三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定ek3

2024-05-26 02:22:23 | 日記
そう考えれば、第四回多磨農協脅迫事件のように、まったく別の場所いうことも考えられなくもない。多磨農協の北側が難しくなれば、南側だが、そちらは指定ルートになってしまう。だとすれば、西側か東側である。もっとも、だとすれば、北側に固着する理由が判らなくなる。東側にも西側にも場所はいくらでもあるはずだ。もっと場所がばらけてもいいはずである。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定ek2

2024-05-25 02:14:16 | 日記
もし、第六回多磨農協脅迫事件があったとすれば、さらにその北側ということになる。西武多摩川線多磨駅周辺怪文書事件と重なってくるし、多磨農協とは遠くなるので、難しいかもしれない。あるいは、多磨駐在所脅迫事件の舞台になった、多磨駐在所からであれば、霊園南参道沿いということもある。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定ek1

2024-05-24 02:33:11 | 日記
ちなみに、第五回多磨農協脅迫事件の場所だが、第一回多磨農協脅迫事件のときの指定ルート地図に登場する、甲州街道の陸橋のところから北側、西武多摩川線多磨駅周辺怪文書事件の舞台である、多磨駅の西側に至る道にある。脅迫電話のかかってきた家が、現在は両側に家が並んでいるので、その家だけ選択したように思えるが、三億円事件当時、該当する家の南側には、他の家はなく、つまり、甲州街道から、もっとも近い家が、脅迫電話の掛かってきた家なのである。電話番号は、おそらく、電話帳で調べたのだろう。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定ej12

2024-05-23 02:33:32 | 日記
第一回多磨農協脅迫事件から第五回多磨農協脅迫事件にかけて、北側、多磨駅周辺に向けて場所が移動したのは、そのような計画であったり、何らかの意図があったりしたのではなく、おそらく、結果的にそうなったのだろうと思われる。とすると、第四回多磨農協脅迫事件だけ、西側の外れた場所になったのは特異と考えた方がいいと思える。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定ej11

2024-05-22 02:32:56 | 日記
とはいえ、第一回多磨農協脅迫事件から第五回多磨農協脅迫事件にかけて、北側へ、つまり、多磨駅周辺に向けて、場所を変えて行っている。早晩、多磨農協からは離れ過ぎてしまうことだろう。おまけに、西武多摩川線多磨駅周辺怪文書事件、多磨駐在所脅迫事件を始めてしまっているので、場所が重なってしまう恐れもある。
(2013年12月記)

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