金曜日の雨でずれ込みずれ込み。日曜日になってしまいました・・・。今月から影奉仕のエリアを少し変更。第1金曜日を興国寺城通り、第3金曜日を原の名所めぐりにしようと思います。街が綺麗になるのも楽しいんだけど、折角だから楽しくゴミを拾いたいですもんね。悪ふざけにも感じちゃうかもしれませんが、ごみ拾いに関しては真面目です(笑)
っていうことで、原の名所めぐり編は、原駅からスタートします。いざ出発!
駅前通りをフランドール松屋さんのとこで右に曲がり旧東海道を東へすすみます。松屋さんのいえば「UFOパン」。セブンイレブンで「スイートブール」と言う名前で売っています。どっちの名前が正式名称なんだろう?UFOパンで皆に通じるのかな?ローカルルールって事は無いよな~。
さらに東にすすむと徳源寺さんに着きます。原の名所をどうやって説明するか?世の中には奇特な方がおられます(笑)最近自分が毎日チェックしているブログで「龍さんのプログ」という、多分自分の親父と同い年ぐらいの方が運営されているブログがあります。この中で「東海道ぶらり歩き」というカテゴリーがあって沼津近辺の名所を説明してくださっています。良かったらご覧になって下さい。
徳源寺の説明は龍さんのプログから(笑)
『子安さん、内海ふとん店の先に看板と石柱。臨済宗妙心寺派、建久4年(1193)源頼朝公が行った富士の巻狩りの際、陣屋が置かれたことから始まりました。境内地は、現在「御殿場」という地名として残っております。その後「今津寺」という律宗の寺院を経て、鎌倉円覚寺開祖仏光国師(無学祖元禅師)の弟子帰化僧賢宗が、北条時宗の帰依を受けて 弘安元年(1278)に徳源寺として創建しました。賢宗は、円覚寺建立に尽くされ、その功績により後光厳天皇から圓満護国禅師の諡号(しごう)と紫衣(しえ)を賜っております。円覚寺派を経て戦国時代には、吉原宿今泉にあった今川家公寺善徳寺の末寺となり、その後承應3年(1654)妙心寺派中本山興津清見寺の松巖宗蜜(しょうげんそうみつ)老師を拝請し準開 山とし清見寺末寺となり妙心寺派となりました。江戸時代には、徳川家光から修復料百両と寺領14石の朱印状を受けております。時の権力者の影響を常に受けていたお寺といえます。境内には「頼朝お手植えの松3代目」とされる数百年たった松があり、庭は東海道の名園といわれた原宿の有徳家植松本家の「帯笑園」の名残を残す富士山の溶岩の庭「対笑園」があります。』
それにしてもこのお寺は綺麗に整備されてますね。お~っ、これは。グルッと廻すとお経を1回読んだのと同じっていう奴じゃないですか。もちろん、グルグル廻しました(笑)流石に早朝なので、鐘はやめときました・・・。徳源寺にこんなのがあったなんて知らなかった。入ってみないと分からないもんだな。早朝だから人目をはばからずにズンズンいける。この企画、正解だったか?ちょっと楽しくなってきました。
肝心のゴミ拾いの方は、正直ゴミが少なかったですね。歩道が狭くて人通りが少ないからかな。ゴミはタバコの吸殻がほとんど。こないだニュースでタバコが1,000円になったら・・・、なんてやってたけどそれでゴミが減ったり、タバコをポイ捨てする人がいなくなるんだったらアリなんじゃないかな。
子供は大人の背中を見て育つ。
ポイ捨てする大人を強制的に無くせば、子供のモラルも上がってくるんじゃないかな。ホント最近の子供は酷いよ。あの子達のモラルは自分達が作ったと思うとやるせない。皆でこれを止めないとどんどんすすむような気がするよ。う~ん。
今回のゴールは植松本家帯笑園。帯笑園の説明はまたまた、龍さんのプログから引用です(笑)
『沼津市原にある帯笑園は、旧東海道の宿場町、原宿の豪農であった植松家の庭園として造園され、街道きっての名園といわれた庭園であり、多くの大名や公家たちが立ち寄ったと言う。(庭園、盆栽(松等)、桜草、マツバ蘭、オモト等の鉢物が有名)その美しさは幕末の博物学者シーボルトも絶賛したと伝えられています。当 時の庭の在り方を示す、貴重な歴史資料ともいえる。一方で、書画骨董の収集に努め、コレクションは江戸時代後期から近代初頭の日本を代表する作家たちにより構成されていた。』
本当は帯笑園の中に入りたかったんだけど、基本的には非公開なんですって。といっても、もう既に仕事でいったついでに中の写真は撮ってあります。また今度どっかのタイミングでアップします(笑)
今回の収穫です。途中で家によって、とうとう4本目のメガネ壊しをやってくれた謹慎中のソラ君とも合流しました。グラスファインさんで買った「ジグ君」を壊してたら2週間は散歩に連れてかなかったぞ!また、ソウルメガネで毎度ご利用ありがとうございます。って言われるよ(泣)
10月の第3金曜日は植松本家から出発で、白隠さんか長興寺までいこうと思ってます。またのんびりとお付き合いくださいませ。うんうん。ではまた。
徳源寺
住所 沼津市原297
TEL 055-966-0020
っていうことで、原の名所めぐり編は、原駅からスタートします。いざ出発!
駅前通りをフランドール松屋さんのとこで右に曲がり旧東海道を東へすすみます。松屋さんのいえば「UFOパン」。セブンイレブンで「スイートブール」と言う名前で売っています。どっちの名前が正式名称なんだろう?UFOパンで皆に通じるのかな?ローカルルールって事は無いよな~。
さらに東にすすむと徳源寺さんに着きます。原の名所をどうやって説明するか?世の中には奇特な方がおられます(笑)最近自分が毎日チェックしているブログで「龍さんのプログ」という、多分自分の親父と同い年ぐらいの方が運営されているブログがあります。この中で「東海道ぶらり歩き」というカテゴリーがあって沼津近辺の名所を説明してくださっています。良かったらご覧になって下さい。
徳源寺の説明は龍さんのプログから(笑)
『子安さん、内海ふとん店の先に看板と石柱。臨済宗妙心寺派、建久4年(1193)源頼朝公が行った富士の巻狩りの際、陣屋が置かれたことから始まりました。境内地は、現在「御殿場」という地名として残っております。その後「今津寺」という律宗の寺院を経て、鎌倉円覚寺開祖仏光国師(無学祖元禅師)の弟子帰化僧賢宗が、北条時宗の帰依を受けて 弘安元年(1278)に徳源寺として創建しました。賢宗は、円覚寺建立に尽くされ、その功績により後光厳天皇から圓満護国禅師の諡号(しごう)と紫衣(しえ)を賜っております。円覚寺派を経て戦国時代には、吉原宿今泉にあった今川家公寺善徳寺の末寺となり、その後承應3年(1654)妙心寺派中本山興津清見寺の松巖宗蜜(しょうげんそうみつ)老師を拝請し準開 山とし清見寺末寺となり妙心寺派となりました。江戸時代には、徳川家光から修復料百両と寺領14石の朱印状を受けております。時の権力者の影響を常に受けていたお寺といえます。境内には「頼朝お手植えの松3代目」とされる数百年たった松があり、庭は東海道の名園といわれた原宿の有徳家植松本家の「帯笑園」の名残を残す富士山の溶岩の庭「対笑園」があります。』
それにしてもこのお寺は綺麗に整備されてますね。お~っ、これは。グルッと廻すとお経を1回読んだのと同じっていう奴じゃないですか。もちろん、グルグル廻しました(笑)流石に早朝なので、鐘はやめときました・・・。徳源寺にこんなのがあったなんて知らなかった。入ってみないと分からないもんだな。早朝だから人目をはばからずにズンズンいける。この企画、正解だったか?ちょっと楽しくなってきました。
肝心のゴミ拾いの方は、正直ゴミが少なかったですね。歩道が狭くて人通りが少ないからかな。ゴミはタバコの吸殻がほとんど。こないだニュースでタバコが1,000円になったら・・・、なんてやってたけどそれでゴミが減ったり、タバコをポイ捨てする人がいなくなるんだったらアリなんじゃないかな。
子供は大人の背中を見て育つ。
ポイ捨てする大人を強制的に無くせば、子供のモラルも上がってくるんじゃないかな。ホント最近の子供は酷いよ。あの子達のモラルは自分達が作ったと思うとやるせない。皆でこれを止めないとどんどんすすむような気がするよ。う~ん。
今回のゴールは植松本家帯笑園。帯笑園の説明はまたまた、龍さんのプログから引用です(笑)
『沼津市原にある帯笑園は、旧東海道の宿場町、原宿の豪農であった植松家の庭園として造園され、街道きっての名園といわれた庭園であり、多くの大名や公家たちが立ち寄ったと言う。(庭園、盆栽(松等)、桜草、マツバ蘭、オモト等の鉢物が有名)その美しさは幕末の博物学者シーボルトも絶賛したと伝えられています。当 時の庭の在り方を示す、貴重な歴史資料ともいえる。一方で、書画骨董の収集に努め、コレクションは江戸時代後期から近代初頭の日本を代表する作家たちにより構成されていた。』
本当は帯笑園の中に入りたかったんだけど、基本的には非公開なんですって。といっても、もう既に仕事でいったついでに中の写真は撮ってあります。また今度どっかのタイミングでアップします(笑)
今回の収穫です。途中で家によって、とうとう4本目のメガネ壊しをやってくれた謹慎中のソラ君とも合流しました。グラスファインさんで買った「ジグ君」を壊してたら2週間は散歩に連れてかなかったぞ!また、ソウルメガネで毎度ご利用ありがとうございます。って言われるよ(泣)
10月の第3金曜日は植松本家から出発で、白隠さんか長興寺までいこうと思ってます。またのんびりとお付き合いくださいませ。うんうん。ではまた。
徳源寺
住所 沼津市原297
TEL 055-966-0020