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ロスチャイルド財閥-29 スエズ運河

2022-10-07 14:07:44 | 国際政治・財閥

大英帝国の軍事・通商の世界戦略の要(かなめ)
イギリスでは、ディズレーリは1869年~1873年まで野党の立場にいましたが、変わらずロスチャイルド家を頻繁に訪れました。



ベンジャミン・ディズレーリ Benjamin Disraeli(1804年ー 1881年)


ナサニエルの弟アルフレッドは彼に自由に使えるオフィスを提供しました。 ライオネルは、与党の自由党の内部情報や『タイムズ』紙で掲載予定の論説などの情報を彼に提供しました。

ディズレーリは、ロスチャイルド家から家族の一員のように扱われました。ディズレーリの第二次内閣(1874年-1880年)におけるスエズ運河のケースは特筆すべきものです。

1875年11月、ディズレーリ首相は、いつものように週末にピカデリーのロスチャイルド邸でライオネルと夕食をとっていました。

ちょうどその時、「オスマン・トルコ」の属領エジプトの総督が、財政難からスエズ運河会社の株式の44%を至急売りたがっている」との電報が、ロイター通信エジプト支局からライオネルの元に届けられました。

ディズレーリ首相はすぐにこの株式を購入して、イギリス政府がスエズ運河会社の筆頭株主になることを決断しました。

スエズ運河は、地政学的にイギリスの軍事・通商の世界戦略の要に位置するからです。フランスもこの株式の購入を狙っており、エジプトから与えられた支払期限は30日後であることから一刻を争う事態でした。

しかし、イングランド銀行から資金を得るために承認が必要な議会は休会中でした。 そこでディズレーリ政府は、ライオネルから必要な400万ポンドを借り入れることにしました。

400万ポンドは、当時のイギリスの予算中の借金総額の8.3%に相当しました。 ライオネルは翌日には即金で400万ポンドを用意しました。

担保はイギリス政府です。 ディズレーリ首相はビクトリア女王に手紙でこう書きました。
「女王様、まとまりました。 貴女は運河を手に入れられました (it is just settled : you have it Madam )。 (中略)ロンドン家からディズレーリ政府へ貸された400万ポンドもの大金、それもほとんど即金での支払いです。 これだけの金を用立てできる会社はただ一つ。 ロスチャイルド家しかありません」

「総督の株は今やそっくり貴女のものです、女王様。政府とロスチャイルドはこの件を秘密にしてきましたが、明日にはカイロから明らかになるでしょう」。 

ディズレーリ首相が利益の大きいスエズ運河案件への融資をうまく仕組んでライオネルに委ねたとの説もあります。

これによると、彼は、内偵情報を通じて、エジプト総督がスエズ運河会社の持ち株を売りたがっていることを知りました。 しかも、テュルン・タキシス家の郵便物操作によって得られた情報によって、11月15日、総督が株の売却のためにフランスの二つの銀行と交渉していることも知りました。 

ディズレーリ首相はすぐにライオネルの下に駆け付け、ライオネルはイギリス政府が目的を果たせるように貸し付けに同意しました。

二人の間で秘密裏にスエズ運河の買取計画が進められ、11月24日、承認を得るために閣議に提出されました。


このようにイギリスは1875年にスエズ運河株を買収し、エジプトへの経済進出を強めました。 ちょうど、1876年にエジプトの財政は破綻して、エジプトはイギリス・フランスの列強による国際管理下に置かれました。

これ以降、イギリスは中東やエジプト周辺に直接関与していきます。 



ユダヤ人を迫害するロシアに対する封じ込め政策
この頃ロシアでは、ロスチャイルド家と手を結んだユダヤ商人ヨーゼフ・グンツブルグが、モスクワとサンクトペテルスベルクを結ぶ鉄道で莫大な財産を築きました。

この鉄道を使って、ロシア産の穀物をバルト海からイギリスへ船積みし、帰りにイギリス産の石炭をモスクワに運びました。

1870年代、モスクワからワルシャワに至る鉄道が敷かれ、ウクライナ圏からバルト海へ至る鉄道と交差する都市ミンスクが一大交易センターとなり、グンツブルグ家の重要な拠点となりました。

ディズレーリ首相は、ユダヤ人を迫害するロシア帝国に対して、封じ込め政策を打ち出します。

1878年の露土(ロシア・トルコ)戦争を受けて、イギリス政府は、ロスチャイルド家、モンティフォーレ家、グンツブルグ家などと結束し、ウクライナ南部にある、黒海に面した港町オデッサからボスポラス海峡を抜けて地中海に至る貿易ルートを独占しようとしたのです。

まさに、マルクスらも望む反ロシア政策です。 ロシアでは次第に専制政治への反抗のうねりが大きくなり、1881年アレクサンドル2世皇帝が暗殺され、後を継いだ息子のアレクサンドル3世はユダヤ人弾圧政策を再び強化し、ロシア全土にユダヤ人虐殺(ポグロム)の嵐が吹き荒れました。


ぽグロムは、ツアーが、ユダヤ人がうごめく革命の動きを押さえつける手段でもありました。

ロンドン家は、常にイギリス・ユダヤの代弁者でした。ライオネル、そして息子のナサニエルがユダヤ人代表委員会に籍を置き重きをなしました。 

パリ家でも、アルフォンスは中央長老会議(ユダヤ人代表委員会のフランス版)の議長を務め、その弟ギュスターヴはパリ長老会議の議長でした。

このロスチャイルド家が東欧のユダヤ問題に関わります。 1878年には、ライオネルは露土(ロシア・トルコ)戦争後に、ドイツの宰相ビスマルクが主催し、イギリス。フランス、ドイツオーストリア、ロシア、トルコなどが参加して、バルカン半島の新独立国の領域を決定したベルリン会議で、注目すべき成果を収めました。

ユダヤ人の権利の問題を議題に乗せることに成功したのです。


最終的に合意に達し、批准(ひじゅん)された内容のなかには、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、モンテネグロにおいて少数民族たるユダヤ人に完全な市民権を与える、という条項が盛り込まれたのです。

尚、これまで再三述べているように、ディズレーリはロスチャイルド家からの借金漬けの身でした。

ディズレーリ首相は、1878年12月、ナサニエルを自分の遺言執行人に任命します。 1781年、彼が亡くなると、ロンドン家が遺産整理をおこないましたが、そこから莫大な借金のどれくらいが回収できたのかは不明です。




覇王ライオネルの死
1878年、カールの孫娘、ナポリ家のマルガレータがフランスの貴族グラモン公爵と歴史的な結婚式を挙げ、ロスチャイルド家はこれにより最高貴族の仲間入りを果たしたとみなされました。

グラモン公爵家は、その前に、モナコ王室と二度の結婚を行っていました。 リヒテンシュタイン公国は、ロスチャイルド家などヨーロッパの富豪にとって、スイス金融への目立たぬ出入口となっていきます。


1879年、覇王ライオネルは心臓発作で亡くなりました。『タイムズ』紙は、偉大なライオネルの死に社説を捧げました。

「政治をも通すには、あらゆる大規模な財政取引にに常に目を光らせていなければならない。 こういったことをしっかり見極めるには、世界中の政治情勢に通じ、政治家の性格までもよく知ることが不可欠である。 ライオネル・ド・ロスチャイルド男爵は、こういった素養に関して傑出していた。 それが巧みに組み合わさって効果を発揮し、かの偉大なる会社を成功させたばかりか、彼自身を社交界、政界においても大人物と言える存在へと導いた・・・」。






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