おはようございます。報告が遅れてしまいましたが、しっかり影奉仕継続中です。ホント5時半だと真っ暗です。時間都合でやっぱりこの時間にしか影奉仕が出来そうに無いので、当分の間、懐中電灯を持ってコソ泥の様に活動していきます(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ee/9a966afa18499d4e0da182f282196faf.jpg)
第3週影奉仕は、影奉仕しながら原の名所巡り。前回は長興寺の参道入口まで来たので、こっからスタートです。長興寺と言えば、面白い和尚さんと金毘羅さんで有名ですね。
詳細は今回もお世話になります龍さんのプログから。
【長興寺(こんぴらさん)】臨済宗妙心寺派 ミニストップの先に看板と石柱があり左折し正面。約640年前、康安年間(室町時代)のこと、鎌倉・建長寺の開山、大覚禅師のお弟子の友獄和尚が行脚中に原の浜辺にさしかかりました。その時、海の響きに感応道交して身心脱落(しんしんだつらく)。歓喜雀躍して、念持仏の虚空蔵菩薩を奉安し一堂宇を建立し ました。その場所が砂州の上にあり、満潮の時にはあたかも海の上にあるかのように見えたので、山号を海上山としました。江戸時代なかば、白隠禅師の道友(どうゆう)であった、大義(だいぎ)和尚(当山準開山)によって清見寺(せいけんじ)末となり、妙心寺派となりました。このような開創の因縁により、当山は海と御縁の深いお寺で、海の神様、金毘羅山大権現 を鎮守神としておまつりしています。昔、駿河湾ではマグロやカツオなどの漁が盛んでした。お祭りには大漁や海上安全を祈願する漁師が、地元のみならず西浦方面からも舟でお参りし、にぎわったと伝えられております。近年、金毘羅堂も再建され、毎年5月の最終日曜日に開催される例大祭には、赤ちゃんのすこやかな成長を祈願する恒例の「奉納泣きずもう」が 行われます。江戸時代、お隣の松蔭寺には、日本臨済禅中興の祖として仰がれる白隠禅師の指導を求め、全国から修行僧が参集。その数、数百であったと記録されています。その折り、当山も宿坊として使用されました。修行者が松蔭寺へと参禅にかよった道が今も残っており「白隠道」と称されています。
西浦方面からもお参りに来てたなんて相当なご利益があったんでしょう。あと、いつか子供が出来たら金毘羅さんに泣き相撲をしにこよう(笑)
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旧東海道はやはりゴミが少ないですね。メインはタバコの吸殻。ゴミが少ないことはいいことです(笑)
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もうちょっと東に行くと清梵寺があります。この説明も龍さんのプログから。
【清梵寺(お地蔵さん)】臨済宗妙心寺派 今からおよそ1200年前、安房の国に帰国途中の勤得萬長者がこの地で息を引き取り、大きな塚に葬られました。そして、この地を大塚と呼ぶようになったといわれています。この長者の死を知らされた妻は、梵貞尼という尼になり、夫の死んだ原宿を訪れお墓参りをしました。このとき休ませて戴いた網元の網に亡き 夫が朝夕拝んでいた一体の地蔵菩薩がかかりました。これを聞いた網元は心を打たれ、自ら清信禅居士と号し、梵貞尼と力を合わせて、お堂を建て地蔵菩薩の尊像を安置しました。そして、この地に山号を得萬山と号し、清信、梵貞の二文字を取り「清梵寺」というお寺を建立しました(清梵寺の縁起) 平成12年、お地蔵さんと呼ばれ信仰を集め地域の皆様に親し まれている地蔵菩薩が約5百年ぶりに完全修復され、金色に輝く姿に復元されました。このお地蔵さんがいつ頃造られたか確かな文献はありませんが、修復時に後頭部内から出てきた文字から「文亀2年」を読み取ることができ、ちょうど5百年ほど前の室町時代末期、戦国時代にかかる1502年には存在していたことが確認されました。その後、1573年と記した文献には無色とあり、金色を取り戻したのは「彩色あり」と記された1502年以来、約5百年ぶりであります。また、残された文面に「万民快楽心身安泰二世願望成就」とあり、この時代に人々が楽しく暮らせ、子宝に恵まれることを願って造られた事がうかがわれます。
お地蔵さんもお祭りのイメージが強いな。このお寺の近くに幼馴染が住んでて、お祭りでお呼ばれした記憶がある。懐かしい・・・。
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清梵寺を出ると北へ行くことにする。これ以上東に行くと3年計画ぐらいで廻らなきゃいけなくなっちゃうからね(笑)国道一号線に出ると朝焼けの綺麗な富士山のお出迎え。綺麗だな。今度は一路、西方面へ。白隠さくらの並木道を沿って進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/74/864ec61d6ceafbe57c79e209638ae7e7.jpg)
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すっかり冬ゴミですね。缶コーヒーとコーンポタージュが大人気です。この道の方が通学路だったりして交通量が多いんだな。前半の旧東海道の平和さと違って、どっとゴミの量が増えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/2c/ff8faeac2ab1dcd5f4b4812d231aad65.jpg)
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今回のゴールは国道一号線原東町交差点。来月はこの興国寺城通りのスタート地点興国寺城跡を目指し、北上する予定です(笑)で、今日の成果もいつものごとくゴミ袋二つ分でした。
ちなみに今日は、伊豆夢で知り合った人達に会えるかどうか分からないけど、いのしし村ともっふるツアーをしてきます。ファイナルいのしし村ですから楽しんできますし、しっかり報告いたしたいと思います(笑)お楽しみに。うんうん。ではまた。
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海上山 長興寺
住所 沼津市大塚299
TEL 055-966-0125
![長興寺 長興寺](http://chizumado.jp/mado/439815/image.jpg)
清梵寺
住所 沼津市大塚278
TEL 055-966-0372
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ee/9a966afa18499d4e0da182f282196faf.jpg)
第3週影奉仕は、影奉仕しながら原の名所巡り。前回は長興寺の参道入口まで来たので、こっからスタートです。長興寺と言えば、面白い和尚さんと金毘羅さんで有名ですね。
詳細は今回もお世話になります龍さんのプログから。
【長興寺(こんぴらさん)】臨済宗妙心寺派 ミニストップの先に看板と石柱があり左折し正面。約640年前、康安年間(室町時代)のこと、鎌倉・建長寺の開山、大覚禅師のお弟子の友獄和尚が行脚中に原の浜辺にさしかかりました。その時、海の響きに感応道交して身心脱落(しんしんだつらく)。歓喜雀躍して、念持仏の虚空蔵菩薩を奉安し一堂宇を建立し ました。その場所が砂州の上にあり、満潮の時にはあたかも海の上にあるかのように見えたので、山号を海上山としました。江戸時代なかば、白隠禅師の道友(どうゆう)であった、大義(だいぎ)和尚(当山準開山)によって清見寺(せいけんじ)末となり、妙心寺派となりました。このような開創の因縁により、当山は海と御縁の深いお寺で、海の神様、金毘羅山大権現 を鎮守神としておまつりしています。昔、駿河湾ではマグロやカツオなどの漁が盛んでした。お祭りには大漁や海上安全を祈願する漁師が、地元のみならず西浦方面からも舟でお参りし、にぎわったと伝えられております。近年、金毘羅堂も再建され、毎年5月の最終日曜日に開催される例大祭には、赤ちゃんのすこやかな成長を祈願する恒例の「奉納泣きずもう」が 行われます。江戸時代、お隣の松蔭寺には、日本臨済禅中興の祖として仰がれる白隠禅師の指導を求め、全国から修行僧が参集。その数、数百であったと記録されています。その折り、当山も宿坊として使用されました。修行者が松蔭寺へと参禅にかよった道が今も残っており「白隠道」と称されています。
西浦方面からもお参りに来てたなんて相当なご利益があったんでしょう。あと、いつか子供が出来たら金毘羅さんに泣き相撲をしにこよう(笑)
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旧東海道はやはりゴミが少ないですね。メインはタバコの吸殻。ゴミが少ないことはいいことです(笑)
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もうちょっと東に行くと清梵寺があります。この説明も龍さんのプログから。
【清梵寺(お地蔵さん)】臨済宗妙心寺派 今からおよそ1200年前、安房の国に帰国途中の勤得萬長者がこの地で息を引き取り、大きな塚に葬られました。そして、この地を大塚と呼ぶようになったといわれています。この長者の死を知らされた妻は、梵貞尼という尼になり、夫の死んだ原宿を訪れお墓参りをしました。このとき休ませて戴いた網元の網に亡き 夫が朝夕拝んでいた一体の地蔵菩薩がかかりました。これを聞いた網元は心を打たれ、自ら清信禅居士と号し、梵貞尼と力を合わせて、お堂を建て地蔵菩薩の尊像を安置しました。そして、この地に山号を得萬山と号し、清信、梵貞の二文字を取り「清梵寺」というお寺を建立しました(清梵寺の縁起) 平成12年、お地蔵さんと呼ばれ信仰を集め地域の皆様に親し まれている地蔵菩薩が約5百年ぶりに完全修復され、金色に輝く姿に復元されました。このお地蔵さんがいつ頃造られたか確かな文献はありませんが、修復時に後頭部内から出てきた文字から「文亀2年」を読み取ることができ、ちょうど5百年ほど前の室町時代末期、戦国時代にかかる1502年には存在していたことが確認されました。その後、1573年と記した文献には無色とあり、金色を取り戻したのは「彩色あり」と記された1502年以来、約5百年ぶりであります。また、残された文面に「万民快楽心身安泰二世願望成就」とあり、この時代に人々が楽しく暮らせ、子宝に恵まれることを願って造られた事がうかがわれます。
お地蔵さんもお祭りのイメージが強いな。このお寺の近くに幼馴染が住んでて、お祭りでお呼ばれした記憶がある。懐かしい・・・。
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清梵寺を出ると北へ行くことにする。これ以上東に行くと3年計画ぐらいで廻らなきゃいけなくなっちゃうからね(笑)国道一号線に出ると朝焼けの綺麗な富士山のお出迎え。綺麗だな。今度は一路、西方面へ。白隠さくらの並木道を沿って進む。
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すっかり冬ゴミですね。缶コーヒーとコーンポタージュが大人気です。この道の方が通学路だったりして交通量が多いんだな。前半の旧東海道の平和さと違って、どっとゴミの量が増えました。
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今回のゴールは国道一号線原東町交差点。来月はこの興国寺城通りのスタート地点興国寺城跡を目指し、北上する予定です(笑)で、今日の成果もいつものごとくゴミ袋二つ分でした。
ちなみに今日は、伊豆夢で知り合った人達に会えるかどうか分からないけど、いのしし村ともっふるツアーをしてきます。ファイナルいのしし村ですから楽しんできますし、しっかり報告いたしたいと思います(笑)お楽しみに。うんうん。ではまた。
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海上山 長興寺
住所 沼津市大塚299
TEL 055-966-0125
![長興寺 長興寺](http://chizumado.jp/mado/439815/image.jpg)
清梵寺
住所 沼津市大塚278
TEL 055-966-0372
![清梵寺 清梵寺](http://chizumado.jp/mado/1030404/image.jpg)