『死の商人』の研究家 ハニゲン=エンゲルブレヒト が指摘しているように、西南戦争で兵器工場の必要性を痛感した明治政府は、戦後に急遽、兵器工場の拡充に乗り出しました。
日本の造兵医術者の卵たちは、エッセンやクルーゾー、ウィルミントンなどに留学しました。 こうして早くも1880年には、大佐・村田経芳は国産小銃第一号「村田銃」を発明します。
一方、アームストロングの英人技師 サー・ウィリアム・ホワイト が日本にやってきて、『建艦技術』の手ほどきをしたもこの頃です。
ホワイトはいかにも『死の商人』 アームストロング の代弁人らしく、一方では中国政府をそそのかして軍艦を売り込み、また中日両国の軍需工業の拡充に拍車をかけさせました。
日清、日露戦争を経て、日本資本主義は著しい発展をしましたが、軍需工業の発展はとりわ目ざましいものがありました。
両戦争の前後では、民間工場労働者数が28万から61万へと218%の成長をしたのに対し、陸海軍工廠びそれは831%もの増加ぶりでした。
両戦役で得た賠償金、膨張した内外債は、軍需工業の拡充に大幅にふり向けられました。
1907年(明治40年)、『日本で最初の民間兵器工場』が遂に出現しました。 室蘭の『日本製鋼所』です。
・ロスチャイルド財閥-89 大正バブル(第一次世界大戦景気) https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/04b93e99ce176648b9db4e38aaba74f6
・ロスチャイルド財閥-90 ロスチャイルド家と松方正義 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2937f6a912651bdd2e98d71af2d889df
・ロスチャイルド財閥ー95 三井財閥 日本製鋼所(JSW) https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3e53bfcb98243054e66678a772abb353
・ロスチャイルド財閥-94 大正バブル、大財閥、新規財閥の台頭、そして松方財閥 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e856f8a3fc9821b7ab58ed7ac47acac6
これは、三井とヴィッカースがコンビになり、主として海軍の援助のもとに資本金1500万。円で発足しました。
株式のかなりの部分は、ロスチャイルドGrno兵器会社 『ヴィッカース』 が保有。 『日本製鋼』は、砲身、砲架、魚雷発射管、工作機械などを製造しました。
後年、陸奥、長門、大和、武蔵などの巨艦の主砲をつくったのは、この『日本製鋼』室蘭工場です。
軍需工業が盛んになるにつれて、内外の『死の商人』たちと政治家、軍部官僚などとの腐れ縁、政治的腐敗も酷くなっていきました。
イギリスとドイツの『死の商人』ヴィッカースとジーメンスの両社と日本海軍の高級軍人との間に起こった1914年(大正3年)の 『ジーメンス・ヴィッカース事件』には、首相・山本権兵衛、海相・斎藤実、少将・藤井光五郎、三井物産重役・岩原謙三、山本条太郎らが関係しました。
このほか、川崎造船所と海軍とのスキャンダルも明るみにでました。
(関連情報)
・明治維新 「死の商人」大倉財閥の始祖 大倉喜八郎https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/de59f5b27fef6bcc03d68fc93e1340a2
・明治維新 日本の「死の商人」三菱財閥の祖 岩崎弥太郎https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/98a159e6c384d72d1b605ede523acd4d