RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク) BLOG.

RC-NET STAFFによる、日常の些細な出来事から、お知らせまでいろいろなぶろぐ。

アヒルの子

2010-10-17 23:49:19 | 事務局より
アヒルの子という映画を十三の第七藝術劇場まで、みにいってきました。

5歳のころにヤマギシの幼稚部に預けられた事をきっかけにして生まれた孤独感「いい子」にならなきゃという思い、子どもの頃にあった兄からの性暴力をきっかけにした「自分は汚れた」という思いや恐怖感、存在価値を見出せない生き辛さ。死にたい、という欲望。

スピークアウトの権化みたいな作品だな、と思った。

監督であり、このドキュメントの主演である小野さやかさんの、泣きっぷりはすごいもんがある。
過呼吸起こす勢いで泣き、苦しんで、相手を睨み付ける勢いで直視する様子は、
一見したら“イタイやつ”みたいな感じすらある。でも、そうなんだ、わかるよ、その気持ち。

すっごいこみあげるわけではなかったけど、自然と涙が流れてくる様な作品だった。

この作品が、彼女によって撮られている監督作品だということにすごく価値がある気がする。
彼女なりの“見せ方”が、真摯に見えた。
誰かの目を通したんじゃなくて、当事者が当事者として、そして“映画を撮る人間として”客観的に自らや家族、他者を捕らえ、どう見せたいのかを考察したものであったということが、すごくいいな、と思う。

内田春菊さんがコメントしている、
「死ぬ代わりに撮ったのだということがよくわかります」
と言う言葉が、そうなんだな、と、合点いった。
よかったな、と思う。彼女にとって、死ぬ代わりにもなりうる、“映画を撮る”という手段があったことに。

上映後、小野さんにパンフにサインもらいながら少しお話させてもらって、
感想を聞かれたから「こういう話を、こうやって、外に話してくれる人が増えてきたってことが、すごい嬉しい」みたいなことを言ったんだけど、
ただ、私はスピークアウトすることが必ずしもいいことだ、とは思ってない。
悪いことではもちろん無いけど、それによってあるリスクだって考えるし、それを受けての周囲の反応やその体験の取り扱いだったりが間違えば、意図せぬ方向に物事が進むこともある。みんなとシェアすることが万人にとっての救いにはならない。
でもやっぱり、安心もする。よかった、ここにも仲間がいるんだって。そして、そのスピークアウトだったりが、まず本人にとって意味のあるものであるなら、やっぱり素敵なことだと思う。
この映画を撮り、それを公開するまでの5年だったかに、どんな葛藤があったのかはわからない。どんな素敵なことがあったのかも、私にはわからない。
でも、よかったよね、これが出来て、と思った。

しっかし、最近沸点の低い私は、あの兄に、劇的にムカついた。
なんだよその他人事。
なんだよその偉そうなもの言い。

全てが思い通りにはいかないのが世の常だし、
ドラマみたいなハッピーエンドなんてそうそう無くて、
どっかで、ここで終わりにしよう、みたいな事を考えたり、終わりになんかならないんだけど、次に行こうって思えたり。
その、一歩が、この映画だったのかなと思った。

小野監督が、次に撮るのはどんな映画だろう。
楽しみだな、と思った。

二週間だったかな、ナナゲイで上映しているので、いける人はぜひ行ってみてね。



見終わってからトモとねぎ焼きのやまもとに行って、口、超やけどしました。
ねぎ焼きをこよなく愛する私としては、しょっぱなから出鼻をくじかれる。しかも車なのでノンアルコールだったため、なんか不完全燃焼。
また行こうと思う。やけど治ったら。
いやしかし、ねぎ焼きはやはりウマイです。
ナナゲイの後は、ねぎ焼きできまりですZ!!


最新の画像もっと見る