ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

隣人への贈り物

2018-12-07 | アメリカ事情

lds.org

 

 

 

クリスマスはキリストについてです。その日は彼の名が付けられ、人々を彼に近づけるための日です。心の中に感謝と敬意を与えます。キリストの人生は私たちへの贈り物でした。彼はすべての人々のために生き、そして私たちのため、私たちの罪のために死にました。彼の贈り物にならって、人々はクリスマスに贈り物をするのです。


もしあなたが私のようにキリストへの信仰を持つのであれば、あなたのなさるクリスマスの贈り物には意味があります:愛がそこには包まれているからです。私の子供たちは幼かった頃、愛情を込めて作った画や工作や簡単な手芸作品を夫や私に贈ってくれました。それらは親の私達を笑わせ、そして泣かせました。子供達の愛がその贈り物にはっきりと現れていた宝だからです。

 

夫の姓名は、ビル・ゲイツでも、ウォーレン・バフェットでもありません。夫も私も、ごく普通の市井の者です。どなたとも同じように、人生の荒波も身を持って知っています。クリスマスシーズンに、お金に余裕がなかったり、あるいは例年よりも1%ほど予算に無理を言える年もあります。けれども、お金があるなしに関わらず、私達家族は、本当に楽しいクリスマスを過ごしてきました。クリスマスにお金を使えないのならば、私達の創意工夫という内に秘めているだろう才能を使えばいいのです。「サンタクロースがその年急逝してしまったので」と言い訳をしたくなるようなクリスマスでも、真のクリスマスの意味を知っていれば、慎ましいギフトを通してお互いの愛を広められるのです。


私の家庭では、お金の欠如によってクリスマスギフトが止まったことはありません。これは何も私の家族に限ってではなく、ある方のアイデアは、住む町にあるThriftショップ(救世軍や在郷軍人会や教会、福祉団体が経営する中古品屋さん)クリスマスと称して、ギフトを用意することでした。中古品店には、思わぬ掘り出し物があるものです。ゴルフをしたくてゴルフバッグに道具を新品を揃えても、結局すぐに才能がない、と諦めた方が寄付なさったと思えるものも、驚く値段($5)で売られていることがあります。 要は、クリスマスに破産しそうなほどの高価な買い物を贈る必要は一つもなく、出来る限り、真のクリスマス精神を広めることが大切です。

 

隣人には、私はクリスマスクッキーを各種焼き、きれいなプラスチックのプレイトに盛り、セロファンで包み、一件づつに配ります。クッキーは子供達と一緒に焼き、飾り付けたものでした。この家庭の伝統は、今ではそれぞれ結婚をした五人の子供達が受け継いでいます。さて、大分前ですが、二コリーン・ペックさんと言う方は、次のような記事をそのブログに書いていらっしゃり、感慨深いものですので、下に記します。

 *******

今年は、隣人すべてのご家庭に、釘を贈ります。(どなたも今この記事をお読みでなければいいのですが)。

およそ12年前、一人の友人がこの変わった贈り物をクリスマスにくれました。赤いリボンが結んである一本の釘です。それは実際には、クリスマスツリーに飾るものでした。この徹底的に簡素で地味な飾りは、今まで私は見たことがありませんでした。当初少し困惑したのですが、それをくれた時、その友人がその飾りについている紙切れを指さして言いました:「これを読んでちょうだい。」


そこには次の詩が書かれていました。

 

 

It’s Christmas time at our house and we’re

putting up the tree.

I wished I could find one simple way to

remember Christ’s gift to me.

Some little sign or symbol, to show friends

stopping by, the little babe was born one day but

He really came to die.

Some symbol of his nail-pierced hands, the blood

He shed for you and me…

What if I hung a simple nail on my shining

Christmas tree?

A Christmas bow tied ’round the nail-symbol of

His blood that flowed so free to save each person

from their sin and redeem us for all eternity.

I know it was love for us that held him to that

“tree” but when I see this simple nail, I know

He died for me!


クリスマスには、わたしたちの家では、クリスマスツリーを飾ります。

私(達)へのキリストからの贈り物をひとつの簡単な方法で思い出せたらと願っていました。

小さな記号やシンボルのようなもので、立ち寄る友人たちに、

ひとりの赤子はある日誕生し、

でも彼は実に死ぬためにやってきたのだ、と

お見せできるものが見つけられたら、と願っていました。

彼の両手に打たれた釘のシンボル、そしてあなたやわたしのために流された血…

きれいなクリスマスツリーに簡単な釘を掛けたらどうでしょう?

私達を救い、永遠に贖うために流された主の血を象徴する(赤い)クリスマスのリボンをその釘に結んで。

あの”木”を包んでいるのが私達ひとりひとりへの主の愛であることをわかっています。

けれど、この簡単な釘を見る時、私は主が私の(罪)ために死んだのだとわかるのです。


 

それからの12年間毎クリスマスには、必ずクリスマス飾りの箱からその飾りを取り出してツリーの高い位置に掛けます。この飾りは私達家族の持てる飾りの中で一番貴重な物です。いいえ、これは素敵な旅のお土産ではありません。これは主のクリスマスの飾りで、私達の最も愛している飾りなのです。


今年、私の隣人たちは、一本の釘と一篇の詩を貰うでしょう。これを作るのは大したコストではないのですが、多大な価値があるのです、何故ならば、クリスマスツリーとその根元にある物すべてはこのお方、イエスキリストの誕生を祝うためだからです。

 

イエスは私たち全ての者の救い主です。 彼は毎日慈愛に満ちたメッセージをひとりひとりに向けて、奇跡、祝福、生きるに必要なこと、を通じて発信していらっしゃるのです。このクリスマスシーズンに毎日主に思いを寄せれば、私達は、毎日の生活の中に主の愛を感じられ、他の方々とその愛を分かち合うことができることを証します。 そして、私たちの住む世界はもっと愛を必要としています。 メリークリスマス!


 

Meridian Magazine/ldsmag.co










 

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