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ジャパン・ハンドラーズ スタンフォード大学 ダニエル・オキモトの半導体産業研究

2023-09-19 15:22:43 | ジャパン・ハンドラーズ

スタンフォード大学の日本研究の拠点は、スタンフォード大学国際研究所内にある、アジア太平洋リサーチセンター(APRC)で1976年に設立されました。

研究員の中には、日米貿易交渉の際に「ミスター外圧」として日本政府に恐れられたマイケル・アマコスト元駐日大使がいます。

『超整理法』で有名になった野口悠紀雄(のぐちゆきお)もここの客員教授です。 彼は「1940年体制」という言葉の提唱者でもあり、これは国家官僚主義の経済発展は、第二次大戦がはじまる前年の1940年に始まり、それが戦後も継続していたとするものです。

チャルマーズ・ジョンソンの「通産省研究」と重なる部分も多く、おそらくこの理論が注目されてスタンフォードに招かれたのだとされています。


APRCは、日米の半導体産業が互いにつぶし合いをおこなった、いwゆる「日米半導体摩擦」で、アメリカ側の研究作戦立案を担った研究所の一つです。 

その他にも、東アジア研究所が存在しますが、人文学の研究が主で、元安保ブントの青木昌彦(あおきまさひこ)教授以外に有名な名前は見当たりません。

ブントはドイツ語の「Bund」で同盟の意味。 安保ブントとは安保に反対した左翼主義者の同盟ですが、岸信介政権で日本の軍隊を解体しアメリカ軍に安全保障を頼る日米安保条約を締結したのは、左翼主義者だけでなく多くの国民が反対しました。

 

スタンフォード大学の対日研究は,日系二世のダニエル・オキモトによる通産省・ハイテク業界研究が有名です。 彼はスタンフォード大学で25年間、フーバー研究所のフェローも務めながら、比較政治学、日本政治、日米関係、高度先端技術などの分野で研究を続け、

1983年にスタンフォード大学から出版された計93ページからなる「日米半導体業界に関する比較報告書」をベースにして、『通産省とハイテク産業』(サイマル出版会、1989年)という代表的著作を書き上げ、チャルマーズ・ジョンソンが提示した産業政策という概念を批判的に検証し、発展させてみせました。



ジョンソンが通産省の内部のみに視点を絞ったのとは対照的に、オキモトは通産省を取り巻く政治力学や、株式の持ち合い構造などの分析も取り入れ、日本の産業社会構造にまで目を光らせています。 

日本の産業政策の成功は、単に通産省の主導だけにあったのではなく、通産省やジェトロ、商社から中小企業までが系列とかネットワークという形で有機的に構成されていることにあるとし、日本の通産行政、半導体産業の行く末が同んるかを分析しました。

オキモトは、著作の中で、通産省の「行政指導」の意義や、日本のハイテク研究におけるNTTの重要性など、その後の対日市場攻略の立案にとって土台となる情報を提供してその後、日米間で半導体摩擦が激化し、1986年に「日米半導体協定」という『密約』を。日本はアメリカ側と結ぶことになります。

この半導体協定という楔(くさび)を打ち込むことで、アメリカは日本の半導体産業の成長を抑止することに成功しました。

一方でメリカは、通産省の産業政策にアイデアを得たと思われます。 セマテックやSIAなどの「官民コンソーシアム」(官民共同による研究体制)をフル回転させることで、半導体分野(特にインテルのCPUなど)で日本を一気に追い抜きました。

オキモトの研究のように、ジョンソンの研究を批判的に発展させた研究は、独自に「ジャパン・インク・モデル(日本株式会社モデルeウr分流されます。

これは、リチャード・サミュエルズ門下の日本研究者が提唱している分類です。 彼らは、戦後の日本研究を、

①「発展指向型コッカモデル」 ②「ジャパン・インク・モデル」 ③「ストロング・ソサイエティカル・モデル」 の三種に分けています。


このうち、①は、ジョンソンの「通産省研究」に端を発しており、③合理的選択論の事を指します。 ②はその中間体のような存在で、「日本では、官僚・財界・政界が交互にネゴシエーションを行いながら政策を決定している」というモデルです。オキモトの通産省研究は、②のモデルに該当するといえます。

 

(関連情報)

ジャパン・ハンドラーズ  スタンフォード大学
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/59236b3983881570cc6deab999bf92bc

 

 

 



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