goo blog サービス終了のお知らせ 
ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)とグラナダ・ホームズを語る
グラナダ(NHK)版ホームズの鑑賞日記とホームズ役ジェレミー・ブレットに関する情報を発信していきます
 



ちょっと色々あって(それは後ほど)、しばらくぶりでした!

今日は、なんとなくジェレミーの日常を振り返りたくて、洋書を大まかに訳してみようと思います♪
先日RMさんのブログで、ジェレミーが常宿だったミッドランドホテルについてご紹介されていて(こちらです)、
なんだか懐かしく思ったので、今日は、自分でもご紹介箇所を読んでみようと思います。

ジェレミーの洋書「The Definitive Sherlock Holmes」の102ページで、グラナダホームズ時代についてです。

---------------------------

「フレンチレストランの前のピアノバーで、シャンパンを注いだ3つのフルート・グラスがテーブルの上にあった。ミッドランド・クラウン・プラザは、マンチェスターで撮影するときのジェレミーの常宿で、1991年8月に、私たち夫婦と食事を楽しんでいた。

紹介がすんだ後、彼が言った。
「楽しいね、あの可愛い子を見てよ」
私たちの席の前には1歳前後の女の子がいて、お母さんの肩ごしにジェレミーといないいないばぁをして遊んでいるのだった。
ピアノ演奏が流れる中、ジェレミーはこう言った。
「この曲は、僕のお気に入りの中の一曲だよ」
その曲は、「Fly Me to the Moon」だった。それからは、この曲を聞くと、いつもジェレミーを思い出すようになった。

グラナダは、「犯人は二人」を撮影していて、その日、ジェレミーはビクトリア調のバスタブの中で多くの時間を過ごしていた。監督のピーター・ハモンドもミッドランドホテルにいたので、ジェレミーは私たちを「カリフォルニアから来た友達」だと紹介した。「犯人は二人」でのハモンドの演出を見てからは、初期のシリーズの中でもどれが彼の作品は見分けられるようになった。

ジェレミーは、どこへ行くにもバックを持ち歩いた。バックは、ショルダーストラップ付きでカメラバックほどの大きさだった。子供たちの写真を取り出し、私たちに見せてくれた。その中に、ジェレミーと芸術家である息子のデービットが写っている写真があり、それがとても印象的だった。ジェレミーは普段ネイビーか白を着ていたのに、初めて赤いシャツを着ていた。そして、デービットはダークカラーだと予想していたのに、金髪だったからだ。思うに、彼は母親譲りの髪質なのだろう。ジェレミーは、ジョアンの子供であるケイレブとレベッカの写真も見せてくれた。ケイレブは、まもなく短期間だがジェレミーの家に、ガールフレンドとハープをつれて引っ越してくるそうだ。

私たちは、フレンチレストランに移動し、ジェレミーのいつものお決まりの席に腰掛けた。ジェレミーは、壁を背にして座っていたので、周りで何が起きているか一目瞭然だった。ジェレミーは、すべてのスタッフを知っていて、みんなよく気が利いた。ジェレミーは特別メニューのサーモンと体重を気にしながら少しの白ワインを注文した。食後に僕が今まで飲んだことがないほどの最高に美味しいフレンチローストのコーヒーが出てきた。ジェレミーはその間ずっとシルクカットのタバコを吸っていた。

---------------------------


ジェレミーは、マンチェスターからキャリアをスタートし、若かりし頃はロバート・スティーブンスと若者らしい部屋に二人でルームシェアしていて、
このミッドランドホテルの前を通ると、「いつかここに泊まれる俳優になるぞ」と希望を胸に日々頑張っていました。
その夢叶い、グラナダホームズ撮影時には、そのホテルを常宿とするなど、本当にジェレミーゆかりのミッドランドホテル。
そのホテルでのお話ですし、私も実際泊まりましたので、本当に素敵なエピソードです。
これを読んでいると、イギリスのホテルを思い出して、懐かしく楽しい思い出が甦ります。

お話に出てきたピアノバーとフレンチレストラン、私も見てきましたよ!
フレンチレストランは、入ってないのですが(というか、お休みで入れませんでした)、ピアノバーにはすこし寄った気がします。
ミッドランドホテルをまだ見ていない、という方は、ぜひこちらの滞在記をご参考に♪

ミッドランドホテルは、本当にジェレミーファンなら一度は泊まってみたい憧れのホテル。
私も泊まったときには、感動の嵐でしたもの。叶うなら10年以内に、再訪したいです。
もうジェレミーが行った頃とはスタッフも味も変わっているでしょうが、建物はそのままですし、内装も素晴らしい過去のものを残したままにしてあるでしょう。
今度こそジェレミーがよく食べたフレンチレストランに行ってみたいです!

音楽の話が出てきましたが、クラシックが一番好きだったのかな、と思っていたのですが、
ここで「Fly Me to the Moon」とジャズが出ましたし、最期に仲良くしていたリンダさんの本には「アンチェインド・メロディ」が好きだったとも書かれてあったり、
結構広範囲に色々聞いていて、音楽好きだったんだと思います。
クラシックはもちろんイメージ通りですが、ジェレミーにはジャズも合いそうな気がしていたので、今回具体的な曲名が出てきて嬉しいです。
私もこれから「Fly Me to the Moon」を聞いたら、ジェレミーを思い出します♪

赤ちゃんや子供が好きなところも、いかにもジェレミーらしくて微笑ましくてエピソードですよね。
そういえば、子供についていえば、日本よりイギリスの方が社会全体が優しかったです。
私もロンドンに子連れで移る前は、「子育てしにくいかな」と心配していたんですが、行ってみたら子供に優しく日本より子育てしやすかったです。
公園には必ずキッズスペースがありますし、ミュージアムなどでも子供が飽きないようにあちこちにキッズスペースが多数。
電車の中に子連れで立っていると、席を替わってもらえたり、あやしかけてくれたり、横断歩道でも車が子供を必ず待ってくれます。
ご近所のギャラリーでも無料で子供イベントをしていたり、本当に楽しく子育て出来たと思います。
日本もロンドンのようにもっと楽しく子育てできたらいいなぁ、と思います。

ジェレミーがカメラバックサイズのバックを持っているのは、どこかで写真を見た気がします。
そこには何が入っているのかと思ったら、みんなに見せる家族写真が入ってたんですね。
息子のデービットは、金髪だったんですねー。(ちなみに、デービットの白黒写真はこちらに。)
私は勝手に、ジェレミーっぽいダークカラーをイメージしていたんですが、金髪とは驚きでした。
確かに息子は予想外の金髪だし、ジェレミーは普段着ない赤いシャツ着用で、その写真はなかなか印象的ですね(笑)
赤いシャツとはあんまり見ない姿ですが、パーティかなにか弾けたい気分の時だったんでしょうか、セクシーなお姿ですねー。
イギリス人は真面目なんですが、時々お茶目でかわいいんですよ。
クリスマス時期なんて真面目な紳士のおじさまが、ウサギ耳つけて地下鉄乗ってたり、可愛いんですから♪

写真と言えば、亡くなったジョアンさんの子供のも持ち歩いていて、本当に親密な仲が続いていたんだと思います。
ガールフレンドとハープと義父の家で一時滞在なんて、微笑ましいですよね。

シャンパンを食前酒にフレンチレストランへ移動、というのが最高にイギリスらしくジェレミーに似合ってますね。
ジェレミーが食べたのが、サーモン。イギリスってサーモンが美味しいんですよね。
もともと魚の種類が少ないのですが(サーモン、鱈、スズキぐらいしか食べた記憶がありません!)、うちの食卓でもサーモンはよく使ってました。

コーヒー飲みながらタバコというのが、愛煙家のジェレミーらしいです。
本当にホームズそのままですよね!
タバコの銘柄って「Silk Cut」だったんですね。具体的な銘柄名は初めて聞いたかもしれません(もしかしたら、リンダさんの本に載っていたかもしれませんが・・)。
ともかくジェレミーの事は、みーんな真似してみたい私、タバコは嫌いですが、授乳期終わったらちょっと試してみたいです。

今回のエピソードから、ジェレミーの日常について知ることが出来て、楽しく読みました♪
ミッドランドホテルのこともシャンパンもイギリスの食事も、すべてが懐かしくて、つい色々と思い出してしまいました



さて、以下はジェレミーには関係ないフリートークですので、お暇な方はちょっと重い話題ですがおつきあいくだされば、嬉しいです。

今回ちょっとまた間が空いてしまったのは、祖母が危篤状態でなかなかブログに向かうことが出来なかったんです。
東京から帰ってきたら、医師から呼び出しがあり、「もう食べれない状態。お茶と点滴だけしか入れれないので、持ち直すかもしれないけれど、一応覚悟してください」とのこと。
87歳という高齢もあり、過去にも何度か「覚悟してください」とは言われてたのですが、今回が一番深刻で、やっぱりちょっといつものトーンでここに来ることが出来ない状態でした。
すいません、更新が遅れてしまって。

大学生の時にジェレミーを亡くして以来、ずっと「どうして人の良いジェレミーはあんなに早く亡くなってしまったのか」という問いを解けないまま、そして問い続けながら生きてきました。
ブログをし始めてから、ブログお友達が病死したり、大震災で多くの死を垣間見たり。
私自身、人生の折り返し地点的年齢なので、「死」というものに結構向き合っている、と考えています。

老後って、余生を楽しんで「生きている」状態と、寿命が来るのを待っている「息をしている」状態と二つあるんじゃないかと思います。
私は、2年前切迫早産で寝たきり状態が続いたわけですが、本当に辛く気力もそがれるし、これがずっと続いたら自殺を考えるな、というほど苦痛でした。
私にとって「生きてる」って、やっぱりジェレミーの作品を見たり、本を訳して彼のことを考えたり、そしてイギリスに行くことなんです。
もし老いてきて、飛行機で地球半周できる体力がなくなったら、もう私にとって緩やかな死が始まっていると思います。
大好きなイギリスに行けないってなったら、もう希望が持てなくなりますね。
イギリスで生涯を終えれたらなぁ、という思いもあります。

ブログ友達でジェレミー好きだった友人は、非常に深刻な状態で、いろいろな病に冒されていました。
そんな彼女は、「痛くない穏やかな死」を切望していました。
どんな死でも痛みが伴いますが、本当に病死って最期が辛いでしょうから、そう望まれたんでしょうね。
私がロンドンにいた頃も病室からブログを見ていてくださって、「まるで自分がロンドンにいるようです」と言って下さり、辛い闘病生活にほんの少しの楽しみになればと願っていました。
なんとか持ち直してくれたら、と願っていましたが、本当に若くして亡くなられ、悲しい気持ちでいっぱいになりました。

いつ病気になるか分からないし、南海トラフが次の瞬間起こって死ぬかもしれない。
だからこそ、出来るときに自分らしく生きていたいですね。
私の生きるって言うことは、家族を大事にして、ジェレミーのおっかけをすることなので、この道で邁進するだけです。
死ぬまでにあと何度かイギリスには行きたいです。
そして出来れば、死を迎えるときは、ジェレミーと同じ死因でお願いします、神様。

なんか散文的に色々書いちゃいましたが・・・、暗くてすいません。
次からは、明るくいきますね。
RMさんからご紹介いただいた、ジェレミーが載っている雑誌をアップしまーす。
いつも本当に有り難うございます。

では、今日も精一杯人生を楽しんで生きましょう♪
また来週ー

りえ







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする


« DVD「Deceptio... ENGLISH JOURN... »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。