日本人には長寿のイメージがあるが、何か遺伝的な背景はあるのか。
国民の半分が患うがんでは国際的に地域差を探る研究が進み、日本人に多い「お酒に弱い」遺伝子の影響が明るみになってきた。
過去には日本人を守った遺伝子が現代の病気のリスクになる面もあるようだ。生活習慣病や感染症など様々な病気と日本人の体質との関係を探る。
「研究を進めるほど、日本人は特徴的な集団だ」。国立がん研究センターの柴田龍弘分野長は、がん患者のゲノム(全遺伝情報)を解析する様々な国際共同研究を通して、日本人の傾向が他と大きく異なることに驚きを隠せない。
がんは日本人の死因1位だ。古くは縄文時代の遺跡から出土した遺骨からも患者が見つかるが、近年長寿になるにつれて患者は増えた。
がんは様々な遺伝子に変異が蓄積して発生する。加齢とともに変異がたまることが影響している。
変異というとランダムに生じる印象があるが、近年、加齢や喫煙、紫外線など要因ごとに、ゲノムにできる変異の仕方や場所に特定のパターンがあることが分かってきた。変異から発症要因を推定できるわけだ。
胃がんで発見
国際共同研究で日本人などに多いパターンを探ると、お酒の弱さに関わる遺伝子「ALDH2」の関与が大きく浮かび上がった。
胃がんの中で悪性度の高い「びまん型胃がん」の日本人患者では、飲酒による特定の変異の蓄積が確認された。
その変異はALDH2の働きなどと相関していた。がん細胞が周囲の組織に移る「浸潤転移」に関わる遺伝子変異などを飲酒による変異が誘発し、発症させていた。
日本人にはお酒に弱い人が多い。体内ではアルコールを分解する過程で「アセトアルデヒド」という物質ができる。
この物質はDNAを傷付ける発がん作用がある。ALDH2はアセトアルデヒドを無害な酢酸に変える重要な働きをしている。
この遺伝子には通常型と変異型の2つのタイプがあり、両親から引き継いだタイプの組み合わせによって働きが変わる。
日本人の場合、両親から通常型のみを引き継いだ人が全体の約5割、片方だけ変異型の人は約4割といわれる。
変異型を1つでも持つとアセトアルデヒドの影響を受けやすくなり、お酒を飲むと顔が赤くなったり、二日酔いになりやすかったりする。国民の約5%ともいわれる両方とも変異型の人はほとんどお酒を飲めない。
変異型は東アジアの人に多い。「1000人ゲノムプロジェクト」という国際研究によると、中国南部では片方のみが変異型の人は約37%、両方とも変異型の人は約9%。北部の北京ではそれぞれ約24%、約4%にとどまる。
欧米の人ではほとんど見られず、ほぼ100%が通常型だ。
ALDH2は他にも関わるがんがある。国際共同研究プロジェクト「ミュートグラフ」では、日本人の食道がん患者の9割を占める「扁平(へんぺい)上皮がん」について調べると、飲酒を原因とした変異パターンが特に多く見られた。変異型を持つと、アセトアルデヒドが体内にとどまる時間が長くなり、遺伝子への影響が増し、がん化を促す可能性があるという。
腎臓がんに特徴
がんのリスク因子の地域差は見つかっている。過去の別の欧州横断的な研究で、特定の植物に含まれる「アリストロキア酸」が腎臓がんの危険因子であることが明らかになった。
認識されていなかったリスク因子が日本人でも見つかっている。
柴田氏らは5月発表の論文で、日本人の腎臓がん患者の7割は未知の要因によって発症していることを報告した。原因は不明だが「化学物質など環境要因への暴露で見られる変異の仕方に似ている」(
柴田氏)。今後は北海道や九州など約300症例を追加解析し、国内の地域差や原因の特定につなげる。
足元では膵臓(すいぞう)がんと大腸がんについても解析が進む。
がんの発症に関わる変異パターンはこれまでに、50種類以上が特定されているが、このうち3分の1は原因不明だ。解析が進めば、日本人にあった予防法や治療法の開発につながる可能性を秘める。
ゲノムを追うと、日本人がいつからその変異を得たのかを探ることができる。
ALDH2の場合、変異型のルーツは古代中国の南部にあるという。統計解析から、その変異を持つことで生存に有利になり、広まったことが分かっている。
ただその要因については、未分解のアセトアルデヒドが病原体の侵入を阻むなどの仮説はあるが、突き止められていない。過去に何かで強みを持ったところが現代のがん化リスクになる。
ゲノムの個性には「もろ刃の剣」となる面もある。
(松浦稜)
日経記事2024.09.29より引用