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ロスチャイルド財閥ー95 三井財閥 日本製鋼所(JSW)

2022-11-09 04:05:02 | 国際政治・財閥

日本製鋼所 本社

【JSW 日本製鋼所】会社紹介ムービー (short ver.)
https://www.youtube.com/watch?v=FHWg7VZXqiY


概要
旧株式会社日本製鋼所は、1907年(明治40年)、英国の技術を導入して国産の兵器を製造する会社として、北海道炭礦汽船株式会社、国アームストロング・ホイットワース会社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)、英国ヴィッカース会(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)の出資によって北海道室蘭市に設立された。これは、製鋼事業としては安来製鋼所に次ぐ画期的な出来事であった。太平洋戦争の敗戦に伴い、企業再建整備法により後の1950年(昭和25年)に解散した。

解散された旧会社の資産と人材をもとに新たに設立された株式会社日本製鋼所は、兵器の製造で培った鍛造技術、鋳造技術を活用し、発電所、化学プラントに用いられる特殊な鍛造品、鋳造品、プラスチック・マグネシウムの射出成形機や各種の産業機器を製造している。また、戦車や艦艇の火砲や発射システムなどの防衛機器の製造も続けている。

首都高速道路公団からの依頼を受け、首都高速道路江戸橋ジャンクションの曲線道路橋桁の鋳造に関わったことでも知られている。

製作所として、発電用蒸気タービンや原子力用部材、化学プラントに用いられる鉄鋼製品やブレードやタワーなど風力発電用風車を生産する室蘭、プラスチック・マグネシウムの射出成形機、戦車や艦艇の火砲などを生産する広島、レーザーアニール装置など電子機器用装置を生産する横浜がある。かつては産業用機械を生産する東京、鹿島工場のほか、軍需用機器を製造・補修していた宇都宮(後のシンガー日鋼)、赤羽作業所、および輪西工場(現・日本製鉄室蘭製鉄所)があった。

従来、本社機能は東京都千代田区有楽町、日比谷三井ビルディングと東京都府中市日鋼町1番地1号の旧自社ビル(日本製鋼所東京製作所跡地、2004年(平成16年)に売却)に分かれていたが、2007年(平成19年)8月14日、東京都品川区のゲートシティ大崎ウエストタワーに移転した。


設立経緯
日本製鋼所の設立経緯について、特筆しておくべきこととして帝国海軍(以下、海軍)との関係や、初の外国資本導入(ここでは英国)が挙げられる。

当時代議士でもあった、北海道炭礦汽船の専務取締役の井上角五郎は、かねてより製鉄業こそが近代化の根幹であると考えており、鉄道国有化による売却益を利用して、北海道の地に製鉄事業に進出することを計画して、伊藤博文、松方正義(ロスチャイルド・パリ家とズブズブの関係で、中央銀行である日本銀行を設立し金本位制を導入)ら元老に働きかけた(日本製鋼所室蘭製作所の迎賓館である瑞泉閣には、伊藤博文の「日本製鋼所」という揮毫が残っている)。

ロスチャイルド財閥-90 ロスチャイルド家と松方正義
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2937f6a912651bdd2e98d71af2d889df

一方、海軍においても日露戦争の経験から兵器国産化を目指していたが、そのためには先進国から技術を導入する必要があった。そこで、この計画に乗る形で呉鎮守府の山内万寿治中将を参画させる(現役将官が民間企業の顧問となるのは極めて異例である)ことで、兵器国産化を目的とした、製鋼事業を起業することが急速に具体化していった。当初、井上は追分で産出された石炭から作ったコークスと、倶知安などで産出した鉄鉱石を用いて高炉製鉄とそれに付随して製鋼を行うことを企図していたが、海軍側の説得により製鋼と兵器製造を中心とすることになっていった。井上の念願であった製鉄事業については、1909年(明治42年)に北海道炭礦汽船輪西製鐵場を開設して、現在の日本製鉄室蘭製鉄所へとつながっていく。

先進国からの技術導入であるが、当時の海軍は英国のアームストロング・ウイットウォース會社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)から軍艦や兵器を多く買い付けていた。山内はこれを北炭に紹介するとともに、日英合弁事業とすることを勧めたとされる。そこに英国ビッカース會社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)が参加して、日本製鋼所を室蘭に設立することが決まった。

なぜ室蘭に日本製鋼所が設立されたかについてであるが、もともと、室蘭には海軍の鎮守府の設置が内定しており、軍港として指定されていたが、地勢的に太平洋側からの攻撃に対して防御が困難であるという理由により、1903年(明治36年)に鎮守府の設置は見送られたという経緯がある(大湊警備府を参照)。そこで、使われていなかった室蘭港を使用することとしたのである。

また海軍のみならず陸軍とも深い関係をもっており、日本軍最大級の試製四十一糎榴弾砲の砲身製造などを手がけている。





第一次世界大戦での三井財閥の鉄鋼業界
北海道炭鉱鉄道は、鉄道国有化のさいの買収資金を投じて、鉄鋼・兵器製造部門に進出しました。 明治40年、北炭(前年の固有化に際し、北海道炭鉱汽船と改称)は、イギリスのアームストロング、ヴィッカース両者(どちらもロスチャイルドのGr会社)との共同出資と海軍の受注保証により、日本製鋼所を設立しました。

さらに、明治42年に北海道鉄鉱石-砂鉄を原料とする輪西製鉄場の操業を開始します。しかし、輪西製鉄場は20日で操業停止に追い込まれました。 技術的障害と北炭の経営破綻が原因でした。

結局大正2年、三井財閥が北炭を傘下に入れ(3分の1の株式を集中)、団琢磨が会長に就任して、北炭の経営を再建することになり、輪西製鉄所(改称)も操業を開始しました。





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