Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

フィリップス財閥 (ロスチャイルド家と縁戚関係)

2022-09-10 15:33:57 | 国際政治・財閥

ロスチャイルド家と縁戚関係にあるフィリップス家

オランダの第二の王家といわれるのがフィリップス一族で、ロスチャイルドとは縁戚関係にあります。

大英帝国の繊維・貿易・金融を牛耳っていたのがロスチャイルド家と同じくユダヤ人のコーエン家。 バレント・コーエン(1701-1778)の息子がレヴィー・コーエン(1747-1808)とサロモン・コーエン(1732-1804)。



ロスチャイルド家と縁戚関係のコーエン家

レヴィー・コーエンの娘にハンナ・コーエン(1783-1850)がいますが、彼女と結婚したのが、ロスチャイルド・ロンドン家のネイサン・ロスチャイルド(1777-1836)



フィリップス家と縁戚関係のコーエン家

サロモン・コーエンの娘にナネッテ・コーエン(1764-1833)がいますが、彼女の息子がリオン・フィリップス(1794-1866)。リオンの息子がフィリップス電機創業者・フレデリック・フィリップス(1830-1900)です。



少し、前置きが長くなりましたが、オランダ王国は不思議な国で、人口1600万人、国土面積は日本の約1/10でほぼ九州並みという小国でありながら、経済・産業面ではヨーロッパ屈指の力をもっています。

しかも通商国家の歴史がそうさせたのか、かつての東インド会社のように積極的に世界に進出し、成功している企業は少なくありません。


たとえば、石油メジャーのロイヤルダッチ・シェル社、食品・日用品・化粧品の複合企業ユニリーバ社、総合電機メーカーのフィリップス社など有力な多国籍企業を生み出しています。

大航海時代に、まず東南アジアに進出してきたのがポルトガルとスペイン、その次にオランダ東インド会社とイギリス東インド会社が熾烈な植民地競争を繰り広げ、台湾とインドネシアはオランダの植民地となり、シンガポールと中国はイギリスの植民地とされ、明治維新の日本も実態は大英帝国の植民地のようなものです。


台湾の大手半導体ファブ企業のTSMCも元々は、台湾政府・台湾工業技術研究院(ITRI)とフィリップス電機が主要株主の合弁企業で、台湾の最大財閥であるフォルモサ財閥の中核企業フォルモサプラスチックなど一部の民間企業も株主となり設立されました。 

そして最先端露光機EUVの世界シェアを独占しているのもオランダのASLM社で、フィリップスとロスチャイルドが中核となって設立された欧州のIMECという半導体・ナノテクノロジー研究組合の研究成果でできた会社です。


また、オランダには、ビールの有名ブランドで知られるハイネケン家や衣料チェーンの「CアンドF」で名高いブレニングマイヤー家など、ユニークで著名な財閥ファミリーも存在します。 

近年は、ワールドトラベル・パートナーズ社を中心に金融や不動産業へと多角化を進めているジョン・フェンテナー・フォン・ヴィリシンゲンのような起業家も排出しています。


フォン・ヴィリシンゲンは長年、石油ガス販売などの生活関連産業に従事してきた名門一族であります。
ジョン・フェンテナー・フォン・ヴィリシンゲンは、このような一族の伝統的な事業に飽き足らず、ヨーロッパと北米をまたぐ両行サービス会社を起業ししたもので、2001年には日本のJTBとも提携しています。


しかしながら、オランダの名門財閥の中で、とりわけ存在感を持っているのは、なんといってもフィリップス家であります。 

前述のロイヤル・ダッチ・シェル社とユニリーバー社がイギリス資本との合弁であるのに対して、フィリップス社の場合は純粋なオランダ資本であります。


このため、しばしばフィリップス家は「第二の王家」と呼ばれることがありますが、正式な社名も「ロイヤル・フィリップス・エレクトロニクス」であります。 それほど権威・権力と財力を持っているという事です。

フィリップス社が事実上の本拠を置くアイントホーヘン市の市長は、かつてこう嘆いたそうです。 「フィリップスの中にアイントホーヘン市があるのではない。アイントホーヘン市のなかにフィリップスがあるのだ。 間違わないでもらいたい」と。 


要するに、市の存在感よりもフィリップス社の存在感の方が圧倒的に大きいために、市長の立場からは、そんなひと言を言いたくなる気持ちも分かります。

アイントホーヘン市は、フィリップスが育てた企業城下町で、市民もそれを誇りにしています。
それだけに、「フィリップス」という世界的ブランドがアイントホーヘンの代名詞となるのは仕方ないことです。



フィリップスの電球事業

「フィリップス」の社名は、同社の創業者ヘラルド・フィリップスにちなんでつけられたものです。
工科大学出身のヘラルドは、1891年、フィリップスの家族経営の共同創設者・父フレデリックの資金援助を受けて白熱電球の製造事業を立ち上げました。  ヘラルドが33歳の時であります。

発足当初は、従業員わずか20名足らずの町工場にすぎませんでした。
19世紀末の文明の先端を行く電球製造事業は、その後、長らく同社の中心部門を担うことになります。
 

しかし、創業当初は、製造した電球の売れ行きが芳しくありませんでした。 その原因は販売代理店にあったようで、各地でジーメンス社など競合他社に苦戦を強いられ販売不振が続きました。 

そこで1895年、弟のアントン・フィリップス(21歳)が呼び戻され、経営に携わるようになります。 在庫で埋まりつつある倉庫を見たアントンは、持ち前の商才を発揮して国外に活路を求めました。


「小国オランダで売れてもタカが知れている。 思い切って広いロシアに輸出してみよう」と考えました。 10世紀末のロシアは明治初期の日本と同様で、近代化に躍起となっていました。 時代が大きく変わろうとし、街灯も暗いガス・ランプから明るい電球へと変化する矢先でした。

ロシアの市場調査を兼ねて、当時の首都サンクト・ぺ輝スベルグへ赴いたアントンは、幸運にも宮廷とかかわることが出来、その場で電球5万個の受注に成功します。 喜び勇んだ弟から連絡を受けたヘラルドは、「ゼロが一つ多いのでは? 5000個の間違う出ないのか?・・・」と甫は疑心暗鬼だったといいます。



こうしてフィリップス社は、ロシアを手始めにヨーロッパ全域に販路を拡大していくことになります。

市場規模が小さい母国での試練が、フィリップス兄弟の目を国外に向けさせたわけであります。 こうして1912年にはヨーロッパで三位の電球メーカーになっていました。 フィリップス社の礎を築いたアントンは、前述したように優れた経営手腕を持っていただけでなく、義理堅さも併せ持っていました。



1920年代初めに、一時的にフィリップスの株が下落したときのことです。 損失を被った一般株主から同社に寄せられた苦情を伝え聞いたアントンは、その株主に「購入時と同じ株価で引き取る」旨の手紙を送ったと言います。こうしたことが、フィリップス社の信用を高めたことは想像に難くありません。

一方、技術的な側面から見ると、電球の炭素フィラメント(発光コイル)がタングステン・フィラメントへと移る時期に当たっていました。 フィリップス社はこの長寿命・高機能化の流れに対応すべく、1914年に「フィリップス・リサーチ・ラボ」という研究所を設立します。 翌1915年になると同研究所は、小型で経済性に優れたアルゴンガス封入電球を開発し、電球の需要を一挙に高めることに成功しました。 


さらに1918年には、X線を利用した熱線真空管の開発にも成功。 祖の後はラジオ受信機、蓄音機、電気通信装置など、次々と新たな商品開発を試み、今でいう総合エレクトロクスメーカーとしての素地を着々と整えました。 

こうして技術開発、商品開発を進める一方で、同時に海外進出を加速させ、1912年のニューヨーク進出を皮切りに、ラジオ全盛期の1920年代後期にはヨーロッパ18ケ国、その他6ケ国に在外子会社を展開するグローバル企業となっていきました。 


この間、フィリップス家の当主の座は、1922年にヘラルドからアントンへと代わり、その後は三代目のオッテン、四代目のフリッツへと移っていきます。 オッテンはアントンの義兄にあたり、フリッツはアントンの息子であります。




第二次世界大戦の戦禍で施設・工場の半分以上が壊滅 

一見、順調に発展を遂げたかにみえるフィリップス社ですが、1940年に思わぬ難局することになります。 

第二次世界大戦が始まり、ドイツ軍がオランダに侵攻し、その支配下に置かれたのです。 当時、35歳のフリッツは、アイントホーヘンの本社と広大な邸宅がドイツ軍に占領されることを恐れ、フィリップス一族をアメリカへ避難させました。 

広大なフィリップス本社工場はドイツ軍に接収され、最高責任者として一族でただ国内にに残ったフリッツも逮捕され強制収容所送りとなりました。 しかし、収容所からの脱出に成功したフリッツは、以後、反ドイツのゲリラ活動に身を投じます。


ナチス・ドイツの兵器工場に転用された本社工場では、従業員たちも抵抗しました。 もともとフィリップス社にはある種の労使協約があり、それまでストライキなどは皆無でした。

しかし、この緊急事態に従業員たちはサボタージュやストライキなどで兵器生産に抵抗を続け、少なからずの犠牲者が出たといいます。 やがて大戦末期にはドイツ側の選挙区悪化に伴い、今度は本社工場が連合軍の標的となり、工場は空爆でカレキ野山と化すのであります。 



フリッツがアイントホーヘンに留まったのには、もう一つ隠された理由がありました。 それは原子力平和利用の研究のため、彼が社内に密かに保持していたウランとその研究データを、ナチスの手から死守するためであったとされています。 事の真相はともかく、こうした逸話が残されていること自体、当時のフィリップス社の技術水準の」高さを物語っているといえましょう。 

1945年5月、ナチス・ドイツの無条件降伏によってヨーロッパ戦線の戦いは集結しました。 しかし、フィリップス本社および在子会社の施設・工場の約60%は破壊し尽くされていました。 再建の陣頭に立ったフリッツは、社内組織を製品ごとに分けた事業部制をいち早く導入するなど、さまざまな手を打ちました。 

しかし、戦乱で受けたダメージはあまりに大きく、1950年代から60年代にかけて、同社の業績は伸び悩むことになります。




日系エレクトロニクスメーカーとの戦い 

第二次世界大戦の後遺症から抜け出すために、フィリップス社がとった戦略は生産品目の拡大です。

アメリカの半導体メーカーを買収するなどして、家電から情報通信などのハイテク分野へと進出し、再生への地歩を固めていきました。


1953年には日本へも進出し、松下電器産業との合弁で松下電子工業を設立しています。 松下電器はフィリップスから電球・照明技術や民生機器の技術を教わりましたが、鋭い洞察力と先見の目を持つ松下幸之助翁は、結局は電子機器において実際の性能やコストを支配しているのは半導体であると確信し、フィリップス社から半導体技術も導入したのです。 

この事業を担当したのが、フィリップスとの合弁会社の松下電子工業です。   1980年代は松下もDRAM製造では世界の10本指に入る大手でした。

1970年代から80年代にかけては、日本の家電・エレクトロニクス産業が目覚しい発展を遂げた時期であります。 日本勢の攻勢に、フィリップス社といえども苦戦を強いられていたことは言うまでもありません。


同社は、EU(欧州連合)統合の流れに対応しながら、ドイツの名門家電メーカー、グルンディッヒ社の買収や、カラーテレビのテコ入れなどを通して、お膝元の欧州市場を固める背策をとりました。 

しかし、VTR(ビデオデッキ)ではいち早くフィリップス独自の方式を開発したものの、日本ビクター(JVC)・松下電器産業のVHS方式に次第にマーケットは浸食され、その軍門に下ることとなりました。 


また、DVD(デジタル・ビデオ・ディスク)の規格をめぐり、フィリップスはソニーと手を組んで東芝・松下電器産業グループと激しい主導権争いを繰り広げました。 結局、DVDの規格は統一される方向に向かいましたが、この間の両陣営の攻防が「第二のVHS・ベータ戦争」と呼ばれたことは記憶に新しいところです。 



フィリップス社は1993年に、松下電子工業の持ち株を松下電器産業に売却して合弁を解消しましたが、現在でも日本フィリップスをはじめ、複数の在日子会社をもち、日本の市場でも相当高いブランド力を保っています。 

すでに述べたように、現在のフィリップス社の正式社名は、ロイヤル・フィリップス・エレクトロニクスで、ジーメンスと並び、ヨーロッパ最大級の総合電機メーカーです。

しかしながら、実際の社会インフラ事業(鉄道車両・鉄道網・ガスパイプライン・通信機器および先端デバイス・通信網・発電事業・先端医療機器など)が圧倒的に強い、総合力のあるジーメンスの方が格上であることは言うまでもありません。





・ジーメンス財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6ecd10815ee25f2d387f5da94a5ca3e2

・デュポン財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5226329b578cb7902e701c57de715b54

・オッペンハイマー財閥(ロスチャイルドGr)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/634f09002ee4f04d6579f260a5e86757

・LVMH (ロスチャイルドGr)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d9c4e944ddb3c096098380c2291ab9a2

 







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
フリーメーソン・イルミナティ・秘密結社 ここまでのまとめ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d52e37f7e9a7af44f93554ed333744b3
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。