ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

愛とは何か

2020-09-23 | アメリカ事情

アン・サリバンとヘレン・ケラー

郵便切手の図案の基になった絵。

 

 

 

 

アン・サリバンが耳の聞こえない、盲目のヘレンケラーに他の人とコミュニケーションをとる方法を教えたことは、優しさ、勇気、献身の一つの表れだ。

 ヘレンの「愛」という言葉の認識を得たことはそのよい一例である。サリバン女史は「私はヘレンが大好きです」とヘレンの手に綴った。 「愛とは何でしょうか?」とヘレンは尋ねたが、サリバン女史の試みた説明を理解することができなかった。

一日か二日後、どんよりと雲がかかっていたが、そのうちに太陽が顔を出し始め、次第に暖かくなってきた。 「これは愛ではないのですか?」ヘレンは尋ねた。 「愛は太陽が出てくる前に空にあった雲のようなものです」とサリバン女史は答えた。

「雲に触れることはできません。しかし、あなたは雨を感じ、特に暑い日の後には、花と乾ききった大地には、雨がどれほどうれしいことかを知っています。あなたも愛に触れることはできません。しかし、あなたはそれがすべてに注ぐ素晴らしさを感じます。愛がなければ、あなたは幸せにならないでしょうし、遊びたくもないでしょう。」

「真実は私の心に沸き起こりました」とヘレンは後に書いた。 「自分の魂と他の魂の間に目に見えない線が張られているように感じました。」

 

ヘレン・ケラーは、やがてハーバード大学ラッドクリフ・カレッジへ進み、卒業した。後にアン・サリバン女史とのそれこそEye-Opening開眼ともいえるべき体験を基にした劇作が舞台や映画などになったが、その題名The Miracle Workerをほとんど誤訳したかたちになった日本での影響は、「奇跡を起こす人」の本来の意味のアン・サリバンではなく、多少残念である。本当の奇跡を起こした方は、アン・サリバン以外にいない。

ヘレンは後日日本を訪れ、中村久子女史に会い、「私より不幸な人、私より偉大な人」と言ったが、「不幸な」ではなく、不運な、ととらえるべきである。私は中村久子女史については知らなかったが、両手足を失い、それでも「恩恵にすがって生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」と自立の道を歩んだ孤高の人だと知った。ケラーは富裕な家に生まれ、大学へ進んだ時もマーク・トウェインが紹介したスタンダード・オイルの重鎮ヘンリー・ハットルストン・ロジャーズが、ヘレンの学費を用立ててくれた。そうした裕福な状態にはいなかった中村久子は、だからヘレンにとっては、「(自分よりももっと)不運な中にいた人」という意味を込めたのだろう。手足を失くしても、中村久子は編み物や縫物に長け、ヘレン・ケラーに贈答した日本人形は、彼女が制作したものであった。

この二人は、奇しくも同じ1968年に他界している。両者どちらも、身体的問題を決して恨みはせず、精一杯与えられた人生を生きてきた。二人の他界から52年経って、二人の軌跡は未だ人々を魅了し、私のような怠け者を叱咤する。

 

中村久子さんとヘレン・ケラーのために自分で製作した日本人形

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 目には見えねど | トップ | 優劣なんて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アメリカ事情」カテゴリの最新記事