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ティム・ロジャーソンによるキャンバスに描かれたイカボッド・クレインと首なし騎士のジークレー(ディズニー映画の元絵)(1949)
ワシントン・アーヴィング
森の中で忽然と不思議にも消えていくちっともかっこよくはないどちらかというと長身で痩せぎすの学校教師、イカボッド・クレイン氏についての不気味な話「スリーピー・ハロウの伝説」のおかげで、作者ワシントン・アーヴィングは、ハロウィンには定番でよく読まれる作家として現代のアメリカの読者にもおそらく最もよく知られている。日本ではスリーピー・ハロウの話はハロウィン時節に読まれ、聞かれ、あるいは映画を観られるだろうか。わたしはウォルト・ディズニーが動画にした作品を幼い頃日本で見たことがある。制作年からかなり経ってからのことではあるが、幼い子供なりにミュージカル風で楽しいながらも怖いなと感じたことは覚えている。
この作品は英国作家のケネス・グレアムの”Wind and the Willows"(邦題:楽しい川べ)と合わせてディズニーに作成された。ビング・クロスビーがナレイションと歌を担当していて、幼心にもなんとスムーズな声だろうと思ったものだ。現在でもハロウィン近くにはこの漫画映画は放映されることが多い。そしてハロウィンと言ったら、ワシントン・アーヴィングである。
しかし、アーヴィングはハロウィンよりもむしろユールタイド(12月21日から1月1日のいわゆるクリスマス季節)についてもっと多くのことを書いている。実際、彼が今に続くアメリカのクリスマス・トラディッションを作ったと広く信じられているほど、一般大衆に受け入れられてきている。勿論、「彼がクリスマス休日(ホリデイズ)を『発明』したわけではありません」と伝記作家のアンドリュー・バーシュタインは述べているが。
アーヴィングのアメリカでのクリスマスへの最大の貢献の中には、大衆に愛するキャラクターとして聖ニコラスが最終的にサンタクロースとして昇進され、人々に受け入れられたその基礎を築いたことだ。
アーヴィングは、英国ノッティンガムにあるゴッサム村にちなんで、ニューヨーク市をゴッサム市とあだ名した。それは1809年にアーヴィングの名声を確立した著書の主題であり、彼の書いたそのニューヨークの歴史が当時の出版のセンセーションを巻き起こした。
コロンビア大学の医学教授であり米国上院議員であるミッチルは、すべてについてすべてを知っている、と言われた人物だったが、アーヴィングは、マンハッタンの起源についてのいくつかの伝説・伝承を含む架空のマンハッタンの説明で、ミッチルのすべてを知っていることをからかった。その一例は、マンハッタン島近くでオランダの偵察隊員が難破した際、隊員の1人が、良き聖ニコラスが木の上空を飛んでいるのを見たということである。そのクリスマスの聖人が毎年使う子供たちへのプレゼントを載せているワゴン(そり)に乗り、木のてっぺんさえも飛び越したというものだった。そして聖ニコラスはオランダ人たちに島に定住するように言ったという。—ある意味で聖ニコラスはアメリカで最も有名な都市の創設者の父になったというわけである。ご存知のようにニューヨーク市は、かつてオランダ人入植者が多く、ニューアムステルダムと呼ばれていた。
聖ニコラスに対するアーヴィングの愛情は永続的であることがこれで証明された。 1835年、彼はニューヨーク市聖ニコラス協会の設立を支援し、1841年までその秘書を務めた。聖ニコラスへの関心はさらに高まり、アーヴィングはクリスマスをプレゼントと祝宴のお祝いのページェントとして推し進め、現在でもアメリカの冬のカレンダーを席巻している。日本でさえクリスマスといえば、キリスト生誕よりもサンタクロース文化となっているのは、そのせいかもしれない。
アーヴィングはその人生の終わりまで、クリスマスに耽溺していただけでなく、その精神的な必要性もあり、と、みなしていた。人々の幸福な様子に背を向けるように、彼自身が孤独感の闇にあっても、 嬉々としたクリスマスの魅力を構成する寛大で社会的な共感を持ちたいと欲していたのだった。
アメリカの最初のベストセラー作家で、アメリカの現代クリスマスの基を築いたアーヴィングには、わたしにとっては興味深いエピソードがある。ここでその二つをご紹介する。
アーヴィングは英国の旅から帰国後、1832年にアメリカ西部のフロンティア(開拓地)を旅し、西部の民族について 『大草原のツアー』(1835年)を記した。彼は、ヨーロッパ人やアメリカ人とアメリカ原住民族との関係が悪化する事に反対し、懸念し、次のように述べたことでも知られている:
「植民時代の初期には、白人達のために。。。中傷された数多くの不幸な先住民がいた。彼らは金目当てで頻繁に起こされた理不尽な戦いによって先祖代々の領土を追い出され、さらには彼らの人柄も、頑迷で不純な(白人の)作家達によって中傷されたのである。」
そして、二つ目は彼の有名な隣人についてのコメントである。
1836年に、アーヴィングはニューヨーク郊外のハドソン川沿いの町タリータウンに屋敷を構え「サニーサイド」と名付け、隣人には黒船で日本へやってきて日本開国を迫ったマシュー・ペリー提督がおり、交友があった。アーヴィングは、ペリーのことをJapanned(日本かぶれ)と呼んでいたと言う。
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