で得た知名度のおかげでしょうか、ニューヨークの公演もこなし、TVデビューもはたしています。
25歳には結婚し、次の年にデービットが生まれる。
夫婦仲は、冷めていたようですが、ジェレミーは息子のことは大好きだったみたいですね。
しかし、同じ歳に母も死ぬとは。別れがあり、出会いがあった年だったようです。
28歳の時には「ハムレット」で主役を演じ、大絶賛を受けます。
この年で、ちゃんと主役をしても大丈夫なキャリアがついていたのですね。
29歳は、色々模索していた頃ですが、着実に幅を広げられるよう努力しています。
その努力が報われてでしょうか、30歳にはオリビエの劇団に入り、より演劇を深めようと頑張ります。
31歳では、巨大プロジェクトの「マイ・フェア・レディ」でもちゃんと役をつかみます。
「The Man who became S.H.」を読んでいると、ジェレミーは容姿のせいで役が固定されたりと色々悩んでいたようですが、
こうして年表で見てみると、その努力の甲斐もあり、ちゃんとステップアップしていっていると思います。
本当にジェレミーって、こつこつと努力の人ですね♪
ずっとやろうと思っていた年表に着手できて、嬉しいです。
この他にも、ジェレミー辞典と称して、役やジェレミーにまつわる名詞を集めて、
分かりやすく関連用語を整理したいなーなどと考えています。
では、今日はみなさんもジェレミーのことを考えて、過ごしてくだされば嬉しく思います。
私は、昼からホームズ見ますよー♪
次は週末にこれの続きをアップしますね。
では、また。
りえ(rie_002@goo.jp)
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りえさん、ご無沙汰してごめんなさい。
自宅のパソコンがぶっ壊れてしまって、長い間パソコンなしの生活をしていました。
最近、IBMの中古を買ってパソコン生活復活です。
もう、Dyna xxxkは買わんぞぉ! たった2年使用しただけで壊れるなんて(`O´)
ずーと気になっていたのですが、パソコンがなかったことと、引越し騒ぎを含めていろいろと多忙な日々を過ごしており、今日に至ってしまいました。
この間日曜日に、もうじきジェレミーの命日だわと気づきまして、彼の好きだったパラを買ってきて新居に飾り、ジェレミーのことを偲んでおりました。まだ、パラは元気にしています。
ご無沙汰しておりましたが、ジェレミーへの愛は消えていませんので。また、ちょくちょくお邪魔させていただきますね!
Motooでなくて、Motokoでした!
自分の名前を間違えるなんて、情けない。
久しぶりで緊張しちゃったのかしら。
引越されたなんて、色々とお忙しかったのですね。
どうされているのかなーと思っていましたので、コメント頂けて嬉しかったです♪
(ちなみに、うちの主人も同じ東○製のノートPC使っていて、不調を訴えてます・・・)
Motokoさんはバラを買ってこられたんですね
やはり9月12日、11月3日はファンにとっては特別な日ですよね。
私も今週は、ジェレミーのことを考えることが普段より多いです。
こうして毎年、節目を皆さんと迎えられて、嬉しいです。
この先もずっと、こういう日、こういう想いを共感できたら、嬉しいですね。
>ご無沙汰しておりましたが、ジェレミーへの愛は消えていませんので。
オフ会でお会いしたときに、Motokoさんは一生ジェレミーのファンでいてくださるんだろうなーと感じました♪
またお時間のあるときにでも、いらしてくださいねー。
しかし何年たってもこの時期は落ち着かないです。
今でもジェレミーはDVDでも見られるしiPodで歌声もいつでも聴けるので何となくほっとはするんですけどね・・・・・・。
「マイ・フェア・レディ」の撮影、実際には1963年8月から12月で、リハーサルや打ち合わせは5月くらいかららしいので、ジェレミーの63年と64年の仕事ってどうだったのでしょうか?
まあ63年の映画は実際には62年に撮っていたのかもしれませんが、舞台は絶対にその年ですもんね。
むしろ63年が「マイ・フェア・レディ」に時間を取られて、64年は空いていたように思うんですが…。(^^;
こんにちはー。ちょっとお久しぶりですね♪
仰るとおり、何年経ってもこの時期は、やはり色々思い出しますね。
ジェレミーの死亡記事を見たときのあの衝撃は、おそらく一生忘れられませんし、
また辛いですが、ジェレミーと共に過ごした日々の一つとして記憶していたいです。
私もiPodで、グラナダ・ホームズを入れてあります♪
いつでもジェレミーを携帯出来て、素敵ですよねー。
しかし、画面が小さいので、あまり見たことはないですが(笑)
>みつおさんへ
私も年表を書くときに、迷ったんですよー。
舞台は年に変わりはないですが、TVや映画は撮影時期と放映時期ってずれますものね。
ジェレミーの場合、資料があまりないので、IMdbに頼って、放映時期で書きました。
でも、「マイ・フェア・レディ」は、1963年8月から12月の撮影だったんですね。
では、そのように修正を入れさせて頂きます。
アドバイス、有り難うございました♪
ジェレミーの伝記などはないんですか…ファンにとっては残念ですよね。
でもジェレミーほどホームズ役者としてカリスマ化していたらそのうち出るんじゃないですか?(^^
63年の舞台の時期はいつからいつまでだったかわかりますか?そうすればもっと「マイ・フェア・レディ」との兼ね合いがわかると思うんですよ。
もうもう63年の映画とテレビはきっと前年撮っただろうということで(笑)。
ちなみにオードリーの映画って、オードリーの希望で順撮りが基本なんです。「マイ・フェア・レディ」もそうなんですが、3回登場するジェレミーは出番の割にはやっぱり長い間拘束されたでしょうねー。
正確には8月13日(火)に撮影開始で、クリスマス直前に撮影終了だったそうです。
セシル・ビートンの「マイ・フェア・レディ日記」によると、アスコットのシーンは10月10日から10月22日くらい、家出のシーンは11月18日までには撮影していたようです。
ちなみに家出シーンはカラー調整が失敗して、オードリーとジェレミーは撮り直ししたと書いてました。(^^;
それと、1957年の「ロミオとジュリエット」は「プロデューサーのショーケース」内での放映だったんですね!
オードリーの「マイヤーリング」も「プロデューサーのショーケース」なんです!
これってDVD化してくれないんですかね。なんかやたら権利の複雑な番組のようで、パラマウントもユニバーサルも権利が取れないみたいです…残念!
海外のファンからは、ぼろぼろに文句を言われている本でして、
内容が事実と異なっていたりするのです。
ホームズ時代を詳しく書いたものならあるのですが、
一生涯にわたってとなると、やはりその悪評高い伝記に頼るしかないのです。
オードリーは、もう何十冊と本が出ていて、読むのは大変ですが、色々資料があって羨ましいです。
オードリーって順取り希望なんですか!
それは、知りませんでした。
さすが、その希望が通るあたりが、オードリー!!ですね♪
そういえば、私もセシル・ビートンの「マイ・フェア・レディ」日記持っています!
私はビデオ時代にスペシャル・パッケージ版で買ったので、ビートンの洋書がおまけでついてました。
英語なので、読んでないのですが・・(笑)
そして、「プロデューサーのショーケース」では、オードリーも出演していた回があったんですね!
ジェレミーとオードリーは、本当に交差するところが多いです。
でも、そんなに権利関係がややこしいとは知りませんでした。
ボックスで出てくれたら、良いですよねー。
ファンとしてはぜひぜひ信頼の置ける伝記を誰かが早く書いて欲しい!ですよね。
僕もジェレミーの正確な伝記、日本語版が出たら読んでみたいです!
オードリーの作品で全然順撮りでないのは「戦争と平和」くらいじゃないでしょうか。「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」は初期で、まだオードリーの希望どおりとはいかなかっただろうし、その辺はわかりませんが…。
あとは「いつも2人で」が作品の性格上、順撮りは難しいかなーと思ってますが、他はみんな順撮りです。
なんかオードリーって初めの演技の方が新鮮で、何度も繰り返すとオードリーの気持ちも新鮮味がなくなっていくそうなんです。モンゴメリー・クリフトとは逆ですよね。
順撮りも、その主人公の気持ちになりきるためのオードリーの手段だそうです。「マイ・フェア・レディ」でも最初に大使館とかやって、あとで花売り娘って、確かに感情移入が難しそうですもんね。(^^;;;
「マイ・フェア・レディ日記」はその後翻訳された国内版が出ましたけど…。でもジェレミー的にはう~ん、どうでしょう…。
「プロデューサーのショーケース」は「マイヤーリング」を出して欲しいので、一時期いろんなメーカーに電話しまくってたんですよ。
パラマウントはかなり興味を示してアメリカ本国に問い合わせてくれたんですが、その後アメリカからの返事がなくってそのまま立ち消え…。
放映したNBCテレビは本来ユニバーサルが権利を持っているので、そこで問い合わせたらやはりアメリカに問い合わせてくださって前向きだったんですが、やはり権利がユニバーサルにはないとのこと。
ソニーは電話を取ったおねえちゃんがポーッとしてる感じで、のれんに腕押し。(^^;
ジェネオンはオードリーと言えども「ローマの休日」以外は売れるかどうか…って尻込み状態。
20世紀フォックスさんは…どうだったか忘れました。(^^;A
そういえばワーナーさんには訊いたっけ?
って感じで、ホント難しいみたいです。前向きでも権利がやたらややこしいみたいです。いったいどこが持ってるんでしょうねー。せっかく映像として残しているのに、二度と再び日の目を見ないなんて、なんてもったいない!ですよね。
(ちなみにオードリーの「マイヤーリング」はカラー放送なので、「ロミオとジュリエット」もカラーの可能性大!です。)
頼りにならない伝記・・・・。みつおさんも、オードリーの伝記では悔しい思いをされていると思います。
ジェレミーの伝記も、ここで例え話をするのも憚られる程、酷い内容の部分もあります。
どうして、こういう作者は、ファンに身になって考えてくれないのでしょうね。
作者は、これが真実だから伝えなくちゃ、とでも思っているのでしょうか。
でも、オードリーなら、メイチックのがダメでも、色々伝記はありますが、
ジェレミーの場合は、それしかないのが、辛いところなのです(涙)
順取りとは、本当にコストもかかりますし、制作者サイドに取ったら大変なオーダーだと思います。
でも、オードリーだから、許されたことなのでしょうね。
エピソードをお聞きして、「さすが、オードリー!」と思いました。
「マイ・フェア・レディ日記」は、ジェレミー的には「うーん」なのですね(笑)
私も、洋書版をぱらぱら見て、ジェレミーの文字を探したのですが、
見当たらなかったので、読むのをやめていました。
そうですか。日本語版は買うまでもないみたいですね。有り難うございます。
「プロデューサーのショーケース」のお話は、大変参考になりました!
なかなか権利関係が難しいとのことで、DVD化への道は険しそうですね。残念です。
しかし、みつおさんは、色々なところに電話をかけて、アクションを起こされてるんですね。
私も、頑張ってファンの要望を聞いてもらおうと思いました。
今、ホームズのDVDボックスにメイキング映像とか付いたら良いなーと思っていたので、
ぜひ、私も電話してみようと思いました♪
やはり、長年のファンの方とお話ししていると、色々参考になることがありますね
やはり何もしないより、何かした方がもしかしたらいい結果になることがあるかもしれないので、僕はオードリーに関してはかなりチャレンジしています(笑)。
今まででは、20世紀フォックスさんに電話で「いつも2人で」のビデオ&LDで作品のキーワードに逆の意味になってしまう誤訳がありますよ!って言ったら、DVD発売の時に新訳になってました。
(これ、20世紀フォックスさんにDVDで訳が変わっているのを尋ねたら“以前ファンの方から誤訳があると指摘されましたので新しくしたんですよ。”とおっしゃっていただきました。それ以降、20世紀フォックスの大ファンになったことは言うまでもないですよね!)
「マイヤーリング」も、少なくともその存在をメーカーの人に知っていただいたし、アメリカに尋ねてもらえたということで、電話してよかった!と思いました。
やっぱり何もしないより、何かした方が良い結果が生まれることもある、ということですよね。(^-^
担当者もやっぱり売るためにはそういうファンの声を無視するわけにはいかないですしね。
しかし、うわー、更にみつおさんは訳の訂正まで、チェックされていたんですね。
すごいです!なんかそのエピソード聞いて、私も頑張ろう!って、また刺激を受けました。
みつおさんも仰っていられますが、メーカーさんはそこまで俳優のファンではないし、知らないこともありますもんね。
ファンがこういうのもあるんですよ、と情報をお伝えすることもいると思います。
みつおさんを見習って、色々積極的に動いてみようかと、良い刺激を受けております。
有り難うございます♪