夏思い出すのは、果樹園にたくさんなった杏を使ったFruits leather作りである。Fruits Leather はよく熟した杏の種をとり(イチゴでもできる)、半分に切って少し煮てから、それをブレンダーに入れてどろどろの状態にして、ワックス紙か、サランラップをしいたクッキーシートに薄く流し、それを日干しするのである。夏の日差しが強く、湿気の少ない所だったので、一日干せば、夜には完成していた。それをくるくると巻けば、市販のフルーツロールアップとなんらかわらない。非常に乾燥している所なので、かなり日持ちしたが、大抵はその前に食べられて、すぐになくなった。
西部のある州で、大学生だった私は、教会で知り合ったある御家族に週末よく招待された。この御家族は家庭果樹園でストーンフルーツと呼ばれる桃、杏、プルーンなどを栽培して、夏は、収穫するや、すぐ加工して、ここの厳しい冬に備えるようにたくさんの瓶詰めを貯蔵していた。地下室にもうひとつキッチンがあり、そこのお母さん、Dは、桃を煮たり、ジャムを煮たり、あるいはガラス瓶と蓋の熱湯消毒で、湯気が立ち込める中、忙しく、でも楽しそうに立ち働いていた。そんな彼女を手伝いたくて、週末に呼ばれた私は、旬の果物の利用法を伝授され、その中でもFruits leather作りは楽しかった。
実直で働き者の夫の他に、娘三人息子一人がいたが、Dは、よく娘達のプロムドレスや新学期のための新しい服を子供達に作っていた。日曜日には家族そろって教会へ集い、地域の活動にも協力を惜しまない人たちだった。普通の世間一般の家族だったが、いつ泊まってもベッドリネンはパリッと清潔で陽に干した洗濯物特有のいい香りがした。訪問する度、心身共に休め、ホームシックも勉強の疲れも忘れた。Dは、決して押し付けがましい母親ではなく、夫と共に、子供の話はゆっくりじっくり聞いて、問題があれば、解決の糸口を一緒に考える人である。つつましく、物静かで、言い争いや怒声は一度も聞いたことはない。
やがてこの御夫婦の子供達も独立し、それぞれ家庭を持ったのだが、少し前に、孫娘のひとりが、自殺した。患っていた欝が原因らしいと聞いた。何の不自由もなく育てられた、まだ十代だった彼女に、生きる目的もハリもなかったのが残念でならない。あの遠い夏の日々に、家事に、ヴォランティアに、体を動かして働くことに楽しみを見出していた彼女の祖母のDNAは伝わらなかったのかと、残念でならない。
今の時代、着る服を自分で作るどころか、ボタンのつけ方さえおぼつかず、ジャムやFruits leatherは、簡単に安くどのグローサリーストアででも、手に入り、食事も冷凍食品をマイクロウェーブオーブンで温め、洗濯は、全自動洗濯機や乾燥機を使う、人が訪問しても、これが普段の自分とばかりに、掃除もせずに迎える、そんな世代が多くなった。家事に喜びを感じたり、日常の家庭生活でちいさな感動を見つけては、幸せになる、など、そんなことをウッカリ口にすると、馬鹿にされかねない現代である。
先年久しぶりに訪問したが、未亡人となり、齢八十を超えてもなお、相変わらず整然とした家で穏やかな一人暮らしをなさっている。そしてテーブルには、きちんと洗われ、アイロンのしっかりあたった手刺繍のある白いクロスが掛かっていた。
ふとあの日に戻れそうな気がした。
http://georgiapellegrini.comからの映像。これは、イチゴのFruit Leatherです。