飛鳥には古来様々の謎の石造物があることで知られていた。あちこちに散らばって存在するので、実際に見て歩くのは大変だけれど、まとめて見れる場所がある。
奈良文化財研究所の飛鳥資料館の前庭である。複製ではあるが、最近のレプリカはすごいもんだ。
館内の展示は山田寺の発掘、再現がメインである。
山田寺の仏頭は興福寺にある。平重衡による南都焼き討ちで仏像等も失った興福寺は明日香の山田寺の仏像を強奪した。
その後、火災でこの仏像は身体部を失い、仏頭だけになったが、すっきりと特徴的な白鳳仏だ。大きな仏像だったのだろう。
創建者蘇我山田石川麻呂は乙巳の変の後、政権の一翼を担うが、まもなく追い出され攻められる。完成間近の山田寺の前で自殺したという。持統天皇の祖父である。
石川麻呂の悲劇はともかく、発掘された山田寺の遺構は人を驚かせるものだった。東回廊の木材がそのまま出た。木質は水中にあると形を崩さず残ることがある。残ったといってもかなりの処理は必要なのだが、復元できる状態にあった。瓦もまとまって出た。土砂崩れか何かで崩れたものがそのまま埋まっていたのだ。復元された連子窓付き回廊を見るのは感動ものだ。
山田寺の址は飛鳥資料館から近い。
石舞台古墳
石舞台古墳を訪れるのは3回目のはずだ。情けないことに先の2回の事をろくに覚えていないのだが、少なくともここまで公園のように整備されてはいなかったのは確かだ。畑地が広がる中に空き地のような区画があり、そこに巨大な石室が露出していた印象だ。
かなり広い範囲が公園として芝生広場が整備されている。入場料を取る。方形の敷地周りには周濠が巡っている。
この古墳は蘇我馬子の墓と云われる。ここまで封土がなくなっているのは例がない。壊されたのだろうか。
ヤギさんがいたのがご愛敬