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郡上八幡 郡上八幡山城

2021-08-06 | 行った所

岐阜県は南の岐阜市辺りは尾張平野とほぼ一体だが、少し北へ行くと見事に山ばかりだ。郡上市は奥美濃と呼ばれる地域になる。


郡上と云えば郡上八幡、他には踊が有名という以外何も知るところがなかったが、白鳥まで広く郡上市であるようだ。川沿いに平地がなくはないが、平野と呼べるほどのものはないように見える。郡上市が中心なのだろうが、むしろ白鳥の方が平地は広いように見える。

長良川沿いに走る東海北陸道郡上八幡ICを降り、郡上八幡の街に入る。

山の上に見えていた城へ行ってみる。小高い山の上に立つ山城だ。天守はあるが、いわゆる模擬天守。ただ、昭和初期の建築のため木造だ。



なかなかの絶景。

東方面、右の銀色のドームはスポーツセンター。

西方面、川は吉田川、高速道路の下に長良川が流れているはずである。

城主は5家に渡る。遠藤氏、稲場氏、井上氏、金森氏、青山氏。
遠藤は、以前郡上を治めていた東氏の親戚筋だが、東氏を滅ぼし、乗っ取った恰好らしい。山内一豊の妻千代はこの遠藤氏の縁者らしい。犬山市の興禅寺で出生の地だという碑を見たことがある。

稲場氏は美濃の土豪から信長の旗下になったようだ。関ヶ原の後、大分へ移封。

井上氏は常陸から郡上に入るが5年で丹波へ移封

金森氏 金森長近が有名だ。子孫は代々高山を治めていたが、出羽へ移封になり、更に郡上へ来たようだ。
宝暦8年(1758)の宝暦騒動により断絶。


金森氏の高山からの移封については、幕府が直轄地として、山林資源豊かな飛騨を欲しがったためというのが定説らしい。
宝暦騒動で金森氏は断絶の憂き目にあったのだが、天領高山では大原騒動という一揆が起こっている。1771年(明和8年)からというから、宝暦騒動の記憶は薄れてはいなかっただろう。幕府は一揆の恨みを買っていた代官の大原父子を放置、実に18年後の1788年(天明8年)まで騒動は続くのである。郡上と高山の扱いの違いは何だろう。

青山氏 金森氏の後に丹波から移封。幕末までの殿様だった。維新の時、藩士が郡上から会津へ行って凌霜隊として戦った。かなり悲惨なものだったらしい。初めて知った。

越前にも飛び地がある。

 

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