ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

クリスマスを嫌う人へ

2018-12-05 | アメリカ事情

 

 

 

 

 

以下の短いクリスマスの物語はクリスマスの真の精神と意味を明らかにしています。 もともとこれは1982年12月14日付けのウーマンズデイ誌に掲載されました。 この感動的な話は、次世代の市民団体指導者、人道主義者、博愛主義者、そして贈り物をする人々を育成することを目的とした非営利団体であるホワイト・エンベロープ・プロジェクト(白い封筒プロジェクト)の創設に影響を与えました。この話が人々にクリスマスの本当の意味を思い起こさせ、クリスマスシーズンやあるいは年中を通して、「与える」ことができますように。

 

 ********

 


 クリスマスストーリー:クリスマスを嫌う人のために

ナンシー・W・ギャビン

  

 

それは私たちのクリスマスツリーの枝の間に置かれたいた小さな白い封筒です。宛て名も、差出人の名前も、どういう封筒なのかも書かれていないのです。それは過去10年間、私たちのクリスマスツリーの枝の間から覗いていました。


私の夫マイクがクリスマスを嫌ったことに始まりました。いいえ、クリスマスの真の意味を、ではなく、商業的な側面 - 過度に浪費し、最後の最後にになっても何をあげていいかわからず絶望の挙句、間に合わせるような贈り物のために、ハリー叔父さんのためのネクタイとおばあちゃんのための浴後にはたくパウダーを買うために、売り場を走り回っている狂気 を、でした。


彼がそのように感じていたことを知って、私は通常彼に贈るシャツ、セーター、ネクタイなどを一年間はやめよう、と決めました。私はマイクのために贈りたい何か特別なものを見つけました。その着想は、珍しい形で起こりました。


その年12歳の息子、ケヴンは、通う学校のレスリングチームに入っていました。クリスマスの直前、市中教会が主催するチームとのリーグ外リーグ戦が行われました。そのチームの子供達は、まるで靴紐で足に結わえ、かろうじて靴の形を保っているようなひどくみすぼらしい、くたびれたスニーカーを履き、こちらのチームの子供達の青と金のユニフォームとぴかぴかに新しいレスリングシューズとは対照的でした。


試合が始まったとき、私は他のチームがレスラーの耳を守るように設計された軽いヘルメットのようなヘッドギアなしで格闘していたことに気づきました。それはこのみすぼらしいチームには、明らかに買う余裕のない贅沢品だったようでした。


やはり我々のチームは相手チームを完敗させました。チームはすべての重量クラスで勝利したのです。私のそばに座っていたマイクは、悲しいそうに頭を振り、言いました。 「あの子供達は多くの可能性を秘めているが、このように負けてしまって、どれだけ内面を傷つけられたことだろうか。」マイクは自分の子供だけではなく、どんな子供たちをも愛していました。彼はリトルリーグのサッカー、野球、ラクロスのコーチを楽しんできました。その時、彼への贈り物のアイデアが私に浮かんだのです。


その午後、私は地元のスポーツ用品店に行き、レスリング・ヘッドギアと靴の品揃えを買い、市内の教会に匿名で送りました。クリスマスイブに、小さな白い封筒をクリスマスツリーの枝の上に置きました。封筒にはマイクに私が何をしたかを伝えるメモを入れました。これが私からのマイクへの贈り物でした。


その年のクリスマスは、前年に比べて、マイクの笑顔が一段と明るかったのでした。そして、同じ笑顔は、次の年もその次も明るくなりました。クリスマスごとに、私はこの「伝統」を守りました。ある年は、精神的障害のある若者のグループをホッケーの試合に送りました。またある年は、クリスマス1週間前に火事で家を焼失した一組の高齢の御兄弟に小切手を送りました。


その白い封筒がうちのクリスマスのハイライトとなりました。それは常にクリスマスの朝に開いた最後のものでしたが、子供たちは新しいおもちゃをほったらかして、父親がその封筒を持ち上げてその内容を明らかにするのをわくわくと待っていました。子供たちが成長するにつれて、おもちゃは、より現実的なプレゼントになりましたが、小さな白い封筒がその魅力を失うことはありませんでした。


物語はそこで終わりません。ご存知のとおり、私たちは昨年、恐ろしい癌でマイクを亡くしました。今年クリスマスがまた巡ってきた時、私はまだ悲しみに包まれていて、やっとの思いでツリーを立てたのでした。しかしクリスマスイブには私はツリーの枝の間に、例の封筒を置きました。そして次の朝、魔法のように、ツリーにはさらに3つの封筒が加わっていたのを発見しました。誰にも気づかれずに、私たちの3人の子供たちのそれぞれは、初めて、父親のために、ツリーに白い封筒を置いたのでした。いつか孫たちが特別な封筒をツリーから取り下げるために立ち上がり、この伝統を成長させ、拡大させることでしょう。


www.wanttoknow.info/i/christmas-stories/meaning-of-christmas



 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クリスマス精神というもの | トップ | クリスマスでもクリスマスで... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
幸せとは何か、考えさせられます (コロ健)
2018-12-12 19:05:39
電車の中で読んでいました。ホロリときて、不意を突かれてしまいました。良いお話ですね。
自分の幸せがあるからできることとはいえ、幸せを独り占めしないということは、なかなか難しいことだと思います。
私も余裕があればそうできるようになりたいものです。
コメントをありがとうございました。 (ままちゃん)
2018-12-13 02:06:34
コロ健様、

幸せをお分けするということは、実はそう難しいことではないと思います。自分にできることから始めれば、え?なんだ、こんな簡単なことだったのか、と驚きます。確かにビル・ゲイツのように、多くの富を持ち、寄付するにも億単位、とできたら素晴らしいですが、たとえば、知人の御両親などは、決して裕福ではなく、移民としてアメリカにわたり、大変な苦労を重ねて、子供を六人こちらで育て、その子供達が成長した今でも、二つ、三つと多くの職を持っています。それでもこのお二人は、もしひもじい人を見つければ、すぐに自宅に呼び、食事をふるまうのが趣味のような方々です。先月の感謝祭では、このご家族はなんと40余名もの人々を招待し、食事を共にしました。子供たち全員が食事の支度を手伝い、食後は、みんなでダンスに興じたそうです。場所は、自宅のガラージの中でした。車を外に出し、簡易テーブルとイスをレンタルし、寒くないようにスペースヒーターをいくつも床に置き、温かい食事をふるまったのでした。お二人は、なんの見返りも求めず、本当に良い時をみんなと過ごせたことがなによりの「ご褒美」と言っていました。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アメリカ事情」カテゴリの最新記事