ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

九頭の牛の妻

2017-08-02 | アメリカ事情
私の勤める大学の今年の夏時間は今週金曜日をもって終了する。五月の卒業式からの夏時間は朝7時から午後3時半まで。昼休みは30分だけ。来週月曜日から、通常時間、8時から5時、昼休みは一時間、が始まる。秋学期の始まりはあと二週間ちょっとである。夏だって、一応夏学期である。かなり補習的で、春学期に単位不足で卒業を見逃した人が、夏にそれを補って卒業に持ち込む、と言う風である。夏は、学生の数が極端に少なく、キャンパスは静謐で、ちちちっと回って散水するスプリンクラーが芝生に活を入れている。

大学院生は大抵が既婚者で子持ち、仕事を持っているから、卒業にこぎつけた方々を見ると、尊敬の念が湧く。特に、教育、看護学、物理療法学、心理分析学で博士号を取得した人たちは皆、努力に努力を重ね、仕事に家庭に、と、勉強以外にたくさんのやることを抱えているのであるから、立派な卒業レガリアを着て卒業タムを被った姿は、りりしく、胸を打つ。そしてそれを支えた愛する家族の姿が目に浮かぶ。

レガリアというのは、卒業生が着るガウンのことで、学士、修士は似ているが、修士は、フッド(Hood)があり、修士授与はHooding Ceremonyで、このフッドを首にかけてもらうことで成立する。専攻に応じて様々な色が黒地の布とつなげられている。この二つの学位は同じようなキャップ(角帽的なもの)で、大抵黒である。てっぺんからは、Tussleが下げられる。 博士号はベルベット地を使ったフッドで、キャップも、Tamタムと呼ぶ、ベアトリクス・ポターの、ベンジャミンバニーが被っているようなフエルトのベレーのような物を用いる。博士号のレガリアは、腕に三つあるいは、四つのストライプが付き、レガリア前面中央には二本幅広なベルベットが付いている。こうした卒業服装は、学士、修士は、$100周辺、博士号は$500以上かかることもある。博士号のレガリアセットはベルベットを使い、布も多く使うからだろう。


Hood フッドの色は各学科により異なり、大抵ユニヴァーサルなコードである。例えば、教育は水色、エンジニアリングは黄色、法学は紫、医学はケリーグリーンとそれぞれある。三本ストライプの入ったベルベットのレガリアをまとい、頭にはタムの息子は、名前を呼ばれて壇上に赴き、傍で待つ妻によってケリーグリーンのフッドを被った。そうして、この春、息子は医学博士になった。

これは博士号のレガリア、フッド、タム。



息子の親友も、歯科矯正医としてこの春卒業したが、彼はライラックのフッドで、タムを被っていた。この二人は小学生から高校までずっと一緒で、スケートボード仲間だった。二人とも医学校や歯科学校へ入った年に結婚した。日本では、異なるだろうが、こうした学校へは、アメリカでは妻帯学生のほうが、成功率が高い。勿論、独身学生もいるが、大抵は、既婚、家庭を持っている。学業は、過酷といえるほどの厳しさで、三年目、四年目はローテイションという各地の専門医・病院で一週間ほどの期間で多くの科の実習をこなす。
難関を越えて入学をしても、初年度に脱落する学生は独身者が多く、四年目にはさらにもっと多く妻帯者でも脱落していく。
息子は、専門医(小児眼科医)を目指しているので、まだあと四年ほどは修行を積まねばならない。

そんな険しい過程で、若い夫婦は共に苦労を乗り越えて、絆をますます深めるのだろう。息子の妻Kは生物・看護学を専攻し、病院で働き、息子を励まし、支え、まさに糟糠の妻である。こうした献身的なKがいたから、息子は勉強に励み、卒業でき、現在のレジデンシーを行えている。二人には春先女児が生まれたが、育児には、息子は持てる時間をできるだけ注ぎ、二人でしっかり育てている。息子の博士レガリアにはこのKの並々ならぬ献身と愛情が織り込まれている。パトリシア・マックガー(Patricia McGerr)の書いた話に、ジョニー・リンゴというポリネシア人が、9頭の牛に匹敵するほど素晴らしい嫁を貰う、というのがある。息子はジョニー・リンゴの妻に劣らない、10頭の牛でも足りないほどの人を妻にした。
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笑顔

2017-08-02 | 国際恋愛・結婚

フレッチャー校舎から次のクラスのあるリチャーズ校舎までは、電車で一駅間ほどの距離がある。しかも山越え野越えのような地形の広大なキャンパス。フレッチャー校舎でのクラスが終わるや否や、真っ先に教室を飛び出し、小走りで次のクラスへ行かなければ、遅刻する。厳寒の冬はブーツが必須で、それでばたばたとキャンパスを駆け回ったものだ。空気は寒い上に乾燥しているので、唇はすぐ荒れる。そのためリップクリームは必需品。小さな頃血色が悪く、先生からよく、具合が悪いのかと心配されたりしたので、リップクリームはすこし色の入ったものを使用していた。赤い唇をして、黒いブーツであっという間にクラスルームを真っ先に出る女学生。それが第一印象、と三十六年連れ添っている人は言う。



そのクラスには親友がいて、キャンパスのキャンディストアで働いていた彼女は、私によくキャンディをくれて、ふたりでそれを口にしながら授業を受けたものだ。ある日私のすぐ前の席に座った人が、後ろに座っていた親友と私のほうへ、くるりと向き、手を出した。私達は丁度ピーナッツ入りのM&Msを頬張っていたところ。ついうっかりM&Ms をその手のひらに置いてあげてしまった。彼は笑って、ありがとうと言ったが、その笑顔はなにかに似ていた。あ、ミッキーマウス!あの笑顔にそっくり。英語でMickey Mouseというと、取るに足らない、些少な、重要ではない、というような意味もあるが、その時私の脳裏に浮かんだミッキーマウスは元来のこれである。




 




学期が始まった日、彼はかなり後ろの隅っこにいたのを覚えている。それが日を重ねる毎に、だんだん私の周りに座り始め、その日は、前の席に座っていた。「君達はいつも楽しそうに話しているし、キャンディもあるしね!」



二、三日して、その親友がブラインドデートを計画し、彼女と私とデート達二組でピアノ専攻のクラスメート、ジェームスの卒業ピアノリサイタルへ行くことになった。そのデートの前日、いつもの如く疾風のように教室を出る私の後を彼がついてきて、次のクラスまで教科書を持ってくれる、と言う。私は一人で大丈夫よ、と断ったが、それでも彼は私から重い教科書をとりあげる。男の子に自分の教科書を持たせる女の子は、ノーマンロックウェルの絵画の世界みたいだな、と思ったことだ。途中何気なく、彼は、「金曜日の夜、何食べたい?」と尋ねた。「ボクが君のブラインドデートだよ。」



父親や弟以外の男の人との食事が、何故か嫌いで、何も口にできなかった私だったので、私はかなり懸念し、わけもなく不安だった。ところがデートの夜、彼と差し向かいで座った町の和食レストランで、初めて食事ができた。このミッキーマウスには、私を安心させる何かがあるのかもしれない、と感じたことだ。肝心のコンサートは、絵画なら超抽象的で、実に散々なピアノ演奏だったので、よくジェームスは卒業できるもんだ、と二人で笑った。ごめんね、ジェームス。



キャンパスからそれほど遠くないところに湖があり、真冬、ベンチやテーブルに陽にも溶けないで雪が積もっていても、私達はよく授業の合間にピクニックをしてキャフェテリアで調達したイタリアンサンドウィッチを分けっこした。その後も、彼は毎回私の教科書類を持ってリチャーズ校舎まで歩き、次の学期も同様で、難しいクラスの時は聴講生のふりをして私の隣に座り、宿題やプロジェクトを助けてくれた。ギリシャ語やヘブライ語に明るい古代宗教のグリッグス教授のクラスでは、この”聴講生”は大変に重宝した。グリッグス教授、ごめんなさい、でもズルはしていません。



それが私たち夫婦の出会いである。ああ、いつこの話をしても、なにかむず痒くなるくらい恥ずかしい。



コメント (2)
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