物忘れ防止のためのメモ

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小烏丸のこと

2021-10-19 | 行った所

福井市郷土歴史博物館で「帰ってきた平家物語絵巻」と銘打ち、展覧会が開かれている。何故「帰ってきた」のかというとこの絵巻は越前松平家の持ち物だったから。松平家は手元不如意であったのか、昭和初期に売り立てに出したのである。現在は岡山の林原美術館にある。全12巻のそれぞれが上中下巻に分かれ、全部で36巻、専用箪笥に納まる豪華セットだ。8代藩主吉邦の娘で10代藩主宗矩正室の照光院勝姫(1720-43年)の持ち物だったとされる。享保の改革の終り頃には作られたのだろうか。この絵巻の作られたのは京都だろうが、置かれていたのは江戸・東京だろう。福井にあったことはないのではないかとにらんでいるが、なんにせよ見れたのはありがたい。林原美術館に行ったこともあるが、展示されてなかった。

この展示の関連でいくつかのものが出ていたが、中に小烏丸があった。

平家物語第3巻 「無文の沙汰の事」
治承3年(1179)重盛は病気である。嫡子維盛を呼び、酒を出し、引き出物を取らす。太刀を見た維盛は家伝の小烏かと胸を躍らすが、小烏ではなく葬式用の無文の刀だった。
岩波本の平家物語で小烏丸が出てくるのはここだけだ。重盛が持っていたらしいから、維盛か資盛が相続したと思われるが、刀の行方は知りようもない。
平家の家宝とされる刀には他に抜丸があるが、これは忠盛から清盛ではなく頼盛に渡された。

展示の小烏は、写真禁止の上に図版にもなかったのだが、月山貞一作、宮内庁御物の小烏丸の写しだそうだ。
刀身の三分の一程から切っ先に掛けて峰にも刃がついているように見える。通常の日本刀とは違う形状に見える。この形状を小烏式というそうだ。

飛騨高山の国分寺にも伝小烏丸がある。こちらは写真をガラス越しに見たというだけだが、普通の日本刀に見えた。小烏式でさえなかったような。抑々金森家から寄進された云々では無理がありすぎるのだが。


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